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 東京はちょうど桜が満開です!

 あたりが暖かく春めき、草木には初々しい新緑が芽吹きはじめ、風の波に花びらが舞うこの時期は、一年の中でも何かとても「特別な時」という感覚がしてくる。


 学校の始業や、多くの企業の会計年度は「4月」からだけど、これは世界的に見て日本特有の決まり事らしい。
 でもここで暮らしている限りは、「この時期以外にはあり得ないでしょう!」と思えるほど、新しい始まりを予感させる節目といえる。

 それくらい、春の桜が一斉に咲き誇っている壮麗さには、本当に特別で象徴的な感慨を受けますよね。


 話は少し変わるけど――
 会話のできない重度の自閉症である東田直樹さんの本が、一昨年あたりからものすごく注目されるようになって、僕自身もその繊細な言葉にはハッとさせられることが多かった。
 たとえば…

 絵の具で色を塗っているとき、僕は色そのものになります。
 目で見ている色に、なりきってしまうのです。
 筆で色を塗っているのに、画用紙の上を自分が縦横無尽に駆けめぐっている感覚に浸ります。

 ものはすべて、美しさを持っています。
 僕たちは、その美しさを、自分のことのように喜ぶことができるのです。


 僕も小さな子供のころは、クレヨンなどで思いのままに絵を描きながら、同じように感じた覚えがある。
 また、あらゆるものには「美しさ」があって、その美しさを「自分のことのように喜ぶ」というのは、本当に素晴らしい体験であり、この世界との大切な向き合い方だなと思う。

 私たちの魂がこの次元を生きる大きな喜びとは、真の私の現れでもあるこの世界の美(仏教でいう「色」)を、直接的に存分に味わうことであると、高名なマスターたちも語っている。


 で、その東田さんは、「満開の桜」について、自らのこんな思いを語っている…

 僕はきれいな桜を、長く見続けることができません。
 それは、桜の美しさが分からないからではありません。
 桜を見ていると、なんだか胸がいっぱいになってしまうのです。
 繰り返す波のように、心がざわざわとかき乱されてしまいます。
 その理由は感動しているせいなのか、居心地の悪さからくるものなのか、自分でもよく分かりません。
 分かっているのは、僕が桜を大好きだということです。


 これはとても驚かされたというか…、僕も桜を眺めながら心の奥底でどことなく感じていながら、自分自身でもそう感じていることをはっきりとは認識できていなかったことを、本当に率直にうまく語っているなと思う。

 もちろん、桜の花を100%ポジティブに「わぁー、超きれい!」という思いで目にしている人もたくさんいるはずだ。
 でも僕の場合は若干そうだし、おそらくある程度の割合の人も、「不思議なつらさ」というか、「はっきりとは分からない居心地の悪さ」みたいなものを、心の片隅で細やかに感じているケースが少なくないのではないかと思う…。

 東田さんの言うとおり、それが何なのか、本当によく分からない。
 異性の美しさに対する胸の痛みとはまた違うし、遠くなつかしい記憶を思い起こすときの感傷でもない。もっと、割り切れない何か。


 咲き誇る桜が、渾身の生命力を開け広げて、その美しさを目の前に現しているのに――、そのすべてを受け止めきれない、自分の心の隅の閉ざされた一部分…
 そんな、内にある微妙な「原罪」のようなものを感じ取ってしまうみたいな、そんな思いもする(こういうのは、余計な言葉で語るほど、感覚の精妙さから遠のいてしまいますが…)


 でも、わけも知れず心のどこかが乱されてしまうところに、私たちにとっての桜の「特別な美しさ」があるのだろうなとも感じます。


 東田さんの本は、日本だけでなく、海外にも広まっている。イギリスではベストセラー1位になり、今や20カ国以上で出版されているそうだ。
 その大きなきっかけになったのが、映画「クラウドアトラス」の原作者である作家のデイヴィッド・ミッチェル氏の目にとまり、彼自身が翻訳を手がけたこと。

