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 スピリチュアルの分野では、色んな体験が起こるこの現実世界のことを、コンピューター・ゲームに例えることがよくあります。

 画面上のキャラクターを動かし、飛んだり跳ねたり、襲われたり落っこちたりして、そしてプレーヤー自身もあせってハラハラしたり、「やった!」と喜んだりしながら、ゲームをクリアしていく。

 そうしたところが、この世界の比喩として、とても当てはまりがいいなと感じる


 またもう一つ、僕が思うには――、
 スピリチュアルな真実として、「そもそも時間というものは存在しない」ということがよく説かれる。ただそれは、私たちの日常感覚からすれば、とりわけ理解しにくい点だろう。
 現にこうして生きて暮らしている実感として、時間は常に流れ続けているようにしか思えない…。

 このポイントについても、コンピューター・ゲームになぞらえて言うことができる。


 ゲームでは、始まりから終わりまでのさまざまな局面が、「時間の流れ」に沿って展開されていく。
 ゲームのプレーには、時間がかかるものだ。だからこそ、「子供がずっとゲームばかりやって困る」なんていう親の悩みも存在する。

 もしも仮に、ゲームが「時間の流れ」にまったく無関係なもので、スタートしたその瞬間にたちまち終わってしまったならば、ぜんぜんゲームにならない。


 ところで一方、こんな見方をしてみたらどうでしょう――

 ニンテンドー3DSなどで使う「ゲームソフト」を買うと、それはCDケースくらいの大きさの製品パッケージに入れられている。
 パッケージの中から出てくるのは、指でつまむくらいの、小さなカード型のチップだ。

 カードの中身がどうなっているかというと、このような半導体メモリーがある。
 この半導体メモリーに、ゲームのプログラムが一式書き込まれているわけだ。


 ところで、ゲームをプレーするには時間が必要だけれど…
 一方で、ゲームのおおもとである、この小さなチップの場合はどうだろうか。
 チップにおいて、「時間の動き」というものは、存在するだろうか?

 チップそのものをじーっと眺めても、何の変化もない。
 それは、時間と無関係なまま、完全に「静止」した状態にある。


 この、時間にかかわりのない静止したチップの中に、ゲームの始まりから終わりまでの全部が詰め込まれている。
 つまり、ゲームのありとあらゆる内容が、「今という一瞬」に同時にすべて存在しているわけだ。

 しかもそのプログラムの中身は、映画のフィルムみたいに、決められたコマが単に時間順に並んでいるのとも違う。
 ゲームの操作によって起こりうる、「無数の展開パターン」がその中に内在している。


 でも、いくら「今という一瞬」に「無数の展開パターン」が内在しているといっても――、そのチップがただ手元に在るだけでは、ゲームとしての面白さはまったく何もない。
 何も見えてこないし、何一つ起こらない。


 そのソフトを、ゲーム機に差し込むことで初めて、画面上にキャラクターや周りのステージが、目に見える形で映し出される。
 そして、無数の展開パターンの中なら、一つひとつの局面が「時間の流れ」に沿って順々に展開されていく。

 これによって、私たちはゲームのプレーを楽しむことができるわけだ。

 つまり、この「ソフトをゲーム機に差し込んだ状態」が――、
 私たちの魂が、物理的な3次元世界へと差し込まれて(まさに3DS!)、人生をプレーしている状態にあたるといえるでしょう。


 さらには――
 ゲームをすべてやり終えた後も、「時間の流れ」というものは再び関係なくなる。

 ゲームをプレーした経験は、その人の記憶の中に残る。
 その記憶は、いちいち時間軸に沿って再生される必要はない。
 「面白かった!」という感覚と、印象的な場面とが、ひとかたまりのパッケージのようになって記憶される。

 このひとかたまりの記憶をパッと瞬間的に呼び出すことによって、自分にとってのゲームの体験や楽しみを思い起こすことができる。


 つまり、もともとのゲームソフトのチップには、「時間」がない。
 それを楽しんだあとの記憶もまた、「時間」は無関係だ。

 その間に位置する、「時間に沿ってゲームをプレーしているとき」というのは――、実はとても限定的で「特別な状態」なわけですよね。


 でも当然ながらだけど、現実世界のゲームは、まったく楽しいと思えないこともある。
 そうした中でも私たちは、「無数の展開パターン」を常に内に抱えている。

 たぶん、そうしたパターンの最初の現れというのが実は――、日ごろ何となく感じている「心のムード」や「気分」なのではないかと思う。
 それらは漠然としたもので、言語的に説明しにくいものだ。

 でも、いま胸の奥にあるその漠とした感覚の中には、まさにゲームのプログラムのように、これから先の展開パターンのすべてが内包されているのではないか…、というように感じます。

 「心のムード」や「気分」に意識的であること――、これがゲームを楽しむための一つの鍵なのでしょう!



