フロントページ   »   スポンサー広告  »  スポンサーサイト本とか言葉とか  »  ツイッターで紹介した言葉の「人気ランキング」、のつづき
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 


 前回記事からのつづきで、僕が好きな言葉をツイッターで紹介している中から、特にリツイートやお気に入り登録が多かったものをランキングにしてみました。
 今回は5位から1位まで。

 その前にちょっと前置きで――、自分が取り上げた言葉をあらためてざっと見てみると、精神科医のエリザベス・キューブラー・ロス、作家のパウロ・コエーリョ、「神との対話」のニール・ドナルド・ウォルシュのものがけっこう多い。
 当然のことながら、僕自身の読む本や、言葉の好みとしての偏りはかなりある。でも、それ以上に感服してしまうのは――、この人たちは、短い一文にメッセージを込める名手だなということ。

 と言うのは、ツイッターで書ける文字数は「140字」という制限がある。
 いっさいの前置きや注釈などをなしに、それだけの文字数の中で意味を完結できる人って、案外限られてしまうのですよね。


 どんな素晴らしい言葉でも、ツイッターで紹介するには不向きというケースもけっこうある。
 たとえば、インドの覚者のニサルガダッタ・マハラジの「I AM THAT」の本から、140字の言葉をピックアップしてみても、きっとその一部分だけだと余計に難解なものになってしまうだろう…。

 また、日本人が著者の本もそうで、大切で精妙な内容のメッセージを「前後の文脈」を含めた中で語られているケースがけっこう多い。
 要は「とても丁寧に説明している」わけで、そういうのも本当に国民性だなと思う。


 善しあしは別にして、とにかく短文でバシッと語ってあるものが「ツイッター向き」である。
 そのあたりの性質なども加味しつつ、見ていただければなと思います。

 ではランキング――。


【第5位】――

 他人に「間違いをする余裕」を与えなさい。何てことはない、彼らは叡智を得ようとしているところなのだ。その余地を十分に与え、過ちを探してはならない。
 両親が適切に育ててくれなかったとしても、許しなさい。人を育てる方法を本当に知っている者など、そもそもいないのだから。(ラムサ)


 これはチャネリング本の『ラムサ』の中で語られていた言葉だ。
 前回記事でも触れた「バーソロミュー」とともに、僕自身が好きなチャネリング本のひとつである。

 自分にとっての「正しさ」を基準に、他者の言動をとがめたり、正そうとすることは、日常社会での対立や争いを生じるばかりか――、スピリチュアルな歩みにおける「罠」ともいえる。
 特に、スピリチュアルなものごとに詳しくてひたむきな人ほど、陥りやすい罠だと思う。

 私たちの生において「真に大切な経験」とは、ほかならぬ自らの心をオープンにすること、相手のことを分かってあげること、そして「許す」ことだろう。
 でも、自分が抱える「正しさ」というのは、かたくなにその逆をやらせてしまうことが多い…。
 これに近い意味で、次のような言葉もある――

 あなたにとって「正しい」ことをするために、誰かを「悪者」にしていませんか? (テリー・コール・ホイテッカー)

 自分の道に確信を抱くために、他人の道が誤っていることを証明する必要などない。そのようなことをする人は、自分自身の歩みに自信が持てない人なのだ。(パウロ・コエーリョ)


 このラムサの言葉はさらに、「両親」との関係について言及している。
 親との確執を抱え続けている人は少なくないし、だからこそこの言葉にハッとさせられるのかもしれないです…。

 自分に対する過ちと「許し」という、この世界で最も難易度の高いレッスンを学ぶ場――。「親子関係」にはそうした重要な側面もあるのでしょう。


【第4位】――

 人生で何を「取り戻せるか」を心配しなくていい。何を「与えるか」だけを考えていればいい。
 生きるとは、最上のものを得ることではなく、最上のものを与えることだ。(ニール・ドナルド・ウォルシュ)


 これは、有名な『神との対話』に出てくる言葉。
 ウォルシュ本人ではなく「神」が語ったというわけだけれど、本の著者名がウォルシュなので、他のものも含めて彼の言葉という形にしています。

 報いを望まずに「愛を与えなさい」ということは、色んな宗教や道徳でも説かれている。
 その大切さはよく理解できるものの、「とは言っても現実には、そればかりしていたら生きていけないからねぇ…」と、どうしても思えてしまう。

 でも、真の現実は、本当にそれさえすればいいのだ。
 自分が死んでから振り返ったとき、その人生の意味や価値は、唯一「愛」によってのみ計られる――。このとこを伝える言葉も、けっこうあります。

 死と向かい合ったとき、大事なのはあなたが与え、受け取った「愛」だけなのだ。他のいっさいのもの――手柄や争いなどは、思い出そうとしても忘れてしまっていることだろう。(リチャード・アレン)

 人は死んだ後、あの世の入り口で誰もが同じ問いを尋ねられる。「どれだけ愛を与え、また受け取ってきたのか?」――。そのときに答えればいいと思っていたら、手遅れになる。(エリザベス・キューブラー・ロス)


【第3位】――

 あなたは道を踏み外すかもしれないが、道を踏み外すことで何かを学ぶ。後に、道を踏み外したことを幸せに思うだろう。
 なぜならば、世の中には道を踏み外すことによってしか学べないことがたくさんあるからだ。(OSHO)



