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  人には、自分を「不幸せ」にする力はあるけれど、
  自分を「幸せ」にする力はない――

 ということを、最近けっこうよく感じます。
 これだけだと手短に言い切りすぎているから、少し補足すると…

 「不幸せにする力」とは、自らの内に「自分は不幸せである」という気持ちを生じさせる能力のこと。

 つまり、「自分にはあれがない」「自分はそういうのに値しない」「自分はこのどうしようもない状況にいる」「もともと自分はみじめな人間だ」――、だからこそ自分は不幸せなのだと考えて、リアルに実感するパターンのことだ。
 この力は、たいていの人は、かなりふんだんに持っていたりする…。


 一方で「自分を幸せにする力がない」というのは――
 人が乞い求める「幸せ」な感覚やエネルギーというのは、もともと私たちの内に「最初からあるもの」であり、それは意志や努力によって生じさせたり、なくしたりできるものではない、ということ。

 幸せというのは、その「最初からあるもの」をただ感じ取るかどうかであって――、自分を幸せにする力なんていうのは、そもそも私たちに必要がないし、そのような力が存在する意味さえないものだ。


 すごく逆説的だけど、前述の「自分にはこれがないから不幸せだ」という色んな条件付けさえ取り去れば(ある意味で覆いを外せば)、内に秘められた「幸せ」な感覚が自ずと表れ出てくる性質があるのだと思う。


 幸せは「副産物」なんかではない。
 何かを達成したり実現したことに伴って、副次的にやって来るものではない。お金やパートナーが与えてくれるものではない。

 幸せというのは、私たちの生における圧倒的な主軸であり、本質的・根源的なものであり、無条件に内在しているものだ。
 それは、私たちに見いだされて表出する機会を、常にじっと待ち続けている――。


 もちろん、自分の望む状況が実現して幸せな気持ちになることはあるし、それは言うまでもなく素晴らしい経験だ。
 ただし、諸行無常・有為転変のこの世において、そうした幸せはけっこう「もろい性質」と言える。

 条件付きの幸せを手にした人にとって、状況の変化は「幸せの終わり」を意味することにもなる…。


 最も強い幸せとは、実現した条件に応じて得られるものではなくて、特定の理由もなく「ただ内に感じる」というタイプの幸せでしょう。
 最初から内にあるそれは、外側の状況に必ずしもよらず、無条件に見いだして感じることもできる。

 でも、それを感じてみようとする人は、けっこう少ない。
 たいていの場合は、幸せになるために必要な条件をとにかく満たそうとして、その裏返しとして前述の「自分を不幸せにする力」を発揮し続けることになってしまったりもする…。


 禅などでの探求は、「無について論じるのではなく、無そのものになる」ことだといわれる。
 教義の知的解釈に努める人は多くても、教えが指し示す「自らの内にあるそれ」に直接的に向かう人は少ないともいわれる。

 「幸せ」についても、同じ図式があてはまると思う。


 たとえ自分の念願がかなわなかったとしても、望みどおりにいかなかった無念の過去があったとしても――、後悔し続ける必要なんか、きっと全くないのでしょう。

 追い求める条件が実現しなかったことによって、あえてその条件付けを手放すことになったのならば、実は良かったのかもしれない。
 もし仮にそれが実現していたとしても、それを通じて本当の幸せになることは、無理だったのかもしれない…。

 そして実現しなかったことによって、「無条件の幸せ」に少しでも近づいたわけだから。


 外側の条件に頼らずに、内なる幸せを感じることは、ものすごく希薄で頼りないことのように思える。

 でも、その精細な幸せを内にずっと感じていれば、おそらく宇宙はそのままでは放っておかないだろう。
 内面の幸せにふさわしい状況が、現れずにいられない――。そういう性質もあるのだろうと感じます。



 結びのヒーリング・ミュージックはDenean「Angels Calling Me」。

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コメント
7404
ものすごーくたまに
本やテレビ等のほんの一言を見たり聞いたりしただけで、理解(?)のようなものを感じる時があります。

ずいぶん前ですが、テレビを付けたら自殺未遂を繰り返している女性のインタビューをやっていました。その人は多分うつ病だったかと思います。
見ていたのは1~2分ですが、その人が「私は自分の事が大嫌いだ」と言った時に、「自分を嫌いというのは思い込みに過ぎない」と思ったんですよね。
その人は「自分が嫌いな理由」はいくつも挙げられるでしょう。自分はこうだから、ああだから・・・・でも何というか、「そんなのは全部どうでもいいのだ」と感じました。

幸せもそうですが、「自分にはこれがないから自分が嫌いだ」「自分はこうだから自分が嫌いだ」という色々な条件付けを外せば、自分を愛する事、内に秘められた愛を感じる事が出来るのだと思います。

7405
スピビジネスの氾濫と、その被害者たち
『教義の知的解釈に努める人は多くても、教えが指し示す「自らの内にあるそれ」に直接的に向かう人は少ないともいわれる……』

この実情が、スピビジネスを繁栄させ、結果的に被害者を創ってしまったのでしょうね。(スピ中毒になって高額費用を吸い取られる)

