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 ちょっと無理のある問いかけかもしれないけど…
 もし神や天から、これからの人生について、以下の一方を選ぶように問われたとしたら、どちらを選びますか?――

1)これから十億円の資産が手に入る。ただし、それによる幸せ感はほとんどなくて、人生の幸福度は並み以下。

2)これから、どれほどお金があっても得られないほどの幸せを感じられる人生になる。ただし、経済的な豊かさは並み以下。


 おそらくは、たいていの人の場合、「2」の幸せ感のほうを選ぶのではないかな。
 何十年か生きていれば、「幸せを伴わないお金」にあまり意味がないことは、色んな例などを見て承知していることだろう…。

 もちろんお金と幸せは、対極に位置しているわけでは決してなく、いくらでも両立可能なものだ。
 「お金も幸せも欲しい」というのが、ごく真っ当な望みである。

 でも、その思いを突き詰めていくと――、お金はあくまでも幸せになるためのツールであって、心底では「幸せこそが欲しい」と望んでいるはずだろう。


 これはお金に限ったことではなくて、前述の問いの「十億円」を、たとえば「理想のパートナー」と置き換えても、同様のことだと思う。
 お金よりも多少複雑かもしれないけれど、突き詰めていけばやはり、「幸せこそが欲しい」と望んでいるはずだ。

 かりに理想のパートナーに出会えないとしても、「どれほど魅力的なパートナーがいても得られないほどの幸せを感じられる人生」があるのならば、きっとそちらのほうを選ぶだろう。

 ほかにも、「職場での昇格」や「子供の進学」とかも、実際はそれ自体が目的なのではなく、あくまでも幸せを感じるためのツールといえる。
 社会での「評価」や「人脈」、さまざまな「才能」、さらには「スピリチュアルな達成」がそうである場合もあるだろう。


 いうまでもなく、人の思いや求めるものは千差万別である。
 国や文化や生活水準などによっても、相当な違いがあるはずだ。

 でも、それほど多様な思いがある中で、その根っこに「幸せになりたい」という望みがすべての人に共通してあるというのは――、当たり前と言えば当たり前だけど、考えようによっては不思議なことでもある。


 どうして誰もが、共通して「幸せ」を希求するのか?…
 それは、ほかでもなく、幸せこそが私たちの「本質」だからなのかなと思う。
 後付けの性質とかならば、ここまで同一であるはずがない。

 そして「本質」であるからには、はじめから私たちの内に備わっているものだろう。お金やパートナーがどうであるかにかかわらず…。
 よく言われるように、幸せというのは「心の状態」や「あり方」であって――、外側で獲得されるものではないのだから。

 「幸せになりたい」という気持ちは、「内にある自らの本質を見いだしなさい」という呼び声なのかもしれないです。


 でもそうした呼び声がしても、たいていの場合はお金とかパートナーとか社会的評価といった「幸せになるための条件」を何とか獲得しようとする。

 でもその条件というのは、たいていの場合――、「あの人と同じようになれば幸せだろうな」とか、「自分は持ってないけど、あれがあったら幸せになれるはずだ」といった、いわば「誰かとの比較による推測」に過ぎなかったりもする。

 でも、そうした条件付けに根拠がないことを、実は本心ではちゃんと分かっていて――、だからこそ冒頭の問いかけに、たいていの人が「幸せを感じる人生」のほうを選択するのでしょう。


 外側の条件に依らない幸せ、すなわち「内にある自らの本質を見いだす」という純粋で無条件な幸せ――
 これも、私たちが向かっていく新しい在り方のひとつだと思います。

 要は、あまり難しく言う必要もなく、そのために大切なのが、「そのままの自分を認める」とか「深刻にならずにリラックスして生きる」ということなのでしょう!



