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 ここ数日、息子の学校のPTA役員会や家の雑事など、何かとせわしい日々が続いたので――、それらが一段落した昨日、気分転換に多摩川と玉川上水をウォーキングしてきました。

 「玉川上水」は、江戸の飲料水不足を解消するために開削された、古い手掘りの人工水路。
 多摩川上流部の羽村というところで取水して、そこから延々40km以上も先の江戸市中まで水を引いたライフラインだ。


 ただ、それだけの長い距離でありながらも、起点から終点までの高低差はたった90mしかない。

 当たり前のことながら、水は高いところから低いところにしか流れない。
 いったん水が低い位置まで下りきってしまうと、そこから先へ進むことはできなくなる…。

 そのため玉川上水は、流れが余計に下ってしまうことがないように、「武蔵野台地」の尾根部分をつたって、すごく緩やかな勾配で流れるコース取りがされている。

 つまり、一度下ったら取り返しのつかない「高さ」を、可能な限りケチケチと少しずつ使いながら、水の流れる力が遠く江戸まで続くようにしているわけだ。


 そうした工夫によって、多摩川上流から江戸を結ぶ、一本の水路を通すことができた。
 昔の測量技術で、よくそれほどの正確な計画や工事が行えたものだと感心してしまう。


 ここからはさらに、何年か前にNHKであった(今でもあるのかな?)タモリがうんちくを語る散歩番組のみたいな、ややマニアックな話題です…。

 玉川上水には難工事のポイントがいくつかあって、その筆頭格が「立川崖線越え」だ。


 さっき、玉川上水は武蔵野台地の上を流れるコース取りがされていることを言ったけど――、もとの水源である多摩川は、当然ながら低い谷の底を流れている。

 つまり、谷を流れる多摩川から引いた水を、周囲より高い台地の上に乗っけなくてはならないわけだ。
 台地の上を流れるようにしないと、水が江戸まで到達するルートを敷くことができない。

 ところが武蔵野台地と多摩川の間には、「立川崖線」と呼ばれる高さ十数メートルの崖が、巨大な壁のように立ちはだかっている。
 もちろんそんな崖を、水が登っていけるわけはない。江戸時代だから、揚水ポンプなんて存在しない…。

 でも何とかその崖を越えない限り、水は多摩川へと戻っていってしまうことになる。


 そこでどうしたかと言うと――
 この写真は、羽村で取水して1kmほど下流に行ったところの玉川上水だ。

 左側の急な斜面が「立川崖線」で、その崖下を玉川上水が流れている。
 見てのとおり、この崖の上に水路を乗せるなんて、無理にしか思えないでしょう…。


 写真の右側の先は谷になっていて、その谷底を多摩川が流れているという形だ。

 このあたりの多摩川は、やや急な流れで下っている。川の水面の標高は、徐々に低くなっている。
 それに合わせ、実は崖のほうも、少しずつ標高が下がっていっている。


 このような自然の地形に対して――、玉川上水はできる限り「水平」を保つ形で、水路が敷かれている。
 つまり、崖のてっぺんと、玉川上水の水面は、下流に行くにつれて相対的にどんどん近付いてくる、というわけだ。

 そうして、あるポイントに来たところで、水路は左側の崖のほうに向かって、くねっと少し左カーブする…。(写真のフェンスの向こうが玉川上水)

 するとそこから先は、いつの間にか玉川上水が崖のてっぺんを流れる格好になる。

 つまりここで、水路が立川崖線を越えて、武蔵野台地の上に乗っかったのだ。
 (もちろん流れの水面の高さは変わらないから、水路の溝の掘り込みは深くなっている)


 このポイントは実に巧妙で、意識しながら歩いていても、「あれっ、どこで崖線を越えたのだろう?」と不思議に思うくらいだ。
 歩いて戻って、再度確かめてみて、ようやく「なるほど、ここね」と分かる。

 ましてや、地形のことなんか特に考えずに散歩している人にとっては、「水路が谷から台地の上へとシフトした」なんてことには、何ひとつ気づかないだろう。
 それくらい、あっという間で、違和感のない転換なのだ。


 そこから少し下流へ歩くと、見晴らしのきく場所に出る。
 谷を見下ろすと、ずっと向こうから、ザーッという多摩川の水流の遠い響きがかすかに聞こえてくる。

 そして一方の玉川上水のほうは、高台の上をゆるやかに流れている。
 2つの流れは、まるで違う次元に位置しているようにさえ思えてくる。
 ほんの少し上流で、同じところから分かれてきたなんて、信じにくい感じもする…。