 どうして海外の有名作家がこの本に巡り合ったのだろうと思っていたら――、ミッシェル氏にも重い自閉症の息子がいて、また作家になる前は日本で英語教師をしており、日本語が堪能だそうだ(奥さんも日本人)。


 動画サイトを見ていたら、ミッチェル氏が東田さんを訪ねるNHK番組があった(昨年に放送されたものらしい)。

 ミッチェル氏はこれまでずっと、重い自閉症の息子をどう愛せばよいか戸惑いながら、自分には理解できない行動や言動やその思いを、何とか知りたいと考えていた。
 そうしたところに、世界でも非常にまれな、重度の自閉症を抱えながらも高い表現力を持つ東田さんの本に出合ったという。


 ミッチェル氏は番組の中で、東田さんにこんな質問する。「父親として、どうすれば自分の息子の力になることができますか?」
 これに対し東田さんは答える――

 僕はそのままで十分だと思います。お子さんもお父さんのことが大好きでそのままで十分だと思っているはずだからです。

 子どもが望んでいるのは親の笑顔です。誰も僕のために犠牲になっていないと思わせてくれたところが、僕の家族のすごいところです。


 そばにいてくれる人は、どうか僕たちのことで悩まないでください。
 自分がつらいのは我慢できます。しかし、自分がいることで周りを不幸にしていることには、僕たちは耐えられないのです。思いはみんなと同じなのに、それを伝える方法が見つからないのです。

 子どもが一番望んでいることは、自分を受け止めてくれる場所と、親の笑顔です。



 僕はミッチェル氏の「クラウドアトラス」の原作は読んでいないのだけど、あの「マトリックス」の監督が手掛けた映画を見て、本当に圧巻の物語だなと思った。
 何しろ、過去生・未来生にわたる人と人のつながりと、それを通じた学びについて描き出しているのだから。

 でも、それ以上に――
 稀有な自閉症の青年が日本にいて、一方でたまたまそんなバックグラウンドを持つ国際的作家がイギリスで活躍していて、その両者が出会って世界に言葉を広めるって…、そういう現実こそが、物語よりもすごいことだなと感じますね。



 結びのヒーリング・ミュージックは、Frederic Delarue「A Healing Gift to Humanity」。
  ☞ コメント:41

 
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コメント
6517
光奈さん、こんにちは。

NHKの番組、途中から見ました。
親はそのままでいい、親に笑顔でいてほしいという言葉。
とても共感し、記憶に残っています。

若い頃は桜に感動しませんでした。
40才を過ぎ、アトピーやリバウンドで体調を崩し実家に戻って
桜の美しさを実感しました。

でも桜を見ると物悲しさ、切なさを感じてしまいます。
わあキレイ、だけでは受けとめられないし、じっくり見られません。
宴会はしませんし、これからもしないでしょう。

とはいえ、桜の季節、桜の下の散歩をとても楽しんでいます。
今年も咲いてくれてありがとう、今年もお花見できてよかったな
という心境で歩いてます。今年も歩きます。

明日は新宿の桜を楽しむ予定。友人とのおしゃべりに夢中になって、
お花見どころではなくなりそうですが(笑)。8年ぶりのおしゃべりなので。

6518
はじめまして。
今日も、いいことを教えていただきました!
ありがとうございます!

6519
多分・・・
「桜にもののあわれや寂しさを感じる」という日本人は多いのではないでしょうか。私の思うに、風に沢山花びらが散るからだと思いますが。(桜の花びらがしっかりしていて、ちょっとやそっとの風では散らなかったらそう感じる人は少ないのでは)
日本は4月が新年度なので、桜の咲く季節は色んな別れが重なりますし、桜の花が散る事と別れを重ねて見ているのかも。日本が9月始まりだったらまた少し違うかもしれませんね。
私はあまりそういう事は感じないのですが、気持ちは分かります。


6520
日本的な感覚を感じます
>また、あらゆるものには「美しさ」があって、その美しさを「自分のことのように喜ぶ」というのは、本当に素晴らしい体験であり、この世界との大切な向き合い方だなと思う。・・・