最近になって脱スピが加速し、『あるがままの自分を愛する』ことに目覚めた人たちも増えていますが……。

スピ被害者の方々が、「自らの内にある“それ”」について、真摯に、情熱的に、魂レベルの自分自身を知りたいと切望するまでには、まだ時間がかかるかもしれません。

条件付きの幸せを求め、結果、諸行無常・有為転変を体験しなければ、「自らの内にある“それ”」の素晴らしさにフォーカスするのは難しいかもしれませんね。

ひとり、ひとりが、『愛の光』であることを思い出せたら、それこそ、一足飛びに次元上昇なんでしょうが……。

広大さんはもとより、私たちも『自らの内にある“それ”』を発信していきましょうね。




7406
こんばんは。いつも足跡つけさせていただいています。

今回の記事、私に向かって書いてくれたのかしらんと勝手に思わせていただきました(笑)

人(自分)を不幸せにする力のくだりはよく分かったのですが
逆に幸せにする力のあたり、2度3度読み返しましたがうまく理解できませんでした。
同じ状況下でも「不幸だ」と感じるか「幸せだ~」と感じるかは考え方次第・・・
というのとも、ちょっと違いますよね?

何かが掴めそうな気がしているんですが・・・
頭が冷えた頃にまた熟読して、おぼろげな感覚を確信にしてみたいと思います。

よく分からないこと言ってすみませんm(__)m
また立ち寄らせて下さいね。

7407
同感です。五体満足な体があるだけでも、夜露をしのげる場所があるだけでも幸せと感じられるかどうか。本当に、いろんな事が起きても、そこにすぐ戻れる力があるかどうかが幸せを感じる力。感謝を感じる力と言っていいかもしれません。禅は無。まさにその通りだと思います。教義でも理屈でないです。暑い日に風が頬をなでて通る。そこに禅があると言った人がいました。その話を聞いて「わかった。」と思った次第です。

7408
Clary Sage様

 こんにちは!

 自己への嫌悪や否定というのは、やはり「思い込み」でしょう。

 でも、単なる思い込みだけでは自分自身への説得力も足りないから、嫌うための「根拠となる出来事」を引き起こしてしまったりもする…。

 そうした出来事や思い込みの根っこには、幸せについての「条件付け」がたいていあるものだと思います。

7409
風子様

 こんにちは!

 一昔前は「ひとりの師をたくさんの弟子たちが取り囲む」という形が基本でしたが――、最近は「波長の合う人同士がサークル的に集う」という形のものが増えてきて、それはいい流れだなと感じます。


 この地上世界におけるスピリチュアルとは、突き詰めれば「生きること」であると考えています。
 「生きること」そのものがビジネスにはならないのと同様、スピリチュアルもビジネスには馴染まないようにも思いますね…。

7410
今のままでOK
光奈さん、こんにちは。

私は幸せだ、が口癖のひとつですが、幸せとは何かの答えが曖昧で、
というか、具体的な幸せを求めない自分がいます。
幸せは自分の中に既にあると確信したからでしょうか。

健康は有難い。健康でなくても有難い。
健康を求めている私がいますが、それはそれで良いのでしょう。

無条件で幸せ。20世紀の私にはあり得ない発想でした。
何かを追求することが、向上心&成長だと思っていましたね。
今のままの私ではダメ!といつも思っていました。
だからいつも心がザワザワしていて、
今よりずっとお金・物・人間関係が充実していたのに
幸福感や安心感がなかったですね。

色々求めなくなって、こうなればいいなあということが現実化してますね。
今日は午後から交通手段のないある場所へ行くことになっていたのですが、
昨日ふとした会話から、送迎車を無理なく手に入れたのでした。
送迎してくれる方も、私からほしかったものを手に入れることに。
お互い助かる結果となりました。

7411
りん様

 こんにちは!

 外側の出来事に対する解釈方や感じ方を変えるというのとは、近いですけど少し違うかもしれません…。

 純粋に自分の内に「幸せそのもの」が存在しているということです。解釈の必要もなく、無努力に、ごく当たり前のものとして。


 感じ方としては――、本筋と違う(条件付け的な)やり方かもしれませんが、とりあえず「呼び水」として自分がものすごく楽しい状況や、理想的な将来の姿をイメージしてみるのもいいかもしれないです。
 
 すると、ちょっとだけ幸せな気分になります。
 でも、周りの状況は何ひとつ変わっていないし、イメージするのをやめても、幸せな感覚がしばらく残ったりします。

 これは、空虚なイメージに伴って感覚が生じたわけではなくて、胸の奥に内在する「幸せ」がチラリと顔をのぞかせたのだといえます。閉ざされていた「岩戸」に隙間が開くように――。


 今回のブログ記事は、僕自身も実は「あぁ、こういうことだな…」と感じ取りながら書いたもので、まさに進行途中のテーマでもあります。
 やがてもっと分かりやすく書けるだろうと思っています!

7412
丹後のきんちゃん様

 こんにちは!

 「暑い日に風が頬をなでて通る。そこに禅がある」って、いい言葉ですね。

 夏に外をウォーキングしているとき、そよ風が吹くと「あー」という気持ちになります。
 「ありがたい、心地いい、何も言うことないし考えられない」といった感覚が相まっての「あー」です。

 そして「風が吹いていること」そのものの中に、自分が溶けて消えていきそうな…
 そういうところが、禅でしょうね!

