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 『覚醒の炎 プンジャジの教え』の本について何本かの記事で紹介してきましたが、今回が最後になります――。


 教えを説くマスターたちは、よく「たとえ」を使って話をする。人がこの世界で歩む道について、天の国とはどのような場所であるかについて…。

 その語り手の、一番の代表格といえるのがイエスだろう。
 ただイエスの場合、生きていたのが日本の弥生時代にあたり、また当時のユダヤ社会の風習などをベースに語られているから、今の私たちが聞いて「どれも胸にストンと落ちる」という感じでは必ずしもないかもしれない…。

 近年のマスターでは、OSHOがかなり多くの比喩を語っていると思う。
 ただこれも、好みがけっこう分かれるでしょう(下ネタの笑い話とかもあるし)


 で、プンジャジもこの本の中でいくつかのたとえ話をしているのだけど、それがなかなかスマートに表現されていて、うまいなと感心する(オリジナルの作話かどうかは知らないが…)

 今回はその話の紹介です。
 まずは、「自らの本質を忘れずに生きる」とはどういうことかについて、「劇団の経営者」を例にこんな話している――

 ある劇団が、街で公演を行っていた。
 ところが、王の召使いの役をする役者が、上演の間際に病気になってしまい、来ることができなくなった。
 ほかに役者はいなかった。そこで劇団の経営者が、その召使い役を代わりに演じることになった。

 劇の中で経営者は、王様役の命令に従った。
 王が「出かけるから靴をはかせろ」と言ったら、召使い役はひざまずいて靴をはかせた。
 召使い役の経営者は、王のもとで常にへりくだって振る舞い、そうして舞台を引き立てた。

 ところで彼は、「自分が劇団の経営者である」ことを、ひとときでも忘れただろうか?


 自分が「真我」であることを知りながら生きれば、どこにいてもその役を演じられる。すべての行いは、とても美しいものとなる。
 それが、シンプルで自然で自発的な生き方だ。

 このことが難しく思えるのは、周りの誰もがそのように生きていないからだ。
 実際はそれが、いちばん簡単な生き方なのだ。なぜなら、それがあなたの本性だから。


 ――なかなか見事な語り方ですよね。

 すべての人の人生は、生まれてくる前に、魂があらかじめ目的やテーマを決めてきたのだとよく言われる。そうして、まさに脚本の通りに演じているわけだ。
 もちろんその内容にはすべて必然的な意味があって、おろそかにはできないものだけど――、でも、あくまでもそれは「今だけの当面のキャスティング」に過ぎないのだろう。

 そして私たちは、「端役をこなすだけで、もはや精一杯」といった、実力不足の小さな役者みたいな存在ではない。
 その一つの役にかかわりながらも、舞台全体に息を吹き込んでいる、そんな存在なのだと思います。


 もう一本、これは「この世界に生まれてきた魂の目的」についてのたとえ話――。

 むかし、子供に恵まれない王がいた。
 その王は、自らの没後に世継ぎの騒動が起こらないように案じて、養子を受け入れることを決めた。
 そして、王国に住んでいる誰もが、次の王になるための面接を受けられるようにした。

 面接の日、大勢の人々が宮殿に集まってきた。
 宮廷の者たちは、次の王となるかもしれないすべての人々を、とても手厚く迎えた。
 王に謁見するために、来訪者には宮廷のはなやかな衣装が渡され、皆それに身を包んだ。
 さらに王が享受しているすべての場所が提供され、好きなところで思うままに過ごすことができた。次の王にふさわしいぜいたくなごちそうも振る舞われ、踊り子が舞うのを楽しんだ。

 そんな調子で時が過ぎていき、そのうちに皆、自分が何のために宮殿に来たのか忘れてしまった…。
 王は面接のための部屋で待ち続けていた。だが結局、誰も会いに来る者がいなかった。
 そして一日が終わろうとするとき、王は全員に家に帰るように告げたのだった。


 もし途中で目を奪われずに、王のもとに行く者がいたなら、すべての宝はその人のものとなっただろう。だが、誰もが宮殿にやって来た目的を忘れてしまった。
 人はそのように一生を終えて死を迎え、そして再び誕生して苦痛と快楽の人生を続けていくのだ。


 ――これも、ちょっとハッとさせられる内容ですよね…。

 また一方で、「今の自分の服も食事も立場も、ぜいたくと呼ぶには程遠いぞ。これのどこが、次の王にふさわしいもてなしと言えるのだ?」なんてふうに思えるかもしれないけれど――、
 自分が日々している経験の、いったい何が掛け替えのないものであるかを考えることも、この比喩に込められた大事な意図なのでしょう!