〇あらゆるものに神というか美というか、そのようなものを感じ、自分自身が自然の一部のように感じる感覚、それが著者の解説と東田さんの詩に感じられます。
 菜園で野菜を育てるときの感覚、発芽やその生長に感動する感覚も同じようなものではないでしょうか。その当たり前の心の感動を東田さんは詩で素直に表現しているように感じます。
 草々

6521
こんにちは!
桜の花々を大好きなのに長く見続けることが出来ない、また「原罪」のようなものを感じる、という少々後ろめたいような気恥ずかしいような現象(感覚)については、きっとそれを創造された神の愛が大き過ぎてその愛を受け止めきれないというような直観的感覚的感想なのではないかなぁと私は思ったりしています
大満開で一気に咲き誇る桜の圧倒的な美美美の超絶パワーに気圧されるでしょう
花弁は繊細なのに、それとは対照的な咲き方が素晴らしい
ちなみに私は、道端の草一本の緻密、且つ繊細なる創られ方を見ても神の愛を感じて卒倒してしまいそうな超感動!を味わうんですよ~
そういうときは、「神様!素晴らしいです!!有難うございます!この地上に生かされてて良かったー~!!」このようにひとり心中で感動に打ち震えるわけです
草一本で感動出来るものですから、随分とリーズナブルな者でありますが、神様も創造物を愛で喜んでいる者を見られて「創造して良かった!!喜んでくれるかい!」と互いに歓喜の愛の心情空間をその瞬間には共有出来るのではないかと思います!
何だかこちらのブログに来ますと、コメントが光奈さん流な?表現の仕方になりますね~(笑!)
知らず 影響受けているんでしょうね!










6522
吉田無ーん様

 こんにちは!

 そういえば僕も、花見の宴会は一度もしたことがないですね…。以前に勤めていた会社でもなかったですし。

 もうアルコールを飲むこと自体をやめたので、今後もする機会はないでしょう。

 しらふで見る世界のほうが絶対にきれいですし、しらふで人と語り合うときのほうが圧倒的に楽しく感じます(アルコールを飲んでいた当時は、そのようには考えませんでしたが…)

6523
あまがい繁子様

 コメントを有難うございます!
 気に入ってくださって、嬉しく思います!

6524
Clary Sage様

 こんにちは!

 ソメイヨシノは、咲き方も散り方も特別ですよね。
 この時期は春の嵐がよく吹くし、見ごろは2、3日しかない。

 サラリーマンをしていたときは、桜は通勤途上で目にするものでした。
 「満開」と「好天」と「休日」が重なることって、日食や月食ほどとは言わないまでも、本当になかなか起こらないです…。

6525
ささげくん様

 こんにちは!

 野菜を育てるのは、まさに自然の見えない力との共同作業ですから、そのような感覚もあるのでしょうね。

 ほかではなかなか味わえない、大きな楽しみの一つだと思います。

6526
ささげくん様

 こんにちは!

 本来ならば、桜の花に限らず、世界のあらゆる現れに圧倒的なすごさがあるのでしょう。
 チベット仏教のマスターのチョギャム・トゥルンパも、「色(しき)」について以下のように語っています――

 「花を見るとき、その色彩は、ただ花を認識することを遥かに超えた、壮大なメッセージを運んでくる。『色』に含まれる深い意味が、私たちを今にも飲み込みそうな力強い勢いで、伝わってくるのだ」

 「満月の光も、大都市のゴミの山も、すべてはあるがままのものだ。あらゆるものが同じであり、『色』であり、ただ在るものだ。それらに付け加える評価は、後から私たちの心の中で作られたものでしかない。もし真にありのままに見るならば、それらはすべて『色』である」