7413
あおむし様

 こんにちは!

 「する」ことがもたらす幸せから、「在る」ことによる幸せへ。
 「~だから幸せ」から、「~だけど幸せ」へ。

 私たちの幸せのあり方も、どんどんシフトしているのかもしれませんね!

7414
しあわせ!
自分にとって良いと思う事 心地いい空間が幸せで
自分が辛く嫌な事 居たくない空間が不幸せ
・・・・・???
これで生きて来たんですよね・・・教えられて・・・

これってもしかして一方向から見た感情から来る想い???
この世で生きて来た条件で○●と捉えているのではと・・・

無条件…これが味噌ですね
この世界には囚わればかりが渦巻いて・・・

この時この空間 我が内なる一瞬の静けさが・・・
継続すれば

外の世界に振り回されない真我(神我)に逢うことが
地球に来た目的?
それとも 振り回されている我を観察するのが
目的?

脳がクイズを出してます^^♪
我はどこにあるの!

7415
【地上世界におけるスピリチュアルとは、突き詰めれば「生きること」……それがビジネスにはならないのと同様、スピリチュアルもビジネスには馴染まないようにも思いますね】

これ、σ(◎◎;)スゴイです!
広大さんならではの洞察……。

あなたに会えて良かったと心底、思います。( ◜◡‾)(‾◡◝ )

7416
「幸せの条件付け」というのは、個性がなく
大概皆同じなんですよね。
「やりがいのある好きな仕事をやって」「大金があって」「愛し合える素晴しい伴侶がいて」「可愛く優秀で性格もいい子供がいて」「良い友人も沢山いて」「素敵な家に住んで」「趣味も充実していて」そして勿論「完全に健康でエネルギーがあふれている」・・・それが幸せだと。

「自分の望む現実創造」も、大抵の人はその「幸せのテンプレート」に基づいて望み、創造しようとします。
私がこういう現実創造にどことなく違和感を感じるのは、まさにその画一性のためだと思います。
実際には、個人個人で「自分が幸せになるために必要な、より重要だと思うポイント」は異なりますが。「とにかく、大金がないと話にならない」という人もいるでしょうし、「お金はそれほどなくてもいいが、幸せな家庭がなければ」という人もいるでしょう。
それを手に入れる(創造する)事自体は良いのですが・・・・問題は「大金を持っていないから」「幸せな家庭がないから」自分は不幸だと思う事ですね。


「自分が嫌いだ」「自分には価値がない」「ここが駄目だ」「受け入れられない」といった事は、すべてただの思考で真実ではない。
でも、殆どの人はそうした思考を真実だと信じている。だから苦しむ。でも、それは決して真実ではない。人の本質はそこではない。
テレビで見た女性の言葉を聞いた瞬間、その事が明確に分かったのですが、この「気付き」は殆ど思い出さないですね^^;
だから、まだ自分でもただの思考を真実と信じていたりします・・・・もっとちゃんと考えるというか意識しないといけませんね。


7417
光子様

 こんにちは!

 僕自身も、出来事を拒絶したり抵抗しているときは、けっこうつらい思いばかりしていましたが、あきらめて受け入れると、「あぁ、そういうことね…」と、何となくその意味に気づいたりします。


 でもきっと、さらに究極的には――、振り回されている自分というのは自分ではなく、出来事も起こってさえいない…

 そういう、答えもなく、出題者も解答者自身さえも存在しないという、クイズにならないクイズなのかなと思っています。

7418
風子様

 ありがとうございます。

 あくまでも、「僕にとってのスピリチュアル」は、そういうものだということですね…。

 それとはまた違うスピリチュアルとのかかわり方をされている人ももちろん多いですし、それもその人にとってのプロセスなのだと思っています。


 『神との対話』で語られている、次のような考え方は、僕自身にとってはけっこうしっくりきます。

 「他人の魂の旅を判定するのは、あなたの役割ではない。あなたは、自分が何者であるかを決めるべきであって、他の誰かが何者であるのか、あるいは何者でないかを判定する必要はない」――

7419
Clary Sage様

 こんにちは!

 きっと私たちは生まれてくる前に、誰もがそれぞれユニークな形の「幸せ」を携えてきているのだと思います。

 ところが家庭や社会で生きている間に、お決まりの「テンプレート」を植え込まれてしまうのでしょう…。

 そのテンプレートは一見、幸せになるためのツールのようでいて、実のところ幸せを覆うふたでしかなかったりもします…。

7421
自分が思う幸せとは…?
いつも光奈さんのブログを楽しみに拝見しています。
ちょっと驚いたことがあったのですが、私今日のお昼頃に自分のブログを投稿しましてから、光奈さんの『無条件の幸せ』という記事を拝見しました。
私は今日の記事に『夢中になれるものが一つでもあれば人生は幸せなものかもしれない』と書いたものですから、光奈さんの記事にあった『幸せ』と私の思っている『幸せ』とはかなり意味合いが違うモノなのだと思いました。
それでお聞きしたいのですが、私が思っている『幸せ』とは光奈さんから見たら一体どういうものなのでしょうか?
お忙しい所申し訳ありませんが、どんな事でも構いませんので、何か教えて頂けないでしょうか?