 結びのヒーリング・ミュージックは、Bernward Koch「Little Moritz」。

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コメント
7634
「今」無条件にしあわせです
初めてコメントさせていただきます。

亡き母が神智学の探求をしていた関係で、スピリチュアル的な視点で生きるのが普通になり、大抵の事には一喜一憂しなくなってきた・・・と思い込んでいた今年。
新しく始まった人間関係で、久しぶりの試練(複数)がありました。
ちょうどその頃に光奈さんの「受容」をテーマにしたブログが続き、大変励まされたものです。
で、私なりに自分の良心に従い、出来うる最善のアクションを重ねた結果、問題(と自分で思っていたもの)がクリアになりました。
そして、「あぁ、またひとつ貴重な体験をさせていただいた・・」と思っていたところ、今日の更新ブログにとてもシンパシーを感じましたので、思わずコメントしてみた次第です。

「今」だけでなく、これからの一瞬一瞬に自分の本質とつながり続け、無条件の幸せを感じられる自分でありますように!そしてその周波数を周りに放射できる存在に慣れますように!

いつも本当にありがとうございます。

7636
月子様

 初めまして!

 このような素敵な体験のコメントをいただくと、本当に嬉しいですね。

 実は僕自身も先日、関係性の問題にぶつかったのですが、信頼してゆだねていると、「どうして世の中、こんなにもうまくいくのだろう!」と思える形に展開していきました。

 もし自分が「幸せになるための条件」のために行動していたら、そうはいかなかったと感じます。

7637
光奈さん、こんばんは。
今回も素敵な記事ありがとうございます。

先日、2日連続で、吉田(本名)さんと話していると元気になる
と言われました。嬉しかったです。

一人は統合失調症の女性で現在絵手紙教室お休み中の生徒さん。
今を生きる。楽しいことをしましょうと確認し合いました。

もう一人は、ボランティア同期の研究者の男性の方(60代)。
私の声を聞いているだけで元気になれるのだとか。

その一方で、心を少し憂鬱にさせる出来事がいくつか。
それは他人からよく思われたいという私の欲望が原因です。

他人からよく思われることが本当の幸せではないとわかっているのに、
まだ求めているようです(笑)。

★こうやって色々なことを経験できることが、一番の幸せなんですよね。

7638
あおむし様

 こんにちは!

 相手を元気にできるって、素晴らしいことですね。
 統合失調症の方にとっては、きっとそうした出会いが大きな喜びだと思います。

 あおむしさんが言われる通り、魂にとってはポジティブな感情だけでなく、色んな経験があること自体が幸せなのだと思います。

7639
信頼してゆだねる
今の私にドンピシャのコメントでした。
(他の方へのコメントでしたが)

自分でもよくわからない行動に出たり、
相手からもよくわからない発言をされたり。
でもそれは自分(の魂)が創造した状況に違いないです。

自分の魂を信頼して、すべては幸せにつながる出来事なのだから
その流れに身も心もゆだねていいのですね。

不思議な展開も起きています。
私は私の心に恥ずかしくない生き方ができればOK。

若い頃の私は、100%信じ合える誰かに出会うことを夢見ていました。
誰かではなく、すべての人を信じる私になります。
まずは自分のことを100%信じることですね。

7640
2を選ぶのはアジアでは日本人だけでしょうね。
中国人なら間違いなく1を選ぶでしょう。

7641
昔の私の世界観はひどいものでした。
この世界は弱肉強食、勝てば幸せ、負ければ悲惨。だけど本当は知ってる、私はたぶん勝てない人。でもそんなこと見せちゃいけない、思ってもいけない。だって弱みを見せたら負けが近づくだけ。弱みを隠し、なんとしてでも勝つ方法を見つけなければ…

そんな私がスピリチュアルに出会い、驚くべき美しい世界観がこの世にあることを知り、それを気前よく私にも教えてくれる優しい人たちがいることを知り、疑り深い私でもそれを信じれることを知り、実際にいろんなことが昔よりもうまく回ってることを知り…そんな一つ一つが信じられないほど幸せです(実際一つ一つ信じるのにけっこう時間かかってます笑)

人生って、なんて言えばいいんでしょう、ヘンテコですね?

