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 「辛抱強さが欲しいと願うと、銀行で長く待たされる」――、なんていう人生訓があるそうです。面白いですね。

 つまり、この世界では、自分が欲しい何かを求めたときに、その「欲しいもの」そのものがストレートに与えられるわけではない、ということ。
 そうではなくて、「欲しいものを手に入れるために必要な状況」が与えられる――、そのような仕組みということだ。

 そうして自分に与えられる状況というのが、「銀行の長い行列」みたいに、社会生活上ではとても厄介でイライラさせられるものだったり、非常に嘆かわしいものだったりもする…。


 いわゆる引き寄せ法則的には、「そうならば、どのように願えば、欲しいものを効果的に手にできるのか」ということになるだろう。
 もちろんそれも、取り組んでみるべき一つの方向性だ。

 でもそれ以上に、私たちが知るべきポイントは――、「自分が求めているものは、常にすべて受け取っている」ということなのだろうと思う。


 同じことを、イスラムの一派・スーフィーの指導者であるハズラット・イナヤットカーンは、こんな言葉で語っている。

私は強さを求めた。すると神は、強くなるための困難を私に与えた。
私は英知を求めた。すると神は、解決を学ぶための問題を与えた。
私は愛を求めた。すると神は、助けるべき人を与えた。
私は求めたものを受け取れなかったが、必要なすべてを受け取った。


 これは確かに、かなり普遍的に色々と当てはまりそうですよね。
 たとえば、「私は平和を求めた。すると神は、平和をもたらすべき世界を私に与えた」とか、「私は豊かさを求めた。すると神は、豊かに満たすべき心を私に与えた」、「私は自由を求めた。すると神は、自らを解き放つべき制約を私に与えた」とか…。

 一神教の教えだから「神は」という言い方になっているけど、最近のスピリチュアルな見方ならば、神とはすなわち「真の私」である。
 つまり、何か欲しいものを求めると、それが必要となる状況が目の前に現れる。そして、その上で――、最終的に求めている「強さ」や「英知」「愛」、さらに「平和」「豊かさ」「自由」については、創造主であるあなた自らが生み出しなさい、ということだとも言えるでしょう。

 自分が求める者であり、また自分が創造して与える者でもある。


 多くの人がこの世界で共通して学ぶべきテーマ――、そのひとつが、「自分自身を愛する」ということでしょう。
 たいていは誰でも、愛するに値するとは思えない要素や状況を、多かれ少なかれ自らに抱えている…。

 でもその自分は、どのような自分であっても――、「私は自己愛を求めた。すると神は、自ら愛すべき自分を私に与えた」という形によってもたらされた、まさに贈り物なのだと思います。

 そして、この場合の求めるものこそ、まさに自らが生み出す以外にないものですよね。



 結びのヒーリング・ミュージックは、Paul Avgerinos「Love Is」。

  ☞ コメント:12

 
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コメント
6504
私はこの1年間、仕事量が多くて大変だったので、10秒をムダにしないよう心がけてテキパキと効率よくこなすように心がけてきました。
ところがいくら処理速度を上げても、次々と仕事に追われて忙しさは変わらず、追い打ちをかけるように想定外で飛び込んできた仕事を片付けてリミットの30秒前で間に合わせるとか、そんなタイトな経験が多かったです。
だから一層効率よくテキパキとせねばと頑張っていたのですが、そこまでやっているのにどうして余裕が生み出せないのだろう?と不思議に思っていました。

でも、今回の光奈さんの記事の一行目で「ああ、、、そうだったのか!」と納得できました。

なるほど、私が求めたからこの状況を創りだしていたのかと。

今年は、息抜きやリラックスを交えて仕事を楽しむように心がけることにします。(^-^)

6506
ももんが様

 コメントを有難うございます!

 僕自身もバリバリのサラリーマンをしていたときは、まさに秒単位の時間と闘うように、ものすごいスピードと気迫で仕事をこなしていました。

 トイレに立つ時間さえもじれったくて、オフィスの席に「しびん」を置きたいくらいにも思えたし…、パソコンが反応する1秒さえも待ちきれない感じがしてました…。

 そりゃ、どんどん忙しくなって当たり前ですよね。

6508
求めた通りになる・・・?
光奈様
ステキな音楽を聴きながら、何度も読み返し・・
難しい本など読んだことの無い私ですので、
噛み砕いて、噛み砕いて、頂いてやっと分かる・・
つまり、求めた通りに、なっている・・・
と言うことでしょうか?
私の母は私の小さい時から、お墓参りに行く度に
何時もお守りして頂いてありがとうございます・・と
良くお礼を言いなさいよ。と言っていました。
何かの本に、神社仏閣に行ってお参りする時には、
お願いをするものでは無く、お礼を言いなさい・・
すでに、守られているのですから、お願いをする・・
ということは、失礼ですよ・。と言う文を読みました。

常にすべて受け取っている・・に気ずくで
よろしいのでしょうか・・・。

6510
ちゃんみいい様

 こんにちは!