 結びのヒーリング・ミュージックは、Frederic Delarue「Sincere Communion」。

  ☞ コメント:30

 
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コメント
6133
うわすごい、飛ばしてますね♪
「王の面接」
まさに!!! そのとおりです。

イエス様が、「目を醒ましていなさい」とおっしゃられていたこととも近いかな。

つい、忘れる、忘れ去って、思考している自分がいるのですが、最近は「まてよ。違うだろ」と思い出せるように^^だんだんなってきました^^。

なにを見聞きしても、なにを手中にしようとも、本質から目をそらさない、常に帯同できる「ふだんづかい」ができてこそ、ってことですよね。

6134
神崎詞音様

 こんにちは!

 イエスの「目を覚ましていなさい」もそうですし、「十人の乙女」のたとえ話も、言わんとするところはきっと同じでしょう。

 またここで、「面接する王」というのが、ほかならぬ自分自身(真我)というのが、まさにキーポイントなのでしょうね…。

6135
ああ
こんばんは。

神社のお祭りにはいくけれど、参拝してくるの忘れた!みたいな感じですね。
屋台に気を取られやすいので気をつけなきゃ!(人生においても)

屋台の料理や射的などのゲーム、またその損失などに心を囚われ、深く考え込む必要などないんでしょうね。
目的を忘れず進む道が分かっていると、ぶれにくいですね。

シンプルな考え方で届きやすかったです!

6136
面白く楽しい話
たとえ話が上手に話せる人って
人生をたくさん経験しているから語れるのでしょうね

説教では重くて・・・

あはぁ~みたいに 軽く笑いながら
真我に進めるのがいいですね

6138
tao様

 こんにちは!

 人生の出来事やするべきことは、いわば運命として自動的に起こってくる。
 一方で、本当の「目的」のほうは、自分自身で意識して選ばないといけない…、という仕組みなのでしょうね。

 以下、プンジャジの師であるラマナ・マハルシの言葉です――。


 あなたが仕事をするかしないか、どこへ行くか行かないかは、すべて運命に従って起こる。あらゆる行動は、生まれた時点ですでに決定されているのだ。
 唯一、あなたに与えられた自由とは、外側に向かう心を、内側へと向けることだけである。

6139
光子様

 こんにちは!

 「たとえ話」は、当てはまる単語もないような、目に見えない世界を表現するための手立てなのでしょう。

 そして、いわば「意識がそちらに向いている人」だけに伝わる、という性質もありますね。

6140
ヴィヴェーカーナンダのレベルのたとえ話ですね・・・
むしろ、OSHOさんが気になりました。
ユーモアセンスに優れる広大さんをしてそこまで言わしめるマスターとはどういう方なのか…

広大さんはどの本が最もOSHOさんのたとえ話のユーモアが
凄まじいと思いましたか?
教えて下さると嬉しいです。

ユーモアの欠如は心の消耗を引き起こし達観しつつ優雅に世界と踊る代わりに、
人をサバイバルの観点まで落としてしまうことがあります。
防衛せずとも私もあなたも不可侵の強さそのものであるというのに、誇らずとも素晴らしいのに、
両刃の剣を手にすることを自我(あるいは世界)は未だやめられない。

キリストの言った剣とは、
非二元の真理が真理であり続ける故の強さという片刃の剣であって、
十字軍と回教徒の間で使われる諸刃の剣は神も真我も思いもよらない。

キリストが聖書の中で一度も微笑んでいないのは、
この地上が「ガキの使い」にすら満たない、『笑ってはいけない』じゃなく「笑えない」ユーモアだったからに違いありません。

6141
パシャ様

 こんにちは!

 OSHOが語るたとえや寓話は、僕自身はけっこう好きです。
 ただ一般には、「人によって好みが分かれるだろうな」と考えています。

 確か講話の中に「男性避妊具のサイズを薬局店員と試す話」というのもありましたね(ジョークのオチは忘れました…)。

6142
光奈さん、こんにちは。

昨日は久しぶりにプラネタリウムへ。
青い地球が映し出されると、いつも心が清々しくなります。
地球っていいなあと思ってしまいます。

>あなたが仕事をするかしないか、
>どこへ行くか行かないかは、すべて運命に従って起こる。
>あらゆる行動は、生まれた時点ですでに決定されているのだ。
>唯一、あなたに与えられた自由とは、
>外側に向かう心を、内側へと向けることだけである。

起きてくることは運命である。
そして起きてきたことにどう対応するかは自由。
外側へではなく、内側へ心を向けた時に、真実が見えるのかも。

色々起きています(笑)。それは自分の運命だけでなく、
外側の人々の運命にも起因しているんでしょうね。
そう考えると、すべてを受け入れるしかない。
色々起きてくるから、自分と向き合えるわけで、ホントうまくできてますよね。

6143
こんにちは。たとえ話は面白いですね。

ところで「この世界に生まれてきた魂の目的」とは何なのでしょうか?

