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 幸せや宝物を探しに遠い旅に出て、最終的にはそれを自分がもともといたところで見つける、というお話がありますよね。

 有名なメーテルリンクの童話『青い鳥』がそうだし、ブログでよく紹介するパウロ・コエーリョの『アルケミスト』もそうだ。


 合理的な結果論を言うならば、「わざわざ無駄足になる旅なんか行かずに、最初から自分のいる場所を探せばよかったのに」というふうにも思えるけど…、物語もこの世界の現実も、そうにはいかないのでしょう。
 作者のコエーリョも、こんな言葉を語っている。

 「たとえ宝が自分の家に埋められていたとしても、それを見つけるのは家を遠く離れたときだ。ものごとの本当の価値を知るのは、それを失い、そして再び手に入れたときである。
 その近道を探そうとしても、無駄なことなのだ」
――と。


 幸せとは、「外側の状況」ではなく、「内側のあり方」だとよく言われる。最終的な幸せは、まさにそこで見いだされるものなのだろう。
 ただ、私たちが最初から内側に着目することはまずない。

 人生において、幸せや宝物を探しに出る旅というのは――、これがあれば自分は幸せになれるという「外側の要件」を満たそうとするプロセスだともいえる。

 つまり、たくさんのお金が得られれば、理解し合える素敵なパートナーがいれば、仕事で成功して周りから認められれば、もっと容姿が魅力的だったら――「自分はいまと違ってきっと幸せになれる!」と信じて、それを求めて一所懸命に努力するという段階が、ほとんど誰の人生にもあるはずだ。

 ふつうそれは、健全な憧れであるし、成長のための歩みである。
 あるいはコンプレックスの裏返しや、欠落感の埋め合わせという場合もあるかもしれない。

 いずれにせよ自分という主人公は、幸せになるための「外側の要件」をめざして冒険の旅に出る――。


 ところが、どう頑張っても望みがかなわないことは少なくない。また思い通りの結果を手にしても、「まだ何かが足りない…」と心が満たされないケースもある。

 さらには、ラッキーなことに「望みがかなって幸せを感じる」という場合でも――、それはいわゆる「条件付きの幸せ」であって、基盤がもろいものだ。

 無常なこの世界、手にしたその「幸せの要件」が、何かの変化で自分のもとから抜け落ちてしてしまう事態はよく起きる。
 すると、あっけなく再び「幸せではない状態」に振り戻ってしまうことになる。

 かくして、幸せ探しの旅はずっと続く…。


 そんな努力の中で、もっと効果的ないい方法はないものかと考えているうちに、一部の人はいわゆる「成功法則」などの本に出会ったりする。

 あるいは、何かがおかしいこの世の中の真相が知りたいという思いから、「陰謀論」や「闇の支配」といったテーマに興味を持つ人もいる。
 また、傷ついた心を癒すために、ヒーリングの本を読んだりもする。

 そうして手にした本の内容は、どういうわけか引き込まれるように面白く感じてしまう。ふつうの読書のように、ある程度で済ませることができない。
 自分の根底にある、あらがいがたい「希求心」のようなものが、次々と近いテーマの本を呼び寄せては読み進めさせる。


 そのうちに、やがて『神との対話』とか『ニュー・アース』といった、バリバリのスピリチュアル本に巡り合うことになる。

 このあたりで、幸せを求めて外側の先へ先へと進んでいた旅路が、いつの間にか180度方向転換して、自分の内側へと向かうわけだ。マラソンの折り返し地点のように。

 魂の目論見どおりである…。


 もちろん人によって、きっかけやプロセスは色々だろうけど、近道のない「外から内へ」という図式は、かなり共通するものだと思う。


 ところが、この折り返し地点から先の道のりも、ずいぶんと遠かったりする。
 さらにたくさんの本を読んだり、ワークなどにも参加したりするのだけど、決定的なものがなかなか見いだせない…。


 それもそのはず、見いだすべき答えは、本の文章やワークで伝えられる内容ではなく、純粋に「自分の内側」そのものにある。
 つまり、本やワークというある種の「外側」にまだ目線が向いたままで、本当の「自分の内側」には向いていないわけだ。

