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 僕はふだん、テレビを見ない生活をしている。
 でも昨夜、息子がつけっぱなしにしていたテレビを消そうと思ってリモコンを手にしたところ…、なぜかふと気になる感じがして、何とはなしにNHK-BSのチャンネルを押した。

 するとたまたま、立花隆の「臨死体験」のドキュメンタリーをやっていた。
 昨年秋に、地上波の「NHKスペシャル」として放送されたもので、僕としてはめずらしく楽しみに見た番組だ。

 同じ内容の再放送と思いながらしばらく眺めていると、どうも見た覚えのない場面が出てくる。
 番組情報で調べてみたら、「未編集映像も加えたオリジナル版」を、全3回のシリーズでNHK-BSで放送しているとのこと。


 僕が見始めたのは番組中盤からなのだけど、以前のNHKスペシャルの1時間枠ではカットされていた、けっこう興味深いシーンが色々と盛り込まれていた。

 まず、世界トップクラスの脳外科医であり、自らが脳の病におかされて臨死体験をしたエベン・アレグザンダー氏の不思議な証言。
 アレグザンダー氏は、7日間にもおよぶ昏睡状態に陥ったとき、肉体を離れて光り輝く広大な世界へ行った。
 そこで1人の美しい女性に出会い、一緒に天上界を旅した。
 このとき、その女性が誰であるのか、まったく分からなかった。

 アレグザンダー氏は、生後間もなく養子として育てられたという生い立ちがあり、実の親きょうだいとは面識が全くなかった。
 ところが、脳の病から奇跡的に回復して間もなく――、実の妹が数カ月前に亡くなったという手紙を受け取る。そこに生前の妹の写真が添えられていた。
 これまでの人生で一度も会ったこともなく、顔も知らなかった妹。何と、彼女こそがまさしく、天国で会った美しい女性その人だった――、という信じられないような証言。

 この話は、著書の『プルーフ・オブ・ヘヴン』に書かれているけど、NHKスペシャルの1時間枠の中では確かカットされていた(アレグザンダー氏を取材した別の民放番組では、紹介されたことがあるうようです)


 脳の専門医であるアレグザンダー氏は、自分自身の昏睡中の診療データを示しながら説明する。
 「このとき自分の脳の大部分が機能停止しており、その状態で幻覚を見ることは医学的にあり得ないことだ」と――。


 番組では続いて、脳神経学者のケヴィン・ネルソン氏にインタビューする。
 この人は、臨死体験は決して超常現象ではなく、脳内物質などによって起こる生理現象であるとして、そのメカニズム検証に取り組んでいる第一人者だ。

 立花氏は、アレグザンダー氏の取材ビデオを見せながら、この現象に対してどのような意見を持つかをネルソン氏に尋ねる。
 その回答もなかなか明快だ(この部分も、地上波のNHKスペシャルにはなかったと思う)。

 ネルソン氏が強調するのは、脳のスキャニング画像や脳波データなどは、あくまでも「一時的な局面しかとらえられない」という点だ。
 アレグザンダー氏は7日間も昏睡しており、脳は「機能停止」と「再起動」との間を何度も揺れ動いていたのではないか。
 そして、脳が再起動の状態にあったときに、幻覚としての臨死体験が起こった可能性はある、とネルソン氏は考察する。


 なぜ会ったことのない実の妹が現れたのかまでは踏み込めないけれど…、
 「診療データで脳機能が停止していた」というだけでは、幻覚を否定する証拠にはならないことは、確かになるほどとうなずける。


 番組の中で立花氏は、取材途中での思いを以下のように語っていて、これも非常に言い得ているなと感じる――

 臨死体験には、本人の「証言」しかない。
 真偽を明らかにする「エビデンス(証拠)」というものが存在しない。
 本人にとっては、どれほどリアルで素晴らしい体験であっても、エビデンスを示しながら第三者に伝えることは不可能だ。

 臨死体験とは、そもそもそういう性質のものなのだ。

 彼らが見たものは、はたして真実だろうか?
 それとも、真実を見たと信じているだけだろうか?――


 この発言も確か、地上波のNHKスペシャルではカットされていた部分だ。

 昨年のこの番組に対しては、特にスピリチュアル分野に詳しい人から、「とにかく知的に解き明かそうとする立花氏の姿勢が、何とも頑固でもどかしく思えた」といったような感想が多かった。
 でも、今回のノーカット版であるBSのほうを見てみると、当初から「証拠を示すことはできない」という前提に立ったうえで、色んな人たちにインタビューしながら考察をしていたわけですね。