 結びのヒーリング・ミュージックは、Kip Mazuy「Sanctuary」。

  ☞ コメント:22

 
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コメント
6438
光奈さん、こんにちは。
拍手をしたら大好きなドクダミの花が。なんだか嬉しかったです。

昔からギター伴奏で歌が歌いたいという思いがありました。
まもなくそれが実現できそうです。意外なご縁によって。
私の人生というゲームを楽しんでおります。

のん気になったはずが、まだまだ考えすぎ、悩みすぎ、それを実感しています。
それがありのままの私。そういう自分とともに人生楽しみます。

どんな時も自分を否定しないことは難しいですね。
本物ののん気者になるゲームが続きます。

いつも興味深い記事ありがとうございます!

6439
吉田無ーん様

 こんにちは!

 音楽のメロディーは、時間の流れに沿って演奏されるものですけれど、好きな音楽の記憶そのものは、時間にかかわりないひとかたまりですよね。

 きっと思いの実現もまた、本来の次元においては、時間というのはかからないものなのでしょう。
 実感しにくいことですが…。

6440
いつも読ませていただいています。
コメントは初めましてです。
ゲームでの例えすごくしっくり、ストーンと入りました。
この3Dの世界での人生をゲームを終えた後、、
振り返って思い出し楽しめるように頑張ろうかな、、って思えました。ありがとうございます。

6441
バシャールも「すべては今ここに存在する」と言っていますね。
広大無辺の宇宙、あらゆる次元、更に無数にある平行宇宙が「今ここにある」(ホログラフィックな構造になっていて、すべての一部に全体が含まれる)など「とても信じられない」事です。

でも、100年前に「このごく小さなチップに膨大な量の情報を入れる事が出来ると思うか」と尋ねたら、殆どの人が「絶対無理」「あり得ない」と答えたでしょう。100年後には「今ここにすべてがある」というのは常識になっているかもしれません。
(ちょっと話が違いますが、「宇宙は広くて遠すぎるから、異星人が地球に来られる訳がない」という考えは本当に馬鹿馬鹿しいと思っています。それは「現時点の地球人の科学技術で考えれば」の話です。200年前の人が「金属の塊が飛べる訳がない。ましてや何百人もの人たちを乗せて飛ぶなど重すぎるから無理に決まっている」という理屈と同じです)

6442
こんばんは。
「時間」が存在するのは人間のアタマの中だけ、という話を聞いたことがあります。
動物には自意識がなく、時間を意識することもないので、永遠の時を生きてるのと同じ感覚だとか。
また、人間より高次な存在になると、今度は刹那=永遠を悟っているから、やっぱり時間は関係なくなる。
人間が一番中途半端で、ヤッカイな存在みたいですね。
自分も残された時間のことをつい考えてしまいますが、たとえ数年でも刹那=永遠なら、出来るだけ楽しんで生きて行こうと思っています。

6444
最近おもうこと
雲黒斎さんも、この世をゲームに例えてますよね。インターネットもワンネスにたとえられる。そして、インターネットも是非が問われるところだけど、どちらの出現もユニバースの流れにそったものなんですね。そうやってみると本当に不要なものって生まれないとわかります。
時間がないというのもよく言われますが、時間がないという感覚を意識する必要があるんでしょうか。一瞬一瞬を禅的に生きるというか。
時間を体験するためにわざわざ生まれている。
昨日と今日と明日と続いていくというおもしろさを体験してるのに。積み重ねていけるたのしみ。例えば、音楽なら
毎日の練習によって、だんだん曲が完成されていくという喜び。あの世なら、 ポン ってできちゃうところを、
ひとつひとつ煉瓦を積み重ねて、家を建てる楽しみ。
ワンネスもそうですが、あなた とわたし という分離を楽しんでいるのだから、この世のしくみをわかったら、あとは
単純に3次元の分離世界を楽しめばいいんじゃないか とおもってしまうのですが。目の前の出来事に、笑って、泣いて、怒って、悲しんでいればいい。精神世界を追っていると不幸になっている自分がいます。それすらも冷静に見てる自分がいればいいのかな。 マインドが働きすぎると不幸ですね^^;

6445
ゲームの記憶
小さい頃に家族みんなで、
大騒ぎしながら遊んだのは、
今でも大切な思い出です。
あっという間の時間だったはずですが、
何年経っても大切な時間に変わりはありません。
時間って、定量的な割に、
思いの外、曖昧なのでしょうね。

6446
わかりやすい説明ですね。
時間というのは現代科学でまだ解明されていませんが、この 「ゲームと時間」 という概念が 時間の正体ですね。
ということで私のブログでも紹介したいとおもいますが、いいですか。

6447
いい例えですね!!
『あぁそういうことか!』

光奈さんの、人生をゲームチップに例えたこの文章で
長年理解しようとしても、やっぱり意味不明だった事が
やっと!腑に落ちました。


素晴らしい例えと文章ですね!