 180度折り返したつもりだったのが、実はちゃんと折り返せていなかった。そのまま外向きの延長で進んでいた…。

 こういうのは、スピリチュアルの罠とも呼べるかもしれないです。


 自分の内側にただ向き合うことは、かなり「退屈」な取り組みだ。

 そして、幸せとは「内側のあり方」と言われるものの――、
 はたして「外側の要件」が特にない状態で、本当に内なる幸せを見いだせるのなのだろうか?…、と思えてしまう。

 でも、それは間違いなく感じ取れる。
 少なくとも、その発端をとらえることはできると言える。


 私たちはふだん、何にもないところから「恐れ」や「不安」を感じることは、しょっちゅうしている。
 目の前には起こってもいない、不確定な未来のものごとをあれこれと想定しては、とてもリアルな恐れや不安感を抱いている。

 そうして多くの人は内側の恐れや不安と共に生き、これこそが「現実に即した生き方」だと習慣的に思い込んでしまっている…。


 ところがそれとは反対に、目の前で起こってもいない「うれしいこと」を勝手に想定して、リアルな幸せを感じることは、普通あまりしない。
 そうすることに、抵抗感やばからしさを感じる人だって少なくないだろう。


 これは本筋から外れた方法かもしれないけど――
 「これがあれば自分は幸せを感じられる」という外側の条件付けが、この際ぜんぶ思い通りにかなって満たされた状態を、じっくりイメージしてみるとどうか。

 仕事が成功して十分な所得や財産があり、天職で才能を発揮して生き生きと活躍して、たくさんの人から敬意と称賛が寄せられている――
 親しい仲間たちに囲まれて、喜びを分かち合う理想のパートナーが一緒にいて、豊かな自然に抱かれた素敵な家や、あるいは眺望の見事なマンション最上階に暮らし、世界中の行ってみたい国々を自由に旅行して、おいしい料理を楽しんで、体が若々しくどんどん健康になっていって――と。

 さらにもっと、虚栄心まる出しの望みでも構わない。
 高級スポーツカー、自家用飛行機の操縦、有名人との交友、子供が名門校に進学などなど…


 謙虚さや慎ましさといった美徳は、この際は脇に置いておく。
 頭の中の理性的な部分が、それをどうやって実現するのかとか、可能性はないとか言ってくるけど、そういうのは微塵も考えない。
 そうして静かに集中しながら、「すでにそうなった現実」の中いる自分の様子や感覚を、できるだけリアルにじっくり想像してみる。


 すると、それが実現したときの「あぁ、うれしい」「もう大丈夫」「これでOKだ」という幸せ感が、ふっと心に浮かんだりする。

 イメージをやめて、内側だけをじっと感じてみても、幸せ感はそこにある。とてもリアルな感覚がよぎることもある。


 ここで大事なのは、実際には「外側の状況」のほうは、いっさい何も変わっていないということだ。
 ところがそれにもかかわらず、「幸せ」の感覚を内に感じることができる。

 確かに「呼び水」として、条件が満たされるイメージはしたけれど、それが方便の絵空事であることは、頭の中でちゃんと分かっている。
 「外側の状況」という裏付けは、そこには明らかに存在していない。

 つまり「幸せ」というのは、外側の世界とは直接的にかかわりない「独立したもの」として、私たちの内に最初から秘められていると言えるだろう。その事実を垣間見ることができる。


 これは、願望実現ためのイメージングや引き寄せとは違う。
 むしろそれとはまったく逆に、実現なんかしなくても、そのままでも「幸せ」を自分の内から掘り起こすことができるのだということに気づく、大きな一歩である。
 むなしい空想なんかではなく、画期的な勝利とも言っていい。


 内側の幸せに意識が向くようになると――、「条件付け」なんかとはまったくかかわりなく、日常的にその感覚がちらちらと表出してくることが分かる。

 たとえば、人の笑顔を見たとき、美しい青空を目にしたとき、おいしいものを味わったとき、お風呂につかったとき、息を大きく吸い込んだときに――。


 ところが、そのような小さな「幸せ感」がふっと浮かび上がるやいなや、ほぼ無意識にこんな反応が生じる。「まだ何の条件も満たしてないぞ」「そんなことで、うかうかしているな」と。
 そうして、わき上がる感覚にブレーキをかけ、打ち消してしまう…。