 この「証拠を示すことはできない」というポイント。そして「はたして真実なのか、真実と信じているだけなのか」という疑問は、スピリチュアルのさまざまなテーマにも当てはまるものでしょう。


 きっと、こうしたテーマについて「どれが真実か」の証拠が示されることは、今後もないだろう。
 でも――、自分自身にとって「どれを信じた方がいいか」については、おのずと決まってくるという人が多いのではないかなと思う。

 かりに「死後の魂は存在しない」と信じるならば――、それはつまり、私たちの命のそもそもの目的というのは、「この1回きりの人生を生きるためだけにある」ということになる。
 そして、その信念にもとづくならば(もちろん人や場合にもよりけりだけど)、どうしても目の前の現実を生きていくため、あるいは食べていくため、なるべく有利な環境で安全に過ごしていくためということを主眼に、行動を決めざるをえない側面も大きくなるだろう…。

 一方で「死後の魂は存在する」と信じるならば――、私たちの命の目的は、「目の前の現実を超えたところにある」ということになる。
 それを具体的にうかがい知ることは難しいものの、でもそうした視点に立つことによって、現実的・常識的といったことに縛られずに、自分なりの考え方や生き方を選びやすくなるのではないかとも思う。


 ただし、「死後の魂は存在する」と信じて生きたけれど、本当はそんなものは実在せず、自分が死んだら意識や存在のすべてが消滅してしまった…、ということもあり得る。真実は分からないのだから。
 でも、もしそうなっても、何ひとつ失うものはない(そもそも自分の存在ごと消えるわけですしね)。

 他方、いちばん困ってしまうパターンというのは――、
 「死後の魂は存在しない」と信じて、自分の立場を危うくしそうなリスクを避けながら、現実的・常識的な道を歩んできたのだけど…、実際に死んでみたら魂はずっと存続していて、「そうならば余計なことを心配せずに、もっと思うように生きれば良かった!」と、人生全体を反省してしまうことだろう。

 真実は分からないけど、そんな事態だけは避けたいというのは、なぜか痛いほどよく分かる…。


 私たち自身に求められているのは、「どれが真実か」の証拠集めをすることではなくて、「どれを信じるか」であり、それにもとづいて「どう生きるか」なのでしょう。

 そういう見方でいると、スピリチュアルなテーマへの向き合い方も、少し変わってくるのかなとも思います!



 結びのミーリング・ミュージックは、James Harry & Juliana「Lux」。

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コメント
6466
お久しぶりです。
光奈さんのブログを拝見していて、いつも心配になる事があります。
それは、もし魂というものが存在していて生まれ変わったり、来世というものがあるとしたら、私のような生れつき重度の障害者で周囲の人間から疎まれ、虐め続けられ、邪魔にされ続け、すっかり汚されてしまった私の魂は、私の来世はどんなものになるのでしょう。
こんなボロ雑巾のような自分が例えまたヒトに生まれ変わってもまともな人間に生まれ変われるのか、人並の人生を送れるのか、光奈さんはどんなふうに思われますか?
私は正直なところ来世などあるわけがないと思いたいです。
また、今生のような地獄のような人生を送るのは恐ろしいのです。

6467
waco様

 こんにちは!

 以前にも丁寧なコメントを頂戴しましたが、本当に多くの人に想像もできないほどの、大変なご経験をなされていらっしゃると思います。

 本来ならば、wacoさんの問いには、僕なんかが答える資格は無いくらいだと思っています。
 と言うのも、wacoさんが負われている苦難に比べれば、僕の人生はまったくの甘ちゃんです。
 また今生に、それほどの厳しい境遇を生きていらっしゃるということは(ご自身としては決してそう思えないはずですが、あえてそのような生を選ばれたのだと思います)、魂として相当な段階に達しているに違いないと感じます。


 あえて言わせていただくならば――、コメントに書かれているような「すっかり汚されてしまった私の魂」とか「こんなボロ雑巾のような自分」というのは、真実とはまったく違う誤った見方だと思います。

