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 ダニオン・ブリンクリーの近著『死後の世界を知れば、人生が輝き始める』を読みました。

 ブリンクリー氏は、これまでの人生で落雷事故と心臓病と脳卒中によって3度も臨死体験をして生き返ったという、死後世界の「生き字引き」とも呼べるような人物である…。


 1度目と2度目の体験については、初の著書『未来からの生還』に記されていて、その内容をブログの過去記事「すべての他者は、私につながる」でも紹介しています。

 ブリンクリー氏は学生時代に殴り合いのけんかを6千回以上はしたという荒くれ者で、高校卒業後はベトナム戦争で暗殺の特殊任務に就き、敵側の政府役人や民間人を何人も殺した。
 肉親からも「お前は死んだら、間違いなく地獄に落ちる」と言われるような半生を送った。

 そして彼は25歳のときに、頭から雷に打たれて心肺が停止。病院で死亡が確認された。
 このとき彼の魂は、焼け焦げた身体を抜け出し、あの世へと旅立った。すると意外なことに、そこは地獄などではなく、まばゆい愛の輝きに満たされた壮麗な世界が広がっていた。

 ブリンクリー氏は光に包まれながら、自らの人生を回想させられた。その回想とは、自分のすべての行いを「相手の心」になって追体験するというものだった。
 非道を積み重ねた彼にとって、その回想は極めてつらいものだった――。


 彼は、遺体安置所に運び込まれる手前で突然息を吹き返し、奇跡的な回復を遂げる。
 退院後は生き方を一転させ、福祉施設でのボランティアに携わった。

 後に39歳のときに心臓まひで倒れ、2度目の臨死体験をする。
 そして再び天国の光に包まれながら、福祉施設で自分が手を差しのべた「相手の心」になって追体験をした。それは喜びがあふれ出る、華々しい体験だったという。


 こうした経験から彼は、「魂は永遠であり、死は存在しない」こと、「こんな自分でも天国に行けたのだから、地獄なんていうものは存在しない」ことを、講演などで断言していた。


 ところが――、
 今度は47歳のときにくも膜下出血で倒れ、生存率8%という困難な手術を受ける。
 その手術の最中に、3度目となる「あの世への旅」を体験する。

 彼にとってはもう慣れた道のりのはずだったが、天国へ向かう途中で、無数の魂がさまよう恐ろしく陰鬱な場所を目の当たりにする。
 その魂たちは肉体を持たず、天国にも昇らず、2つの世界の間に、無気力や否定性や失意を抱きながら、延々と留まり続けていた。
 そこはまさに「地獄」と呼んでいい場所だった…。


 この3度目の臨死体験の様子は『光の秘密―天国からのレッスン』という本に出ていて、その内容も過去記事の「ブルーグレーの場所」で紹介しています。


 で、前置きが長くなってしまったけど――、今回読んだ『死後の世界を知れば、人生が輝き始める』には、そのような天国の「仕組み」について、彼なりの解釈が述べられている。

 それは、「天国にはいくつかのレベルがある」というとらえ方だ。
 3度目の体験のときに見た地獄のような場所も、正確には「天国の下のレベル」にあたる。

 聖書には「7つの天国がある」と書かれている。ブリンクリー氏の考えがそれに一致するわけではないものの、構造的にはやや似ているかもしれない。


 彼は、最初の臨死体験で光り輝く天国に行ったとき、自分がいるところよりさらに上の場所にも、そして下の場所にも、多くの魂がいるのが分かったという。

 「上にいる魂は高い周波数を発していて、それを感じると、自分の振動も高まっていった。
 一方、下にいる魂たちの周波数はゆっくりで、見ているとこちらの振動も不快なくらい鈍くなっていった。そのため、あまりじっと見ていられなかったのだ」と振り返る。