 幸せに生きることがじょうずな人というのは、このブレーキを作動させない人でもあるでしょう。
 そういう人はたくさんいるし、きっと例外なく誰でもなれるはずだ。


 こうした話は、ちょっとした気分の切り替えとか、発想法といったレベルのものではない。

 幸せを求めながら苦しみ続けてきた小さな自我に、「ほら、幸せは最初からこの内側にあるのですよ」と、実際に見せて感じさせて気付かせてあげることは、私たちの生の大きな目的の一つだと思うのです。

 魂がめざす宝は、その小さな幸せ感の下に埋まっているはずです――。



 結びのヒーリング・ミュージックは、Monroe Institute「Sleeping Through the Rain」。

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肉体という養成ギブス
コメント
7056
魂の目論見どおりである…。

これ、ものすごく解ります。
ハングリーに育ち、成人した後は猛烈に仕事をこなし、
成功して豪奢な暮らしをしていても『切なさに似た孤独感』から解放されることはありませんでした。

夫や子供などの情愛ではない……。
『切なさに似た孤独感』がどこから来るのか。
私は毎晩のように、それこそ神さまらしき存在を脅迫しかねないほどの勢いで答えを求めました。

深い々、潜在意識(宇宙意識かも)に刻印された魂の欲求だと知ったとき、一晩中、号泣したことを覚えています。

近道のない「外から内へ」という図式を体験するための舞台として、地球(三次元、物質的)という星は、なんて理想的な環境でしょう。

お金や地位、情愛などを含め、徹底的に追い求めるのも悟りの道。手中に納めて初めて自分が何者かが判るかも。
(今生で無理なら、人生は何度でもありますから)

『ロス博士 VS ムーディ』の記事、消えました?
またいつか書いて下さいね。

『小さなこの世』の船出のたとえ話にしても、
自分の内側へと…マラソンの折り返し地点のようにも、
広大さんの着眼、表現力に感服で~す!



7057
おっしゃることのひとつひとつに共感を覚えます。
まさにそのルート辿ってきてるかもって思いました(^^ゞ

内面 自分の内

結局そこなのでしょうね。

もし、この目の前の人(家族でも友達でも知らない人でも)のこころの中にもぐりこんだとしたら
ずーっともぐっていったら
広い宇宙にたどり着くのだろうなって
このまえ ふと思いました。

そして、あ みんなそこにいたんだね・・みたいな^^

7058
風子様

 こんにちは!

 生のプロセスに近道がないということは、インドで言う「ダルマ(法・義務)」なのでしょうね。


 「E.K.ロス vs R.ムーディ」の記事、今もちゃんとあります(過去の記事を消したことは一度もないです)
 http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-275.html

 先月くらいから、なぜかこの記事のページのみに、海外からのスパムのコメントが入り続けているんです…。
 このブログでは誰のコメントも承認なしにアップできるようにしているので、そういうスパム攻撃には弱いですね。

7060
kotorin様

 コメントを有難うございます!

 「目の前の人の心にずーと潜り込んでいったら、広い宇宙にたどり着く」って、素晴らしい思いですね。
 本当にその通りでしょう!

 そうした思いで向き合うと、どんな相手であっても、存在そのものを否定しようとは考えないですよね。

7062
欲望は尽きない
光奈さん、こんばんは。

人は欲しい物や探しているものが見つかると、そこで満たされてしまうような気がします。そしてそれに輪をかけてもっともっとと欲望は尽きないものだと思います。

大事なものを探す時、その所在はなかなか見つからないものですね。灯台下暗し。そばに在りすぎて、気づかない。
探し物をしながら、人生は彷徨っているような気もします。

何が幸せなのかは定義づけできないけれども、この広い宇宙の中のちっぽけな存在として、生を受けていることに感謝しながら日々を送っていけたらなと思っています。

7063
こんばんは。
何か不思議なんですが、がんになった今の方が、がんになる前より幸せです。
う~ん、生きてる間にやっておきたいことがはっきりしたというか…。
もともと自分に正直に生きよう、とは思ってましたが、日本にいるとそれが時にはワガママと捉えられます。
でも今は、がんを言い訳にすれば許されることもあるので…。
えげれすに行けたのも、半分はがんのお蔭かもだし。
なんだか不思議だなあと思います。