6527
桜を見ながら・・・
こんにちは 私は港区にある青山霊園の桜が好きです。それこそ昨日、10歳になる甥っ子を連れて堪能してきました。
甥っ子は優しい子でユニークな個性を持っています。専門機関を受診させたことがないので、その個性をとらえるための診断はされていません。文字、時計などが読めず会話もあまり得意ではありません。
特に時間についてはその概念が理解出来ない、いつでも「今」しかないのです。
(スピ的にはおもしろい)
レゴと絵を描くこととロボットが大好き。家族や自分の周りの人達を描くときは必ずロボットになっています。彼と過ごすときにいつも思うのはどんなときも全身全霊でその時を楽しんでいるな・・ということです。昨日も桜を見に行くよというと躍り上がって喜び、地下鉄の中でもこちらがしっかり押さえていないとならない程。霊園でもずっと喜び勇んでかけずり回っていました。その姿が微笑ましい反面、やはり気になるのは将来のことです。社会生活が難しいであろうことは公立の小学校に通っている今の姿から安易に想像出来ます。
テストは当然いつも0点
今年に入って担任からは養護学校への転入を強くすすめられました。
それを断ると、区の教育委員会で知能テストをうけさせられ、結果は「測定出来ない程の知能の低さ」とのことでした。
でも、甥っ子の両親の考えは普通小学校にこのまま通わせたいということで、私も賛成です。いろんな人間がいて社会だと思うから。一定の品質を持たない人間は排除!というのは健全な社会ではないとおもうから。
私はその知能テストにもやや違和感を感じています。私たちの目には決して甥っ子は(数字に表せない程の低い知能)とは到底思えないからです。

桜の下で喜びを全身で味わっている甥っ子を見ながら、そんなこんなを考えながらのお花見だったのですが、東田さんの言葉には勇気づけられました。感情を言葉にできない甥っ子でも、私たちが無条件にただ愛するだけで、彼にとってはOKなのですね。彼の将来をあれこれ思い煩うなんてナンセンス?かもしれないと昨日の桜を思い出しながら今日の記事を読みました。ありがとうございます。(長文ですみません)


6528
 東田さんの紡ぎ出す言葉はとても美しく、愛に溢れた温かさと東田さんの秀でた個性をを感じます。私も感動しました。

6529
時間についてたまに思うのが
「もし、この世界に時計もカレンダーも無かったら、時間についてどう感じるだろう?」という事です。

日は昇って、日が落ちる。月の満ち欠けはある。季節も巡る。でも「今日は2015年3月31日だ。(別の暦ではそれぞれ違う数字になりますが)明日は2015年4月1日で、去年の2014年4月1日はこういう事があった。一昨年の2013年5月3日にはどこそこに行った」という思考が無かったら。
時計も無くて、「何時何分」という観念が無かったら。

多分、「今」しか存在しない、という感覚がもっと鮮明になるだろうな・・・と思います。
Fujiwaraさんの甥子さんは、カレンダーも時計も存在しない世界に生きているのかもしれませんね。

6530
まさに、カレンダーも時計も認識していません。そしてその時々の生を余すことなく味わい尽くそうとでもするように楽しんでいます。そんな彼を私たちはうらやましく思ったり、行く先々を心配したり、本当はしかるべき教育機関(それもどこか違うと感じていますが)で特別なプログラムを受けさせた方がいいのかとちらっと迷ってみたり・・本人の笑顔をみるとそれもまた的外れな気もして・・・今日の記事で、やはり甥っ子が笑顔で過ごせることが一番なのだと、確信を持つことができたような気がしています。

6531
祖母がいつも道端に咲いている草花を、小さなジャムの瓶とかに飾ってました。

薔薇とか百合とか、大型の花が好きな母からは
「そういう貧乏くさい草花は部屋に置かないで」と叱られてましたが (笑

でもいつも祖母が
「見てごらん!こんなに小さいのに一つ一つを見るとすごく綺麗でしょ〜。
薔薇や百合だけが花じゃないのよ。
全てにそれぞれの美しや素晴らしさがあるんだから、それが発見出来たら人生がいっぱい良い事だらけになるわよ〜」って。