 そうした感触から、「何となくぼんやりと、天国にはレベルがあるだろう」という認識は持っていたものの、3度目の臨死体験のときにそれが明確になったという。


 さらには、下のレベルで迷子になった魂が、いわゆる「憑依霊」として私たちの周りに現れてくることがあることも、この本では語られている。
(臨死体験と心霊現象は、どちらかというと「別分野」という印象があるけれど、この本はその辺りをちょっと踏み込んで語っていますね)

 さまよえる霊に対して大事なのは、除霊によって「取り払う」のではなく、敬意をもって心からの祈りをささげることだという。
 そうして「愛のエネルギー」を与えることが、魂を上へ上へと押し上げるのを助けるのだという。


 そんな内容を読んで僕が思ったのは、私たちの「内面世界」というのは、この「天国の仕組み」と同じなのではないか、ということだ。

 天国の下のレベルには、じっと見ていられないような振動数の低い魂がさまよっているのと同様に――、私たちの内面の奥にも、じっと向き合うのも耐えがたいほどの、振動数の低い何かが色々と存在している…。

 そして大事なのは、そうした内なる不快な存在を無視したり、強引に消し去ろうとするのではなく、愛のエネルギーをもって受容し、癒し、昇華させてあげることだろう。

 つまりある意味で、私たちは「小さな天国」であると言える。


 でも、単なるミニチュア版にとどまらない、もっともっとすごいところは――、
 あの世をさまよう魂は、そのままでは癒されることがない。何百年も昔の戦争で亡くなった兵士が、延々とそこに留まり続けているケースもあるという。
 そもそもあの世には、「変化」というものがないのだ。

 一方でこの世は、絶えず変化し続ける「無常」の世界である。
 私たちの内面の癒しは、時間がかかるように思えるけど、あの世とは比較にならないほどスピーディーなのだ。場合によってはほんの一瞬で癒しが起こることだってある。


 あの世では成し得ないほどの、まさに劇的な癒し、浄化、救済を内面にもたらすこと――
 これが「小さな天国」として地上世界に現された、私たちの機能と目的なのではないかと思います。

 そして、天国の上のレベルには、感じるだけでこちらの振動が高まるような魂がいるように――、私たちの内面にも、焦点を合わせるだけで波動が高まっていく、喜びや幸せが存在している。

 それを見いだすのも、「小さな天国」である私たちの役割でしょう!



 結びのヒーリング・ミュージックは、Deuter「The Source」。

  ☞ コメント:28

 
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コメント
6988
苦しむ魂を救う、というのがこの世に生まれた目的の一つだというのは、なるほどーと思います。
引き寄せの法則だけ考えると、苦しんでる人はみな自業自得なのかという感じもしますが、
苦しむ仲間を救うため敢えて苦しい世界に焦点を合わせているのだとしたら、
その魂はすごく勇敢な尊敬すべき魂なのだろうと思います。

6989
ruri様

 コメントを有難うございます!

 「魂を救う」と言うととても大がかりになってしまいますが――、
 未消化の感情エネルギーとか過去の記憶とか、癒やすべきテーマを誰もが大なり小なり内に抱えているでしょう。
 それを浄化して解き放つことは、多くの人に共通する魂の目的だと思っています。

6990
変われることの幸せ
この世にいるうちに変わらなきゃ
変わった先が愛じゃなきゃね
あの世では、変わる事が出来ないらしいからね
今のうちに愛になろう

6991
りこ・ディーン様

 こんにちは!

 この世界の「無常」という特質は、「変化のチャンスが常にある」ということでもあります。

 素晴らしいことですよね!

6992
こんばんは
あちらの世界に行ったら、「ご苦労様」という感じで、
全てが許され 解放されると信じていましたが
今、どの様に生きているかで、あちらでの状態が変わるのですね。

それから、癒しや浄化が、現在の方が早いのですか。
え、あちらは なかなか変わらないのですか!?
もし、辛い気持ちで昇天したら、続いてしまうのですね。

あと一つ、救われた気持ちになった事は、
「さまよえる霊に対して大事なのは、除霊によって「取り払う」のではなく、敬意をもって心からの祈りをささげること」の所です。

昔、霊がコワくて たまりませんでした。
でも、もし、さまよわれた霊と会ったとしても
安心して、祈りを捧げたいと思いました。

6993
cael様

 こんにちは!