7064
おはようございます。いつも観ていただきありがとうございます。

我が家では毎回、フェレ達が亡くなっています。ちょうど高齢になる子ばかりなので心配です。トラウマ・になってきました。

動物は可愛いですが、お別れは辛いし・寂しいです。

ランキング・ポチっと!入れさせていただきました^^

ありがとうございます。

7065
お久しぶりです
いつもありがとうございます。

最近、ストレスを感じていました。
解った事は、自分がストレスを作り出している事。
思考の方向を変えた途端・・・気分はスッキリとは行かないものの
納得しています。
そんな事を繰り返しながら、深いところへと自然に定着して行くような気がします。
そしてまた、それも繰り返しますが、レベルは確実に上がって行くものと
自分に言い聞かせる事が多いようです。

なかなか、人は難しいものですね。
自分の中を見る事は、恐れでもあります。
そして、そこにしか答えは無いような気もします。

力を抜いて頑張る事を止められれば・・・
日々思いは、揺れます。
しかし、成長している事を自分の中で認める事も大切と思います。

7066
「幸福は外的条件には関係が無い」とよく言われますが
「えーでもなあ~・・・・やっぱりあれやこれやが実現したらより幸せなんじゃないの?」と考えてしまいますよね^^;

しかし、外的な条件に依らない、本当の「内的な幸福」というのを本気で知りたい、という気持ちもあります。


「折り返し地点からも長い」というのは分かります。10年、20年・・・・50年、60年、なんて場合もあるでしょう。本当に「自分の内に目を向ける」までには。

7068
月光の響き様

 こんにちは!

 まさに、探し物をしながら、果てしなくさまよい続けていいる状態です…。

 そして答えは、よく言われることですが、「nowhere(どこにもない)」であり、「now here(今ここ)」なのでしょう!

7069
星乃裕華様

 コメントを有難うございます!

 がん闘病は、目の前のすべてを暗闇で覆ってしまうほど、非常に大変な経験だと思います。
 そうした中で「前より幸せ」を感じられるというのは、本当にすごいことですね…。

 病気でも健康な人でも、人生に期限があることには変わらないです。
 多くの人が「期限がある」ことにもっと自覚的になれば、生き方も世の中も、かなり違ったあり方になっていくと思います。

7070
フェレパパ様

 コメントを有難うございます!

 ブログに「お別れ」の記事が続いてらして、とてもおつらいお気持ちでいらっしゃると思います。

 人間の場合は「ご不幸」とか「おくやみ」という言い方をしますが、動物にとってはその表現がどうもそぐわないような感じもします…。

 飼い主に迎えられて心から可愛がられ、思いっきり遊んで、仲間たちとふれ合い、おいしいものを食べて、毎日心地よく眠って、そうして全身全霊ですべてをやり遂げて命をまっとうする――。
 
 見送る立場は本当にさみしてくつらいですけど、きっと元気に喜びながら、天国へと駆け昇って行ったに違いないです。

7071
mammy様

 こんにちは!

 人間関係などのストレスは、自分で作り出しているケースが多いでしょう。
 ストレスに限らず、あらゆるものは自作自演といえます。

 でも、まさに自らの「レベルを高める」目的のために、それをしているのだと思います。

 「自分の中を見ることでしか、答えは得られない」と認識すること自体、それはしかるべきレベルに達している証拠でしょう。
 そこまで来れている自分を、手放しにほめてあげていいと思います!

7072
Clary Sage様

 こんにちは!

 無条件に「幸せ」でいれば、それにふさわしい状況になっていく、ということもあり得るでしょう。

 きっと、本当の順序はそうなのだと思いますね。

7073
うわわわ〜〜♡ 胸にスコーンとはまりました。繰り返し読み返したいです。

笑っちゃうほど、書かれている通りの行程を辿っています。彷徨い、恐れ、苦しみ、ブレーキを作動させ、虚無感に襲われていました。

ブレーキを解除します。幸せのコツを掴めたかもという気分。

いつも素敵なessayを、ありがとうございます。



7074
いち様

 コメントを有難うございます!

 ある意味で、着実に道筋を歩んでいらしゃるわけですね。
 自分自身にとっては、悩みながらさまよっているようにしか感じられないけど、実は見えない何かが目的に向けてちゃんと導いてくれている――、そんなふうに言えると思います!