 自由のきかない肉体も、苦しみを抱えた精神も、打ちのめされ続けて傷ついた心も――、wacoさんの真の実体とは、ある意味で何のかかわりもないものです。
 
 転生する魂とは、人間としての姿形もなく、個別の人格もなく、周囲との隔たりもなく、傷や汚れを付けることさえできない、自由な風のような存在です。

 透明で純粋な魂にとって、「生まれ変わって人並みの人生を送れるのか」といった心配は、まったく的外れで無用なものだと思います。

 
 今回の記事テーマにあるように、こうした真実を「実証」することはできないです。
 それを少しでも「信じる」しかありません。

 多大な苦しみを抱えた人生の中では、こんなことを信じるなんて、まったくの不可能事に近いことでしょう。
 それでも信じることが、wacoさんの魂が臨まれている大きな挑戦なのだと思います。ほかの多くの魂には、きっとできない挑戦です。

6468
こんばんは
私もほとんどTVを見ないで過ごしているので、
そんな番組があったなんて、知らなかったです。
時々、新聞のTV欄を見て、
「あ、失敗した。録画すればよかった」
と思うようなことが、たびたびあります。

私は、
私たちの命の目的は、
「目の前の現実を超えたところにある」
ということを信じています。

それは、もしかしたら、
信じているというよりは、
「そうであってほしい」という願い
なのかもしれないのですが・・・

6469
アルまま様

 こんにちは!

 「信じる」のも、「そうあってほしいと願う」のも、同じプロセスの途上にあるのだと思います。

 それはきっと、後戻りのできないプロセスです。

6470
私達は誰でもみんな
「いまここ」よりずっと先のことは何もわからない、ですよね。
子供の頃、私は大人になった自分を全く想像出来ませんでした。
でも、いつの間にか大人になっていたし。

死後の世界もそういう感じなのかな、と思います。
エビデンスって、後付けの解釈ですから。

6472
森猫様

 こんにちは!

 確かに、ただそう在るという真実に対しては、あらゆるエビデンスが「後付け解釈」なのでしょうね。

 この世界には「結果」はあるけれど、その「証明」にはなじまない仕組みなのかもしれないです。

6473
ごめんなさい・・・
余計なことかもしれませんが・・・
wacoさんのコメントを拝見しまして・・・
ふと感じました。

邪魔にされたり、辱められたりして
私には想像もつかないような苦難を
受けていらっしゃる・・・。

でもきっとその苦しみの中でも
wacoさんの魂は汚れてなんかいないと
思いました。

その苦痛の中で、きっと
輝き続けているのではないかと、
そんな光を感じました。

邪魔者扱いしたり、辱めたり・・・
そういう行為をする者こそ
汚れていくのでしょう。

だから、wacoさんは、
美しい魂のままだと、
むしろ、ますます磨かれているような
そんなキラキラしたイメージを
私は、感じとりました。

すみません、よけいな発言でした・・・



6474
有力な状況証拠なら山ほどありますが・・・
臨死体験者が絶対に知る事の出来ない事を知っていたとか、サイキック能力が開花したとか、色々と。
それで信じる人が多いと思いますが、それでも信じないという人はいるでしょうね。(世界中に物凄い数の”霊”の目撃談や体験談があっても、霊の存在など信じないという人がいる訳ですから・・)

「魂が汚れる」なんて事はないと思います。そんな事を言ったら、70億人の人間全員が汚れている事になります。今日生まれたばかりの新生児でも、多くの過去生を生きてきた人が多いでしょうし。

エマヌエルという存在は「魂は美しい透き通った光だが、それを恐れなどが覆っている(そのために苦しんでいる)」と言っています。人によっては魂の美しい光が殆ど漏れ出る事も出来ないほどに濃く覆われている場合もある。(人を虐待したり、邪魔にしたりする人は多分こういう感じでしょう)
でも、「覆われている」だけで、魂自体は美しいままです。太陽の光を雲が遮っているだけで、太陽自体は何も変わりません。



6475
こんにちわ^^
魂と言うものがあるのなら、それは何処にでもいて、何処にもいないものでしょう。
全宇宙に遍満してて、人はそれを脳内でイメージ化しているに過ぎないとしたら…
過去にあった時間も、これからの時間も、全ての時間が宇宙に内蔵されているかも知れません。
生きている人も、死んだ人も同じ時間帯を共有してると考えれば、理屈は通りますね^^

6476
かなり話はそれますが、
とあるアニメで終末期医療の話が出ていました。
そのアニメでは
体からの信号をキャンセルし脳に信号を送り込むバーチャルゲームの機能を強化して医療用にした機械の話がありました。
そして、その機械について説明する医者が印象的でした。
興奮して説明しながら、最後にはこういいます。
我に返ったように声の音量が下がり悲しそうに
まさに夢の機械です。でも、病気そのものを治せるわけではない…。と。

