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 こうしたテーマをあまり好まない人もいるかもしれないけれど…、今回も引き続き、ナチスによるユダヤ人虐殺に関する話です。


 退行催眠療法で有名なブライアン・L・ワイスの近著の中に、過去生記憶の「特殊なケース」として、こんな事例が紹介されていた――。

 通常は、ひとりの人が退行催眠によっていくつかの過去生を思い起こした場合、それぞれの生は「異なった時代」ものだ。
 たとえば、最初の記憶が古代エジプトの役人で、次に中世ヨーロッパの農民、そしてアメリカ南北戦争の兵士…、といった感じである。
 同じ時期に重複して生きていることは、普通ない。

 ところがその特殊なケースというのは、「同じ時代における3つの過去生」を持っている被験者の話だ。


 まず1つ目の記憶が、「ナチスの親衛隊」だったというもの。
 何人ものユダヤ人を連行し、機関銃を撃って殺りくした。そのときの自分は、何とおぞましいことに、あざけ笑っていたそうだ。

 そうして全員を殺したあと、ユダヤ人が何か金目のものを身に着けていないか、転がった遺体を物色していたのだという…。


 2つ目が、それとはまったく逆の立場で、自分が迫害される「ユダヤ人女性」だった記憶。
 泣き叫ぶ小さな子供を腕の中から奪い取られ、自分はそのまま強制収容所に送られて行った。

 この場面がよみがえったとき、耐えきれないほどの悲痛と恐怖で、胸がはち裂けそうになったそうだ。


 3つ目に出てきたのは、「ドイツ軍の将校」だった過去生。
 このとき、人のいない薄暗い執務室の中で、ある書類に押すスタンプを探していた。誰にも見られないよう、周りの物音などに神経を張りつめながら。
 その書類とは、大勢のユダヤ人を逃す許諾を出すためのもので、当時のドイツでは明らかな不正行為である。

 やがてこれが発覚して、自分が銃殺刑になることは分かっていた。それでも、自らの命と引き換えに、何とかして彼らを救うことを望んでいた…。


 ――という3つの過去生記憶だ。
 まるで映画の脚本のようだけれど…、でも潜在意識下の記憶を呼び起こしている催眠状態のときに、物語をうまく仕立てていくなんて器用なことは、きっとできないはずだろうと思う。

 同時期に異なる過去生があること自体とても不思議なことだけど、この話がそれ以上に興味深いのは――、
 「虐げる人」と「虐げられる人」、そしてそれを「償う人」の3者が存在して、それらが実は根本的に「ひとつの魂」なのではないか、と思える点だ。

 一人二役ならぬ、いわば「一魂三役」である。


 もちろん生きているうちは、そんなことにまず気づきようがないだろう。
 でも、それらの過去生記憶が1人の中から出てくるということは――、その3者はやはり、別々だった肉体を超えて、互いの経験を「共有し合うつながり」にあったのだといえる…。


 もう一つ関心を引くのが――、
 一般にカルマの清算や償いというのは、「時間軸」に沿って行われるものだろう。
 つまり、過去に蓄積したカルマや罪を、現在あるいは未来に解消していくという形だ。

 ところがこの「一魂三役」の場合、加害・被害・償いが、同時期に行われているともいえる。
 これは、ある意味でちょっと「新しい宇宙観」のようにも思えてくる…。

 もっともこういうのは、「どっちの図式が正しい」と割り切れるものではなくて、きっと「時間軸」と「一魂三役」のようなことが、精妙に入り交じりながらことを運ばせているのでしょう。
 (究極的なことを言えば、魂の次元では時間は存在しないし、あらゆる魂のおおもとは「ひとつ」なわけだから…)


 戦時下の民族迫害に比べれば、あまりにも卑近な当てはめ方かもしれないけど…、こんな見方もできるのではないかなと思う。

 もし自分に対して(あるいは誰かに対して)、何か不愉快・不道徳な行いをしてくる人がいたとしても――、それは見えないどこかで別の人が、きちんと償っているのかもしれない。
 自分からその相手に反撃を加えなくても、すべては今の時点で、きれいに完結しているのかもしれない。

