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 今回は、けっこう重いテーマについて言及してみます。

 「あらゆるものごとは、起こるべくして起こっている」「この宇宙は完璧なのだ」――とったことは、スピリチュアル分野ではかなり原則論的に言われることだ。

 それに対して、「じゃあたとえば、ナチスによるユダヤ人大量虐殺はどうなの?…」といった疑問はよく投げかけられる。

 ヒトラーが率いたナチスは、軍事力や残虐性において、人類史上で最強最悪な力の象徴だろう。
 その過去の現実から、「あやまちを二度と繰り返してはならない」といった教訓を得ることはもちろんできる。
 だが、起こるべき必要性とか、宇宙の完璧さからは、正反対にかけ離れた出来事にしか思えない…。


 しかしそれでも――、
 臨死体験をした人が、あの世で宇宙の叡智に包まれながら人々の歴史を振り返ってみたとき、「どれほど恐ろしく思える出来事でも、起こることすべてに価値がある」という、まったく疑いようのない理解に至るのだという。

 ただしその理解は、地上に持ち帰ることはできない。
 生きながらそうした真実を理解できれば本当に素晴らしいけれど、きっと人間の限られた頭脳では、認識しきれないことなのでしょうね。


 一方、退行催眠療法で有名なブライアン・L・ワイスの本の中に、ナチス・ドイツ時代のユダヤ人だった過去生を思い出した人の話が出ていた。
 その過去生では、強制収容所に送られて家族全員が引き離され、生き地獄のような労働と飢餓のすえに、惨殺された。

 そうして肉体を離れゆくときに抱いていた思いは、ナチスに対する憎しみや、人類の過ちについての教訓でもなく――、驚いたことに、「愛」の存在や絆への絶対的な確信だったと語る…

 家族たちがどうなったのかは知らない。それもどうでもよくなっていた。
 ナチスでさえも壊滅できないほど強い絆を、私たちは持っていることが分かっていた。
 愛する人を失うことはない。私たちはいつもそばにいるのだ。


 これは、強制収容所の悲惨極まりない記録などからは、ちょっとうかがい知れないことかもしれない…。

 スピリチュアルのマスターたちも、繰り返しこう語っている。私たちの本質とは「愛」であり、周りの世界の現実というのは「幻」にすぎないと。
 そしていかなる幻も、私たちの本質を傷つけることはおろか、触れることさえもできないのだと。

 実際に、ナチスという「最強最悪の幻」による圧倒的暴力をもってしても、それを傷つけることなどまったくできなった。

 この真実を、当時の迫害された人々が体験的に理解して、私たちの魂の共有経験の中に刻み込まれたのであれば――、
 それは、悲惨さとか教訓を超えた、ある意味で「高らかな達成」と呼んでいいのではないか、とも思える…。


 前述のユダヤ人の過去生とほぼ同じ理解を、強制収容所を体験した精神科医ヴィクトール・E・フランクルが、著名な『夜と霧』の本の中で述べている――

 何キロもの雪道を転びながらやっとの思いで進んでいく間――、誰もが伴侶のことに思いを馳せていた。精神がこれほど生き生きと人の面影を想像することは、以前のごく真っ当な生活では思いもよらなかった。
 強制収容所に入れられ、耐えがたい苦しみにただ耐えるしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしを呼び出すことによって、満たされることができるのだ。

 ところがそのとき、あることに思い当たった。妻がまだ生きているのかどうか、まったく分からないではないか!…
 そうして私は知り、学んだのだ。
 愛は、生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する人の精神的存在が共にあるということなのだと。
 肉体としてまだ存在しているかは、まったくの問題外なのだ。もはや生きているのか死んでいるのか、収容所では知るすべもないし、分からなくたってどうでもいい。


 「人の愛としての存在は、失われることがない」「ナチスでさえも、それを傷つけることなどできなかった」――
 私たちは、自らの本質やその強さについて、いつもつい疑いをもって見てしまう。でもそれは疑うべきでなく、人類の史実として「すでに実証がなされたこと」と考えてもいいわけだ。