 こういうのを見ると――、スピリチュアルな意味での私たちの「運命の流れ」も、こんなふうにいつの間にかシフトするのかなと思える。


 定められた人生のシナリオは変えられないと、よくいわれる。
 でもそうしたシナリオは、実は無数に並行して存在している、ともいわれている…。

 そして、「今いるシナリオを変える」ことはできないものの、「別のシナリオへと切り替える」ことは可能であるとも説かれる。


 ときに私たちの潜在的な意志によって、あるいはガイドの存在からの恩寵によって――、特に気づくことなく運命の切り替えが起こっているというのは、十分に考えられることではないでしょうかね…。

 たとえば何年か以前は、しかるべき覚者などが、世界規模の天災や紛争や経済崩壊など、相当に悲劇的な未来を語ることが少なくなかったと思う。
 眉唾な予言者でなく、以前はそういう話をしなかった人物までが言及するケースもあったから、口にせずにはおられないほど明瞭なインスピレーションがあったのだろう。

 当時の私たちは、本当にそのような運命の流れの上にいたのかもしれない。


 ところが幸いにも、そうした世界的大参事のシナリオは、今のところ現実化していないといえる。
 たぶんきっと、どこかで運命の流れが切り替わったのではないでしょうか。

 ある意味で私たちの魂は、「悲劇を経ずに進化できる道」を選び直した、というふうにも考えられる。


 そんな、「シナリオの切り替え」が起こり得る宇宙観というのは、僕としてはけっこうしっくり来る感じがする。
 私たち個人の人生のシナリオも、気付かないうちにどこかでうまくシフトしているのかもしれないし、それはこの世界に生きる面白さでもあるとも思う。
 その切り替えを、うまく自分で選択することができれば、なおさらだろう。


 もっとも、多摩川と玉川上水は、分かれたあと別々の方向へと流れていくわけだけど――、
 最終的にはどちらも、同じ東京湾に注ぐのですけどね…。



 結びのヒーリング・ミュージックは、Planetary Heart「Inner Radiance」。

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コメント
6709
光奈さんこんにちは。
久しぶりのコメントです(^^;;


玉川上水、実はよく通ります。下流?ですが(^^;;
そんな大変なことが行われていたなんて、もちろん知りませんでした。

国分寺、立川あたりからは鬱蒼とした緑になりますね。
武蔵野台地の緑の風景は、場所によって周囲の樹々や下生えの様相が微妙に推移していくので
長い距離を移動すると、色彩や空気感が変化します。

それが面白くて、以前とても長い距離を上流へ向けて休み休みランニングしてみました。
走りにくい地面もあるし、上水の地肌がワイルドだったりして、異次元の空間なのでとても好きです♪( ´▽`)


シフトの話、確かにそうですね。
意識によって、選択可能だと思っています(^_^)

6710
光奈さんが記事の中で『私たちの潜在的な意志によって、あるいはガイドの存在からの恩寵によって、特に気づくことなく運命の切り替えが起こっているというのは、十分に考えられることではないか?』と仰ってますが、確かにそのとおりだなぁと私自身の過去を振り返ってみて思います^^。

多摩川と玉川上水がそのような関係になっていたなんて、地理がまったく分からない私としては、とても面白く読ませていただきました。ありがとうございます♪


6711
ラン様

 コメントを有難うございます!

 玉川上水は、住宅の多い東京の西側を横断しているので、それぞれの地域になじみがありますよね。


 全体を通して歩いてみると、やはり国分寺市・小平市あたりが緑が豊かで遊歩道も整備されていて、特にきれいです。

 「手掘り」の生々しさが感じられるのもいいです!

6712
真知子様

 こんにちは!

 40km以上もある玉川上水は、何とたった8カ月で掘り上げたそうです。
 ピラミッドには及ばないものの、こちらもなかなかすごいですよね。

 「江戸を発展させる」という運命のシナリオが動いたのかもしれません…。

6713
運命の流れ
たしかに「川の流れ」には、人に「時の流れ」を感じさせるものがありますね。美空ひばりの生涯最後のシングルは「川の流れのように」というタイトルでした。くしくもこの歌は、彼女自身の生涯を見事に歌い上げるものでした。これも「運命の流れ」かもしれませんね。