7075
光奈さん、こんにちは。
とてもわかりやすく納得の記事ありがとうございました。

最近、私はあるちょっとしたミスをして
今までなら何としてもやり直す人でした。ところが・・・。
やり直してほしいと言われたのですが、
即座に、(やり直すのは)無理です、と答えてしまいました。
(過去にもそんなことが1度ありました。 結果オーライとなりました)

あれは、魂の反応だったとしか思いません。
その後、自分を責めそうにもなったのですが、
やり直したくない私でOKとしました。やり直さない私でOKとしました。
実はやり直してしまった方がずっとラクなんですけどね。

何かのために一生懸命がんばる自分もOKですが、
そこに喜びがないことはやらない。やりたくないことはやらなくてもいい。

スピの折り返し地点後も山あり谷あり(なだらかには感じます)ですが、
それがこの世での生きる意味であり、進化のきっかけなんでしょうね。

7076
こんにちは
私も、今思うと転びながら迷いながら今回の記事通りの道を辿ってきました! このプロセスはそれほど「ありがちな」ものだったのですね。安心して、読みながらニヤニヤしてしまいました^^

そして、面白いのは願望実現というか引き寄せ(というのにも少しどこか違う感はある)までのタイムラグが短くなっている事 なぜかはわかりません。それでも(全てクリア!迷いなんてひとっつもないよ!)という訳にもいかず・・・ 相変わらず生活の雑事や思春期まっただ中の子供達にも悩まされている毎日ですが。
そんな中でも、常に自分の内側を観察する事が日課になってきているので少しは成長したのかなと思っています。
光奈さんの過去記事『浄化と進化のファンタジー』でClary Sage様 へのコメントに
 『・・ ヘミシンクのレトリーバルについて書いた本の中で、「自分自身の過去性を救出する」という内容がありました。
 常識的な時間軸の観点からは変な話なのですが、ひょっとしたら別の自分が同時進行で「囚われたままの状態」にあるのかもしれないです…。 』
という記述を何故か思い出しました。
「自分の内面をチェックして自分自身にブレーキをかけない事を心がける」のと、作業的には少しにているんだろうか? だけどこれは何だか自我の仕業にもにている・・・などと思ってしまいます。

あぁ、乱文!お許しください



7077
タイトルが私のライフワークだったので、嬉しくなって何度も読ませてもらいました。読んだ後の感想を一言でいうと、『虹』を思い浮かべました。キャッチ・ザ・レインボー。しかし、どんなに前に進んでも虹の根元にたどり着くことはないです。そして、外的な条件。確かにこれも大事だと思いました。いくら人間的に素晴らしい人でも何か形にして残しておくことが幸せであることの証明になるからだと思うからです。無くして初めてその価値がわかるというのはその通りだと思いました。そして、元に戻そうと求める。その努力の過程でいろんな出会いがある。努力の過程が虹を求めて歩き続ける姿なのかもしれません。自分の内側の幸せには、家族や友人、知人の幸せが必要不可欠であることが、今の私の結論です。だから、私のために働いてくれる人のために働きたいと思います。その中に光奈さんもいます。しかし、光奈さんに会えることは中々ないと思いますが、光奈さんの幸せをいつまでも遠くからではありますが、祈っていることが私の幸せです。そして、これから出会う人も、みんな光奈さんのような素晴らしい人であると決めて、出会いを大事にしていきたいと思います。幸せとは私のために幸せを祈ってくれる人の幸せを祈ること。

7078
はじめまして  「道極まりなし」
長文の 深く考察させられる記事 拝読

ありがとうございます。

幸せ探しの旅

得たつもり それが一瞬に崩壊し

幸せ探しの旅をまた繰り返していく

成長プロセスも同じで 三歩前進 二歩後退

いや それでも成長していると思っているのは 自分の錯覚で

実は何も 成長していないのでは と 思ったりします

二歩前進 三歩後退

これは 下りのエスカレータに乗っていて 前を向いて

上へ上へと歩いていき 自分は 上がっているつもり(成長しているつもり)

でも 外から見ると 下りのエスカレータの速度以上に

上がり続けない限りは 下がっている状態

それも 継続して立ち止まらずに 上がり続けて行かなければ

ひと休みしたりちょっと油断等していると

あっという間に 下がっていくのですね

人間 幾ら頑張っても すぐに忘却の彼方へと 「雲散霧消」

一世紀を生き抜いた 人間国宝の方でも 道半ば

極まりなし

結局 この世と おさらばするまで

このジレンマと お付き合いしていくことになりそうです

素晴しい記事を ありがとうございます。


7080
あおむし様

 こんにちは!