 もちろん、「それを実証することが、ナチスの行為の意味だった」とまでは言えるはずもないけれど――、
 悲惨な歴史に込められた、「地上世界に持ち帰ることのできない意味」の一端なのではないかな、と感じます。



 結びのヒーリング・ミュージックは、Petruta Küpper「Einsamer Hirte」。

  ☞ コメント:38

 
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コメント
6307
こんばんは。
「アンネの日記」を小学生の頃に読んで
ユダヤ人への迫害について、知りました。
映画「シンドラーの手紙」も観て、
迫害の悲惨さを目にしていたので、
この方達の様に とんでもない状況の中で
愛に満ちた境地で過ごされた方もいたと思うと
少し安堵します。

でも、だからと言って、自分がもし、
迫害される状況になったら、
そこまで高等な心持でいられるか、心配です。

宇宙、愛は深いですね。
私達があちらに行ったら、謎が解けるのかと思うと
少し楽しみでもあります。

まずは こちらの幻の世界を頑張らないと、ですね。

6308
 私たちは、自らの本質やその強さについて、いつもつい疑いをもって見てしまう。でもそれは疑うべきでなく、人類の史実として「すでに実証がなされたこと」と考えてもいいわけだ。

至言?かと。まとめになってると思います。

6309
おばんです。
「愛は生身の人間の存在とはほとんど関係がない」

これ、とてもよく分かります。ワタクシの実家にはお墓もあるし仏壇もありますが、母はあまり大事に扱っていません。なぜなら『亡くなったおじいちゃんおばあちゃん、パパだって、お墓や仏壇にいるわけじゃないのよ。今も一緒にこの家で暮らしてんのよ。だから少しも寂しくないのよ。』
生きているころは衝突や悪口や愚痴も言った相手なんでしょうが、死が分かつ、訳ではないのだな?逆に近づける、という感覚を持ちました。

6310
cael様

 コメントを有難うございます!

 「自分がもしその立場ならば、そのような気持ちになれるだろうか?」というのは、僕自身もよく考えますね…。

 もし特攻隊員だったならば? 黒人奴隷だったならば? 十字架刑にされるイエスだったならば?…

 でもきっと、何百回も転生する中で、たいていのことはすでに経験してきたのだと思いますね。
 そしてそのうえで、前向きな目的を持って、現在の日本を選んで生まれてきたのでしょう。

6311
KJ様

 コメントを有難うございます!

 収容所体験をつづった「夜と霧」の本では、過酷な状況の中でそのような高みに立てたのは、限られた人々だったと書かれています。
 ただし、「それがほんのわずかな人々だけだったとしても、人間の内面は外的な運命よりも強靭なのだということを証明してあまりある」と、著者のフランクルは明言しています。

 まさに、概念論なんかではなく、実証されているんですよね…。

6312
いづんつぁん様

 こんにちは!

 まさしく「私のお墓の前で泣かないでください」の歌のとおりですね…。

 死によって別たれるのではなく、逆に近づけるというのは、素晴らしい見方だと思います!

6313
本日もとても興味深い内容と感じます。ありがとうございます。

私たちは、自らの本質やその強さについて、いつもつい疑いをもって見てしまう。でもそれは疑うべきでなく、人類の史実として「すでに実証がなされたこと」と考えてもいいわけだ。

とても共感いたします。この春に大きな分岐点を控えており、決断し行動する必要が迫られています。この数年で本質の愛の世界の強さを感じ信じられるようになりました。しかし、それをどのように幻の世界に活かして生きて行くのか、まだよくわかりません。幻の世界への愉しみがまだ掴めません。最強最悪の幻を引き受ける道を選ばれ方々比べれば、穏やかな状況ではありますが、今回の記事を読みながら本質の愛の世界と幻の世界のこと新たに思いました。本来はその二つも同じものなのでしょうが、自らの人生に当てはめて行動してゆくのは、なかなかわかりにくいと思ってしまいます。

6314
私にとってタイムリーなお話に感謝!
二つのお話があったので、分かりやすかったです(^ ^)

きっと、この世での肉体的&精神的苦痛は、あの世においてはかなり違ったものなのでしょうね。
とは言え、この世での肉体的苦痛はそれはそれは恐ろしいものと感じてしまいます。
そうでなければ、(ものすごーく色んな意味で)どんなに良いものか!