 出典は、インドの神秘家OSHOの講話録『究極の旅』。
 前にラムサの「他人に間違いをする余裕を与えなさい。何てことはない、彼らは叡智を得ようとしているところなのだ」という一文を紹介したけど――、それと同じことを「自分自身の過ち」に対して語った言葉ともいえる。

 自分の過去というのは「失敗や後悔や恥や罪悪感のかたまり」みたいに思えてしまうこともあるだろうけど…、そんなときに素直に励まされる言葉ですよね。

 ある意味で、私たちの歩みは、「道を外れたところにしか道がない」くらいに言っていいのかもしれない。
 それが生におけるプロセスであり、そして次のように語れている通り、ほかの道はないのだろう…。

 たとえ宝が自分の家に埋められていたとしても、それを見つけるのは家を遠く離れたときだ。ものごとの本当の価値を知るのは、それを失い、そして再び手に入れたときである――。その近道を探そうとしても、無駄なことなのだ。(パウロ・コエーリョ)


【第2位】――

 「やりたいことだけをやる」、というのは本当に大切です。そんなことをしたら貧乏になって、狭い家に引っ越さなくてはならなくなると思うでしょう。
 でもその代わり、全身全霊で生きることができます。世を去るときに、自分の人生を祝福することができるのです。(エリザベス・キューブラー・ロス)


 これは、キューブラー・ロスの講演集『死ぬ瞬間と死後の生』で語られているもの。
 おそらく日本のツイッターの中で、キューブラー・ロスの言葉を紹介しているのは僕がかなり多いほうだと思うけど――、その中でいちばん人気があったのが、このあまりにストレートな一言だ。

 彼女の最晩年の著書『ライフ・レッスン』でも、こんな強い調子で言い切っている。

 私たちの個の力は、「なりたい自分」を実現するためにある。その力は、「するべきこと」をするためだけに与えられたのではない。するべきことをしているだけの人生は、最悪の人生である。(エリザベス・キューブラー・ロス)


 また『神との対話』の中でも、先々のことに腐心する失業中のウォルシュに対して、「神」がきっぱりと明言している。

 あなたが本当にしたいことを、どんどんしなさい! ほかのことをしてはいけない。生活のためにしたくもないことをして、人生の時間を無駄にしようなどと、どうして考えるのか? そんな人生が何だというのか? そんなのは生きているのではなく、死んでいるのだ。(ニール・ドナルド・ウォルシュ)

 死ぬときになって、人がいちばん後悔することのひとつが――、
 こうした明快なメッセージを何度も受け取りながらも、いろんな現実的な理由を付けたうえで、本当に「なりたい自分」をあきらめてしまったこと、なのでしょうね…。


【第1位】――

 書きなさい。手紙でも、走り書きでもいい。誰の目に触れなくとも、心を込めて書きなさい。
 書く、という行為は考えをまとめ、自分を取り巻くものが何なのか、はっきりさせる。苦しみを癒し、夢を明確にし、失われていた希望を取り戻したりする。
 言葉には力があるのだ。(パウロ・コエーリョ)


 栄えある1位は、パウロ・コエーリョの短編集『マクトゥーブ』にあるこの言葉。
 僕自身も意外に感じるのだけど、リツイートやお気に入り登録の件数が、ほかのよりも格段に多いんですよね…。

 きっとツイッターをしている人は、自分の経験や思いを、たとえ些細なことでも「書きたい!」と感じていて、そうした気持ちに深く響くからだろう。

 さすが、世界的な作家の「言葉の力」です!



 結びのヒーリング・ミュージックは、Deuter「City of Lights」。
  ☞ コメント:48

 
次の記事→
お金のニュー・アース
←前の記事
ツイッターで紹介した言葉の「人気ランキング」
コメント
7205
意外な1位でしたね。
これがリツイートやお気に入り登録が格段に多いとは。

第5位の「他人に間違いをする余裕を与えなさい」というのは、時と場合によるかなあ・・・と思います。
何を言っているかは分かりますが、例えば子供が虐待されているのを知っているにも関わらず、「その子の親に間違いをする余裕を与えなければ」「自分にとっての正しさを基準に、他者の言動をとがめたり正そうとしてはならない」と思い、注意も通報もせずに子供が暴行されるのを放っておく、死ぬにまかせるといった事は明らかにまずいでしょうし。
そこまで極端な例でなくても、これが所謂「適切な姿勢」であるケースは半々って所じゃないかな。

7206
私が意外だと思ったのは、現実的で実践的なものが多いなあ、ということです。
一昔前はスピリチュアルというと一部の愛好家たちによる机上の空論というイメージもありました(偏見ですごめんなさい…)が、
今は実生活に本当に役立つ知恵として認識されつつあり今後ますますそうなっていくのだろう、という感じがします。

私はツイッターは見る専門ですが、面白くて民主的で大好きです。ネットもツイッターも本当に最近できたもので、この面白い時代に生まれてよかったなと思います。

7207
Clary Sage様

 こんにちは!