そんな祖母はガンで亡くなりました。
ガンで肺の20%しか機能しておらず、直接の死因は壊死でした。
同居でしたが、みんなとおしゃべりしたり笑ったりと元気だったので、その10日後にそういう状態で亡くなるとは夢にも思いませんでした。

そして49日が終わった夜、みんなで祖母の思い出話しをしていると、27年ぶりにつぼみをつけたサボテンのつぼみのひとつが突然咲き、ポロっと落ちました。
亡くなる数日前に
「窓の外から亡くなったお父ちゃんやお母ちゃんやおじいちゃんが手を振っている〜」
って言ってたので、ちゃんと旅立ったサインだったのかもしれないですね!

6532
Fujiwara様

 コメントを有難うございます!

 時計が読めないということは、甥っ子さんは発達障害でいらっしゃるのでしょうか…

 スピリチュアル分野に詳しい人の話で――、発達障害は社会生活上では障害とされるけれど、実は純粋な魂が本来の性質を持ったままこの地上世界にやって来て、この粗っぽい波動や古い習慣に馴染めずに当惑しているのだ、とも言われます。
 彼らがここにいることによって、地球の意識を引き上げているのだそうです。

 本当はどうなのか僕には分かりませんが、でも確かにそれは一理あるなと感じますね。
 そもそも時間というのは存在しないわけですし、自分の喜びを押しつぶして社会の常識や枠組みに順応していく方が、むしろどうかしているのかなとも考えます。


 ちなみに東田さんは、小学校5年生まで親に付き添われて普通学級に通われたそうです。
 親も学校も周りの生徒たちも色々大変だったろうと思いますが、それがあの表現力につながったのだとすれば、世界にとって素晴らしいことです。

6533
mugi様

 こんにちは!

 東田さんの文章を読むだけでもすごいなと感じるのですが、映像で見ると、本当に会話のできないし、普通の日常生活もできない、重度の自閉症なんですよね…。

 「目に見える姿がその人の本質ではない」ということを、心底から思い知らされてしまいます。

6534
桜は、確かにキレイなだけではない ものがなしいっていう感覚 結構みなさん もっているんですね。
自分だけかと思っていました。
自分が春になって不安定な心身だったり 新年度でいろんなことが慣れなかったりで そのせいでいつも なんか桜を見ると 悲しいのかと思っていました。

私は共感覚というほどではないけど、子供のころは いろんなものに対して勝手に色で変換していました。
たとえば、私の誕生日は3月8日ですが 3は緑で8は紫という感じです。
法則は 自分でもよくわかりません。
大人になってからも キレイな色の組み合わせが好きで、カラーコーディネーターの勉強をして資格もとりました。

東田さんの表現と感じていることには すごく 感銘を受けました。
その番組、私も見たかったです。
色そのものになるとは、どんな感じなのでしょう。

私は北国に住んでいるので、桜はまだ咲いていません。
今年の桜は 余計なことを考えずに 思いっきり色を感じてみようと思い立ちました。
桜、早く咲かないかな。
すごく、楽しみになってきました。

6535
いつも素敵な文章をありがとうございます。
実は、春の桜は働いているときの私にとって一年の仕事始めの本当に忙しいつらい時期だったので、大嫌いでした。そのころゆったりと桜を眺めてたのしむ心の余裕は微塵もなく。でも、もしかしたら心がざわざわとする『不思議なつらさ』も手伝っていたのかなあと。
今まで、日本中誰もが愛しているのだろうと思っていた満開の桜を好きになれなかった自分になんとなくうしろめたさを感じていました。すこしほっとしたというか、桜を眺めるのがらくになった...そんな気がしています。私も東田さんの言葉がすきです。

6536
Clary Sage様

 こんんちは!

 僕の場合は、サラリーマンを辞めたのに伴って、名刺と手帳がなくなったことが本当に嬉しいですね。
 「自分が何者か」「何をやるべきか」を規定する象徴がなくなったわけですし、その生き方のほうが自分にとってとても自然です。

 時計とカレンダーは今も家にありますけど、息子が独立するタイミングにでも撤去したいなと考えています。

6537
ムーミン様

 コメントを有難うございます!