『時間というものは存在しない』
『今に全てがホログラム的に含まれている』
バシャールがいっていたこの意味が
今日のチップの例で理解できました。



私たちは、
この静止したチップをDNAかどこかに埋め込んで
ここ地球に降りてプログラムをスタートさせているのですね。
人生の青写真(ブループリント)を見る人達は
ここにアクセスしているのでしょうか^₋^?


とにもかくにも、
今日は長年の『?』が解消されて良かったです*^₋^*

6448
ほたるび様

 コメントを有難うございます!

 まさしく、ゲームの内容は全部すでに書き上げられているんですよね
 本当にあとは、自ら楽しめるかどうかなのだと思います。

6449
Clary Sage様

 こんにちは!

 こうしたことは、今の時代だからこそ例えやすいし、理解しやすいのかもしれないですね。

 でも案外、近代文明よりも昔の人たちは、理屈にかかわりなく当たり前のように感じていたのかもしれないです。
 人類全体でいま、忘れてしまっていたことを思い出しているところなのでしょう。

6450
星乃裕華様

 こんにちは!

 野生の生き物にはまさに「今」しかないですし、先のことをあれこれ心配したり悩んだりするはずがないでしょうね。
 そんなことで、今という永遠を無駄にしたりはしない――。

 イエスが「飛ぶ鳥を見よ、野の花を見よ」と語った中にも、そうした意味が込められているのだと思います。

6451
micky様

 こんにちは!

 時間や分離の感覚って、それがないと味わえない「面白み」でもあります。
 また、喜びや悲しみの感覚も、音楽の長調と短調のような、いわば波長の違いなのかなと思います。

 スピリチュアルな考察を加えることよりも、音楽を聴くように鑑賞(観照)することが本当に大事なのでしょうね。

6452
満稀様

 コメントを有難うございます!

 まさに、そうなんですよね。「時間」というのは定量的に計測可能だけれども、そのように時間をとらえることって、ほぼ無意味なことです…。

 ちょうど「料理」について、おいしさや作り手の愛情といった要素をまったく無視して、単に重量だけで計測するようなものでしょう。

6453
くんのこ∞様

 こんにちは!

 驚いたことに、現代物理においても、私たちが常識的に考えている「時間」というものは実在しないのだそうです。

 ブログの引用や紹介は、ご自由にしていただいて問題ないです。
 評価いただいて、とても嬉しく思います。

6454
ありがとうございます。
長調と短調 なんて素敵な比喩なんでしょう。
悲しみと喜びを感じる場所は同じだと聞きました。
そういうことなんですね。
感激しました! もやが晴れたみたいです。
ありがとうございます!
お礼だけ言いたかったので。
  

6455
Ai 様

 コメントを有難うございます!

 理解の一助になれて、書き手としてすごく嬉しく思います。
 きっと、こうしたテーマに関してこれまで色々と考えてこられたからこそ、納得できるのでしょう。

 人生のブループリントはあるだろうけど、でもゲームの展開のように「選べる」のではないかなと思います。
 でも、究極的に行き着くエンディングは、きっと同じなのでしょうね。

6460
こんばんは。

ブログの内容と関係ないかもしれませんが、日常のなかで自分が好きなムードとか雰囲気を頭で立ち上げられる人って日常を楽しく生きられるような気がします。
頭で想像しなくても、インテリアなどを自分の理想の形に仕上げられるだけでも生活はすごく豊かになると思うんですけどね。
でも自分が本当に好きな雰囲気を自覚するのって結構難しいと思いますけども。

6461
ゲームならもっと楽しまなきゃ
ゲーム世界のゲームも楽しい事ばかりじゃないようですよ。
私の弟は、もう3つもコントローラーを壊しています。
(怒って放り投げて・・。バカだな・・)

 私の息子がゲームおたくで、息子がプレイするとよく人だかりが出来ました。
 でもでも、母親としてはリアルな世界で闘って欲しい。現実の世界でアイテムやスキルを掴み取って欲しい。ので、時々爆発します・・ゲームの中のモンスターより怖いかも。

 そんな、、人の作ったゲームと現実のゲームの違いは『限りあるパターン』と『無現』という違いかな・・

6462
ゲームならもっと楽しまなきゃ その2
無現と変換されていた・・シクシク・・
『無限』

6464
歩き茄子様

 こんにちは!

 意識的な心のムード作りは、僕自身もあまり得意とは言えないです…。
 でも「人生で特にマスターすべきこと」だと思いますね。

6465
りこ・ディーン様

 コメントを有難うございます!

 うちの息子も、家の中でずっとゲームをしています。
 ただ僕自身が「息子が勉強もせずに、ゲームばかりやって困る」という思いを手放して、感情的に反応しなくなったら、状況は少し改善しました。

 どう改善したかというと、相変わらずゲームばかりしているのに、成績がクラストップに上がった…。
 理由はまったく分からないけど(最近は再び落ちてきたけど)、やはり子供の姿も、親である僕自身の内側の投影として現れているのだなと感じます。

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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