余談ですが、ストーカーみたいな人の場合の想いは、同じ愛なのかしら?なんて考えちゃいました(笑)
自分の内の中だけで(たとえば片想いでも)幸せを感じることでも、OKなのかな?

6315
ASAKOと申します☆
初めてコメントさせて頂きますm(__)m

私も以前読んだ精神世界の本の中で「ナチスとヒットラー」についての情報を受け取ったことがあります。

こちらの世界では、彼らの行ったことは残虐で不条理極まりない出来事として歴史に記録されていますが。。
あちらの世界もしくは彼らの魂の上では、ヒットラーを始め、犠牲になったすべての人々との間には、やはり大いなる愛の意図と契約があったとのこと。

私達が生きているこちらの世界はコントラストのある世界ですから、こうしたダークサイドのアプローチから「愛」というものを学ぶ必要があったみたいですね。

でもこのような出来事はやはりもう二度とないような世界にしていかなければなりませんよね。

私達人間の人生とは、こうしたコントラストある世界から色々と学び、進化しながら自分の中の神性と愛に気が付いていかなければならないのですからね♥

すっかり長くなってしまい大変失礼いたしましたm(__)m
そしてこのような意見を述べれる機会を与えて下さったことに感謝いたします☆彡

6316
こと様

 こんにちは。共感いただいて嬉しく思います!

 大きな分岐点を控えられているとのお話し、人生のとても重要な局面にいらっしゃるのですね。

 真実を理解しても幻が消えるわけではもちろんないですし、起こる出来事にはやはり向き合っていくしかないのだと僕は考えています。
 でも、そうして出来事に取り組みながらも、真実は疑いなく信じている――。


 真実が「実証」されても、その通りに自分が「実感」できる、というわけでもないです…。
 たとえば、地球が丸いことは実証されているけれども、自分の目線からはそのことが見えないです。
 でも、地球が丸いことをまったく疑いなく信じながら、平面にしか見えない地面の上を生きている――、そんな感じでしょうね。

6317
ASAKO様

 初めまして。素敵なコメントを有難うございます!

 有名な「神との対話」の本にも、「ヒトラーは天国に行った」という仰天するような発言がありました…。

 もちろん、ヒトラーの行為を私たちは容認することはできませんけれども――、
 しかし当時、ヒトラーの経済政策が劇的に成功したり、軍事専門家も思いつかないような作戦が的中したり、暗殺計画を偶然にも逃れられたりと…、人知を超えた何かが働いていたようにしか思えないところもあります。

6318
ポポ様

 こんにちは!

 今回のテーマは、自分としては実はあまり気が進まなかったのですが…、でもどうしても書いておきたい気持ちがしたため、まとめてみました。
 だから「タイムリーな話」と評価いただいて、とても嬉しいですね!

 ときどき思うのですが――、ブログって、読み手の人の波動のようなものが伝わってきて、それが僕の手を使って書かせているのかな、というふうにも感じます。


 ストーカーは、「自分が得たい」「失いたくない」という過剰な執着心なわけですから…、今回のブログ記事に書いてある「愛する人の精神的存在と共にいるだけで満たされる」という在り方とは、かなり違うだろうと考えます。

 よく「愛」というものには、エロス(異性間の恋愛感情)、フィリア(隣人愛や友情)、アガペー(神の愛や無条件の愛)の3種類があると言われますが、今回の内容はアガペーに近い話といえます。

 エロスをきっかけに、アガペーの性質の一端を知るということも、もちろんあります。「あの人を助けるためなら、自分の身を犠牲にしても構わない」といった思いは、それに近いものかもしれません。