6714
光奈さん、こんにちは。

最終的には同じ場所に辿り着くんですよね。

ゲリーさんの本に、フツーの女子高生とかが簡単に5次元にシフトできるかも
と書いてあったこと、ふと思い出しました。

すべての人はわかっているんですよね。
他人のことをとやかく言うヒマがあったら、自分を見つめないと。

母の部屋を納戸にして、床の間(仏壇のある部屋)を母の部屋にすることに。
プチ引っ越しを近日開始します。スッキリ度が高まりそうです。

6715
前にも書いた事がありますが
「流れのシフト」というと、90年代の数年間を思い出します。
その時期、「何だか分からないが、とにかく今、方向性を変えないとこの世界はまずい方向に行く(気がする)。流れを変えるよう少しでも力を貸さないと」という感覚がありました。
当然誰にも言う事は出来ませんでしたし、自分でも全く半信半疑でしたが、あの妙な緊迫感は後にも先にもあの時だけでしたね。
後にダニオン・ブリンクリーの本で、高次の存在が「第三次世界大戦に向かうかどうかを決定する時期」と言っていたという時と大体重なっているのを知って、「やはりあの感覚は正しかったのだろうか?」と思いましたが。

あの時流れがシフトしたのが事実とすれば、数千万人、数億人、それ以上の人達が在り方を変えたり、気付きを深めたり、愛ある行動をしたおかげだと思いますが、確かにこういう事は玉川上水のように気付きにくいものだと思います。
これからもきっとそうでしょうが、出来る限り多くの人が、なるべく良い方向にシフトするよう望む事は凄く大事な事だと思います。

6717
あおむし様

 こんにちは!

 部屋の移動はいいと思いますね。
 伊勢神宮や出雲大社の「遷宮」のように、動かすことによって滞っていたエネルギーが刷新されるのではないでしょうか。

6718
wonwon様

 コメントを有難うございます!

 僕もなぜか「川」にとても引かれるものがあるんですよね。
 ブログでも「海」や「山」について書くことはあまりないのですが、「川」については色々と頻繁に書いている気がします。

 荒川や江戸川の河川敷にも、電車に乗ってよくウォーキングに行ってます。
 利根川までは、まだ足を延ばしたことがないです…。

6719
Clary Sage様

 こんにちは!

 ソ連崩壊や湾岸戦争などを言い当てたダニオン・ブリンクリーの一連の予言が、90年代の途中からまったく当たらないようになったのは、まさにシナリオが切り替わったためだと僕も思います。


 あと、大規模な自然災害にも、シナリオの切り替わりがあるのではないかと考えています。

 不思議研究所の森田健さんが語っていたのですが――
 もし東日本大震災で亡くなった方の人生を前もって占っていたとしたら、はたして全員に「2011年3月11日に亡くなる」という結果が出ただろうか?…、という疑問です。
 森田さんは「占いにはそのような結果は出ないだろう」と明言しています。

 つまり、それまでは運命のシナリオにはなかったのが、どこかでにわかに「大震災が起こる」というシナリオへ移行したのだろうと思います。

 もちろんこれは、人々が悲惨なシナリオを選んだわけではなく、まさに計り知れない「天意」のようなものなのでしょう…。

6721
こんにちは♪「ある意味で私たちの魂は、「悲劇を経ずに進化できる道」を選び直した、というふうにも考えられる。」この文章にすごく感激し、また共感しました(*´▽`*)いつもそうでありたいです。


大震災の天意…わたしはクリスチャンではないのですが、バベルの塔のようなものに感じました。東北在住なので、今になって思うことですが。あそこでおきなければ、もっとひどい方向へ突き進んだかもしれないと、漠然と感じています。


余談ですが、わたしの大好きなドリーン・バーチューの天使のオラクルカードでは、つとめて平静に、楽観的でいましょうというメッセージが多いです。

というのも、こうなったらいやだな、こわいな、なんて考え続けていると、天使が「このことばかり考えているから、かなえてあげよう」とかなえてくれちゃうからだそうです!
肉体を持ってこの世界に誕生したことのない天使ならではの考え方だそうで。

おもしろいなあ♪と思いつつ、意識的に明るい方へと物事を考えるようになりました(*^^)vこれがわたしにとっての「シナリオの切り替え」であればいいと願ってます◎

ありがとうございました♪

6723
メイドインラリエル様

 コメントを有難うございます!