 こうしたスピリチュアルな言葉って、自分自身がまさに当事者である場合において、意味を持って役立つもなのでしょう。

 「こういうケースでも、そう言えるのか?」と、どこかで見聞きした第三者の例や、仮定の話を持ち出すと、当てはまりがずいぶん悪くなってしまう…

 そのような性質が、たいていあると思いますね。

7208
ruri様

 こんにちは!

 確かに、意外にも、実践的な言葉が多いですね。
 近年のスピリチュアルの傾向と言えるでしょうか…

 ただ、必ずしもスピリチュアルに興味がある人だけが見ているわけではないので――、現実的な内容のものほど、共感してリツイートされやすい、という傾向はあるかもしれません。


 たとえばフーマン・エマミという覚者の以下の言葉の場合、僕はとても素晴らしいと思うのですが、こうしたディープな内容ほとんどリツイートされないです…

 「この人生は、あなたのものではない。
 それは、『これ』のものだ。
 この夢の中で、あなたのリアルなものが目覚める」――

7209
THAT IS系?は難しいですね…
光奈さんが以前、大切なことは人から人へ伝えるのが難しい場合がある、というような記事を書かれてましたが、それの最高峰なのかもしれません。
何人もの識者が同じようなことを言っているのだから、状況証拠的には真実なのだろうと思うのですが、自分の腑に落とすとなると、なぜか別問題のようになってしまうのですよね…

ちなみに2位のキューブラー・ロスを読んだ私の感想ですが……
「それが真実だったらいいよね。いや、真実なんだよ、状況証拠的には。……??(何が問題なんだろ??)」

7210
自分が当事者である時だけ意味を持つというのは
多分違うんじゃないかな。
というか、スピリチュアリティに関する言葉は大体皆「全員が当事者」です。
非常に分かりやすい例として子供の虐待を挙げましたが、「他人に間違いをさせる余裕を与える」といった事は私も当然無縁ではないです。これに無縁な人は世の中にはまずいないでしょう。親や兄弟姉妹がとても素晴らしく、出会う人・見かけるすべて素晴らしい人格の持ち主、といった人くらいでしょうか。

私はスピリチュアリティに関する言葉はそのまま受け止める事が殆どなのですが、たまに「何を言わんとしているかは分かるし間違ってはいないけれど、当てはまらないケースも多すぎないか」という言葉も見かけます。
重箱の隅をつつくように「こういうケースだってあるじゃないか」とかいうのではなく、普通に読んで、ちょっと考えても例外が多すぎると思えるものです。

「全面的には賛同できない。時と場合だな、これは」というのも、更に進んで「こりゃ間違ってるな」と思う考えも、これだけ数ある中にはいくつかあって当たり前だと思います。
「誰それが言ったから」と言って全部賛同する理由は無いですし。(因みにラムサは好きです)



7211
これです
私もこれでした。
こないだのはブログの方でしたね。かっこの名前があるのがツイッターですね。

この「書きなさい・・」と、ブライアン・L・ワイスの
「罪悪感とは、自分に対する怒りの形だ・・」と
エックハルト・トールの「あなたは、どんな世界に住んでいますか?・・」
がメモ帳にあります。
プンジャジさんはデスクトップにおいでです。
ウォルシュさんは再読中。

「書く」ことは自分から離れられるとてもいい方法で
「言葉」は、もやもやの中から最初に形になるタマゴみたいなもの?
「心をこめて書く」ことが誕生のエネルギーになるのかな。
メモ書きから始まる私の作る物もだけど
生きてること、行動、関わり、世の中の流れ、いろんな創造の。
って思いました。

7212
書きなさい????!!!!
うぎゃーーーーーーん、、、小論文が苦手で、、そのせいで資格試験を落ち続けている私に向かって・・・・しくしく・・・・書きますよ・・書きます・・

7213
1位のことばは納得です。

悩んでいることでも、
書いているうちに気持ちが整理されてくる時は多いです。

ブログを始めてみて書くことの効用を知りました。

7214
瞬時にチョイスできる『知識の引き出し』
広大さんの『知識の引き出し』に感服です。
過去記事を読んでいても、テーマ毎に的確な『珠玉の言葉』を載せていて、その読書量と要点整理に頭が下がります。
何百冊の本を読んでも、その知識が生かされないと(応用)
意味がありませんもの(忘れっぽい私)……。
私もメモってはいますが、広大さんにはとても及ばないので見習うことにします。

安部ブロガー(いまここ塾)絶賛のフランス在住女性について、広大さんなら、どう捉えるだろうと興味津々です。
いつの日か感想(見解)を聞かせてくださいね。

コメンターへの返答も丁寧で誠意にあふれていますし、冷静で思慮深い内容に感心しきり……。
『類は友』と言いますが、広大さんのファン(コメンターの方々)は、その質がいいというか、ステキですね。
広大さんの出すものが、得るものなんでしょうね。
ありがとうございます! (●⌒∇⌒●)


7215
深いですね,深い。意外な感じもしまた、じわじわ納得する一位でした。ワタクシなどは広大さんのブログやツイッターでちらっと見たり読んだりするだけで全く勉強不足ですが、それでもちょっと心に引っかかる言葉を自分の体験から得た身体の感覚とジョイントして覚えるようにしています。これからは『書く』も付け加えようと思いました。