 ダニオン・ブリンクリーは「魂」という呼び方をしていますが、それはいわゆる「想念エネルギー」とかのことではないかとも思います。(スピリチュアルの言葉って、定義が人によってまちまちですからね…)

 僕自身の考えは、「魂」というものは人格的な特性などが一切ない、「純粋な生命そのもの」だと解釈しています。
 その場合、死後の魂はピュアな状態に戻るともいえます。


 あと「死後は変化できない」ということについて、作家・佐藤愛子氏が自らの霊的体験を綴った『私の遺言』の中で、こんなふうに説明しています――

 「邪霊というものは、憎しみ、悔しさ、妬み、憤怒や恨みといった想念のかたまりである。生きる者はそんな感情にとらわれたとしても、生きていくその経験の中で、苦しんだり求めたり教えられたり考え反省したりして、自分の偏った感情や意識を修正することができる。
 しかし肉体を失った霊には、現実生活というものがない。あるのは想念の波動だけである。『お前がそんなに苦しんでさまよい続けているのは、恨みの想念に固まっているためだから、それを解き放ちなさい』と教える人もいない。解き放とうと自ら気づくこともない。死ぬ時に最後まで抱いていた恨みや悔しさだけが残って、波動となってさまようばかりなのだ」


 また「霊は払うものではない」ということについても、その本の中で同じようなことが語られています―― 

 「力を持った修行僧が念を込めたお札には、確かに霊を鎮める力がある。だがその力は邪霊を一時的に『鎮め』『祓う』だけで、『浄化』する力はないようだった。邪霊は『祓う』ものではなく『浄化』させなければならないのである。祓っただけでは再び戻ってくる。そして『浄化』にはどうしても審神者(さにわ)の説得が必要なのだ。力で押さえつけるだけでは教導できず、救いにならないことは霊も人間も同じなのである」

 「最高の神審者(さにわ)は、霊に語りかける時の口調が実に誠実で慈愛に満ち、懇切である。相手の霊の性向を見て、硬軟ところを得た訊き方をする。
 霊は恨みや不満、悲しみ怒りを抱えてさまよっているのだ。それを何とか説得して『死者として行くべき所へ送りたい』という情熱が、言葉の端々にうかがえる。聞き分けのない霊には、決して投げやりにならずに、何度も何度も同じことを繰り返して、相手の気持ちを変えていこうと努めている」


 ――こうした点は、ふつうの内的な浄化の考え方に、本当によく似ているなと感じます。

6995
死も霊も怖くない
光奈さん、おはようございます!

私も臨死体験をしたことがあるようです。
あるようだというのは、自分には実際に記憶にないからです。それは生後まもな、生きるか死ぬかで生死の境をさまよったらしいのです。
だからでしょうか、多少の霊感があります。
よく、臨死体験をした人は霊感がつくと言われていますね。
まさにそのようであります。
身近な人が亡くなる時に、みなさん会いに来てくれます。
挨拶なのでしょうか(笑)

人間は喜怒哀楽を持つ生き物です。
出来れば、喜楽のみで生きていきたいものですが、色々な人生経験を通して、自分を見つめていくことが必要だと思います。
振り返ってみて、どんなに人に助けられたことかとか、どれだけ人のためになることが出来ているかとか考えてしまします。

私自身はあまり長生きを求めないので、終活を進めています。
といっても死に急いでるわけではないのですよ。
もし、私が認知症等になったら家族が困るので、困らないように準備をしているのです。実際、夫にも家のことはわからないから私が先に逝くようなこと等があった時のために、ある程度は書付を残してほしいと言われております。

安心して旅立てるように…
そして、会いに来てくれたあの世の人たちに会えるように。

6996
なんかの本に他の反物質の宇宙は
魂の次元をあげるのに何百年もかかるが
地球は魂の次元を上げるのに比較的短期間で上げれる特別な場所だと書いてあった

6997
拍手でドクダミ出ました。
ドクダミ(が好きだから)発生率高いかもしれません(笑)