魂のあるべき思考と行為をもってしてこの世を生き、解脱を見いだすということでしょうか。

6144
劇団の経営者なら
自分の好きな役も演じられるし、演目も変えられますしね。
「この話はあまり面白くないから、別のにしよう」とか。

「この事が難しく思えるのは、周りの誰もがそのように生きていないから」というのは本当にその通りだと思います。

「自分の現実を創っている」というのを心から認めるのが難しいのは、”皆と同じ”観念を持っている事に安心感を見出すからだ、という文章があって、分かるなあ・・と。
皆と同じ観念というのは、例えば「重病や怪我を一瞬で治す事はできない」とか、「同時に何箇所にも存在する事はできない」とか、「食べ物を空中から出す事はできない」とか実に色々あります。でも、こういう事がいとも簡単にできる人たちもいる。
「自分の現実を創造している」というのは、それが本当なら要するに何でも出来る、という事です。でも、それを相当確信している人たちでも「年収を○○円にする」とか「○○に住みたい」とか「これこれこういう条件を持った人と結婚したい」とか、自分が受け入れられる範囲で信じている。
空中からあらゆる必需品を出現させるのが当たり前の事だったら、きっと誰もが普通に出来ているでしょう。
でも、周りの人たちは誰もそんな事はやらないし、その前にそんな事が出来ると誰も信じていない。そうするとやっぱり難しい、という事になる。(不可能ではないですが)


6145
勿論・・
こうした所謂(この世界では)”奇跡”とか”超常的”と言われる事ではないけれど、「周囲の誰もが不可能と考えた事を成功させた人の例」は枚挙に暇が無いわけで。
こうした人たちは周囲の観念に同調せず、真我であると無意識にでも感じているのだと思います。
難しい状況で良心に従った人たちもそうですね。
(真我は力でもありますが、まず愛でしょうから、、自分が真我であると知って生きるのは当然”すべての行いはとても美しいものになる”でしょうね)

6146
吉田無ーん様

 こんにちは!

 自分の運命と、他者の運命は、複合的で精妙な関係なのでしょう。
 すべてが自分の運命とも言えるし、地上世界全体の運命とも言えますし…。

 そうした中を生きているって、とても厳かな感じもします。

6147
ひまわり様

 こんにちは!

 究極的な目的は「解脱」にあるといえます。
 別の言い方をすると、「真の私を見いだす」ということでもあるでしょう。

 でも、真の私という存在は、見いだすまでもなく常にそこにあって不変ですから、「思い出す」という言い方でもいいかもしれません。

 その、思い出すべき真の私というのは――、「空」「大いなる愛」「一つの存在」「神」「宇宙」…、とか、色んな呼び方がされています。

6148
Clary Sage様

 こんにちは!

 実は先月、親しい知人の誘いで、とあるインド人の師に会うことになってました。
 ところが、僕の父親が急に手術のため実家に帰省することになって、会いに行くことができなくなった…(これも何かの計らいなのでしょう)

 で、実際に面会した知人の話では――、空中からパッと首飾りや指輪を取り出したり、お弟子さんも何年間も全く食べずに生きているはで、「現実にこんな人が実在したんだ!!…」と驚嘆してました。

 そのインド人がちょっと手にしたコップからは、不思議なことに今もビブーティ(聖灰)が湧き出ていて、僕もそのコップに水を注いで飲ませてもらったのですが、お香か花のような何ともいえない風味でした…。


 こうした超常的なものごとには、僕自身はそれほど関心が高いほうではないのですけれど、「やはり実際にあることなのだな」と改めて思わされましたね。

6149
コメントバックありがとうございます
”あなたが仕事をするかしないか、どこへ行くか行かないかは、すべて運命に従って起こる。あらゆる行動は、生まれた時点ですでに決定されているのだ。
 唯一、あなたに与えられた自由とは、外側に向かう心を、内側へと向けることだけである。”