 また、もし自分の過去に、取り返しのつかない過ちや、忘れ去ることのできない恥があったとしても――、すでにどこかで、別の誰かがその償いをしてくれているのかもしれない。
 そしてもう今では、気にするまでもないほどに、美しく清められているのかもしれない。

 さらには、もし今の自分自身に、不当としか思えないような心の苦しみや、つらい状況があった場合――、
 それはもしかしたら、別の誰かが背負っているカルマや罪を、自分がそうした形で償ってあげているのかもしれない…。


 「償う人」の力というのは、実はとても強大なものだと思う。

 世界の歴史や、今のニュースを見ても、「加害・被害」はすさまじく甚大な規模で行われている。
 一方で「償い」というのは、ほとんど目に付かないようなものだ。

 「それは十分にきちんと償われていないからだ」とも、もちろん考えられるだろう。
 でも、「加害と被害」によってネガティブ・エネルギーがどんどんばく大に膨れ上がっていっても、世界の人々のいとなみがこうしてずっと存続できているということは――、目に付かないようなわずかな「償い」によって、何とかうまく均衡が保たれているからではないだろうか…。


 何百世代にもわたる業(ごう)も、悟りの炎によって一瞬にして焼き尽くされる。
 地上に生きたあらゆる人々の罪が、イエスの十字架によってあがなわれる――

 「償い」には、それに似た相当な影響力あるのだと思います。
 聖書にある「一粒の麦」のような。

 ハワイの浄化法のホ・オポノポノで「ごめんなさい、許してください」と唱えることにも――、きっと普通に想像する以上に、大きな意味と力があるのでしょうね。



 結びのヒーリング・ミュージックは、Bruno Sanfilippo & Mathias Grassow 「Ambessence piano & drones 7」。

  ☞ コメント:23

 
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コメント
6344
この世界では・・・
確かに「加害・被害」がすさまじく甚大ですが、いとなみが存続できているのはとりあえずそれを上回る愛があるからではないかと思っています。

誰かに料理を作ってあげるとか、犬や猫を可愛がるといった小さな行為であっても、それもまた甚大なものです。
伴侶や子供、親や恋人や友人、動物や植物に対する愛情や、趣味に対する愛情など、愛情のエネルギーというのも莫大ですし、この世界を良くしたいという気持ちを持っている人も沢山います。それをこの世界で目に見える形にしている人たちも少なくない。

時間が存在しないとうか、同時にすべての時間が存在するなら、一度"死んで”もまた同じ時代に生まれ変わる事は可能だと思います。それこそ、やる気なら100回でも200回でも出来るでしょう。でもそういう事をする人(魂)は少ないのかもしれませんね。(一魂三役の人は「同時に3つの人生を送った」のかもしれないし、或いは「ユダヤ人を殺したナチス」「子供から引き離され強制収容所で殺された女性」「殺されると知りながらユダヤ人を助けた将校」の順番で人生を送ったのかも・・・)

6345
Clary Sage様

 こんにちは!

 家庭などでの何気ない愛の総計というのは、本当に膨大でしょうね。

 マザーテレサが、ある人から「世界平和のために何をすれば良いか?」と問われたときに、「家に帰って家族を大切にしてください」と答えたのも、まさにそういうことなのかもしれません。

6346
光奈さん、主夫業は何年になりますか?
おもしろい家庭形態ですね
きっと才能発揮の為にそのような環境が用意されていたんでしょう
前世で物書きなさって世に発信されておられた方もいらっしゃるんでしょうか?