 ご祖母さまの美意識は素晴らしいと思います。日本の茶道も、まさにその感性ですよね。

 急逝なされたのは残念ですが、最後まで家族と楽しい時間を過ごされたのは、むしろ何よりだと思います。
 旅立ちのサインを残されたのも、すごいですね…。

6538
ウーロンパンダ様

 こんにちは!

 桜を目にしてもの悲しく思う感覚を、色んな人が持っているということが、本当に驚きですよね…。

 それを表現してくれる人がいて、その思いを互いに共有していることを知ることも、この世界を生きる喜びのひとつだと感じます。


 ちなみに東田さんのNHK番組は、以下の動画サイトで見られます(1時間の番組が、3つに分割してアップされてます)

https://youtu.be/Eq_yb_y4MjM

6539
nagarerukomo様

 こんにちは!

 そうなんですよね。サラリーマンにとって年度末の桜の時期は、ものすごく忙しくてストレスに押しつぶされる時期ですよね…。

 僕も自身も会社勤めをしていたころは、駅前での待ち合わせの時間などに、「あ~ぁ」とため息交じりに桜の木を目にしていました。


 「日本中誰もが愛しているのだろう」という自分の思いが勝手な誤解で、実は多くの人が複雑な感覚を抱えながら向き合っているのでしょう。
 桜の花に限らず、たとえば家族関係とかにも、同じような誤解の一面はあるのかなとも思います。

6540
さくら
毎回楽しみに読ませて頂いています。
光奈さんの書かれる記事の内容・文章の完成度の素晴らしさに、毎回ひとり心の中でスタンディングオベーションを送っています!

東京は満開のさくらが咲き乱れる季節なのですね。
私も、うわぁ!素晴らしい!と感動する心の奥底で、なにかキュッと締め付けられるような切なさがあります。

諸行無常の理を、細胞レベルで知っているでしょうか?
流転していく物事の様、いのちのあり方を、内奥でしっかり受け止めているからこその切なさのような気もします。

『クラウドアトラス』、壮大で素晴らしかったですね。
受け付けない人にとっては、なんじゃこりゃ??だったようですが…
家のDVDで何度かじっくり観ているうちに、その素晴らしさがどんどん深まっていきました。
ソンミのスピーチは、もう涙で涙で大変でした。

これからも、記事の更新、心より楽しみにしております。
ありがとうございました。

6541
Ayu様

 コメントを有難うございます!

 映画「クラウドアトラス」は、僕にとっては屈指の大作だと思います。面白かった映画のトップに挙げてもいいくらいで、以前にブログ記事でも感想を書いています。

http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-238.html


 ただやはり、6本のストーリーが同時並行するという構成は、普通の映画を見る感覚ではとてもついて行けない…。

 僕は、各ストーリーの配役とあらすじとをネットからプリントして、それを手元に参照しながらレンタルビデオで見ました。
 もし劇場で見ていたら、お手上げです…。

6542
言葉で表現しにくかったですが
桜に対してのそういう思い 感じてたかもしれません、
出会いと別れが重なる季節に そういう人の思いを知ってか知らずかただ美しく咲き誇り散っていく桜・・・
人の心情を写す花でもあるのでしょうね。
その桜の印象がすこし変わったのは震災の時でした。
震災の翌年、いつものように変わらずに桜が咲いたときは
ほんとうに感動して、ひとつひとつの花が輝いて見えて
希望の灯火のように思えました。、
人間の彷徨う心とは裏腹に、どこか超然としてる自然の姿は
真実を教えてくれてる気がして、力をいただいたのでした、
忘れかけてたそういう想いを思い出させてくれてありがとうございました。

東田直樹さん 存じ上げなかったです。
とてもこころに響く言葉に涙がこぼれました。
こちらのブログで知ったことを時々拙ブログでも紹介させていただいてよろしいでしょうか。 

6543
初めまして。
いつもご訪問ありがとうございます。
そしていつもブログ楽しませていただいています。
東田さんの「満開の桜」
どきっとしました。
桜を見ると涙が出る自分が不思議でした。
太刀打ちできない自分がいるんですね。

6544
kotorin様

 コメントを有難うございます!