7422
人間が不幸だと思い込みやすい原因の一つに「目的を持って行動する」という人間の性質があるのではと思います。
目的があるから、目的通りに期待通りにいかなくてつらい時だってある。

「恋をしなければ傷つくこともないのに…」などとよく言いますが、だから恋なんかしない方がいい、ではなくて、
傷ついたとしてもそれほど大したことじゃない、恋したことそのものの方が大きな幸せ、もっと言えばジタバタと生きてること自体が幸せ、と考えた方がいいように思います。

スピリチュアルの罠の一つは、逃げるためにそれを使ってしまう(だから恋なんてしない方がいい、目的なんか持たない方がいい、など)ことではないかと思います。
できるだけ自分の内側から湧き上がってくるものを大切にしたいと思います。

7423
こんばんは。

本当は「幸せ」しか存在しないのでしょう。「不幸」とは欲と執着によって生み出される自らの作り出した幻影。

欲と執着というこの世の最大の難関に起因するゆえに真の「幸せ」がまったく見えなくなる。

気づけば自らの内にあるというのに。


もっとも「幸せ」のかなたにあるものは、それさえ必要としないものですが。


興味深い話をいつもありがとうございます。

7425
たびたびお邪魔しています。
こちらの皆さまのコメントが光奈さんの記事をとてもわかりやすく解説して下さっていますね。
皆さん、素晴らしいと思います。さすがだなと。

それを踏まえて改めてもう一度二度読ませていただいています。
なんとなくですけど、
「幸せ」のかたちを考えるとき、逆に自分を不幸にする条件を挙げていって
それを玉ねぎの皮を剥くように取り払って何も無くなったところに
ただそこに「幸せ」というものがあるのかな・・・と感じました。
たしかに幸せは力ではなく、そこにあるものかもしれないと。
でもって、それは私の中にもある(かもしれない)と。

長く生きていると、ついつい世の中のテンプレに当てはまらなきゃいけないような焦りを感じます。
いつの間にか、そこにあるはずのものを隠してしまうんですね。

まだまだ間違った解釈しているかもしれませんが
自分の中にも幸せがあるのかと思うと、ちょっとだけ嬉しくなりました。
私の中の幸せのかたちや姿はまだ分かりませんし、そもそも形も姿も無いのかもしれませんが
いつかそれを感じられる自分になりたいと思いました。

またワケの分からないことばかり書いてしまいました。すみません。
また勉強させていただきます。
ありがとうございましたm(__)m

7426
waco様

 コメントを有難うございます!

 ものごとに無心で取り組んで、まるでその行為そのものと一体になることは、素晴らしい在り方だと思います。

 そこで「将来の結果」を期待するのではなく、ただ「今の瞬間」に集中していることが要点でしょう。
 禅でも、作務など日常のあらゆる行いと一体になることの大切さを説いています。


 一方で、ただじっと静かに内に向かうことも、修行のかなめです。
 動と静のどちらのアプローチ大事であり、見いだすものは同じだと思います。

7427
ありがとうございました。
お忙しいところ、有り難うございました。
そういえば、夢心で絵を描いている時、一番幸せを感じているように思えます。

7428
ruri様

 こんにちは!

 誰にも、生まれてくるときに魂が決めた「目的」があるのだと思っています。

 ただ、それを知るのは本当に繊細で純粋な感覚が必要で…、たいていの場合は目的というと、どうしても他者との比較や、エゴ意識を満たすための目標を据えてしまうケースが少なくないといえます。

 そういうプロセスにももちろん大切な意味はありますが、やがては気づいて手放すべきものでしょう。


 一方で、魂の目的というのは――、たとえば自己を癒やすとか、嫌悪の感情と向き合うとか、痛みや喜びを分かち合うといった、ある意味で「内向き」なテーマがけっこう多いように感じます。
 外側の幸せのために色々ジタバタと取り組んでいるうちに、そうした内的なテーマが明らかになってくることも多いです。

 それには、逃げることなく真っ向から取り組むことが不可欠でしょう。

7429
ひまわり様

 こんにちは!

 伝えたい要旨を、端的に分かりやすくまとめていただいていると思います。まさに、そういうことです。

 幸せの彼方にあるもの――
 すべてはそこへと至る道であり、至る必要もない「ここ」でしょう。

7430
りん様

 こんにちは!

 「自分の中にも幸せがある」どころか、「自分の中にこそ幸せがある」のだといえます。

 姿かたちはないけれど、それは確かに感じられるものだし、そして感じる以上に、まさに「それそのものになる」のだと思います。

7431
waco様

 こんにちは!