「罪」と「償い」は、ワンセットで作動していますね
時差があることもあれば、ほぼ同時期の如くに、そしてその人物は当事者に関わらず、他の人物が代わりに受け持っていたりと当におっしゃる通りの展開が宇宙原理に存在しています
天災によって一度に多くの人達が亡くなる現象も、償いに当たりますね
また イエス様の如くに、一人で(もちろん神と共に!)悲痛な十字架路程を受けて行かれたような重荷を背負われる天命ある方もいらっしゃるでしょう

何にしても、「償い」という作用は地球規模から個人の人生、時間的歴史を通しても一寸の誤差なく働いていることを実感しております

このような天理の運行には、根底に天の愛があることも確かですけどもね 



6347
ikkei様

 こんにちは!

 僕は主婦業は、3年ちょっとになります。
 きっと同世代の主婦から見れば、まだまだ新米レベルでしょう。

 今回の内容は、僕自身としてはフワッと内に浮かんだので、とりあえずまとめてみたのですが…、
 これほどしっかり認識されている方がいらっしゃるとは、とても感激です。

 「一寸の誤差なく働いている」というのが、まさしく想像も及ばぬほど素晴らしいことですね!

6348
とてつもない事
戦争・虐殺…原爆 災害・・・
自分でどうすることも出来ない災難
これにあって亡くなった人は転生が早いと聞きました

特に原爆に遭った人は早い
わずか3年で今世に来た人がいます
本人は気が付いていません

何故こんなに早く転生するのか・・・
必要なのでしょうね
魂が経験する事が

6349
一人の中に4つの経歴が重なる
かつてブライアン・ワイス博士の前世療法にいたく感銘を受け、独自の方法で過去世を自在に見るようになりました。
今では、一人の中に4つの魂の記憶が重なる人がいることが分かっています。おそらくもう一つ記憶があるのではないかと思います。
事例では、1,2,4という魂の履歴というように見ています。大変近しい魂や、対極の学びを持っている魂が連れ添っている感じがあります。
4つも重なる人は、似たり寄ったりの過去世を癒やす必要があるので、「また同じ話?」というような展開になることもしばしばおきます。でも同じ話ではなく、細部が違うのです。
最も、わたしのはリーディングで退行催眠のそれとは違いますから、信憑性は怪しいものですが、退行催眠と同じくらいに効果を現しています。

転生を重ねる意味も、魂の望みとして「愛の人で在りたい」と願うと、その魂の経験上、「これは愛とは言えない」という否定したい体験が創造され、そこで「これも愛だった」と気づけば、どんな人ともどんな環境でも愛だと言えるひとに変われるので、まず出来ない体験が来る。ということが分かっています。
「自分に何か出来ることをする」という願いを持つなら、到底自分では手が及ばないような体験が来て、その中でも自分の出来ることを見つけられた時、魂の願いは達成される。というものです。
螺旋のごとく、学び繰り返している感じがあります。その時代時代において、必要な体験を重ねて、気づきを重ねて、みんなで時代を良くしている感じがあります。
今世は、あまたの転生の縮図的な人生って感じも受けています。過去世を紐解いて行くと、今いる自分が良く分かって来ます。

長々と失礼しました。

6350
人間の命が一発50円の鉛球と交換されていく。

6351
光子様

 こんにちは!

 転生の間隔って、どんな本を読んでも「さまざまである」というふうに書かれてますよね。
 簡単には分からないことの一つでしょう。

 でも、人生半ばで思いがけず亡くなったり、何かやり残した思いのある人が早く転生するというのは、よく分かる気がします。

6352
今牧真道様

 コメントを有難うございます!

 いくつも重なった過去生が存在するって、本当に興味深いお話ですね。
 魂はらせん状に進化していくと確かによく言われますが、二重らせん、三重らせんといった構造なのかもしれないですね…。

6353
KJ様

 こんにちは!