 神社へのお参りは、お願いではなく感謝するためというのは、僕もまったく同感に思います。

 様式は色々あますけど、あの「二礼二拍手」って、自分が欲しい何かを懇願しているというより、見るからにやはり「あらたまってのお礼」ですよね…。

6512
光奈さん、こんにちは!

私もお墓参り、神社参りではお願いではなく感謝の言葉です。
でも亡き父には母のことをよろしくね、と時々言っています。
そんなことは言わなくても、間違いなく母を見守っている父ですが。
(母は順調に回復中。先日の血液検査も良好でした)

さて、今年も左頬が少し赤くなり、赤みと小さなブツブツが広がりました。
赤い部分は熱を持っていて、ブツブツにはかゆみを伴います。でも軽症。
アトピーそしてステロイド長期使用のリバウンドですが(???)、
これもまた私が求めて起こしていることなのでしょう。

しばらくすれば自然に治ります。毎年治るのを待っているだけです。
左頬が春の訪れを毎年教えてくれます。なぜか夏以降は症状が出ません。
父が亡くなった年(2007年)はなぜか春も症状が出ませんでした。
今年出たということは、母は今年は生きるということなのかな。よかった。

4月1日久しぶりに特急に乗って上京します。友人と新宿御苑を散歩します。
2日後に赤頬がどうなっているかはわかりませんが、
ありのままの自分を友人に見てもらいます。

6513
手に入れていないものばかり見るのではなく、自分の周りにあるものや居てくれる存在を再確認すると、自分がすでに満たされていることに気付けますよね。
 ブログ読ませていただきました。ありがとうございます。

6515
吉田無ーん様

 こんにちは!

 先祖へのお墓参りは、「感謝する自分の気持ちを大切にするため」なのかなと感じます。
 たぶん亡くなった家族は、墓参りするしないにかかわらず、見守ってくれているのだろうと思いますね。

 東京の桜はちょうど今日が満開ですが、明後日も十分きれいに残っているでしょうね!

6516
tetsuboy様

 コメントを有難うございます!

 そうなんですよね。「願わなくても既に手に入れているもの」について考えてみると、私たちは相当のものを与えられているといえます。

 中には、ほかの誰かが「自分の人生にそれさえあれば…」と懇願するようなものを、自分が特に意識することなく持っていたりもします。

6553
光奈さん、こんにちは。
今回の考察は大変興味深いですね。
自分がこうなりたい、世界がこうであってほしいという願望さへも、真の自己が「創造」のために自我に想起させているとするならば、「引き寄せ」というものも、そのシステムの一部として起きているものに過ぎず、この世界は創造のプロセスがただ展開しているだけ、ということになりますね。
貴重なインスピレーションありがとうございました。

6555
an様

 コメントを有難うございます!

 すべては必然の創造プロセスであり、導きなのでしょう。
 でも一方では、自分の決意や願いが、自らのあり方を決めていくという側面もある――

 この矛盾する両面が、ひとつのこととして起こっているとも言えます…。そういうところが、この世界の妙なのでしょう。

6556
光奈様
求めている事は、既に全て受けとっている・・事も、自分が創造している・・が薄っすらと分かるような、はっきりとは、分からないような・・・なのですが。
昔の言い伝え(?)の「運命は自ら招き境遇は自ら創る」と言うことなのでしょうか?そして、この状態が「贈り物」であり「愛」。

「この矛盾する両面・・・・・・」で、私には、薄っすらとわかるような、はっきりとは分からないような~になってしまうのですね。

光奈様と皆様とのコメントの遣り取りからも、学ばせて頂けてありがたいです。

6560
ちゃんみいい様

 こんにちは!

 「起こることはすべて決まっている」のか、それとも「私たちの意志で選択できる」のか――
 このテーマについては、スピリチュアル分野で本当に色んな観点から説かれています。

 きっと真実は、「どちらか一方」ではないんですよね。
 相反する両面を備えた状態って、私たちの従来の知能や経験則からはうまくとらえられないし、それを示す表現方法も存在しないです。

 だから、異なるそれぞれの側面を「一方ずつ説明・理解」するしかないのだと考えます…。

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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