 ある戯曲に、「恋愛は、旅で通らなくてはならない関所のようなもの」という表現がありましたが、まさに「無条件の愛」へと向かっていくプロセスのひとつなのでしょう。

6319
愛とは・・・
あまりに深くて、高くて、身体が震えてしまいました。

何十年も前に読んだ、三浦綾子氏の本の中に、「愛を学んでいく」と言う言葉があり、ずっと心に残っておりましたが、今回の記事や、皆様とのコメントの遣り取りから、沢山の学びを頂きました。
このブログに出会えた事に感謝いたしています。
ありがとうございます。

6320
それが大事
「ここにあなたがいないのが淋しいのじゃなくて、あなたがいないと思うことが淋しい」
が真っ先に浮かびました。


6321
ちゃんみいい様

 こんにちは!

 三浦綾子の小説も、自己犠牲や、敵を愛することがテーマですよね。

 高校時代、「氷点」と「続・氷点」がとても面白くて4日で読み終えました。

6322
しーや様

 こんにちは。素敵な言葉ですね!

 『アルケミスト』の物語に出てくる、同じような構造のこの言葉がとても好きです――

 「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい」

6323
光奈さん、こんにちは!
やはり世の中に起こる全ての事象を突き詰めて考えると、そういう所に行き着きますよね。
でも、それを受け入れることができるかどうか、とても難しいところです。
まさに神の領域という感じがします。

6324
yoyo様

 コメントを有難うございます!

 まさに、考えると行き着くところは分かるけれども、それを実感して受け入れるのは、本当にとても難しいことだと思います…。

 でも「神の領域」というのは、私たちから認識不能な別次元にあるわけではなくて――、私たち自身の内に「神性」とか「仏性」として存在しているのでしょう。
 それを見いだすのが、人生の最大テーマでもあり、そのために常にサポートされているのだと思います。

6325
その傷つけることができないものに傷をつけたものの一つがナチスなのかなと思います。

ダイナマイトや核の兵器への転用と同じです。
その結果は人の心の奥深くに根付き少しづつ浸食していく。
一度生まれてしまえばこの世界をじわじわと殺していく毒。
壊れないものを信じようとするたびに壊そうとしたものを思い出す。そしてそれはより深く人心へ入り込んでいく。
愛と罪を対にした、そうすることで壊れないはずのものを壊したのだと思います。
罪を捨てるためには愛を壊すしかない、愛を信じるためには罪を受け入れなければない。
そうして、罪にこの世界の永遠の市民権を与えた、それがナチスだったのかなと思います。
まぁ、ナチスというよりはこの世界に生きるすべての人間のしたことなのでしょうが。


6326
野良猫様

 こんにちは!

 壊滅しようとして、結局はできなかったのでしょう。
 消え去ったのはナチスのほうですから。

 でも言われる通り、人類全体の業(ごう)という側面もあるのだろうと思います。

6327
光奈さん、こんにちは。

目の前にあるものは幻、そして自分が創造したもの。
そういう視点で生活するようになっても、
100%は受け入れてはいないと思います。
というか、よくわからない。考えても答えが出ない。

ヒトラーを支持し創り上げたのは民衆。
ヒトラーはやるべきことをやって天国に行ったのかも。

相手を傷つけるような愛は無償の愛ではないと思いますが、
それが魂の約束かもしれませんよね。

死後はその全貌が明らかになるのでしょうか。

6328
被害者&加害者
「この世に必要のない事は1つとしてない」
と聞いたことがあります
どんな残虐な行動も 人(想念)が作り出した行為だと

生まれる前に約束してきた
加害者になるか?被害者になるか?
お互いの承諾の元に色々な現実が現われてくると

誰しも加害者にはなりたくないものです
でも あえてその道を選んだとしたら
それは崇高なまでの魂…かもしれません

世界の皆からさげすまれる事を覚悟できるなんて
私にはとてもできませんから
あの行為によって
人間は戦争と言う名のもとに
どんな残虐な事も出来る事が証明されたのでは・・・

その行為を止めることが出来るのも 人

歴史に学ぶことが出来れば
今の世界は平安に満ちているはずです・・・

まだまだ平安にはなれない地球ですね
私の心でさえ 平安に出来ないのですから

6329
吉田無ーん様

 こんにちは!