昨日母と同年代の方と話す機会があり、
「生き方は死に方。いい生き方ができればいい死に方ができる」
と私が言ったら、では「いい生き方とは」なんぞやの話に。

この世の生き方があの世につながる。
それを受け入れたら誰もが生き方変えようとするように思います。

先日テレビ番組で聖路加病院の日野原先生が、
動物は変えられないが人間は生き方を変えられる、と発言されていましたっけ。

最近まったく本を読まないので、
光奈さんの記事を拝読して読んだ気になっています(笑)。

そんな私ですが、今年発行された「マイケル・ジャクソンの言葉」を昨日注文。
たぶんスピにあふれる内容だと思います。

6998
鳥と卵と蛇と蟻地獄
こうだいさま
お早うございます
いつもどうも
昨日の朝にも彼女は
顕われました
蜘蛛です
私達は黄泉の国から
遠足で現世に来ているのかもしれません
帰りが遅いと
迎えがうるのかも
私にはさしずめ
飲み屋のつけとりが
今晩も来いとばかりに
誘いに来ているのかもしれません
蕨の熟女クラブです
夢を珠にみます
梅ばーちゃんやプリンや
マジックで眼鏡を書いてあげた猫や
子犬の太郎や
ところで
生卵飲めますか?
攣るんとです・・・・?

6999
こんにちわ^^
動物園で産まれた動物は、そこが一番善い世界だと思ってるでしょうね^^
だから、違う世界に出て行くのは恐い…人間も同じ様なものだと思いますよ。
死んでみたら、案外そこは善い世界だと思うかも知れません。
ただ、どちらもそれなりに苦労はあるだろうと思います。
生も死も楽でないのは確かでしょうね(笑)

7000
私もかつてそうでしたが
頻繁に「霊」に接触する人たちがいますが、あれは何故なんでしょうね。どういう意味や目的があるのか。

単に「霊感があるから」とか「その人が低い波動だから似たような波動の存在が寄ってくるのだ(一理あるかもしれませんが)」とか言われますが・・・。
何の確証もないですが、その当時も何となく思っていたのが「私はその世界ではとても目立つのだろう」という事です。暗い中での灯台の光のように。(こういう見解は他で聞いた事がないのですが)

でも、もし本当にそういう理由で集まっていたのだとしても、私も含めた大勢の人たちは所謂「優秀なサニワ」ではない。「成仏」はして欲しいし、必ずそれは語りかけたけれど、恐れや怒り、不快感の方が大きい。

私の場合、寝ている最中に上からドシンと人が腹の上に落ちてくる、乗っかってくるというのがいつもの事でしたが・・・・(ホラー映画の図式ですね^^;)
くそ重いので「どけ」と言うのがまず最初でしたし・・どきゃしませんでしたが。
私の気づく限り、憑依というのは無かったけれど、睡眠中に首の後ろから入られそうになった事は沢山ありました。毎回「この野郎!」という感じで気力で押し返しましたが、あれも疲れたなあ。
こういう時には必ず天使やガイドに助けを求めるのですが、絶対来ない^^:
自力でやれ、或いは自力でやれるという事なのか。

すべての経験には意味と目的があると言われますが、あれにはどういう意味があったんでしょうね。(夢とか幻覚でないとしたら)あの時接触した「霊」たちは、どうなったのか。私は少しは彼らが光の世界に行く役に立ったのか。あまりそういう感じはしませんが、でもまあ・・・どうなんでしょうね。



7001
月光の響き様

 こんにちは!

 身近な方が亡くなられる時に、会いに来てくれるって、不思議ですね…。

 高齢者への「終活」のコンサルティングをしている人が、「最後くらいは万事きっちりやらずに、周りに迷惑をかけてもいい!」ということを言っていて、それも大切な姿勢だろうなと思いますね。

 片付いてないことや懸念がもろもろあっても、それでもまず「安心」していることが大事なのでしょう。

7002
くんのこ∞様

 こんにちは!