なぜ、こんな話をしたか。
きっとNHKにもいたのだと思います。
その医者と同じように、夢でもいいから…と思った人間が。
この世界は治療法のない病気にかかっているようなものです。
証拠なんてなくてもいいからほんの少し夢を見せようとしたバカがいたのだと思います。

少し前の記事に「さらけ出す~」というのがありましたが
この世界にさらけ出す人間などいないのだと思います。
本当に守りたいもののためなら自分すら騙し嘘を突き通すのだと思います。
データがあることで夢を見れなくなってしまう人がいるのであればそのデータは永遠にその人の心の中にしまわれるでしょう。
データがないことで夢を見れなくなるのであればうまいことデータを作るでしょう。

この番組が言いたかったのは、そんなバカがここにいるよ。
ではないでしょうか。

そして俺はそんなバカを見て見ぬふりはやっぱりできないようです。
他人のブログに書くことじゃないですが最近弟の結婚話があり結局のところ俺には無理だなと思いました。
この世界は、小説に、アニメに、漫画に、…その裏にいる人たちのさらにその奥底にいるバカどもの叫び声で満ちている。
その声を無視して一人だけ逃げれない、と思いました。
まぁ、今幸せな連中をとやかく言う気は全くないし、
そんな声は知らずいればその方がいいものなのだから…。
でも、俺はこの世界のバカどもが全員笑えたそのあとでいい、とそう思います。
相手もいないし…

でも、どうしても妄想は最後で躓くんです。
世界のてっぺんに斬りこんで、
でも、そこにいる世界一凶悪な老人会(ミイラ?骸骨?)は悲しそうな、哀れそうな顔で俺を見るのです。
どうしてもそいつらを納得させるものが見つからない。

だから、このコメをみた俺より人生の先輩な全ての人達に質問です。
もしも自分と同じ道を歩む人間がいたら止めますか?それとも背中を押す?
その差はなんでしょうか?
俺ははじめそいつらが納得せざるおえないだけの力をもって斬りこめばと思っていましたが、それではだめな気がするので…

結局、記事に関係なくなって済みません。
でも、自分のブログよりこちらの方が答えが手に入りそうだったので…

6477
Clary Sage様

 こんにちは!

 「どんな証拠がどれほどあるか」よりも、結局のところ「自分としては何を信じたいのか」なのでしょうね…。

 その人の「何を信じたいか」という意向は、周りの何をもってしても、おかすことのできないものと言えます。

6478
宇宙の大きな意志ともよべる原理がある中で、自分に向いてないものやことを守ろうとすると、喘息になったりするような気がします。そうゆうときは 抗わず流れにまかせれば 咳が止まると思います。

6479
sado jo様

 こんにちは!

 魂の存在や性質について、「Now here(今ここ)」であり「Nowhere(どこでもない)」なんて言い方もよくされますよね。

 まさしく、そういうものなのだと思います。

6480
野良猫様

 こんにちは!

 野良猫さんは、物語的な独自の世界観をお持ちですね。
 ただ、その強い世界観によって、むしろ「自らを縛ってしまっている」という一面もあるのではないかなとも感じます…。

 野良猫さんとまったく同じ世の中を、僕もこうして生きているわけですけれど、僕自身が持っている世界観では――
 この社会は愚かな人々が満ちているわけでは全然ないし、嘘をつき通す必要もないです。自分たちの幸せを奪い取る、邪悪な支配者が君臨しているわけでもありません。


 自分の魂に「喜びを与える世界観」ならば、たとえ絵空事のようなものでも、それを信じ込んでいいと思います。
 
 逆にもし、自分の魂にとって「喜びから遠ざける世界観」の場合は――
 その世界観の枠組みの中で問いを発するよりも…、その世界観から一歩後退して、世界観そのものを見直してみることがやはり大切なのかな、というふうにも感じます。

6481
三橋様

 コメントを有難うございます!