 震災の年の秋に福島に行ったのですが、荒地になったところに野草が花を付けていて、「自然の復旧は早いものだな…」と思いました。

 ブログの紹介などは、自由にしていただいてまったく問題ございません。

6545
メロンボール様

 初めまして。コメントを嬉しく思います!

 メロンボールさんは香港にお住まいですよね。桜のソメイヨシノは沖縄でも咲かないくらいですから、香港ではさすがに無理ですよね…。

 「太刀打ちできない自分」って、本当にそんな感じがします。
 あの開けっ広げなまでの生命力と美しさは、こちらとしては何ひとつできないくらい、圧倒的です。

6546
もう少しだけ甥っ子の話を・・・
甥っ子のことでは毎日のように学校から母親に電話がかかってきます。
色々やらかしているようで私たちは彼の自由さをおもしろく感じているのですが現場の教師にとっては「たまったものではない」のでしょう。それを思うと学校側には申し訳ないです。
私が好きな彼のエピソードがあります。
幼稚園の運動会で徒競走の時、彼は先生に「なんで走るの?」と聞きました。その先生は一瞬戸惑いましたが「ごめんね、大人がそう決めたの」ときちんとお話ししてくださったそうです。彼は「そっか、じゃ僕は走らない」と言い(これほど流暢には喋っていませんがそういったニュアンンスの言葉を発したそうです)皆が見つめる中、最後までゆっくり歩いてゴール。見守っていた人達からは温かい拍手を頂きました。
でも、それが許されたのは幼稚園までです。
東田さんは五年生まで親御さんの付き添いで登校されたのですね。6年生からは一人で登校されたのでしょうか?
先日も、学校の入り口で親と別れたのですがてっきり入っていったと思っていた甥っ子が実は登校していないと分かり大騒ぎになりました。
下校時刻になにくわぬ顔で帰宅して来たため大目玉でしたが・・・
一日、どこで何をしていたかを知ることはもちろん出来ません。
今まで存じ上げていなかった東田さんの成長の記録などを知ることが出来れば、私たちの何かの指針になるかも知れないと思っています。

6547
シュタイナー学園やモンテッソーリ教育などもありますね。
漫画「美味しんぼ」の雁屋哲さんも、オーストラリアで子供たちをシュタイナー学園に通わせたそうです。(「シドニー子育て記 シュタイナー教育との出会い」という著書があります)日本で学校法人になっているのは、神奈川と北海道にある2校だそうですが。

黒柳徹子さんも、「問題児」として小学校1年で退学になり、その後トモエ学園に行って凄く良い校長先生と出会ったんですよね。

そういう選択肢もあるのではないかと思います。


6548
光奈さん、こんにちは。

昨日新宿御苑の満開の桜を見てきました。
友人が満開のソメイヨシノは無数の目が睨んでいるようでコワイ、
と言ってました。確かに。

満開のソメイヨシノは造花のようです。無機質なものを感じます。
同時に自然の力の偉大さを感じます。
桜は遠くで眺めるのが一番かもしれません。

昨夜テレビをつけたら、ダウン症の書家、金澤翔子さんが出ていました。
私も絵手紙の文字で般若心経を書いてみたくなりました。

6549
別世界と激変
昔はタバコの煙が充満し、声が出なくなったことがある
味わい深い新宿の老舗喫茶店が、禁煙になっていました。
客層も変わり、中高年の主婦をされているような女性が多かったです。

そこで友人を取り巻く人々の話しを色々聞いたのですが、
まるで別世界のようでした。
家族のこと、仕事のことでなどで、様々な苦労をされています。

そんな人生を自ら創り上げているのですよ、とは言えませんでした。

たった1年で転勤となった妹が、去年まで住んでいた社宅に戻ることに。
その社宅がとんでもなく激変していたとのこと。
新築マンションのようになり、部屋数も増え、設備も整い、快適な住居に。
かつての社宅を知っている私もびっくりでした。