 絵を描いているときは本当にそうですね。

 お寺の「写経」も、まさにその状態になることが狙いなのだと思います。

7432
言われてみると…
う~ん、言われてみると幸せの条件とかあんまり考えたことない…。
ふだんの自分は文句の多い人ですが、がんで入院した時は(急だったのもあり)あまりあれがない、これがないと考えるヒマがなく、なっちまったものはしょうがないという開き直りも早かったせいか、入院生活は快適でした。
なので治療もうまく行ったのかも知れないです。
何か起こった時、何の根拠もなく「大船に乗っちゃえる」のも、自分のいいところかも知れません。(^^ゞ

7433
光奈さん、こんにちは。

昨日車で送迎してくれた方に、サンダルももらっていただきました。
そのサンダルは妹が不要品として送ってくれたもので、
とても素敵なんですが、ヒールの高さがあるので
年配のお客さんが多いリサイクルショップでは売れませんでした。

このまま捨てるのはもったいない、とずっと思っていました。
我が家まで送ってくれたFさんにサンダルを履いてもらいました。
シンデレラの靴のようにピッタリでした。
Fさんも履き心地がいいと気に入ってくれました。

Fさんの勤務先(絵手紙教室会場)でCDプレーヤーが壊れたので
私のほぼ使っていないCDラジカセを差し上げました。不要な本も。

最近かたづけをしていたら、以前母からもらったブランド物の財布を発見。
その売上(お金が入るのは9月)でさっそく母と買物しました。

CDラジカセは昔私が購入したものですが、最近は自分以外のもので
お金を得ることが多いです。有難いことです。

ブランド財布ですが、ニセモノの可能性もありました。
母も私もそれでもいいやと思っていたのですが、本物でした。ラッキー!
(実は別の店で買取してもらえませんでした。
 でもそこの店員さんとおしゃべり楽しんできました。
 本物だったら報告する約束をしたので、来週報告します)

ブランド財布が本物でもニセモノでも、既に母も私も幸せに暮らしている。
母が幸せを実感しているかどうかはわかりませんが。

7434
それが賢い生き方なのでしょうね、きっと
俺も多分近しい相手にはそちらを望むと思います。

義を見てせざるは勇なきなり
じゃないですが、それはバカのすること。
何もバカのやり方を真似する必要はない。
そういうでしょう。
でも、同時にそんなバカを放っておけない。
バカすぎて仕方ないから最期まで付き合ってやる。
とそうも思うんです。
バカになるなと思いながら、そんな諦めることのできなかったバカが絶滅していなかったことに安心する。

最近考えるんです。
誰もが賢く利口に世界に愛想つかして幸せになった世界と
誰もが愚かに諦められずにもがき苦しむ世界とどちらが幸せなのかと。

きっともがき苦しむ世界には、どこかの漫画のように
「知己とやりあうなんざ最低の気分のはずなんだ、でも何でだろうね、あんた等の顔を見て安心した。ここで来なきゃ、あんたらじゃないわよね」
というような最低ななかでもどこかで安心できる何かがあるのだと思います。

でも誰もが世界に愛想つかしてしまった世界にそれはあるのかなと…
そして、絶滅危惧種のバカが本当に絶滅した世界を想像すると…多分俺はこの歳まで生きてなかっただろうなとそう思います。背中を押してくれたのも、手を差し伸べてくれたのも、いつだって今では絶滅危惧種な人達だったので…


7435
またまた勝手に・・
光奈様
今回もとっても心に響きました。

内面の幸せにふさわしい状況が現われずにいられない・・・

本当にそうですね!

またまた、勝手にブログにリンク貼らせていただきました。

いつも事後承諾ですみません。

これからも宜しくお願いいたします。

7436
今日もしあわせ
帰ろうとしたら駐車場に、かわいく並んでる雑草を見つけ
楽しくなりました。明日行ったら写真撮ろうと思ってます。

運転してたら、すっごくきれいな西の空を見て
今日売上が上がらなかったとしても、これを見たら
ああ今日もしあわせ、と思っただろうと思いました。

おかげさまで私はまあなんとかだったのですが
全体的にきびしくて、とにかく来てくれたお客さまに
楽しんでもらおうねと、お友達とさっきメールで話しました。

7438
真のしあわせ
こんにちは。

心揺さぶられる文章内容に、引き込まれてしまいました。
しあわせとは?ここのところずっと思うテーマでした。

若いころは、自分が嫌いでした。
結婚し、悩みながらも子供を育てることで、
少しづつですが、愛することの喜びを知り
自分を認めることができるようになってきました。
でも、何か満たされず、今があります。

しあわせは何かを得ることで、
得るものだと思っていました。
内なるものに、その答えがあったのですから
見つからないはずですよね・・・

これからは、自分の心の声に耳を傾ける時間を
もうけてみようとおもいます。

自分が変わるのは怖いことでもあるので
急には変われないこともあり、
少しずつ、かたちからですが、
いずれ、何かが湧き出ることを信じて。。。

7439
星乃裕華様

 コメントを有難うございます!

 がんの入院生活が快適だったというのは、何ともすごい達観ですね…。

 僕のおじは、シベリア抑留生活を「けっこう楽しいこともあった」と語って、周りを仰天させた(というか、あきれさせた)ことがあります…。
http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-320.html

 「大船に乗っている」感覚というのは、大事だと思います。
 臨死体験者などが語っているように、この世界というのは、まるごとが大いなる存在に守られた「大船」のようなものだと思います。

7440
あおむし様

 こんにちは!

 そうしたモノのつながりというのも素敵ですね。
 世間的にはほとんど無価値なモノでも、その人にとっての本当の喜びや幸せに結びつくことは、よくあると思います!