7642
初めてコメントします
 時々読ませて頂いています。スピリチュアル系のことは私には全く判りませんが、時々の中にも時々私にも解ることが書いてあることも有ります。きょうはそのひとつなのでしょうか、メーテルリンクの「青い鳥」のように、人間が自我を自覚してから人は皆「幸せになりたいと」思うようになったのでしょうか。改めて、「幸せ」って何を指すのでしょうか?人から不幸であるか?と思われているような時でも自分でも大変!大変!な時でも、心は静かに次の手(方法)を考えているものです。
「主は自分自身」をいつも心に留めておけば、いつも心が安定していられるのかなと思っています。「人生の目的は、それぞれの人の人格の完成だよ。」と昔々祖父が話してくれた通りに日々を重ねています。

7643
2番の内容が確定・約束されているなら
大抵の人は迷わず2を選ぶでしょう。
でも、現実には約束されていないというのがネックなんですよね・・・。

特にスピリチュアリティに関心のある人ならば、外的条件に強い執着や思い込みを持つという事はあまり無いと思います。「○○がなければ、絶対に幸せになれない」とか。
でも、「いつも内的幸福を感じている」という人は(まだ)すごく少ないんじゃないでしょうか。

「とにかくお金があれば、理想のパートナーがいれば、○○があれば、幸せになれるはずだ」と信じている人はあまりいないかもしれない。そういう意味では「幸福に対する思い込み」はかなり取れていると言えます。
でも、かと言って常に「内なる幸福」を感じている訳ではない。

現実にはこういう2択は無い。だから、人は色々な望みを持つ訳ですけど・・・「外的条件に依らない永続的な内なる幸福」というのは一体どうすれば感じられるのか。
「幸せならば、経済的な豊かさも理想のパートナーも必要条件ではない」というのはそれはその通りです。でもその「幸せならば」が難しい。
ただ瞑想しても、多分「永続的な内なる幸福」を感じられる可能性は低いような気がするし・・・。
サイババは「外的世界への関心を引き離し、内に意識を向かわせる」という事を言っていましたが、真剣にそれをやるべきなのか。
この世界にいると、否が応でも”望み”というのが大小さまざま出てきます。
あれが欲しい、こうなりたい・・・・それを捨てる事が必要なのかどうか。




7644
あおむし様

 こんにちは!

 他者のことを心を開いて信頼する人って、例外なく自分自身のことを信じていますよね。

 たまにそういう人に出会うと、本当に素敵なあり方だなと憧憬します!

7645
匿名様

 コメントを有難うございます。

 おっしゃる通り、日本人だからこそその傾向が強いでしょうね。
 本文に書いた通り、「国や文化や生活水準などによっても、相当な違いがあるはず」だと思います。

 心理学的にいえば、マズローの欲求5段階説の「安全欲求」や「社会的欲求」が満たされた段階の人たちが、おそらくそのように答えるのだろうと思います。

 ただ、そうでない場合も――、10億円を選んで幸福度が低い人生を送って死ぬ間際に、「最も大切な内的な部分が満たされていない」ことに痛切に気づくケースが多いのではないかなとも感じます。

7646
ああ、われわれ日本人は本当に幸せなのですね!
平均的には飢え死にするほどの人は少ないようですから。
幸せをとるか、食(金)をとるか、で、幸せを取る人が多いとは!
世界の半分以上の人は金をとるでしょう。
金がないのは生き地獄。
それを知っているのは実は日本人以外の世界の人です。
宗教的にもわれわれは甘ったれというわけです。
生きている以上はまず、食わねばなりません。
常に金の不安があるような人は、金が幸せの一要素であることをよく知っています。
つまり金は幸せの絶対的な一部なのです。

7647
ruri様

 こんにちは!

 「弱肉強食」という古い世界観から解き放たれていくって、大作映画「クラウド・アトラス」と同じですね。
 この映画では、数百年にわたる転生のすえに、主人公が新しい世界観を得ていきます。

 そしてラストシーンの台詞が、「訪れた最大の奇跡、それは『出会い』かもしれない」…です。

 
 そうした変化が起こったのは、素晴らしいことだと思います。

 ちなみにこの映画について、過去記事でも紹介しています。

http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-238.html

7648
sitateyanezumi様

 初めまして。コメントを有難うございます!

 ブログを書くとき、スピリチュアルにちょっとだけ関心がある普通のサラリーマンや主婦などの読み手を念頭に置きながら書いています。
 ディープな話題も少なくないですが…、時々でも分かっていただけると、とても嬉しく思います!