7216
光奈さん、こんばんは。

1位。書きなさい!
少し前に、来年は絵手紙の年にすることにしました。
心を込めて絵手紙を書きまくるのです(私の場合、絵より言葉重視)。
そのために、さほどやりたくないことはやめます。

2位、やりたいことだけをやる。
を読んでいたら胸がいっぱいになって泣きそうになりました。
全身全霊の人生、最高です。

今日の絵手紙教室。
心配された自己中心的な人物さんも何も問題を起こさず、
(絵手紙を仕上げるのに一生懸命で、問題を起こす余裕なし)
スイスイ進みタイムスケジュールより早めに終わりました。
あまりの平穏な展開にスタッフさんも物足りなさそう(?)でした。

頼まれたことは引き受けるのが私の信条ですが、
今後は本当にやりたいのか、を自問します。

7217
どの言葉も胸に染み入りました。とくに、3位と2位は力強い励みになりました。好きなことをして失敗するのがいいのか。やりたいことをがまんして無難だと世間がいう道を歩むのか。私は前者を取りました。しかし、今ここで生きています。もし、あの時、していなかったら、この年になってもずっと悔やんでいるとおもいます。これからもそうです。一回しかない大事な人生です。自ら命を絶たない限り、なんとかなりますね。ありがとうございます。今回のベスト10、どれも心にしまっておきたいと思います。

7219
ruri様

 こんにちは!

 やりたいことをやって、思い通りにうまくいくかどうかはもちろん分からないものの――、
 でも、それが魂の望むことであれば、「世を去るときに自分の人生を祝福することができる」というのは、本当でしかあり得ないでしょう。

 世を去るときには、魂だけの存在になって、まさに魂の価値意識から人生を振り返るわけですから。

7220
Clary Sage様

 こんにちは!

 僕自身の直接的な経験だと――、会社の仕事でも家族関係でも、不当に非難してくる相手のことを分かってあげたり、トラブルを伴った関係性を受け入れたことが、自分にとって本当に大切なレッスンの機会であったと振り返ることが少なくないです。

 それよって、生きることが格段に軽やかで楽になったし、相手の態度や考えも変わっていくことがありました。


 「他人に間違いをさせる余裕を与える」ということについて、僕はむしろ「当てはまるケースがとても多い」というふうに実感しています…。

7221
りこ・ディーン様

 こんにちは!
 それは大変ですね…。

 でも、いかに小論文がつらくて、試験で大変な思いをしているかといった本音のことは、案外さらさらと書けたりするのではないかと思います。

 「書きなさい」というのは、そうした自らの率直な思いのことを指しているのではないでしょうか。
 コエーリョ自身も、かつて学業を放棄して旅に出てしまった人ですし。

7222
実杏様

 こんにちは!

 色々と書き留めていただいてるようで、とてもうれしく思います。

 「言葉は、もやもやの中から最初に形になるタマゴみたいなもの」って、うまい言い方ですね。
 僕自身も、最初はとらえどころのないぼんやりした「意味のかたまり」みたいなものが浮かび上がってきて――、それを言葉の形に置き換えることによって、自分で理解したり、誰かに伝えることができます。

 でも、その言葉への置き換え作業は、「脳の肉体労働」という感じですね…。

7223
まりりんご様

 コメントを有難うございます!

 ブログを書かれている方には、本当に共感できるメッセージですよね。

 僕自身も、ブログに書くことが一種のアファメーションのようになって、自分の生き方や周りの状況も変えていっているのではないか…、なんてふうに感じることもあります。

7224
風子様

 こんにちは!

 スピリチュアル分野の本を読み始めた当時、ハッと気付かされる内容があっても、自分でも不思議なくらい、いつの間にか忘れていました…。
 たぶんエゴ・マインドが、「こういう都合の悪い情報は、なかったことにしよう」と、忘却の縁に追いやっていたのかもしれません。

 本の内容を書き留める習慣は、そうしたエゴの働きに対抗するためだったとも言えます…。

 大和田さんの本はとても興味がありますので、近々読んでみたいと思っています。

7225
いづんつぁん様

 コメントを有難うございます!

 「心に引っかかる言葉と、自分の体験とをジョイントさせる」というのは、大切なことですね。
 こうした言葉は、その言葉そのものを論評するためにあるのではななくて――、自分自身の問題に当てはめて、新しい可能性を検討することこそが大切だと思います。

 論語にある「学びて思わざれば、すなわちくらし。思いて学ばざれば、すなわちあやうし」にも、ちょっと近いかもしれないです。

7226
あおむし様

 こんにちは!

 素敵ですね。上位2つの言葉を地で行く感じです。

 きっとまさに「世を去るときに自分の人生を祝福することができる」と思います!

7227
丹後のきんちゃん様

 こんにちは!

 僕も、もし会社を辞めるタイミングを失って、そのままサラリーマン生活を続けていたとしたら、ずっと悔やみ続けるに違いないと思います。

 そうならない選択ができたことを、自らたたえていいのかも知れないですね。
 その上でさらに「何とかなっている」わけですから、本当に有り難いことだなと感じます。

7229
いつも、ためになったり、慰めになったりしてますが
時々思うのは、一回の情報量が多すぎて
もったいない・・・。なんだか生き急いでみんなに伝えてみるみたいに感じてしまうので、心配になる。
わたしの知識とかが足りなくてついていけてないだけかもしれないのですけど・・・。

7230
なのはなS様

 コメントを有難うございます!