7441
野良猫様

 こんにちは!

 文体こそ違え、僕の考えに近いなと思いますね。

 前のコメントに書いた「モノ」と同様、人との「関係性」においても、世間的に無価値に思えるものこそが、本当の喜びや幸せに結び付くケースは多いと思います!

7442
ちゃんみい様

 こんにちは!

 不治の難病を抱えられている方でも、幸せと感謝に満ちた見方で人生を語る方がいらっしゃいますけど、本当にすごいなと思います。

 そうした人の内なる「幸せ」は、多くの人の共感を引き付けずにはいられないです。

 その共感こそが、病気が治ること以上に、私たちにとっての共有財産になるのでしょう。
 まさに「現れずにいられない」ことです。

7443
実杏様

 こんんちは!

 いいですねー。駐車場の雑草も、美しい夕焼けも、実杏の心にそう語りかけるために現れてきている――、というふうに言えると思います。

 感じる人がいなければ、それは存在していないに等しいでしょうから。

7444
kei様

 こんにちは!

 本当に大切なものを見いだしていくプロセスとして――、自分自身や置かれた状況に苦しみを感じることを、「聖なる不満」と呼ぶ人もいます。
 多くの場合、人はその不満をきっかけに、歩み出します。

 まずは、その解決を外側に求めるのだけど、奮闘努力してもほとんど何も満たされない。
 そして最後には、自分の内へと戻って来る――。
 これは、私たちの人生において「省略できない道のり」なのでしょう。

 でもそれは、すべて祝福すべき旅路に違いないです。

7445
私の智識では
 「大歓喜」は創造神の本質ですが、「無条件の幸せ」は、五次元(天界)まで昇らないと有りません。
三次元界の「幸せ」は、その微かな反映みたいなものでしょう。
これについては、宇宙人オレンジャーが次の三つの記事を書いています。
ご参考までに。
1. 「内なる幸福」 2013-08-28(http://ameblo.jp/oranger13/entry-11601352948.html
2. 「幸福とは」 2014-11-19(http://ameblo.jp/oranger13/entry-11954253474.html
3. 「幸運と幸福」2014-12-23(http://ameblo.jp/oranger13/entry-11967906348.html


7446
666様

 こんにちは!

 この世界でも、根源的な喜びの反映を感じられること自体が、素晴らしいとこだと思いますね。

7459
ああ,そうさ
私は、幸せだ。

7463
りこ・ディーン様

 こんんちは。
 素敵ですね!

7857
究極の教え
臨死体験でアニータが体験したことも、アジズ・クリストフが言わんとしていることもこの事だと思います。私は瞑想を30年以上好きで続けています。

7858
shuta様

 こんにちは!

 瞑想歴30年の方にそのようにコメントいただくと、とても心強く感じます。

 内なる幸せを見いだすことは、本当に自分でするしかないですね。

7862
こうやって洗脳していくんですね
スピ系は煙に巻いて話をズルズル引っ張りつつ
カネ巻き上げようとするのが本当にお得意ですね

7868
名無しさん様

 こんにちは。

 「カネを巻き上げる」ということですが…、僕自身は有償のセミナーなどの活動は一切していないです。
 個人的にシェアしたい内容をブログに書いているだけです。

 「スピリチュアル = お金がかかる」という認識自体、けっこう刷り込まれた思い込みのように感じてしまいますが…。


 実際に、たとえば図書館の本や、質のいいブログや、自宅などでの瞑想を通じても、相当な気づきを得られるはずです。
 そして何より、多くの学びの場なのが、自分の身の回りにある「日常」だと思います。

7873
2年ばかり毎日起床と就寝前の日課として瞑想を続けてみましたが
瞑想を通じて得られた経験なんてほんの一瞬だけの安心と
日を跨げばキレイサッパリ無くなってる様な些細なリラックス効果だけでしたよ
まったくの無駄だとは思いませんが、ご大層に語られてるようなモノでもないと思いますね
大体瞑想だのなんだので幸せや救いを得られる
(というよりもその手の感情?概念?は内面に元々あるモノですかね、これは瞑想中だけはジックリ感じれるので私も理解できます)なら
なんでチベットのお坊さん達は自身に火を放ち自害するまでに追い詰められて
死んでいったり弾圧されたりせなにゃらんのですか
精神的に救われても現実がまるでダメなんておかしいでしょうよ

7876
名無しさん様

 こんにちは!

 朝晩の瞑想を2年間続けられたのは、かなりのご経験だと思います。けっこうお詳しい方なのですね。


 僕自身は瞑想指導ができるスキルはないので、以下は個人的な考えなのですが――

 座って瞑想しているときに、思考活動や感情をを静めてリラックスすることは、基本として不可欠でしょう。
 でも、それ以上の大きな要点なのは、瞑想中に感じられたその意識を「瞑想を離れた日常においてもできる限り大切にしていく」ことだと思っています。

 もちろん、ふだん常に保持するなんて不可能ですけれど、でもそれは「きれいさっぱり無くなる」ものでは決してないです。
 むしろ時とともに強まっていき、それに立ち返ろうと思えば立ち返られるようになるし――、やがてそれが、自分がずっと立脚していける内なる静けさ、内なる平安、内なる本質となるはずだと思います。