 おっしゃる通りで、とんでもなく大変な状況のときも、自分の内側には「全然へっちゃらな部分」があるものなんですよね。

 「バーソロミュー」という本にもこんな一文があって、僕はけっこう好きです――


 「恐れを感じたとき、その感覚と一緒にいれば、恐れが自分のすべてを包み込んではいない事実を発見できる。恐れが確かに存在しても、そこに巻き込まれていない自分のほかの部分もたくさんあることに気づく。指をけがしたけど、体のほかの部分は大丈夫といったものだ。
 人が恐れに打ちのめされるのは、自分の体の一部にしかかかわっていないことを理解していないからだ。あなたは、恐れの何倍も大きな存在である。小さな部分の問題を解決するために、残りの大きな部分に力を貸してくれるように頼み、静かに恐れとともにいるのだ。そうすればうまくいく」

7649
Clary Sage様

 こんにちは!

 確かに今は、「幸せに対する思い込み」を取り去ることと、「内なる幸福」へと意識を向けることの過渡期にあるように思います。
 多くの人がその間を、振り子のように揺れ動いている感じでしょうかね…。


 でも、内なる幸福を見いだした人(意識が目覚めた人)は、その圧倒的な素晴らしさや、その幸せこそが唯一確かなものであることを強調していますから――、それが真実であると信じていいと僕自身は思っています。

 また、「幸せに対する思い込み」を取り去るといっても、お金やパートナーそのものを手放さなくてはならないわけではないですから――、
 そういう日常を持ちつつ、内なる幸福に向かうことも、きっとこの次元では可能なのでしょう。

7650
自分さえよければと考えている人は1を選ぶでしょうし、人と共に喜びたいと思う人は2を選ぶでしょう。どちらを選ぶにしても正解はないです。幸せとは千差万別ですから。しかし、どの人もその要素として健康であることをあげると思います。そうなると、最後10億か健康な体かという選択になるように思います。どちらを選びますか。やはり、そう考えていくと、2番が大半をしめていくでしょう。健康こそがいつの時代でも最高の幸せの不可欠条件なのだと思います。

7651
こんにちは。
あまりスピリチュアルっぽい人ではありませんが、アリストテレスという哲学者の言っている事を思い出しました。
彼は、人間の究極的な目的は「幸福」で、それ以外のものは、その手段としての善でしかない、と言いました。
そして、アリストテレスによれば、幸福とは「徳」に即した「魂の働き」です。
どんなイメージかというと、心の麗しさを発揮できている状態、と言えば良いかもしれません。
これは誰でも習慣づけや心掛けで実現できるもので、しかも、これがあれば、不運にもよく耐え得るというのです。
スピリチュアルなイメージとはちょっと違うかもしれませんが、基本的な考えは近いのではないか、と思いました。

7652
うん、そうですね。
確かに今は過渡期なのでしょう。私もまさに「振り子のように揺れ動いている」一人です。

「内なる幸福」というのは(以前の記事にそんな描写があったように思いますが)一見とても心もとないものです。存在するかどうかも分からない、あやふやで、実に曖昧で、ただの概念でしかないようにも思える。
目に見え、手に触れられる「外的条件」の方が、よほどしっかりした信頼できるもののように思える。
でも、「内なる幸福を見出した」人の言う事・・・それは圧倒的に素晴らしく、唯一確かなものであるという・・・・は、直観的に嘘は言っていない、真実を言っているように感じる。その状態を知っている部分が自分のどこかにあるような気がする。


まあ、そうした人の言葉と自分の直観を信じるしかないのでしょう。
私が今生、「圧倒的に素晴らしく、唯一確かな内なる幸福」を見出せるかどうかは分かりませんが、出来ればそう出来る事を願います。

7653
yama様

 こんにちは!