 ちょうどいま読んでいる本の中にも、「魂と理性の一致」ということで、近い意見が述べられていました。

6482
度々すみません
言い方が悪かったですね。
俺の言うバカな奴というのは
1000年、2000年、あるいはもっと、世界を支えている連中のことです。
優しすぎて、真っ直ぐすぎたために世界を背負わされ、世界のてっぺんに祀り上げられた連中。
そいつらは言っているんです。
自分が死ぬ理由に、誰かを殺す理由に私を使っていい、と。
でも、そいつらは何故そこまでしなければならないのでしょう。
もう死んでいるから、この世界にいないから、勝手に利用して傷を押し付けていい。とでもいうのでしょうか。
俺は違うと思うんです。
そいつらが笑って隠居できるような、
お前らもう必要ない、この世界はちゃんと自分で生きていける。
とそう言える世界になって初めて自分の番だと思うのです。

そんな世界は俺の生きている間に見ることはできないでしょうけど…

6483
理由?
この世で起きる現象に理由をつけたいのがこの世界の人々
この世界は現象と解釈と意味…等で溢れているのでは?
人間の数ほど人生があり 事実と虚無と?に溢れて
それでも答えを求めて歩き続けているのでは・・・

頭の中の答えが本当に必要なのでしょうか・・・
この世界で味わう事実を脚色せずそのままで
それぞれが味わえるようになれば
見えない虚無に悩まされること無く
起こる現象をありのままで受け入れ
楽しむことが出来るのでは・・・

その中に あの世の有無も含まれて
あると思う人も無いと思う人も
その感情を味わい尽くして死を迎える
この世界はすべてを味わえる 
美味しい世界では^^

6484
素敵なブログをいつもありがとうございます。
光奈さんはじめまして^_^
私は自分の葬式の準備前段階を上から眺めながら悲しみの感情が大きく爆発した瞬間布団から目が覚めていて死んでいないって事以外は何一つ変わりのない日常だったので、もし魂を肉体に引き戻せたバージョンのパラレルワールドに移動したのなら移動前にいた完全に魂が肉体から離れて死んでしまったバージョンのパラレルワールドもあり、そこで悲しんでいる身内もいるのなら無念だとか
逝く前に脳が魅せた幻覚でそれは嫌だ!と魂を肉体に引き戻した等考えますが結局のところ光奈さんが言うように
”それにもとづいて「どう生きるか」”
の様に私も思います。

6485
やっぱり、経験にはすべて意味がある・・・と思います。
重度の障害を持って生まれた事も、疎まれるという経験も・・・。

自分自身の事だと「何でこんな経験を!」「別の選択をしていれば」「これでいいのか」とか考えてしまいがちですが、"他者”(ではないのでしょうが)を見ていると・・・鏡を見るように距離感として見やすいのだと思います。自分だと近すぎる・・・「起きる事はやっぱりちゃんと意味があって起きている」と感じる事があります。
それは罰とか何とかいう事ではなく・・・・。

その意味では臨死体験者の言うように、ホロコーストや戦争や原爆投下などもすべて意味があって起きているのでしょうね。

6486
ご挨拶とお礼
光奈さま

はじめまして、FXパパ48と申します。

日頃はブログをご訪問いただきありがとうございます。

こちらのブログも、とても興味深く読ませていただいておりますが、今日読ませていただいたところが誠にすっきりと私の腑に落ちたので、お礼方々コメントさせていただきました。

> ただし、「死後の魂は存在する」と信じて生きたけれど、本当はそんなものは実在せず、自分が死んだら意識や存在のすべてが消滅してしまった…、ということもあり得る。真実は分からないのだから。
 でも、もしそうなっても、何ひとつ失うものはない(そもそも自分の存在ごと消えるわけですしね)。

 他方、いちばん困ってしまうパターンというのは――、
 「死後の魂は存在しない」と信じて、自分の立場を危うくしそうなリスクを避けながら、現実的・常識的な道を歩んできたのだけど…、実際に死んでみたら魂はずっと存続していて、「そうならば余計なことを心配せずに、もっと思うように生きれば良かった!」と、人生全体を反省してしまうことだろう。

 真実は分からないけど、そんな事態だけは避けたいというのは、なぜか痛いほどよく分かる…。


 私たち自身に求められているのは、「どれが真実か」の証拠集めをすることではなくて、「どれを信じるか」であり、それにもとづいて「どう生きるか」なのでしょう。

---------------

善く生きたい、善く生きよう

でもどう生きよう と

いつも周りを見て立ち止まってばかりですが、今日のこの言葉を読んで、ほんとうに今この「人生という命」のステージを過ごしている期間を、魂は続いても、このステージは命の限りだと思えば、それこそこの時間を大切にし、思いのままに生きようと思いました。自分なりにまとめて「座右の銘」にしたいと思います。

どうもありがとうございました!

6487
野良猫様

 こんにちは!