 書いている当人も、ブログとしては情報量が多いな、とよく思うのですが…

 でもいつも、複数回に分けて載せるには話の区切りが良くないし、この内容を伝えるためにはこんな説明も加えたほうが分かりやすいし…と色々と考えつつ、結果としてこのような分量に落ち着いています。

 このスタイルでもう4年目ですから、別に急いでいるわけでは全然なくて、まだまだ続いていくと思いますよ。

 本のエッセー集の感覚で読んでいただけたら、これくらいのボリュームで適量なのかもしれないです。

7231
いつもすばらしいことば、
いつもすばらしいことば、ありがたいですね。
わたしは、8位と1位のことばがすきですね。
8位のことば:何をしていようと、お前が何かを本当にやりたいと思うときには、その望みは宇宙の魂から生まれたものなのだ。それが、地球におけるお前の使命なのだよ。(パウロ・コエーリョ)。
いやあ、これには参りました。ほんと、そうですよね。まったく同感です。

1位:書きなさい。手紙でも、走り書きでもいい。誰の目に触れなくとも、心を込めて書きなさい。(パウロ・コエーリョ)。
これもすばらしい。ほんとそうです。わたしも書いてますが、こういう気持ちから書いていますね。学生にも書くことを奬めるわたしです。こうしてみるとわたしパウロ・コエーリョって作家が好きなんですね。新しい発見でした^^。

7232
光奈さん、こんにちは。

昨日は中2の姪っ子が学校を休み、我が家に1日いました。
食欲はあるし、フツーにおしゃべりもしていたけれど、
朝泣いていたそうです。そして母親(私の妹。保健室の先生)に送られて
我が家にやってきました。

昼間に地震がありました。昨日は私も朝から朦朧としていて
結局やりたかったことの半分もできませんでした。

3.11の時(金曜日)も姪っ子が朝から預けられました。
姪っ子のおかげで(図書館で借りたかった本も誰かに貸し出されてしまって)
私は外出をしませんでした。地震前の猛烈な睡魔もありましたし。
外出していたら、電車ストップで歩いて帰宅したはずです。

昨日の朝、姪っ子がなんで泣いていたのか気になりますが、
姪っ子にも色々なこと、様々な思いがあるのでしょう。

友達が不登校(最近は保健室登校)で、おとといはその子と遊んでいました。
自分も友達と同じことをしたかったのかな。
今日は土曜日ですが、登校日。姪っ子は登校したようです。

姪っ子に願うことは、本当にやりたいことをやってほしい、それだけですね。
近日、姪っ子たちへの絵手紙にその言葉を書きます。

7233
前記事のあおむしさんへのコメントに
他人を正そうとするその思いこそが戦争につながってしまう、とありましたが、やっぱりこれは一面的な考え方じゃないかなと思います。
その思いは戦争につながる事もあるかもしれませんが、愚行を止める事も、他人を助ける事も、誤った認識に気付かせる事もある。

前から思うのですが、この辺に光奈さんの結構強い「思い込み」があるような気がするんですよね。もしくは恐れと言うか。
私は「平和主義」というのは、軋轢を恐れ、良くないものと見なし排除するという事ではないと思っています。それをやる平和主義はただの事なかれ主義というか・・・軋轢を恐れず、受け入れる事が本当の平和主義なんじゃないかと。

不必要な軋轢を生じさせる必要はありませんが、それを恐れていたら何も出来ないというケースはこの世界には多いと思います。
子供の虐待の例を出しましたが、もしその親に注意したり通報したりすれば軋轢を生じるのは必至でしょう。でも、軋轢を生じさせないために見て見ぬふりをするのが良い事なのか。

エリザベス・キューブラー・ロスはエイズの子供のためにセンターを作りました。それは本当に善意からであって、誰が見ても良い事と言えるでしょう。
しかし、エイズを必要以上に恐れる地元住民からは大反対に遭いました。
最終的にその反対派はキューブラー・ロスの自宅に放火、全焼させました。
彼女は「地元住民との軋轢を生じさせないために、エイズの子供のためのセンターなど作るべきではなかった」のでしょうか?
地元住民への説得は熱心に行われたと思いますが、「他人を正そうとする」のは間違いだったでしょうか?

ネルソン・マンデラが「他人を正そうとする(人種差別をやめさせようとする)」のは間違いだったでしょうか。確かに、白人との軋轢が生まれ、ある意味戦争になったと言えるでしょう。
でも、だからと言って、何もせずに同胞が苦しむままにしておくのが最善だったのか。白人が間違いをする余裕を与え、自然に(何百年かかろうとも)自らの過ちに気付くまで放っておくのがベストだったのか。

「他人を正す」というのが、傲慢や誤った善意(異教徒をキリスト教に改宗させるとか)から来る事も多いのは確かです。
個人的な日常でもこういう事で不要な軋轢を生じる事例は山ほどある。それは本当にその通りです。
でもそうではないケースもひっくるめてしまうのはやはりまずい。

私も、間違った意味での「他人を正す」というのは見てきました。
でもその逆、「他人を正すべき時にそれをやらない」というのも見てきました。
だから、ケースバイケースだと思うのです。



7235
皆を引き付ける言葉の力。言霊はその人の思いやエネルギーが詰まっている量が格段に大きいのかもしれませんね。

7236
【第5位】について
 幼児の危険な行為を大人が止めるのも間違いですか?
小さな宇宙人アミが人間のエゴを批判するのも間違いですか?
シルバー・バーチやイザヤのような高級霊が現在のキリスト教を批判するのも間違いですか?