 「もっとひどい方向へ突き進んだかもしれない」というのは、色んな出来事についてそう思います。

 日本が敗戦していなければ、きっと軍国主義一色の国になっていたに違いないでしょう。

 また、世界には人類を何度も全滅できるほどの核兵器がありますが、それが何とか使われずにいるのは、やはり日本の悲惨な被爆経験があるからだと思います。


 ひどい出来事でも、さらに最悪な方向に突き進んでしまう流れを切り替える働きをしているのではと、よく考えます。

6725
光奈さん、こんにちは。
部屋の移動がほとんど外出しない母の気分転換にもなりそうです。

東日本大震災で震度6弱を経験したわけですが(茨城県日立市在住)、
東北と北関東で起こったことの幸運を感じました。
福島原発は大変なことになりましたが、そこにも天意を感じます。

長い間、東京で大地震が起こらないようにと願っていました。
311以降、その思いも変わり、東京で起こるのもよし、です。
この世界に起きることは全部天意であると思えるからです。

とはいえ、大災害や戦争によるシフトを選択しない人類、を願っています。

6726
あおむし様

 こんにちは!

 東日本大震災は、本来は関東大震災と同じ震源の「相模湾沖」でも起きるはずだったのです…。

 ところが、震災の1年1日前の「2010年3月10日」に、鎌倉の象徴である鶴岡八幡宮の樹齢千年の大銀杏が、強風によって突然倒れた。

 鎌倉時代からずっとある立派な御神木が、どうしてこのとき根元からばっさり折れて倒れてしまったのか?


 実はこれによって、震災のシナリオが変わった。
 古代中国の陰陽五行では、土(地震)は木によって剋される。
 1年1日前というタイミングも、シナリオを変える数秘術的な意味があった。

 守護の大銀杏が倒伏してシナリオが切り替わったことで、東京・神奈川での大震災はこのとき避けることができた。


 ――というのが、僕が勝手に推測しているファンタジーです。

6727
幸運かどうかはちょっと、いやかなり微妙かな~・・・
私も原発事故が起きたのには意味と理由があると思いますが、どちらかと言えば東京直下地震の方がましだったろうと個人的には思います。
何しろ東京には原発が建ってませんし。
地震や津波による死傷者は都市部の方がずっと多いでしょうが、建物とインフラはどうにかなっても、放射能だけは現時点の技術ではどうにもならない。

広島・長崎の原爆投下でも、投下の瞬間に亡くなった人より、その後に亡くなった人の方がはるかに多いと言われます。(チェルノブイリを見てもそうです)
チェルノブイリ事故ではまともな対応をしましたが、それでもあれだけの死者や病人が出ている。事故が首都圏という一番人口の多い場所からそれほど離れていない場所で起き、しかも「どーしょーもない」対応をしている日本の人口が今後どのくらい減るのか、想像も付きません。

私も原発事故は天意だと思いますし、しかもいくつか奇跡的な事があり、数千万人が即時避難するという事態に陥らなかったのも天の助けだろうと思います。しかし「幸運」とはとても思えないですね。

6728
Clary Sage様

 こんにちは!

 「あの原発事故をきっかけに、日本が世界に先駆けて大きく変われたのだ」と言えるようになればいいのだけど…、なかなかそう一筋縄には進んでいかないものですね。

 でもブログ記事の最後に書いたように、どのようなシナリオを進んでいっても、最終的には同じところに行き着くのだと思っています。
 そこから振り返ってみると、私たちがふだん考えている運・不運というのもきっとないのでしょう。

6729
隠れた魅力? (^^♪
初めまして

いつも 有難うございます。
記事とは直接関係ありませんけど
koudaiさんは イラストも
描いてらっしゃる? 素敵です。

6730
玉川上水は小平から東に向けてよく通りますが、
立川の方にそんな場所があったなんて知りませんでした!
他の地域はわかりませんが、
小平から小金井にかけてはお天気の良い日でも歩道を通ってる人が少ないんです。
たまに息子を乗せて自転車で小金井公園まで行きますが、
30分の道のりがあっという間に感じられる、
そんな道のりで、
なんでみんなこの道使わないんだろー!もったいないー!って思います。
(たぶん周りに何もないからだとは思いますが…)
ずっと同じような風景なのに、飽きなくて、不思議です。
なんだかずーっと自転車こぎたい気持ちになるんですよね(*^_^*)。
機会があれば、光奈さんのおっしゃる場所にも行ってみたいです☆。

6731
流れ
いつも素敵な記事をありがとうございます!