 千年、二千年前って…、
 イエスや、イスラムの開祖ムハンマドのことでしょうか?…
 でも「誰かを殺す理由に私を使っていい」なんてことは、当人は語ってないですし。(そのように曲解して利用する組織はあるのかもしれませんが)

 ごめんなさい。うまくピンと来ないです…。

6488
光子様

 こんにちは!

 このシリーズ番組の最終回を昨夜に見たら、脳科学者のケヴィン・ネルソンがこう語っていました。
 「私たち科学者の役割は、メカニズムを解明することにある。『なぜそれがあるのか』の理由を尋ねることは、科学者の役割を超えたものだ」――


 確かに、万有引力の法則は分かっても、『なぜ万有引力が存在するのか』までは問うことができないです。
 そうした点で、科学者というのは謙虚ともいえます。

 一方で、「神がこの物理的次元を創造したのはなぜか」「どういう理由で世の中の出来事が起こるのか」といったことを好んで問うスピリチュアル分野の人々のほうが、ある意味でむしろ図々しいのではないか、とも思えますよね…。

6489
スペトラ様

 こんにちは!

 何だか興味深い見方ですね。
 もしかしたら臨死って、本来ならそのまま「亡くなる」というパラレルワールドから、「生き続ける」というパラレルワールドに移行すること、なんていうとらえ方できるのかも知れないです。

 そんなふうに考えたこともなかったです。

6490
Clary Sage 様

 こんにちは!

 個人的な不遇も、人類の歴史的な悲劇も、「意味があって起こっている」のだと僕も思います。

 ただ、その意味そのものを問うことが、私たちの生の目的とは違うのでしょう。
 「そのうえで、自分としてはどう在るのか」――が問われているのだと思います。

6491
FXパパ48様

 初めまして。コメントを有難うございます!

 まさにそうなんです。「死後の魂は存在する」としても、「ならば今生の人生を無為に過ごしても構わない」なんていう考えには決してならないんですよね。
 むしろ、「死後も生き続けるならば、このステージをもっと大切にしよう」という思いになる。

 これも、魂の真意なのだと感じます。

6492
お返事有り難うございます
宇宙の成り立ち、魂の存在、永遠の天国、極楽浄土、生命の誕生など、
探究したくてたまらない課題はいくらでもある事でしょう
だがそれらには、けっして答えはありません
いくら探求しても、何も知らないまま、死ぬはめになるのです そのようなものよりも、自分が生きているのだから、「生きるとは何か」を探求するならば、その道を一歩でも歩んだ瞬間から、人生の役に立つのです

”ブッタの一日一話「今を生きる366の智慧」”1月20日
に記されています

今生きている自分を見る事の難しさ・・・
他人事はなんとでも考えれますものね
うっかりあちらの世界に行きそうに
興味のある 面白い話題が多いですもの・・・

6493
光奈さん、おひさしぶりです^^

他者と思想や価値観を共有するためには、
論理的な証明や物的な証拠が必要となる場合が多いですが、
自分個人の思想や価値観については、
自分の個人的な体験があれば十分と言うことが多いですね。

自分の目の前に、断崖絶壁があって、
他のみんなが、橋があるからそのまま進んでも大丈夫だと言っていても、
自分にその橋が見えていなければ、みんなを信じて進む気にはならないと思います。
客観的な事実がどうであっても、
自分の主観と言うのは、絶対的なリアリティーがあります。

人は生まれてから死ぬまで、自分の主観しか経験できないというのは、
ある意味凄いことですね。
自分の意識が消滅すれば、
自分の経験できる世界は事実上 消滅してしまうのですから・・・

私もwacoさんと同じく、来世など欲しくないのですが、
人間の特性として、のどもと過ぎれば熱さ忘れるで、
辛かった記憶は徐々に忘れていくもので、
自分の人生の記憶も、特に昔のことほど、段々美化されていっています。
こんな感じで、あの世に行ったら、懲りもせず、また人間として生まれたいと思うのでしょうか・・・

最近は、スピ計の世界では、アファメーションというのがありますが、
私も昔、勝手に「中和作業」と称して、
自分に対してネガティブな定義をしている観念を中和するために、
その反対の定義を、自分に対して、暗示のように言い聞かせていました。
最初は、その作業をするのも、かなりの心理的な抵抗がありますが、
ネガティブな観念が中和されていくほど、自分が自分の敵ではなくなり、
内的な世界の居心地が良くなりました。
外的な世界の困難さは変わらなくても、自分が自分の味方でいられる、
というのは、心理的な問題の多くを解決してくれて、
かなり生きることを容易にしてくれると感じています。