タタータ、ですね(航大さんの過去記事で学習しました)
流れていく景色に心を囚われずに、その流れに沿って自分の水源にたどり着けたらいいですね。

時間って過去から未来へ流れている、と以前は考えていました。
最近は未来から過去へと流れているんだろうな、と感じています。
混じりけのない時間が流れている、その命の流れは”海へ流れていく川のよう”ではなく、”海から自分のルーツとなる水源へ”さかのぼっていくものなのかも。

そうそう。
今更ですが、「輪廻の終わり」の回の結びの曲のタイトルが”tao”に関する曲で嬉しかったです。
かなり苦しんでいた時期だったので助かりました。

老子も深いですよね。
水のように柔軟に、かつ強くなれるといいな。

6150
知人の方は面白い体験をされましたね!
この種の事で私が聞いた話では、長崎の「あんでるせん」という有名な喫茶店の体験談があります。
ここは超能力ショーをやるのですが、はめていた指輪をマスターに渡したら消えてしまったそうです。そして「今消えた指輪は、あなたの家の冷蔵庫の右から何番目の卵の中に入っています」と言われたとか。その人は遠方から来ているし、マスターが住所を知る訳が無い。家に帰ったら、本当に指定した卵の中に指輪があったそうです。
この話が事実なら、トリックの可能性は無いですね・・・。

超常現象というのは、それを売りにしたカルトがあったり、変にそれを重要視して崇めたりされる事が多かったせいか、逆に今は軽視されがちな傾向があるような気がしますが、やっぱりよーーく考えてみる事が必要なのではないかと思います。
そういう事が可能という事は、”現実”というのはどうなっているのか。明らかに、自分が内心強固に持っている”現実”に対する所謂一般的な観念は正しくないという事になる。
そういう話を知ったり、実際に見聞きするだけでも十分に意味があると思いますが、更に深く考えてみる事は必要かなと思います。

6151
長崎の喫茶店の話、私もまだ東京にいる頃に聞きました。

当時、私の周りには怪しげ(いい意味で)な人たちがたくさんいて、
スプーン曲げをいとも簡単にやってしまう人も。
知人(当時50代女性)もそれを見て、ある時スプーンを簡単に曲げていました。

その知人は私に「宇宙会議に参加してきた」と電話で話した人です。
でも、アトになって「そんな話はしていない」と言われました。
ウソをつくような方ではなく、とても信頼のできる方です。

私は不思議な能力を信じています。その能力は誰にでもあり、
でも、それを信じていないから使えないし、この世を生きるためには
使わなくてもいい(むしろ使わない方がいい)とも思っています。

誰もが超能力者。これは間違いですね。
でも、できるはずがない、ありえない、と思っている人が多いうちは、
不可思議な特殊能力と認識されるのでしょう。

6152
tao様

 こんにちは!

 時間が「未来から過去へと流れている」という図式は、ある意味でまさしく言い得ていると思います。

 私たちが究極的な結果としてどうなるのかというゴールは、最初から不変のまま決まっていて――、そこに向かうために、いま起こるべきことが起こっている、と言えますから。

6153
Clary Sage様

 こんにちは!

 確かバシャールが、この現実世界はなんでも作り出せる「粘土」のようなものだと語っていましたが――、物質を消したり出したりする超常現象は、そうした粘土の「可塑性」を示している(それを通じて私たちの頑迷固陋な常識を溶かしている)のだろうなと思います。

 もちろんタネを仕組んだマジックも多いでしょうけれど、中には純粋な真実もあるのだろうし、そこから自分がどのようなメッセージを受け取るかは本当に「その人次第」だと思います…。

6154
吉田無ーん様

 こんにちは!

 僕は直接的にはあまり知らないけれど、森田健さんとかの本を読むと、「世の中には不思議なことのできる人が何人もいるのだな…」と思いますね。


 ちなみに、僕が会えなかったそのインド人の師は、語るメッセージ内容も圧倒的に素晴らしく、その言葉には普通でないほどの清らかさと愛が満ちていたそうです。

 今後に会う機会があれば、僕としてはそこに注目したいですね。
 指輪などの物質化ばかりに目が行って、それだけが印象に残ってしまうのは、きっと筋違いでしょうから。

 イエスも、人々が奇跡ばかり求めてくることを悲しんだと言いますし。
 そうしたインド人の師が見せる出し物は、いわば「ヨギの余技」なのかもしれないです…。

6155
語るメッセージが素晴らしく、何より雰囲気が愛に満ちている
というのが、何よりも一番大事だと私も思います。
所謂霊能者(ミディアム・サイキック)で「能力はあるが人格が伴わない」ケースがありますが、「能力があるという事は人格も比例しているはずだ」という観念を持った人たちがその人の取り巻きになったりするのは馬鹿げています。