 要するに、ここに挙げられたラムサ、テリー・コール・ホイテッカー、パウロ・コエーリョ等の箴言は誰にとっても当て嵌まるものではありません。
現在の光奈広大さんに近い霊的レベルにある人達にとって有効な教訓だということです。
光奈さん自身、もっと進歩するとまた受取り方が変って来ると思いますよ。

7237
天安様

 コメントを有難うございます!

 コエーリョの一言は、見事に言い合当てているなとよく思います。

 8位のところで紹介した「船は港にいるとき最も安全であるが、それは船が作られた目的ではない」というのも――
 「挑戦」とか「人生」という言葉を一つも使わずに、誰が読んでもその意味だと伝わるところがすごですよね。

7238
あおむし様

 こんにちは!

 僕の高校生の息子も、小学校・中学時代のいじめの経験もあって、引っ込み思案で人づきあいがかなり苦手です。
 親友と呼べる相手もほとんどいなくて、唯一、同じクラスのほぼ不登校の子とだけは仲がいいです。

 そのほぼ不登校の子にとって、僕の息子がいてくれることだけが「学校生活の楽しみであり、心の支えになっている」と担任の先生に話していたそうです。

 そういうのも、青春をアクティブに謳歌する以上に、実は大切なことだろうなと思いますね…。

7239
Clary Sage様

 こんにちは!

 マンデラもガンジーもマザー・テレサも、最大限に尊敬すべき人類としての偉業ですし、その意志や行動を「間違い」なんていう考えはまったくないです…。

7240
tetsuboy様

 こんにちは!

 本当にエネルギーが強い言葉だと感じます。
 でもどれも、普通の本屋で売られているものですから、そういう世界に生きていることも素敵なことだなと感じますね。

7241
666様

 コメントを有難うございます。

 こうした言葉が「誰にとっても当てはまるものではない」というのは、そもそもの大前提に思っています。

 例えば2位のキューブラー・ロスの言葉なんて、僕自身がふだんブログに書いている「日常生活や家族を大切にする」というのとはまるで正反対ですし…。

7242
姪っ子不登校の理由
光奈さん、こんにちは。

まず姪っ子の不登校の理由がわかりました。
修学旅行中に部活練習をきちんとやっていたか先輩に聞かれ
さぼっていた人もいたと正直に報告したら、
さぼっていた同学年の人たちの反感を買い、
キモイとか言われたようです。プチいじめですね。

姪っ子が休んだ日に別の子が先生にそれを報告したようで、
キモイと言った子たちも泣いていたそうです。
私は泣かない子供だったので、すぐ泣けてうらやましいです(笑)。

たぶん、今回の件で、姪っ子もキモイと言った子も姪っ子を助けてくれた子も
大事なことを得たと思います。

勉強はできるが、計算(想像)のできない姪っ子のバカ正直な対応。
私はいいなと思いました。
姪っ子には時には傷ついて強くなってほしいです。
そしてキモイと言った子たちを恨まない子でいてほしいです。

昨日姪っ子に会ったら、元気にしてました。よかった。

7243
光奈さんやあおむしさんのコメントを読んで・・・

IQというものは、確かにありますが、
EQというのは、ただの概念で実際には無いような気がします。

実際にいるなら手本にしたいのですが、
性格や人間性や価値観が自分と異質な人の気持ちがよく分かる人、
というのを一度も見た事が無いので・・・

IQは知能の高低ですが、EQというのは、単に、
性格の平均値にどれだけ近いかを示す指標のようなものだと思います。

性格や価値観が平均値に近い人は、
こういう場合にどういう風に感じるのか、考えるのかと言う、
自分の心理を他人に投影した場合に、
それが当っている確率や、それに近い確率が高くなりますが、
平均値から遠い場合には、当然、その確率が低くなります。

数学なんかの問題は、決まった解法があり、答えは一つしかありませんが、
国語なんかの、主人公の心理や作者の心理を答えさせる問題は、
答えは幅がありますし、解法自体がありません。
(なぜその様な答えになるのかの説明が無い)
自分が考えたこと感じたことが、単に答えを決めた人の主観に近いかどうかで、
当否が決まるだけです。

意味不明な文章かもしれませんが、
EQもこんな感じではないでしょうか?

自分と比較的同質な人には、自分の心理を投影して分かってるつもりになり、
異質な人には、自分の欠点なりネガティブな部分を投影して分かってるつもりになり、
人間は、そういうことをしているだけのような気がします。

7244
あおむし様

 こんにちは!