 僕自身、ブログでときどき書いている通り、家庭の問題では色々とつらい現実がありました…。
 でも、感情的に振り回されて苦しんだり、対立して破綻しなかったのは、問題が起こってドタバタしている渦中においても立脚できる「内なる静けさ」があったからこそだと感じています。

 そして、それに立脚して現実を生きることによって、目の前の現実が抱える問題もだんだんと解消されていきました。
 今の僕にとっては、その「内なる静けさ」を抜きに、現実の問題に当たるなんて、考えられないことだと言えます…。


 そもそも瞑想って、何かを獲得したり特別な境地に到達するものではなくて――、逆に、苦しみや混乱のもととなるような余計な内的要素をどんどん取り去っていき、自分の真の本質的な在り方に気づくことだと思っています。

 その自分の本質が「大そうなものではない」はずはないですし、でも同時に、自分にとってあまりにも当たり前すぎて「それが何だ」と言いたくなるようなものでもあります…。
 

 瞑想にも色んな種類がありますし、瞑想以外の道もたくさんあります。向き不向きも大きいです。さらに言えば――、スピリチュアルなんて関係なしに、内なる静けさや幸せと共に生きている人もたくさんいるわけですから、ほんとうに人それぞれだと思います。

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「自分は~だから不幸だ」という考えは
私にもありますし、多くの人にもあるでしょう。

よく「誰にも理解されない苦しみ(実際には”誰にも”なんて事はないだろうと思いますが。正確には”その人の周囲にいる人たちには”でしょうね)」といった事が言われます。
それはそれで確かに大変だと思いますが、「誰からも理解される苦しみ」はある意味別の問題があります。(でもこちらはあまり言及されないような気がします)

「~だから」の理由が、非常に納得が行って、誰もが理解できる。「自分は~だから不幸だ」の大半はこっちだろうと思います。
例えば「難病で痛みが酷く、動く事もままならない」とか、「経済的に困窮している」とか、「3歳の子供がある日突然行方不明になり、生死も定かではない」とか色々あるでしょう。
凡そ誰もがその理由に納得し、理解し、同意する。
非常に説得力がある。だからこそ、自分も説得されてしまう。「自分は~だから不幸だ」という考えは正しく、動かしがたい事実に思える。
勿論これは自分のみならず、他者に対してもよく考える事ではありますね。「誰それは~だから不幸だ」と。

でもこれは「考え」なんですよね。
正直、殆どの人が同意している考えと違う考えを持ったり、違う捉え方をするというのはかなり大変な事です。でも、これに気付く事は非常に大切な第一歩だと思います。



8192
Clary Sage様

 こんにちは!

 まさに「誰それは~だから不幸だ」も、一方的な条件付けですね…。
 実際にその人に「大変ですね…」と話てみたら、自分は不幸だなんて感じていないケースがけっこう多っかたりもします。


 条件付けをする考え(モノサシ)は、相手のほうではなく、こちら側が持っているものです。
 そしてその考えを使って、相手のことを問題視したり、変えようとするのも、またどこか違う場合が多いのだろうなと思います。
 

 多くの人が同意している考えと違う考えを持つことは、非常に大変なことです。
 でもさらにそれ以上に大変なのが――、やはり、自分自身が過去から同意し続けてきた考えと違う考えを持つことでしょう。
 本当に、それに気付くことは、決定的に大きな一歩だと思います。

8194
本当にそうですね。
「自分が過去から同意し続けてきた考え」というのは、何年、何十年というのも珍しくない。過去生を含めれば数百年単位の事もあるでしょう。

「AよりBの方が幸福である、より良い」といった比較の考えは根強いものがあります。
そしてこれは多くの場合、まさに真実に思える。
例えば「太っているより痩せている方が良い」とか、「お金が少ないより多い方が幸福だ」とか。自分がそう思うだけではなく、殆どの人もそう考えている。どちらか好きな状態を選べるとしたら、9割以上の人が「痩せている」「お金を多く持っている」方を選ぶでしょう。

でも、「AよりBの方が良い、より幸福だ」と考えていたら、Bを望まないでいるのはまず不可能です。
「Aの状態でいる自分を受け入れなさい」と言われても心から受け入れられる訳がないし、「今この瞬間にしか幸福はない」と言われても、「まあ、そうなんだろうな」と思いつつも、どこか絵空事でしかないように思える。
何故なら「今より幸福でもっと良い状況」が他にあると考えているから。
そう考えるなら、その”より幸福な”状態になりたいと望むのは人情でしょう。だからこそ、その”より良い”状態を実現しようとする。でもなかなか実現できなくて不満が溜まったり、自分を責めたりする事も多い。

「比較の考え」を何とかしてやめる必要があると思います。
これをやめない限り、内心ずーーっと不満を抱えながら生きる事になるでしょう。こうだったら良かったのに、ああしておけば、こうなりたいのになれない・・・。
AよりBの方が良くて幸せという事は、必然的にAはBより劣っていて不幸という事になるのですから、「今、幸福を感じる」「今の自分(他者も)をありのまま受け入れる」などまず無理です。
でも、比較の考えが手放せたら、実際にそれが出来るようになるのではないかと思います。