6494
こんにちは^^

光奈さんのブログには、 『真摯に“道”を求める』方々が集ってくるのですね^^。それは光奈さんご自身が、とっても『真摯』だからなのだなぁと思いました(*^^*)

>私たち自身に求められているのは、「どれが真実か」の証拠集めをすることではなくて、「どれを信じるか」であり、それにもとづいて「どう生きるか」なのでしょう。

この一文、同感です。他の方から見れば、過酷に見えたり、波乱万丈と思えても、それが『楽しい』と思える方もいらっしゃいます。全ては『何を信じ、どう生きるか?』。ものの見方が変わるだけで、意味が全て変わってきた経験をした私にとって、とてもその言葉は、真(まこと)であるなぁと思います。

ところで、本日(3月28日)23時よりEテレで『モーガン・フリーマン死後の世界に迫る』という番組を放送するようです。

私も普段あまりテレビは観ませんが、これは、どういう切り口になっているかは分かりませんが、見てみようかと思っています。

もし、光奈さんの直感に響けば幸いです<m(__)m>

6495
追伸です。

出来ましたら、光奈さんのブログを私のブログにリンクさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか(^O^)/?

よろしくお願いいたします。

6496
光奈さん、こんにちは。

死後の世界は存在する。そして自分が今生きていると思われる
この世界こそ天国(貴重な体験ができるという意味で)。
ならば、この世界を味わうしかないではないですか。

すべては楽しい体験である。辛く悲しいことであっても。
そう思えるのは、私の現実に辛く悲しいことがないからか。
辛く悲しいことも楽しいのだと私が思い込んでいるからか。
よくわかりません(笑)

立花さんの番組、最終回は録画して見ました。
今日のEテレも録画してチェックします。

6497
来世はあるのかどうか。
スピリチュアル関連のブログを読んでいると、「自分がこの世界に生まれ変わるのは今生で最後」というのを結構見ます。
「何で分かるんだろう」「逃避したいとか、そうであって欲しいという単なる願望なのでは・・」と思ってきましたが・・・。(勿論、本当に直観的に「この人生が最後だ」と感じている人もいると思いますが)

因みに、私にこの世界での来世があるのかどうかは全然分かりません^^;「必要(?)なら、あと3つ4つ5つ6つ生まれ変わったって別にいいけど・・」とは思いますが、確かに「これを最後にしたい。やっぱりもうちょっと進化した(?)星に生まれたいよなあ」という気持ちもあります・・・^^;


「今の人生を最後にする」というのは、自分で選べるという説、選べないという説両方ありますね。バシャールは「ここに何度も生まれ変わるのは単にそうしなければならないと思い込んでいるからだ」と言っていますが。




6498
光子様

 こんにちは!

 僕はよく、この世界というのは「神が自らにかけた魔法」なのだと思っています。

 神の魔法だから、神自身でさえも解くことができないのでしょう。

6499
Korva様

 こんにちは。お久しぶりです!

 臨死体験者の証言では、生きているときにものすごく深刻に思えていた問題も、肉体から離れていくにつれて、不思議とまったく気にならなくなっていったそうです。

 たぶん、「意識」は消えないままより鮮明になる一方で、「問題」のほうが幻として消えていくのだろうと考えています。


 アファメーションを「中和」というのは、いいですね。
 まさに、かたより過ぎたものを中道に戻す作用があると思います。

6500
真知子様

 こんにちは。
 いいことを教えていただきました! 楽しみに見てみます。

 それにしてもモーガン・フリーマンとは、なかなかの俳優を起用したものですね(主演作の『最高の人生の見つけ方』はとても好きです)
 この人の私生活は知らないけど、こうしたテーマに実直に向き合ってそうな印象があります。


 ブログのリンクはご自由にしていただいて、まったく問題ないです。気に入っていただけて、とてもうれしく思います!

6501
吉田無ーん様

 こんにちは!

 この世界こそ天国って、素晴らしいですね。魂の視点だと、まさにそういうことなのかもしれないです。

 このシリーズ番組の最終回はやはり、レイモンド・ムーディとの対話場面がいいですよね。
 この人は、「究明する人」から「信じる人」になった代表例ともいえます。

6502
Clary Sage様

 こんにちは!