ただその上で、インド人の師が”超常現象”を見せるのにもちゃんと意味があると私は思う方です。勿論、それは「ヨギの余技」程度のもので、インド人の師も重要視している訳では全くないと思います。(そういう事が出来る本物らしい人たちは皆、共通して”こんな事は子供の遊びのようなものだ”といった認識のようです)
しかし、本当に真我であると知っている人なら意味の無い事をする訳がない。児戯のようなものと十二分に分かりつつも、意味があるからやっているはずです。
それこそ、見る人に「現実に対する認識」を変えさせるとか、目的があるはずです。でなければやらないでしょう。

6156
物質化するインド人の師と言えば
サイババが有名ですね。賛否両論ありますが、私はこの人は結構好きです。

サイババの有名な言葉に「私は神だ。そしてあなたも神だ。私はその事を知っているが、あなたは知らない。(違いはそれだけだ)」というのがあります。
真我であると知っている・・・皆が「自分は神であると知っている」世界はどんなものなんでしょうね。(バシャールのエササニはそれっぽい世界のようですが)

「スピリチュアリティで重要なのはたった一つ、自分が神であると知る事だけだ」という言葉がありますが、同感です。
しかし・・何かアクシデントがあれば恐れを感じるし、怪我や病気をしても恐れを感じるし、あれやこれやに恐れを感じる。これで「自分が神である」と思うのは・・・と考えてしまいますが、ツィッターに挙げられていたアニータ・ムアジャーニさんの言葉によると「全波長の感情を判断無く受け入れる事によってのみ、無条件の愛という自分の本質とつながる」んですね。
「難しいなあ~~」と思いますが・・・「恐れは悪い事(何より不愉快だし)」という判断が凄く強いですし・・・でもまあ、恐れがある事が問題ではないんですよね。これもある意味よく言われる事ですが、どうしても「恐れがあると駄目だ」と判断してしまう。受け入れるようにしたいですね。

6157
はじめまして。
いつも貴方様のブログ拝見させて頂いています。
私のような心身ともに障害のあるものでも理解できたり、出来なかったり…。
ブンジャジ氏の記事は残念ながら私には上手く理解できませんでした。
私は若い時から四書五経や兵法書の類を読んできましたが、その中には障害者がどのように生きていけばいいのか、参考になる文書は皆無だったかのように思われます。
聖書には少しばかり参考になりそうな文面もあったような気がしますが…。
兎に角、仏教にしてもキリスト教にしてもすべての宗教の創始者は障害者のことに関しては無能と言っていいと思います。
あらゆる宗教に対して軽蔑感を持っています。
でも、こんな私でも何かに縋りたいという思いは常にあります。
何か障害者を救ってくれるようなモノはないでしょうか?
私は残念ながら書籍に費やすお金も有りません。
申し訳ありません。本当に申し訳ありません。

6158
Clary Sage様

 こんにちは!

 サティア・サイババの言葉の、「もしあなたが神を否定するなら、それはあなた自身を否定していることになる」というのも、同じことですね。

 イエスは「神と和解せよ」と語りましたが、神とは私であるならば、これは「私自身と和解せよ」ということになります。


 よく言われるテーマに行き着いてしまいますけれど、結局は「自分を否定しない」「自分自身と和解して、すべてを受け入れる」ということになるのでしょう…。

 こういうのは何度耳にしても「観念的」な話にしか聞こえないものの、実はこれ以上に「実践的」な言い方はないのかもしれないな、とも最近感じます。

6159
waco様

 初めまして! ブログを読んでくださって有難うございます。

 心身ともに障害をお持ちとのお話し、多くの人には経験や想像さえもできない、本当に大変な人生を歩まれていらっしゃると思います。


 僕の親しい知人で、娘さんが重度の障害者という人がいます。
 この子は、自分で立って歩くことも、話すこともできません。年齢的にはすでに立派な成人なのですが、知能は幼い子供くらい。心臓に重い病気があり、背骨も湾曲していて、とても苦しそうで痛そうです。

 彼女を目の前にしても、僕自身にできることは本当に何一つないです…。まさしく無能な立場と言っていい。少しでも救うことさえできないし、語り合うこともできない。かわいそうに思ったところで、何になるわけでもない。
 その子がなぜこのような体で生きなくてはならないか、僕にはそのわけを理解することさえ、全く不可能です。