 僕自身も「いい子でいなきゃ」「相手を喜ばせなきゃ」「周りのために頑張らなきゃ」と思いながら生きてきたほうなので、素直に断ることの大切さはよく分かります。

 「罪悪感にとらわれず、もっとゲスに生きればいい」なんていうカウンセラーもいますが、本当にその通りだと思います。

 その「罪悪感による抑圧」から「魂の素直な反応」へというプロセスも、近道がないものかもしれません。

7081
fujiwara様

 コメントを有難うございます!

 「魂のレトリーバル」と「囚われてたままでいる自分自身を救い出す」 というのは、実はほぼ同じことだと思います。
 本などには書かれていない、僕自身の独自解釈でしかないのですが…、本当にそのように感じます。

 自我(エゴ)の仕事と違う点は、「ただ見つめ、黙って聞いてあげる」ということでしょう。
 それはエゴが大変に苦手とするところです。

7082
丹後のきんちゃん様

 こんにちは!

 「虹」の話はいいですね。
 いくらそこへ行っても、虹の根元はない。

 しかも虹自体は外の空間に存在しているのではなく――、水滴によって屈折した光線が、私たちの目の中であの像を結ぶんですよね。

 だから虹も、地のかなたではなく、まさに自分自身の内にあるわけです。

7083
こんにちは。

「必要なもののすべては自分の内に備わっている」と最近は考えています。

在るものになくて、ないものに在る。

見えるものになくて、見えないものにある。

禅問答のようですが。w

7084
クメゼミ塾長様

 コメントを有難うございます!

 魂としての進歩は、私たちの目線からは決して進歩に見えない場合もあると思います。

 あらゆる余計なものを手放して、完全に丸裸の自分自身になることが、ある意味で「魂の目指すところ」でもあります。つらくてとても嫌なことですけど…。

 だから、私たちの価値意識からすれば「どん底に落ちていく」ようなプロセスが、実は魂にとって「飛躍的な進歩」というケースもあり得ます。

7087
ひまわり様

 こんにちは!

 素敵な考え方ですね。
 真実を現すと、どうしても禅問答のようになってしまうものだと思います。

 こうであると言い切るのは、ものごとの片面しかとらえてないケースが多いでしょう。

7100
良い話しを聞いたら「明日は我が身」で
光奈さん、こんにちは。いつも記事を楽しみにしています。

私も悪い事はついつい想像してしまい、良い事はなかなか想像しない傾向
があります。

怖いニュースや友人知人の不幸話を聞くと、「わ~こわ・・・そんな目に
あったらどうしよう」とありありと想像してしまうのに、ラッキーな話は
まるでひとごとのように思えてしまうのは不思議なものです。

でも、この機会に、意識してできるだけ楽しい妄想(?)にひたってみよう
と思います。

(ところで、嫌な想像に関しては「ひとごと」と思うより「そうなったら
なったで、なんとかなるだろう」と思うほうが気楽に感じますね)

7101
yuko様

 こんにちは!

 「良い話しを聞いたら、明日は我が身」って、素敵な見方ですね。
 僕も、誰かの劇的な成功話なんかを聞くと、「そんな素晴らしいことが起こり得る世界に、自分は生きているのだ!」と感じます。

 あと僕が心がけているのは――
 そもそもニュースを見ないことですね(不幸にかかわる情報量のほうが圧倒的に多いですから…)

7113
私もです
私もニュースは見ません。テレビも見ないし新聞も読みません。
ネガティブな内容に偏りすぎていて、気持ちが暗くなるので。

以前はセンセーショナルな事件の報道を見て「世の中は間違った
方向に行ってる。どうしたらいいんだろう」と思ってました。

でも、日本では戦後犯罪数が減り続けていることや原始社会より
文明社会の方が殺人が少ないことを知り、自分がニュースの影響を
受けていたこと、事実を知らないことがよくわかりました。

今では、日本も世界もよくやってるなあ、と思ってます。

7118
yuko様

 こんにちは!

 ニュースを見ないって、本当にいいことですよね。

 僕も当初は、「世の中の動きに付いて行けなくなるのではないか」「情報不足のために何か損をすることもあるのでは」という心配もしていたのですが…、
 実際には本当に、大きなメリットばかりのように実感します!

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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