 今後の転生については、色んな見方やそれぞれの期待もありますよね。

 もっとも、それを言っているのは魂ではなく、個人としての理性なり思考でしょう。
 だから、「こんな地上世界に転生するのはもうこりごり…」なんて思っていても、すべてが終わってあの世に行ったら「いやいや、もう1回!」なんて言うのかもしれないです。

6503
そして・・・
普通は「来世」など、まだまだずっと先の事だと思っていますが、実はそうではないのかもしれませんし。

誰しも周囲の人間や動物が死ぬのは経験していると思いますが、10日ほど前、猫が急死しました。その前日、鼻をぐずぐず言わせていたので風邪を引いたかな?と思っていたら、翌日死んでしまいました。まさか死ぬとは思いもしませんでした。
本当に今生はいつ終わるか分からないし、来世はすぐに考える(?)べき問題になるかもしれない。
もし自分で来世が決められるなら、前以てプランを考えておくのもいいかもしれませんね。少なくとも、もう一度この世界に生まれ変りたいかどうかとか。「終活」ならぬ「来活」ですね。まあ、無駄かもしれませんが・・・。

6505
Clary Sage様

 こんにちは!

 「来活」、いいですね。
 退行催眠療法のブライアン・L・ワイスも、「私たちは『死』に対して備えるのではなく、『不死』に対して備えるべきだ」ということを語っています。

 でも結局は、「今をしっかり生きる」ということになるでしょう。

6507
来世と言えば
「未来世療法」(ブライアン・L・ワイス著)というものもありますね。(私はこの本は読んだ事はないのですが)

過去世療法は非常にポピュラーですが、それに比べると未来世療法は殆ど話題に上る事はないように思います。
しかし、ワイス博士は「過去と同じく、未来も現在に影響を与え得る」と言っています。
どうしても、過去世には注目しても未来世には全く注目しない傾向がありますが、実は同じくらい重要なのかもしれません。(「今をしっかりと生きる」のは当然として)

未来世なので、この地球の人生もあれば別の星の人生もあるでしょう。ヒューマノイド型ではない場合もあると思います。
過去世の自分だけではなく、未来世の自分を考えるのも意識の広がりという意味で役に立つような気がします。

6509
Clary Sage様

 こんにちは!

 過去生・未来生からの影響は、僕もあると思っています。
 本当は時間軸などなくて、すべてが同時に存在しているということは、互いに影響を与える関係にあるのかなと…。

 退行催眠療によって自らの過去生を追体験することで、現在抱えている精神的問題がうまく治癒するケースは、色々とあるようです。

 ただ「本筋」としては…、私たちがこうして生きているのは、今生での経験を通じて過去生(あるいは未来生)を癒すためなのでしょう。

6511
「時間軸に沿って意識が進化している」なら
未来世の自分は今生(彼らから見れば過去世)の自分を癒したり、導く立場なのではないかと思います。
逆に、過去世の自分が今生の自分を癒すために生きているとはあまり考えられないですし・・・。(実はそうなのかもしれませんが)

前世に興味が集まっても来世には集まらないのは、「時間は一直線に進んでいる」という考えが主流だからでしょうね。
その考えで言えば、今現在が時間の流れの最先端・先頭であり、その先は存在しない全くの空白という事になる。
確かに普通存在しない(と見なしている)ものの事は考えないです。でも「すべてが同時に存在している」なら当然、未来も存在している。
今の自分が過去世の自分の事を考えたりするように、未来世の自分も今生の自分の事を考えたり見守ったりしているのではないかと思います。

因みに、私が過去世(や未来世)の事を考える主な目的は「自分とは何か」という認識を少しでも広げるためです。どうしても「自分」というのはすごーーーく狭い認識になってしまうので・・・・。



6514
Clary Sage様

 こんにちは!

 「転生」に関する考え方も、「世界観」と同様に、本当に色んなとらえ方が可能だと思います。

 ある解釈が正確かどうかよりも、それが生への認識を広げたり、生きる喜びを与えてくれるものならOKなのかなと考えます。

6641
いつもありがとうございます!
いつも読ませていただいております。な何度も光奈さんのブログに助けられました。
最後のヒーリングミュージックもいいですね。
You are seeing her now it's shining でいいのでしょうか。どなたか歌詞をご存知ないですか?

6644
薔薇子様

 コメントを有難うございます。ブログを気に入っていただけて、とても嬉しく思います。

 このジュリアナさんの歌声はいいですよね。とても優しい、いとおしさを感じます。

 有名なエンヤの曲のカバーも歌っていますが、オリジナルよりもさらに柔らかな雰囲気が素敵です!

https://youtu.be/IFHE-fk7A8Y

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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