 僕もそのように考えています。
 「諸行無常」な性質の世界だから、短期間の変容が可能なのでしょう!

7003
あおむし様

 こんにちは!

 まさに「この世の生き方があの世につながる」というのは、今回のブリンクリー氏の言わんとするところでしょう。

 さらにそれが来世につながって、それがさらにまた次の生に――、と考えていくと、最終的に行き着くところは同じかもしれません…。

 つまり、どんな生き方にも、プロセスとしての貴重な価値がある、ということでしょうかね。

7004
ひつまぶし・ウナ様

 こんにちは!

 そういえば、芥川の短編小説で、釈迦が主人公を地獄から救い出すために垂らしたのが「蜘蛛の糸」でしたよね。

7005
sado jo様

 こんにちは!

 死後に振り返ったらきっとここは「いい世界」だと思いますよ。
 心地良いかどうかは別としても、ほかにない「特別な場」であることは確かです。

 だから魂はいつも「もう1回!」という思いで、地上に転生するのでしょう…。

7006
Clary Sage様

 こんにちは!

 僕自身は霊感については、ほぼゼロですね…。何の経験も感覚もないです。
 同じように、さまよう霊とかには全く無関係・無関心に生きている人が、世の中に圧倒的大勢でしょう。

 そういう人ばっかりの中で、やはり一定の感度を持つ人というのは、霊にとってとても目立つ存在なのかもしれないです。

7007
多分今ならもう少し
愛を持って、行くべき所に上がれるように出来る気はしますが。(仮に何百年もさまよっていても、向こうに行く時には一瞬なんじゃないかと思います)


こういう「さまよえる霊」関係に対する人々の感情は、ほぼ恐れと嫌悪ですよね。もしくは完全な無関心・否定か。
私も関心があった訳ではないのですが、何故か接触するように。

全く「見たくも無いし考えたくも無い」のだと思います。自分の低い感情・思考と同じように。
確かに類似性がありますよね。高い層と低い層があり、低い層に関しては愛を持って浄化する必要がある。

自分の内面世界に対して目を向ける事は非常に重要ですが、同時にこうした「さまよえる霊」に対しても、恐れや嫌悪や無関心だけではなく、愛を持って考えられる人が増えればいいな・・・と思います。
私も人の事は言えないですが、彼らに向けられる感情の殆どが恐れか、無関心なのはやっぱり問題がある気はします。ダニオン・ブリンクリーもこうした霊の浄化の大切さを書いていましたが・・・。


7008
Clary Sage様

 こんにちは!

 日常的に霊をほとんど感じない人でも、慰霊や供養というのは、しっかりと心を込めてすることがありますよね。
 それはいい習わしなのだろうと思います。

 ある医薬品の研究施設の庭に、実験で亡くなったモルモットの慰霊碑が建てられていて、こういうのがあるのは日本だけだそうです。
 この国らしい、いい点なのかもしれません。

7009
こんにちは。

あの世でいくつかの階層があるというのはいわゆる曼荼羅の世界観ではないのでしょうか。昔から思っていますが、この世でも「類は友呼ぶ」とありますように精神性や感覚的に同類の階層化がみられますが、これらはあの世の1つの投影だと私は思っています。

なるほど、この世は「動」であの世は「静」ですか。光と闇のように「道理の表裏観」は真理の1つだと思っていますので腑に落ちました。この世の無常の意味もここにあるのですかね。

この世の階層(見えるものから見えないものも含め)の流動性をあの世の階層の不動性(固定性)に対比するなら、「この世は修業の場」(精神性の向上の機会)という意味も理解できます。

興味深い話をありがとうございました。

7010
koudai さんへ 初コメントです!
難解な内容のものを含めて多くの本を読まれ、それを易しく優しく、ひも解いて解説しているkoudai さんに脱帽です。