 先進国の国防費の何割かを使うだけで、地球上の貧困問題をすぐにでも解決できると言われます。
 逆の見方をすれば、それくらいの可能性を人類は持っていると言えるでしょうね。

6354
光奈さん、こんにちは。
興味深い記事ありがとうございました。

記事を読んで、一人の人の過去生ではなく、
仲間の魂の記憶を自分の記憶としている可能性もあるかな、と思いました。
パラレルワールド的に、同時に存在している可能性もあるかも。

昔、自称元山○組幹部の知人が言ってました。
自分が行ったひどい行為をその後自分自身で味わうことになったと。

私たちは知らず知らずのうちに罪を犯してしまう存在であり、
無意識のうちに償い続けている存在なのでしょう。

「世界平和のために何をすれば良いか?」
「家に帰って家族を大切にしてください」
というマザー・テレサの言葉、そのとおりだと思います。

おかげさまで、母とは平穏に暮らしています。
自分の心が平和でないと、誰かと平和を共有できませんよね。

6355
吉田無ーん様

 こんにちは!

 著者のワイス氏もまさに「魂のグループの記憶」という考察をしていました。

 僕が思うには――、魂がいくつにも分かれれば、それだけ経験の量も増えて、進化や浄化も速くなる。
 世界人口が急激に増えているのも、そういう理由なのかもしれないです…。

6357
ひと
訪問介護の仕事をしています。

いわゆる高齢という「ひと」を見ています。
普通に接したら、優しいおじいちゃん、おばあちゃんのはず。

ところが、家の中に入り込んでの支援の仕事をする
私たちに見せる、姿は、優しいひとではなくなる場合が多いのです。
優しい人格のひともいますけど。

蜘蛛の糸を張るように待っていて、冷たいコトバを発する
ひと(高齢者)を見ると

人格というものは、接する人の距離で変わるのかしらと
思ったりします。
高齢者は、弱きものではなく
被害者でもあり、多いに加害者でもあると思うきょうこのごろ。
自分への、いましめに、書きました。


6358
森須もりん様

 こんにちは!

 僕の妻もその分野の仕事をしていたことがあるので、訪問先の高齢者の色んな話を聞いています。

 もちろん人それぞれですけれど、世代的に「うかうかしてはいられない時代」を生き抜いてきた人たちでもありますし、ある種の危機意識がそのような厳しい態度として出てくるのかな、とも感じます。


 一方で自分の高校生の息子を見ていると、危機感や野心、他者への対抗心とか向上心もとても希薄で…、でもこれは、新しい時代としての良い傾向なのかなとも見ています。

6359
すてきなお話をありがとうございました。
『加害』と『被害』が同じ魂というか、同じ人の中で
共存するような印象をうけました。
そうだとするなら、どんな人も許すことができます。
どんなに自分を苦しめた人でも。
ときどき、自分の気持ちがどん底だったときを
(...でも、それも勝手な思い込みだったのかもしれません。)
思い出しては、自分を責めてしまうことがあるのですが、
心がほぐされてくるような気持ちになります。
こんな気持ちになること自体まだまだ、だめですね。
でも、癒されました。

6360
nagarerukomo様

 こんにちは!

 この宇宙は実はすべてが「自作自演」だとか、「ひとり芝居」と表現する人もいますね。

 僕は、日常場面で出会ういやな相手というのは、自分が手を入れてしゃべらせている「パペット(手踊り人形)」のようなものだと考えています。


 「こんな気持ちになること自体まだまだだめ」なんてことはないと思いますよ…。
 そのような心理は、多かれ少なかれ色んな人にあるだろうし、自分の心の動きにはっきり「気づいている」こと自体がとても大切なことです。

6367
とてもとても響いてきます
真実を垣間見たような気がします
自分以外は存在しないというなら まさにそうですよね

6372
flow様

 こんにちは。評価いただいてとても嬉しく思います!

 まさしく突き詰めていくと、「自分以外は存在しない」ということに行き着くでしょう。
 それを垣間見られれば、本当に素晴らしいことです! 