8196
クラリセージさん
クラリセージさん

サバ。お元気ですか。素晴らしい考察ですね。ご自分と深く対話されてるので、共鳴があるかもしれません。

自分の中に、良いところと悪いところがあると捉える。
自分を、よりよい選択をした自分と現状の自分に分ける。
比較して、本当はもっとよくできたはずの存在だと見る。
自己肯定感の低さにつながっていきます。
自分自身や回りについて、「比較、評価、批判」的に見るようになります。自分を二つに分けると、比較の世界が立ち上がります。
今の自分を「本当はもっとうまくやることもできたのにそれができずこの状態にいる自分」ととらえていると、だんだん苦しくなってくるのです。改善の余地ありってことですから、不完全な存在であると脳に刷り込まれます。本当は、自分の中に良いところと悪いところはないのです。This Is Itなのです。

どうでしょうか。

http://todaysseaway.ttcbn.net/?p=6806

8197
ししさん、どうもです。
リンク先の記事とその他幾つかの記事を読みましたが、良い事を言ってますね。

一例として、「お金持ちになる事が幸福の絶対条件だ」と考えている人はそれほど多くないけれど、「お金持ちの方がそうでないより幸福だ」という考えを持っている人は私を含め多いと思います。
これはなかなか厄介な考えで、こうした考えがあるとどうしても自分より経済的に豊かな人に対して嫉妬や穏やかならぬ感情を持ったり、その人と比べて自分が劣るような感覚を持ちやすい。(殆どの場合、口に出しては言わないでしょうが)そうすると必然的に幸福感を感じる事が難しくなる。

「同意」と言う事で言えば、非常に多くの人が同意している事の一つに「自分の価値や評価は他人が決める」というものがあります。
これを100%信じている(同意している)人はそれほどいないかもしれませんが、100%信じていない人も多分ごく僅かだろうと思います。

特に、周囲の人たちがその人の価値を認めないような状況で、それに反して「自分の価値を認める」というのは相当意識的にやらないと出来ないと思います。
そうした状況においては「自分には価値が無い(あれやこれやの条件を満たしていないから)」と意識的・無意識的に考えてしまうのは当然の事ですが、そうした人こそ意識してやる必要がある。
そして、程度の差こそ大きいと思いますが、「そうした人」というのはこの世界においては大多数を占めるでしょうね。

8198
Clary Sage様

 こんにちは!

 純粋な「幸せ」を望むのは、私たちの本当に率直な気持ちにほかならないのですが…、でもその「幸せ観」のどこかに、分離した「個」や「条件付け」や「比較」といった要素が少なからず含まれてしまう。

 さらにその根っこには、「自分自身の価値を認められない」とか、何か内的な「欠落感」とか「不満足」がある…。
 それはまさに、ほとんどの人の内に、共通して見いだすことのできる性質です。

 
 これはまた別の角度の話になりますけど――、
 その不満足こそが、現実世界でのさまざまな経験を可能にさせているいわばカラクリでもあり、そして最終的には、私たちを真実へと向かわせる原動力でもあると言われます。

 それを「Divine Discontentment(神聖なる不満足)」とも呼ぶ人もいます。


 そしてこればかりは、通常の「幸せの希求」とか「考察」では、確たる方向性を見いだすことができない…。
 しかしながら、その問いかけこそが、これまでとは違う新しい観点へと人を向かわせていく、とても重要なポイントなのでしょう。


 ちなみに英単語の「discontentment」を分解してみると――
 「dis(在らず)content(中身)」とうことで、つまりは「空っぽ」の意味なんですね。

 「空っぽ」だから不満足。でも、その「空っぽ」であることが答え…
 なんていう禅問答を生きているとも言えます。

8200
しし様

 こんにちは!

 「自分の中に良いところと悪いところはない」――
 まさにその通りだと思います!

 自分の内も外も、起きていることすべてが、ほかに求めようのない、分割不能で普遍的な「それ」であるのだと感じます。

8203
クラリセージさん

>特に、周囲の人たちがその人の価値を認めないような状況で、それに反して「自分の価値を認める」というのは相当意識的にやらないと出来ないと思います。

http://amazon.jp/dp/4622006014

このレポートが参考になると思います。

8207
この有名な本は読んだ事がないですが
確かに、収容所は究極の「価値を認めない」状態ですね。生きている価値が無いと見なされていた訳ですし。

”ある条件を満たしていないから、価値が無い(低い)”といった考えは本当にアホですが、未だに非常によくあるものでもあります。
民族、国籍、人種、性別、社会的地位、学歴、美醜、家柄、etc、etc・・・。

「アーリア人種でない人間は価値が無い(だから抹殺する)」というナチスの考えと行動はとんでもなく極端ですが、でもこれはある意味、非常に多くの人が持っていた(そして私も含め、今でも非常に多くの人が持っている)考えと行動を、極端な形で大写しにしたものだと見る事も出来るような気がします。

8208
すみません
またもや「不正投稿」になってしまったので取り出しておいて下さい・・。

8212
クラリセージさま


幸せについては、外部ページですが、
このブログも参考になさってはいかが。

http://jikoai.ti-da.net/e7143869.html

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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