文章の解りやすさ、諸説に対する寛容さ、それでいて繊細な洞察力にあふれているkoudai さんのブログを読んでいると、なぜか幸せな気持ちになります。

本などは的確な要約にも関わらず、むやみに批評判断を加えず、寛容で優しい『ものの見方』をされていますよね。
すっかりファンになってしまいました。

koudai さんの感性に引き寄せられて、多くの人の意識が進化しますように。…(*´~`*)。o○  

    ふつうのオバちゃんこと 風子

7011
慰霊や供養というのは良い事ですね。
この気持ちを所謂「身内」や「知っている人」だけではなく、すべての成仏できない人たちに向けられたらいいのだろうな・・・と思います。

いずれ人間は色々な場所の浄化に真剣に取り組まなくてはいけないのではないかと思っています。
例えばアウシュビッツのような所です。大なり小なり、こうした場所は世界中に沢山あるでしょう。(強制収容所跡に関しては、出来事自体は絶対に忘れてはいけないけれど、100年を目処くらいに撤去した方がいいのではないかと個人的には思っています。あと30年後ですね。勿論ただ撤去するだけではなく、場の浄化が何よりも大事ですが)

戦争、虐殺、飢饉、自然災害、殺人、事故・・・色々な事がこの世界には起きてきました。勿論これまでもかなり慰霊や供養はされてきたと思いますが、もっと本気の取り組みが必要なのではないかと思っています。


7012
ひまわり様

 こんにちは!

 確かに、曼荼羅も多層的な宇宙観ですよね。
 果てしないマクロの宇宙を描きながら、私たちの内的な宇宙も表しているという点も、似ているなと思います!

7013
内山栄子様

 初めまして。評価いただいて、とてもうれしく思います!

 僕も色々と本を読む中で、「この考えは違うと思うなぁ」「これは自分に合わない」というものは、実際には少なくないですね…。


 スピリチュアル分野のブログの中には、さまざまな教えに対する否定意見ばかりを並べているものもあります。
 もちろん、ブッダがそうであったように、あらゆる教えを「あれでもない、これでもない」と徹底的に切り捨てていくのは、真っ当な姿勢といえます。

 ただブログの読み物としては、そうした否定意見ばかりが続くと、読み手にとってはけっこうきついですよね…。


 そういうこともあって、僕自身は「これは共感できる、シェアしたい!」と思えるもの紹介することを、むしろ専門としている感じです。

7014
Clary Sage様

 こんにちは!

 「過去の人々を癒やす」ことは、地上に生きる魂の目的のひとつだと思います。
 それが成されることによって、あらゆる人類のあり方が大きく変わっていくように感じます。

7016
それが素晴らしい!
koudaiさんの…僕自身は「これは共感できる、シェアしたい!」と思えるもの紹介することを、むしろ専門としている感じです……という感性に惚れました。

koudai さんがシェアしたい!と思う内容は、
そのままkoudai さんの心根を映し出すもの。

本からの引用にしても、慈しむような感想。
それでいて中庸の見解。
読者自身が、自然に、素直に、自らの内に照らさないわけにはいかなくなる寛容な問いかけ。

koudai さんは、天然の(実際はものすごく努力している)
ヒーリングブロガーですね。

猫も杓子もヒーラー、あるいは否定合戦、小難しい哲学論的なスピ関連ブログの中で、こんなに心惹かれた記事はありませんでした。
大好きです。

koudai さんの影響を受けて、本物のマスターがたくさん育つといいですね。ありがとう! 

7018
風子様

 こんにちは! 評価いただいて有難うございます。

 僕は本を読んだら、ポイントと思う部分を必ずパソコンに書き写すようにしています(忘れちゃったらもったいないですから…)

 単なる個人的な備忘録のつもりなのですが、あるときから「こういう内容もシェアしたいなぁ」と思って、ブログでもまとめてみるようになりました。


 以前にチベット仏教のマスターであるチョギャム・トゥルンパ著『タントラへの道』という本の紹介を書いたことがあるのですが、これは自分の理解に本当に役立ちましたね。
 しかもブログ記事として書いていく作業が、面白くて仕方なかったほどです!

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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