 「天国」と呼ぶと、どうしても意味づけされたイメージがあるけれども…
 要は、死後世界は「このような人物は受け入れられない」といった分け隔てはしない、ということなのでしょうね。

6330
光子様

 こんにちは!

 戦争は、人間の非道な部分も、気高い部分も、極端に現されるのでしょう。

 またヴィクトール・E・フランクルのことばですが、まさにこの一言に言い表されていると思います――

 「私はたちは、おそらくこれまでどの時代の人たちも知らなかった『人間』を知った。人間とは、人間とは何者かを常に決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」

6331
こんにちは
私たちの本質は、映し出される幻に関してどんな種類のものであれ ’NO’ は出さないようですね。思考や感情のほうでは、これはあっていいが、これはあってはいけないと常にやりながら生きる訳ですが。この世やあの世のでのすばらしい体験も超悲惨な体験も両方、私たちの本質に映し出された映像にすぎず、そしてその映像というか幻は本質になんら影響を与えることはないのでしょうね。

6332
タカヒロ様

 こんにちは!

 まさしく、よく言われるとおり、「どんな映像も、スクリーンに影響を与えることはできない」ですね。

 またスクリーンは、投影されたものはどんなものでも映し出す。そういう性質なのでしょう。

6335
ずっと謎でした・・・
人がもしも、この地上に生まれてくる前に
自分が果たすべき役割というものを
全部ではなくても、
ある程度知っているとしたら・・・・
ヒトラーのような人も、
自分が地上で行うべきことを知った上で
覚悟を持って来た
ということなのだろうか・・・と

今でも、それは謎のままです。



6336
アルまま様

 こんにちは!

 どんな人生を送るかを、誰もが生まれる前に決めてくる、というのはよく言われることですけれど…
 でもこれほどの歴史的破壊者となると、どういう意図や覚悟があったのか、まったく想像できないですね。


 僕自身も納得はできないし、たくさんの異論があるに違いないですが…、人類の歩みにとって、第二次世界大戦の経験というのは、何らかの大きな必要性があったのかもしれないです。

6337
潜在意識というものは 魂をも かえてしまうと思います。

6338
KJ様

 こんにちは!

 「魂」という同じ言い方をしても、人によって色んな異なるレベルを指していると思います。

 肉体はないけれども、その人物の人格や蓄積された感情エネルギーなど、人間としての形質を持つレベル――、よく「霊」とも呼ばれるものは、潜在意識などの影響を受けるでしょう。


 しかし、魂のさらに根源的・本質的なところ――、純粋な生命、「空」意識、大いなる一つの魂、無条件の愛と呼ばれるレベルは、何によっても変わることはあり得ないはずです。

 魂こそが唯一存在するものであり、あらゆる出来事も潜在意識も、その中に投影された実体のない影にすぎないわけですから…。

6339
こんにちわ^^
残酷な行為をやった後で、二度としてはならない。と反省するドイツ人と、
無人攻撃機で爆殺ゲームをやっておいて、無感情でいられるアメリカ人と、
果たしてどっちが残虐な人間なのでしょうか?最近、分からなくなりました。

6340
sado jo様

 こんにちは!

 「どちらが」という正邪・善悪の比較というのは、ほとんどの場合はできないだろうと思っています。

 ただ、「われわれこそが正しい」「相手の側が何から何まで間違っている」と主張する人や組織や国は、信用しないほうがいいのでしょうね…。

6341
おはようございます
「夜と霧」高校生のときに
歴史の先生がかしてくれて、読みました。
中学生のころから、あの時代をずっと調べてきました。

人間の行為の向こう側は、なんだろうと・・・
わからないまま、歳を重ねています。

6342
森須もりん様

 コメントを有難うございます!