こちらを読ませていただくようになってから、その時に意識していることが記事になっていることが割と多くあります。共感や参考やらとても感謝してます。今回の記事も人生の流れがシフトしていることを感じていたので、自然の川の流れのお話しと重ねられた内容はとても面白かったです。深い実感に繋がりました!

6732
光奈さんのファンタジーが現実になってよかったと思いました。

私は茨城の実家に戻ってから、
大地震が東京で起こるなら茨城で、と願いよく言葉にしていました。
(茨城の皆さん、ごめんなさい)

2010年頃は東京には(茨城にも)大地震は来ないのだと思い込むように。
光奈さんのファンタジーの影響を受けていたのかもしれませんね。

亡き父の実家は福島原発事故により大きな影響を受けました。
つらいことも多かったと思いますが、
事故の賠償金を家族全員で受けることになりました。
福島に住む、父の姉(90歳)、兄、親戚の皆さんは
その後も全員元気にしています。そんな中、我が母はガンに。

母はシフトできるのかと以前はよく考えていましたが、それは母の問題でした。
母と平穏に暮らせる現在。満足しています。

6733
今、考えても詮無い事ですが・・・
もし、東日本大震災が起きる前に多くの人たちが気付いていたら。或いは「2011年3月11日に大地震が起きる」「2011年春頃(3月~5月)大地震が起きる」といった”予言”が広まり、非常に多くの人がそれを意識していたら。
地震は起こらなかったのだろうか?(その場合、「全くこういう予言は当たった試しがないな!」と皆がぶつくさ文句を言っていたでしょうが・・・)
それとも、全然関係ないのか?

何とも分かりませんが、もし関係があるとしたら「気付いている事」「発表する事」は本当に大事ですね。
多くの人が(私も含め)もっと鋭敏になるべきなのかもしれません。

確かに最終的には同じ所に行き着くのだとは思いますが・・・この世界全体的にも、個人的にも、出来るだけ「悲劇を経ずに進化する道」を選びたいものです。

6734
そらまめ様

 初めまして。コメントを有難うございます!

 絵を描くのは好きですね。学生時代は夏休みに、スケッチブックを持って北海道などを旅しました。
 サラリーマンになって以降も、自慢ではないですが(自慢ですけれど…)二科展のデザイン部門で2度入選したことがあります。

6735
実輝様

 こんにちは!

 いい地域にお住まいですね。
 あの辺りは、大きな建物やコンビニなどもなく、「ここが東京?」と思えるような広い畑が残っているのも素敵です。

 現代でさえそんな感じだから、玉川上水を掘った当時は、本当に何もない原野だったのでしょう…。

6736
モカ様

 こんにちは! シンクロできて嬉しく思います。

 「ちょうど思っていたことがブログに書いてあった」というコメントを、ときどきいただくことがあります。
 一方で書いている当人は、「どうして今回はこのテーマなのだろう?…」と不思議に思いながら書くこともよくあります。

 おそらく「読み手の思い」のほうが先にあって、その波動のようなものが書き手の伝わってきてブログを書かせているのでは、なんてことをよく考えたりしますね。

6737
あおむし様

 こんにちは!

 あのファンタジー、「相模湾沖でも起きるはずだった」と書いたように――、「東京近郊の大地震も同時に起きるはずだったのだけど、そちらのほうはキャンセルされた」という意味です。
 「東京で起きるはずだった地震が、ほかの地域に転嫁された」というわけではないです…。

 地震や噴火は、蓄積されたエネルギーの放出ですから、いつか起こらざるを得ないものでしょう。
 いわば「守護」と「必然」とが、タイミングを計っているのだろうと思います。

6738
Clary Sage様

 こんにちは!

 人々が意識することによって、シナリオが切り替わるというのは、きっとあると思いますね。

 ただ未来予想の中には、どちらかといえば不安を煽るだけの情報がずいぶん多い…。
 不安や恐怖、世の中への不信や怒りの観点からそうした情報をとらえないことが、多くの人にとってまずは大事だろうと感じます。

 原発問題の今後についても、同様のことがいえるでしょう。

6739
光奈さん、こんにちは。

確かに、相模湾でも、でしたね。もしそれが現実になっていたら、
まさに日本沈没的な超大災害となったことでしょう。
それでも日本はきっと再生の道を歩み始めた、と思えます。

光奈さんは、やはり絵が得意な方だったのですね。
私のライフワークである絵手紙は技術より心が信条ですが、
急に勉強したくなり、図書館で関連本を5冊も予約してしまいました。

蓄積されたエネルギーと言えば、人間にとっての病気もそのひとつですよね。
内なるエネルギー、病気以外で使っていきます!

