世界文化遺産であるバーミヤンの巨大石仏は、顔の部分が崩落して無くなっていた。
その姿を見ると、三次元世界における「自分自身」の本当の外見というのは、ちょうどこんな様子なのだろなと思った。
ダグラス・ハーディングの「The Headless Way」は、私たちには本当は頭が無いことを説いている。
実際に、自分の身体の各所を見回しながら、純粋に感じてみると、「見る」という行為の出発点である頭の前の部分は、ぽっかり空になった透明な空間であることが認識できる。
「いいや、ここには顔があるはずだ」という後付の知識を介入させない限り、認識している実感に疑いの余地はない。
他人や鏡に映る像には、頭も顔も付いているのに、見ている当事者の「自分自身」にはそれが無い。
その顔の無い状態の姿が、もし外側からリアルに見えたとすれば、ちょうどあのバーミヤンの石仏のようになるだろう。
消えている顔の部分だけが、真実の次元に存在している。そして目に見える身体と周りの世界はすべて、この三次元世界の幻想の産物だ。
たとえとしてかなり違うかもしれないけど、以前ある輸入車販売店を訪ねたときのこと。高級車種のオープンカーの価格が、屋根のある同じ車種よりも200万円も高いことに驚いたことがある。
車体の上のスカッと開いた何も無い空間に、国産車まるまる1台分くらいの経済的価値が乗っかっているというわけだ。
物質的にゼロのところに、価値がある――。
バーミヤンの石仏は2001年にタリバンによって爆破され、現在では全身が無くなってしまっている。
人類より一足先に、非物質の次元に行かれたのかな…。
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