 「夜と霧」の本の中で、僕が特に印象に残った言葉は次の2つです――。

 「人生で遭遇するそれぞれの状況は、解決すべき問題を提起している。私たちが人生の意味を問うことはできない。逆に私たちのほうが、人生からその意味を問われているのだ。自分の人生の状況のすべてを引き受けることによってのみ、それに答えることができる」

 「必要なのは、生きる意味についての問いを、180度方向転換することだ。『私たちが生きることから何を期待するか』ではなく、むしろひたすら、『生きることが私たちから何を期待しているか』が問題なのだ」


 「人間の行為の向こう側」というのは、本当に難しいテーマですね…。
 でもきっと、何かを読み解いたり、洞察を得たりするのとはまた違って――、「生を通じて自分は何をこちら側に現すか」というのが大事なのだろうなと感じます。

6376
ホロコーストほどでなくても
何故こんな経験を・・・というのは多くの人にあると思います。こんな奴に出会いたくなかったし、関わりを持ちたくなかった、という経験も。
私は「別の選択をしていれば、こんな経験をせずにすんだのに」と考えてしまいますが(無意味ですけどね)・・・・でも、必要だからぶち当たってるんですよね。
一見その意味が分からなくても・・・他者のみならず自分でも・・・必要だから経験している。それを受け入れる・信じるのは大事でしょうね。(尤も、自分で意味が分かっていれば他の誰が分からなくても問題ではないですが。問題となるのは"自分でも分からない”という点ですね)

「人類が別の選択をしていれば、こんな経験(戦争、ホロコースト、原爆投下、その他諸々)をせずにすんだ」というのは事実は事実でしょう。おぞましい犯罪や虐待などもそうですが、なかなかこうした事に意味があるとは納得出来ない。
しかし、所謂個人的な経験同様、必要があるから経験しているのでしょうね。

私はこうした経験に「意味がある」と考えるのは納得できないし恐ろしいと思いますが、同時に「意味がない」と考えるのも恐ろしいと思います。意味無く大量虐殺された、など・・・・意味も必要性も無い事が起きると考える方がある意味もっと納得できないかもしれませんね。

6379
Clary Sage様

 こんにちは!

 「人類が別の選択をしていれば、ホロコーストも原爆投下なども経験せずに済んだ」というのは、僕も事実だと思います。

 一方で、戦後から現在に至るまで、実は世界全体が悲劇に向かっていく「終末的シナリオ」が、相当な可能性であったのかもしれないです。
 でも私たち人類は、それとは違う選択をして、何とか「終末的シナリオ」を避けながら、今のこの世界の状況へと至ることができた…。

 そう考えると――、もちろんどんなプロセスもありだし、世界はなお問題だらけだけれども、人類がしてきた選択にはそれなりに大きな価値や意味があるのかなと感じます。

6888
私たちの愛と喜び
 神との対話 で、このヒトラー経験のことを読んだ時、驚きと私のその時できる理解をしました。とても印象深いテーマの一つです。

 私たちにある分離、分裂、優越、意識が集合意識になるとエネルギーがさらに大きくなり、これらの経験までもを創り出すのだと、理解しました。

 死を意識する時、またはそのような表層の苦しみの先に、魂の本質が顔を出し、魂の本質である愛と喜びにあれるのかとも思いまいた。
すばらしぃ〜``

 生きている私たちが、今、愛と喜びにあれるなら、私たちの心が平和、私たちの世界が平和、個人ではなく、すべてに私たちにあれるなら、完璧な命の経験になるのでしょう。

 こうして、ブログを読ませて頂いて、気づけれる幸せです♪

現実の私は、先程仕事帰り、絶え間ない思考が、過去から同じように行動しないと未来が不安だよ。と、ささやいたりしてましたが‥(笑)
今にあると、何の問題もないことを確認しました(爆)

へ〜いわ〜〜``
ありがとぅございます。

6893
山本久美子様

 コメントを有難うございます!

 神との対話の「ヒトラーは天国へ行った」という言葉は、実に衝撃的ですよね…。

 本当に私たちは、ふつうの目線や価値尺度ではとらえられないほどの、とてつもない世界に生きているのだと思います!
 世の中の表層ではさまざまな対立や争いがあっても――、みじんも揺るがない平和と安らぎが、その根底にあるのでしょう。

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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