6740
>眉唾な予言者でなく、以前はそういう話をしなかった人物までが言及するケースもあったから

眉唾じゃない人物も含めてまだヒヨコだったということじゃにでしょうか。
世界が滅ぶといっていた連中はどこかで自分より上の存在を受け入れていた。
自分の無力を諦めていた。
でも、それを言葉とすることで諦めきれていない自分に気が付いた。
アニメの中にこんなのがあったはずです。
色んな神がケンカしてる状況で一人の神が少年に言うんです。
許せるのか?この不条理を。と。
すると少年は応えました。
許せるわけがあるか、誰であろうと俺のものを奪う奴は許さない、と。
すると、その少年に力を奪われた神は最後の力を明渡します。
そして、少年にいいます、それでこそ神殺し(神から力を奪った盗人)、だと。

それと同じことが色々な形でその予言者たちにあったのだと思います。
自分から奪うものは神すら許しはしない。
ヒヨコだった覚者達も月日につれ自分の翼で空を飛ぶようになった。
自分の世界に自分が責任を持つように。

その結果が現在なのではないでしょうか。

その手の話で一番のアニメとしては輪るピングドラムだと思いますのでお勧めします。
運命の列車の切り替えはその当人にしかわからない形で現れ、そして切り替えたバカは永遠に世界の裏側に行ってしまうのだと思います。
表舞台で世界の終わりを言葉にするくらいなら裏側で誰かを救う側に。


6741
「出来るだけ悲劇を経ずに進化したい」と書きましたが
大地震や大災害、経済崩壊などを望む気持ちもありますね。むしろ起きて欲しいという。

これは多くの人にあると思います。(私にもあります)
何故かというと「そんな大災害でもなければ、人類は変わらない。変われない。それしか方法は無い」という信念(観念)があるからです。
要するに変化への期待なのですが、実際の所これは間違っていると言えるでしょう。(道徳的に間違っているのではなく、事実として間違っているという事ですが。「それしかない」という事は無い)
私もこの観念は捨てて、本気で「個人的にも世界全体的にも、出来る限り悲劇を経ずに進化したい」と思わないと・・・。
この事に関してはもっとはっきり、「喜びを通して成長する方が、苦しみを通して成長するよりもずっと速い」と言っている存在もいます。

東日本大震災も、原爆投下も、ホロコーストも・・・何であれ、起きた事に意味と理由はあったと思います。
しかし、「絶対にそれが起きる必要があった。他に選択肢は無かった」訳ではないとも思います。選択肢は沢山あり、起きずにすむ道もあったでしょう。

自分や皆が「選択肢はある」という事を心の底から納得して、一番良いと思える道を選択できるよう望んでいます。


6742
あおむし様

 こんにちは!

 日本人も、人類も、破壊の後は必ず再生の道を歩んでいくはずです。

 インドでは破壊・創造・維持の神が巡っていると言いますが、本当にそのように世界や私たちが作られているのでしょう。

6743
野良猫様

 こんにちは。

 予言する人が未熟ということもあるだろうと思いますが、そもそもこの世界が、予言が当たるようにはできていないのでしょう。

 きっと今後も、当たり続ける人は出てこないと思います。

6744
Clary Sage様

 こんにちは!

 歴史の歩みも、今の世界情勢も問題だらけだけれども――、でも本当に一昔前に比べて、私たちは「真っ当な道」を選ぶように変わりつつあると思いますよ。

 もちろん、何も杞憂しないで見ていればいいというわけでは決してないですけど、今後の人類の選択への「期待感」のほうが僕としては大きいですね。

6752
ブログ読ませていただきました^ ^

僕も僕たちの人生のストーリーは無数に用意されていると思います。主人公である自分がその時、その場面でどのシナリオを選択していくのか?が大切だ思っています。
なので、相反するようですが、「運命は決まっている」し「運命は自分で作られる」んだと思います。

ポジティブな意識で在り続ければ、ポジティブなシナリオを選択しやすくなっていけそうな気がします^ ^

とても好きなブログです^ ^これからも頑張ってください^ ^

6756
tetsuboy様

 コメントを有難うございます。
 同じ見方をされていて、嬉しく思います。

 おっしゃる通り、こうした話は本当に「相反」する形でしか語れないんですよね…。
 でもあえて整合性をとるのではなく、いわば「パラドックス全体をのむ込む」ことがポイントだとよく思います。

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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