 中学生らしい、いい人生経験ですね。

 うちの息子は「帰宅部」なので、そういう経験はないです…。
 ただ息子が最近アメリカの「おたくアニメ」に入れ込んでいて、四六時中ひとりで動画サイトを見ているうちに、ヒヤリング能力が劇的に伸びました。

 何がどう展開するか、分からないものです。

7245
korva様

 こんにちは!

 korvaさんが言われる、「自分と比較的同質な人には、自分の心理を投影して分かってるつもりになり、異質な人には、自分の欠点なりネガティブな部分を投影して分かってるつもりになる」というのは、優れた洞察だと思います。

 僕は実は読んでないですけど、養老孟司のベストセラー書「バカの壁」も、まさにそういう要点なのではないでしょうか。

7248
どうも最初から話がかみ合いませんね^^;
「いや、そういう事を言ってるんじゃないんだけど」というレスが続きましたが、しょうないですね。まあ、人との対話には少なからずある事なので。


「性格や人間性や価値観が自分と異質な人の気持ちがよく分かる人」は厳密に言えばいないんじゃないでしょうか。
「気持ちがよく分かる」というのは、その言葉からしても自分と似たような性格、人間性、価値観そして体験に限るでしょうね。「自分が持たない感情を分かる」のは多分無理です。自分はその人ではないので。
所謂虫も殺せない人が、非常に粗暴な性格の人の気持ちがよく分かるかといったら、そりゃ分からないでしょう。
「よく分かる」としたら、その虫も殺せない人も実は同様の感情を持っているからす。
でも、裁かない事は出来る。相手の気持ちを想像する事や、慮る事、理解しようとする事は出来るし、受け入れる事、愛する事は出来るでしょう。

私はEQというのは言葉しか知らないし詳しい事は分かりませんが、「内面的に素晴らしい性格」という意味でしたら、EQが高いというのは、私的には「性格や人間性や価値観が自分と異質な人の気持ちがよく分かる」という意味ではないです。



7249
皆さんのコメントを読んで、
ぼんやりと感じたことを書いただけなので、
特にClary Sageさんに対してということではないですし、
否定的な意味は全く有りません^^

人は、そう簡単に偉くなれませんし・・・
スピリチュアルな事柄でも、
教義化すれば、人を序列化できるので、
偉くなったと思うのは簡単ですが、
光奈さんや皆さんは、もちろん、その反対の方向でしょう。

人のことは、そうそう分からないので、
自分と違う考えや意見の人にも、
人として当たり前の敬意を払える光奈さんのあり方は、
素晴らしいと思いますし、かえって、人よりも、
物事が分かっているんだろうなと感じます。

少なくとも、人の立場を分かろうとする意識とか、
その人なりの正当性があるのだということが、
分かってなければ、敬意も払えないと思うので。

7253
いや、勿論
Korvaさんのコメントが特に私に対してのものとは思っていないですし、否定的な意味があるとも思っていません。
まあ、ちょっとシニカルな考えだなとは思いましたけど、私も本文やコメントを読んで自分の思った事を書いているだけです。確かにKorvaさんに宛てて書いている面もありますが、基本私は何かの材料を元に考える事が好きなので、今回の「考える材料」がKorvaさんのコメントだったというだけです。誤解させてしまってすみません。




厳密な意味での、自分と性格や価値観が違う人の「気持ちがよく分かる」というのは無理だろうと思いますが、自分と異なった価値観を「認める」事ができる・・・というのは普通によくある事でしょうね。
卑近な例で言えば、「自分は自動車や腕時計は動けばいいと思っているし、必要がなければ買うつもりもない。でも、高級自動車や高級腕時計が好きな人の気持ちも分かる」とか、「自分は子供を欲しいとは全く思わないが、子供を持ちたい人の気持ちも分かる」とか。
要するに、「自分と違う価値観の人を、自分の考えや感覚と違うというだけで見下したり、批判したりしない。相手の望みや選択を尊重する」という人なら、ざらにいると思います。
尤もこの「価値観」にもよるとは思いますが・・・・例えば相手が非常にネガティブで差別的で暴力的な価値観を持っていた場合、見下しはしなくても、どうしても批判はしてしまいがちでしょうね。
でも、よほどそういう意味で抵抗がある場合を除き、自分と性格や価値観や考えなどが異なっている人を「認める」事が出来る、自分と異なった性格や価値観や考えに敬意を払う事が出来るという人ならば、この世界に非常に多くいると思います。
Korvaさんもそういう人なら何人もご存知かと思いますが、(光奈さんもそうでしょう)そういう人では「お手本」にはならないのでしょうか。








7256
Clary Sageさん、レスありがとうございます。

シニカルと感じたということですが、
私は昔キリスト教の勉強をしていたり教会に通っていたりして、
特にキリスト教徒が他の人たちに比べて愛のある人たちだとは思えませんし、
私自身、結構 左巻きの人間なんですが、左巻きの人たちを見てて感じるのは、
左翼思想というのは、エリート意識やマイノリティー意識とは非常に相性がよくて、
根本にあるのは、大衆への蔑視や憎悪だったりするのだなぁと・・・
そして、彼らの、無意識的にダブルスタンダードを駆使する様は、
見ていて非常に気持ち悪いです。

良いことをすれば、良いことが返ってくる、
悪いことをすれば、悪いことが返ってくる、
というカルマの法則が、もし、あるとすれば、
悪いことを返す、というのも、神の愛の一つの側面ですよね。