 ただ、その子の体調が良いとき、こちらの手を握ってきて、ものすごく嬉しそうな表情をします。
 それは僕にとっても、本当に輝かしく感じる瞬間です。


 僕がよく考えるのは――
 世の中では「健常者」とされている人でも、魂の観点から見れば、誰ひとりとして健常とは呼べないでしょう。
 心の中に、何かしらの「機能不全」を抱えています。そしてそのために、多かれ少なかれ、誰もが苦しみとともに生きています。

 その機能不全や苦しみというのは、何かの罰として課せられているわけでは決してないと思うのです。
 私たちは、過去のあらゆる人類が蓄積してきた苦しみを「浄化」するために、その一部を請け負って、この世界に生まれてきているのだと考えています。

 ブログでときどき書いていることですが――、キリスト教では「イエスはあらゆる人々の罪を清めるために十字架にかかった」と語られています。そのいわば縮小版のようなことを、私たちの誰もが、この世界でしているのだと言えます。

 そして、機能不全や苦しみを抱えながらも、ひとつの人生を生き切っていくことによって、それは浄化されるのでしょう。
 そうした中で――、ふつうの人ではとても生き切れないほどの重い十字架を負って、その浄化に臨んでいるのが、実は障害者なのではないか、というふうに感じることもあります…。


 このコメント欄で、インド人の師が空中からパッと首飾りを取り出したという超常現象の話を書きましたが――、
 実はそれは、先に述べた障害者の娘さんの目の前で行われたことです。首飾りは、娘さんにプレゼントされました。
 その師は何も言わなかったそうですが、重い障害を負って生きる彼女の魂と人生を「祝福」されたのでしょう。


 やや遠大な話になってしまいますが――、私たちに大切なのは、「自分で自分の人生を祝福する」ことなのだと思います。
 もちろんそれは、とてつもなく難しいことです。大した問題もなく生きている人であっても、なかなかできないことです…。

 でも、臨死体験者の話などを読むと(障害者の事例は見たことがないですが)、重病や事故、家族の不幸など、どれほど悲痛な出来事があったとしても、「すべての人生は祝福されている」ということが高らかに語られています。
 これは「信じるに値するメッセージ」だと感じます。

 そして、とてもそうは思えない状況の中にあっても、「信じることに挑戦する」というのが、この世界で私たちがなすべき目的の一つなのではなかと思っています。

6160
光奈さん、こんにちは。

自分で自分の人生を祝福する。素敵な言葉ですね。
常にそれができれば、何が起きても大丈夫なはず。

超能力は誰にもあるけれど、悪人にその能力は使えない方がいいな。
真の人格者はむやみに超能力を使うことはないと思います。

誰もが老いることで、障害者になる可能性が高いですよね。
自分がそうなったら、その時にも自分を祝福したいです。
どんな時も自分を祝福できるように、今の自分を祝福していきます!

6161
尤も・・・
「もし神なら恐れを感じないはずだ」と考えが正しいなら、地球にいる人間のほぼ全員、動物や植物も神ではないという事になります。
「もし神なら傷つけられたり、殺されたりしないはずだ」「もし神なら全知全能のはずだ」・・・それで行けば「当然、人間や動物や植物が神であるはずがない」という結論になります。
多くの人にとって「すべては神だ」というのが信じられない主な理由はこれでしょうね。だからこそ、何度もそういう言葉を読んで直観的に正しいと感じる人でも、自分やすべては神であるというのを否定する。

「恐れを感じる」「愛と至福の状態にいない」「傷つけられたり、殺されたりする」「全知全能ではない」といった事は、「神ではない」という証にはならない・・・・と信じるか、信じないか。

6167
吉田無ーん様

 こんにちは!

 真の私たちは、全知全能・永遠無限の存在だと言われます。
 その存在が、この「制限だらけ」としか思えない世界や人生を創造して経験し、その中で自らの本質を再発見しようとしていること自体が、信じられないような超能力ともいえますよね…。

6168
Clary Sage様

 こんにちは!

 色んな考え方があると思いますが、僕自身は「恐れさえも作り出して経験できてしまうのが、神の創造力である」なんてふうにも考えています。

 そして、「恐れのある人生の中からも、自らの本質を見いだすことができるのが、神の究極の力である」とも思います。

 でも、神自身も本当にそれが可能かどうかは実は分からなくて――、この地球を作ってまさに「挑戦中」なのかもしれません。

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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