昨日友人に、これからいい世界になるとしか思えない、と言ってきました。
さて、その言葉を彼女はどう受け止めたでしょうか。

6550
そうです。まさにあの(今は亡き)「トモエ学園の校長先生」をさがすべきなのか、あるいはそのまま、あるがままの環境で育てる方が良いのか? を、現れてくる事象に解釈を加えることなく受け止めながら見守っていきたいと思います。

東田さんのドキュメンタリー、涙を流しながら見ました。
私自身が「なぜ?」という涙でしたが、多分嬉しかったのでしょう。
甥っ子の気持ちを解説してもらったような気がしたからかもしれません。

6551
Fujiwara様

 こんにちは!

 甥っ子さまのお話し、周囲にはもちろん大変なことですが、本当に自身に素直に生きられているように感じます。


 東田さんは小学6年以降は、養護学校、通信制高校という経歴のはずです。ホームページに出ていると思います。

 東田さんは、自閉症の子供たちの「代弁者」とも呼ばれています。
 ただそれについて、自閉症の子を持つ親の方から「彼の言葉はあくまでも個人の思いであって、すべての自閉症に当てはまるわけではない」という、やや批判的な見方もあります…。

 こうした本も見ながらも、実際にその子と接し、ふさわしい見守り方をしていくのがやはり大切なのでしょう。

6552
Clary Sage様

 こんにちは!

 最近は学校のほかにも、発達障害の可能性のある子供たちを対象にした、放課後デイサービスなども民間で始まったりもしています。
 だんだんそういう環境が整っていくだろうと思います。

6554
吉田無ーん様

 こんにちは!

 ソメイヨシノは「交配種」で、もとから自然界にあったわけではないんですよね。
 種子での自然繁殖ができないため、各地にあれだけある木はすべて人手による接ぎ木などで増やしたものだそうです。

 だから、自然でありながらも、不自然な要素もあるのでしょう…。  

6557
魂がゆさぶられるほど好きなもの
桜を見ていると、なんだか胸がいっぱいになってしまうのです。
 繰り返す波のように、心がざわざわとかき乱されてしまいます。


これは、、、よくわかりました。

原罪ということはわたしは感じませんでした。

好き だからなんだろうなと。

単純に ものすごくものすごく、魂を揺さぶられるほどに好きだからなんだろうと。

人でもなんでも、 わたしの魂が揺さぶられるほどに好き、理由もなにもまったくなく、ただただ心惹かれるものを目の前にすると

わたしはまったく同じ気持ちになります。


6558
光奈さん、こんにちは。
拍手でドクダミが出たので、コメントします(笑)。

私は桜よりドクダミの花が好きです。
なぜか心がスーとするのです。ずっと見ていると心が落ち着きます。
ドクダミの花びらの白色の美しさ、花びらの可愛らしさが好きです。
さらに、花の全体の形が面白くて気に入っています。
ドクダミというネーミングもいいですよね。

ソメイヨシノは交配種でしたか。
自然の偉大さだけではなく、人工美も含んでいたのですね。
私は散った桜の花びらを見ると、桜って可愛いなと思います。

人によって好きな花が違う。素敵なことですよね。

6561
Maryam F D 様

 コメントを有難うございます。

 桜の美しさは、本当に多くの人が好きで心惹かれるものだと思います。
 好きな絵や、素敵な景色を目にしたときは、これほど心を揺さぶられてかき乱されてしまうような感覚まではない…。

 それくらい、桜から感じることって、特別なものだろうと思います。

6562
吉田無ーん様

 こんにちは!

 ドクダミは薬草ですよね。
 幼い子供のころ、すり傷をしたとき、母親がドクダミの葉をもんで貼ってくれたのを覚えています。

 あの強い香りをかぐと、よく思い出します。

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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