6456
自分が好きな視点
僕個人的に「神との対話」のカルマの概念が一番しっくりくるのですが 「罪」と「償い」は、ワンセットで作動とは捉えていません。ではどう捉えてるのかと言いますと「不安・怖れていると その物事・出来事を引き寄せ(創造)してしまう これはエネルギー・思考のシステム ただ ”何か悪い(本来的に良いも悪いもないのだがここでは仮にあるとして)ことしたら その償いとしての何かを体験する”こうは理解してません。自分に厳しい魂が 自らそうすることを自由意志で選ぶ(本人はそうしなければならないと思ってるかもですが)ことはありますが そうしなければならないシステムにはなってないと思います。いわゆる巷で言うところのカルマからの解脱って 実は単に「そうする必要なんて無かったんだ」ということを思い出すことだと理解してます。
スピリチュアル系の理解を分類するとして 一つの分類のパターンに この世界を魂の研鑽・修行・学びの場と捉える派と この世界は「わざと(自ら選択・設定して)」本来神であるということを忘れいろんなことを体験したくて遊びに来てる場と捉える派があると思ってます 自分は後者です 悪事したら償うという視点は自分は選んでいません そういう意味のカルマなんて必要ないと思ってます 自分に厳しい方は選ぶのは尊重しますが 必要ないのになとは思います。一つの見方でした ではでは

6457
あーもう一つ
罪と償いのワンセット的視点が自分が好きになれないのは
インド社会でカースト制を正当化する思想の根底にこの捉え方あるのに代表されるように ??なんです。
障害者のことを英語で  handicapped people(ハンディキャップを課せられた人々)と表現しますが 自分なら greatest challenging people(偉大なチャレンジをしている方々)とでも表現した方が実態にあってると思ってます。
なにか不遇な人を見て 過去になんか悪いことしたからそのカルマなんだと捉える派いますが 自分は苦手なんです



6458
ワンネス様

 コメントを有難うございます!

 僕自身は、カルマなどの仕組みについて、けっこう融通無碍なとらえ方をしています。

 個の魂としての「因果応報」もあれば、人類が抱える機能不全への「浄化」もあるし、三次元宇宙における神の「遊び」でももちろんある。
 そして突き詰めれば、輪廻もカルマもぜんぶ幻に過ぎないでしょう。

 また心身のハンディキャップについても、まさしく「チャレンジ」という実態は大きいと思います。
 一方で、障害を持つことによって「未消化の課題に取り組んでいる」というケースもあるでしょう。


 この次元から見たスピリチュアルな真実って、本当に「パラドックス」です。

 パラドックスだから、好きな観点を採用して、苦手な考え方を却下していけばいいのですけれど…、
 でも人の心の傾向として、自分に合わない意見のほうが、しつこく心に引っ掛かったりもします。

 たぶん最終的には、相容れないものを含め、パラドックスの「総体」として受け入れていくほかないだろうと考えています。


 チャレンジが崇高で、罪を負って償うことが卑しいわけでは決してないでしょう。
 「不遇な人生は過去の報いだ」という見方には僕も同調しないですが、そういう考え方が存在すること自体には、特に僕自身は苦手な気持ちはしないです…。

6459
カルマか~・・・色々な考えがありますね。
他者に対して「不遇なのは過去の報いだ」と言ったり考えたりして蔑むのは論外として。(それもまた"カルマ”になりそうですね)

私はバシャールの「与えたものが、返ってくる」というのがしっくり来るかな。つまりは、「100%返ってくる」という事ですが。それは自分に厳しいとか厳しくないとか、何を信じるとか信じないとかに関係なく。
つまり、人格レベルでカルマを信じないと決めた所で、カルマの動きを止めるのは恐らく無理でしょう。

ただ、バシャールも「過去生で人を殺したからといって、必ずしも自分も殺されなくてはならないという事ではありません。誰かが殺されそうになるのを助けるという形もあり得ます」と言っています。

「与えたものが返ってくるのは、罰っせられるとかいう事ではなく、バランスを取るためだ」という考えがありますが、私もそう思います。


6463
Clary Sage様

 こんにちは!

 まさしくバランスですね。
 また、何者かに強いられてそうしているわけではなくて、自作自演の一人芝居としてそれをしている。

 自分だけなのだから、すべてが100%返ってくるし、最終的には自分の中心点に戻るしかないのでしょう。

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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