本当に残虐なことが悪いとするなら、
人間は肉食なんか止めればよいと思いますが、
肉食を止めたくない人は、いろいろと言い訳を考えるでしょうし、
逆に、肉食をしない人を批判したりします。

また、鯨やイルカは知能が高いから、食べてはいけない、
他の動物は、比較的 低いから、食べてもよい、というのは、
IQが高い人は、自分より低い人には、
不当なことをしてもよいということになります。
人と動物は違うというのなら、
人種が違えば・・・という話にもなりますし。

聖職者や経営者はサイコパス的な人が多いということですが、
人が肉食を、ごく自然に合理化できるように、
他者を道具扱いすることを、
ごく自然に合理化できるのかもしれません。

人には色々と役割があるので、なんとも言えませんが、
ただ、真から優しい人には、心を動かされるので、
自分もそういう人になりたいとは思います。

7260
私も動物たちの実態を知り、即効ヴェジタリアンに転向した口ですが
(残念ながらヴィーガンではないのです・・・魚を食べるのにも抵抗はあるのですが・・・)「逆に肉食をしない人を批判したりする」というのはよく分かります(笑)
「何言ってんの?」というくらい理屈の通らないいちゃもんを付けられたり、というのは私もそうですが、多くの人が1度は2度は経験した事があるようですね。
そういう人は「肉食をしている自分を批判されている!」と思っているようなのですが、私だってそれまでずっと食べていたのだから批判する気持ちなんか無いんですけどね・・・。

ヴィーガン・ヴェジタリアンの人は皆「人間は動物の肉を食べなくても生きていけるのだから(食べなければ死ぬのなら仕方ないと思いますが)物凄い大量の動物を劣悪な環境で飼育し、殺すなんて事はなくなって欲しい。人間が肉食をやめてこんな事が無い世界になったらどんなにいいか」と思っています。
でも、ほとんどの人たちは肉食をする人たちを非難してはいません。何故なら自分たちもずっとそうしてきたからです。
自分もずっとやってきた事をしているからと言って非難する人は、まず滅多にいません。(たまにはいるかもしれませんが・・・)
そこは、特にヴィーガン・ヴェジタリアンに敵意を向ける人たちに分かって欲しいなと思います。まあ、大分変わってきたとは思うんですけどね。


私は組織宗教は(新旧含め)好きでもないし興味もなかったです。
キリスト教にほんの少し興味を持った事はありますが、教義を聞いて「こりゃ駄目だ」と。とても信じられない。これはどんな宗教でも同じだったでしょうけど。


「サイコパス」が、人間を道具として扱う事を合理化しているというのはそうでしょうね。
色々な信念(思い込み)というものがあり、それに基づいて世界を見て、考え、話し、書き、行動する。
「この世界は弱肉強食だ」とか、「多くの人間を支配し、痛めつけ、自分の手足として使える者こそが強者であり勝者だ」とか、その類の信念を持っているのでしょう。
一つ救いがあるとするなら、信念は変えられるという点ですが。


私も真に優しい人は好きですし、そうなりたいですね。















7261
さっき、コメントを書いたのですが
「不正な投稿」という表示がされてコメントできませんでした。このブログでは初めてです。(違うFC2のブログでなら一度あります。どの言葉が原因なのか、色々変えてみましたが結局分からずじまいでした)

ヴェジタリアンやヴィーガンについて書いたのですが、まさかこれ?「イスラム教」という言葉も入っていたので削除しましたが駄目でした。

調べてみると「迷惑コメ欄」というのがあるそうなので、もしそこに入っていたら取り出してもらえませんか?

7262
Clary Sage様

 こんにちは!

 「価値観の異なる他者のことを、本当に理解することができるか?」は、実に意見の尽きないテーマです。
 一方で、それに関連して、僕自身が求めていきたい方向性は――

 信念や生き方が相容れないような相手でも、たとえば同じ場所にじっと静かに座っていれいれば、「親密な空間」を共有することはできます。

 禅の、誰かとただ一緒にお茶を飲む「喫茶去(きっさこ)」というは、そういうことなのでしょう。

 議論がほとんど交わらなくても、「私」というものがその交わらない「平行線の1本」なんかではなく、共有する「空間の広がり」そのものであることを見いだす。
 その共有は、嫌悪や対立や争いの真っただ中にも現れる――。

 私たちの生の目的は、実は議論を尽くすこと以上に、そういうところにあるのではないかなとも感じています。

7269
Clary Sage

 こんにちは!

 先ほどコメントを取り出しておきました(確かに「迷惑コメント」の中に分類されていました)

 ブログ管理者の僕自身も、よく同じようにコメントをはねられます…。

 しばらく時間を置いてから投稿すると、同じ文面なのに問題なくアップされることもあって、どういうルールなのか不明です。

 「迷惑コメント」から取り出すことができるということを、実は今回初めて知りました…。

7343
転載
前回同様、自分のブログに転載させて下さい。よろしくお願い致します。

7345
月光舎人様

こんにちは!
ブログの引用や紹介などは、ご自由にしていただいて問題ございません。

よろしくお願いいたします。

コメントの記入
 管理者にだけ表示を許可する


プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

最近の記事
ツイッター

CALENDaR 12345678910111213141516171819202122232425262728293031
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。