 確かにお金は、幸せな暮らしを営むための有効なツールです。
 その点で僕自身も、お金がとても好きですし、恵まれた境遇にいることを幸いに思っています。

 ただ、お金が「幸せの絶対的な一部」というのは、社会常識や日常感覚としては確かにそのように感じられてしまうのですが…、僕は必ずしも真実ではないように思います。


 ユダヤ人強制収容所の体験を記録した、ヴィクトール・E・フランクルの有名な「夜と霧」の本には、極度の飢餓に苦しむ収容所生活の中で「思いやりの言葉をかけたり、なけなしのパンを譲っていた人々」のことが書かれています。

 パンを譲ってもらった人は、涙をぼろぼろこぼしながらかじりついたそうですが――、その涙を流させたのは「パンという物のありがたさからではなく、パンを差し出してくれた人が示した人間らしさ、パンを差し出しながらかけてくれた優しい言葉と、美しいまなざしだった」と明言しています。

 死に直面する極限状態の中で、これほどの人間愛を他者から自分に向けてもらえる経験は、まさに「地獄の中で神と出会う」ような、私たちの日常的な幸せを超えた幸せだろうと思います。

 そしてパンを与えた人の心にも、自らの行為に対する確かな納得と、愛を与えることの喜びがあったに違いないと思います。
 それがないと、自分が餓死しそうなのに、命綱であるパンを他者に譲ったりしないでしょう…。


 強制収容所には「生きるためには食わねばならない」という現実が、最もありありと存在します。
 そしてまさに、この世で最悪の生き地獄に違いないです。

 にもかかわらず、生きるための糧を選ばずに、与える喜びのほうを選ぶ人たちが実在したわけです。そして、お金など無縁な極限状態の中でも、喜びや幸せを生むことができたのだといえます。


 これほどの、極端すぎる状況下でもそうなのだから、現在の世界の多くの人の日常で「お金の要素なしに幸せを感じる」ことは、きっと十分に可能なはずだろうと考えています。

7654
こんにちは。

いつも丁寧なお返事ありがとうございます。
今は私自身の周辺に現実に次々に起こる出来事の中、葛藤している自分の気持ちが、光奈さんのブログを読んで少しずつクリアになってきているのを感じます。

幸せを感じるということは、物事をポジティブな見方で感じる。ことだと思いますが、言葉では簡単ですが、とても難しい。。と思います。

考えることは出来ても、本当に心で感じることはなかなか私は出来ませんでした。

でも、考えるようにしていると、徐々に感じることも自然に出来るようになるのだな。。と最近は思います。

ポジティブに感じることが出来なかった私に『あなたはこんなに幸せの中にいるんだよ』と全ての出来事は気付かせてくれているようです。

それは、周りがどう思うのかとは全く関係ないのだということも身を持って体験しています。
 
今の私は、以前の私から見ると『可哀想に』と思ってしまう出来事だらけだからです。

でも、今の私は『これから楽しみだね♪』と自信を持って言えるので、幸せを感じている。のだと思います。

今、置かれている現実は『これから楽しみだね♪』なんて言葉にして誰かに話すことは出来ない状態ですが、こう感じている自分が不思議です。

7655
丹後のきんちゃん様

 こんにちは!

 僕も「健康」は、まさに何を差し置いてでも選びたいくらい、大事なものだと思います。

 でも――、不治の病の床にありながらも、命の輝きを放ち、生きることの素晴らしさを喜びとともに語る人もいます(ときには難病を抱える子供まで!…)

 そういう姿には本当に感服しますし、たとえ健康が著しく損なわれても、私たちの内には失われないものがあるのだな…、と思います。

7656
Ariane様

 こんにちは!

 へーっ、そうなんですか。今回の記事の考え方は、アリストテレスの説いた幸福にすごく近いですね…。
 有難うございます。ためになりました。

 2300年くらい前に説かれたテーマに、いまだ私たちのほとんどが向き合い続けているというのは、何とも大変なことだと思います…。

7657
丁寧なる返信、誠に痛み入ります。
お金とは書き方が悪かった。
つまり『食』ですね。
金は食ならず。
金は幸ならず。
必要なる栄養を享受できるわれわれはやはり幸せであります。

7658
Clary Sage様

 こんにちは!

 まさに、言葉や直感を信じるしかないですね…。

 死後世界や魂の観点からすれば、この世界のモノや現実のほうがはかない観念にすぎず、内なる幸福こそが不変のもの、ということなのでしょう。

7659
ぼん様

 こんにちは!

 やがては、ポジティブな見方なしに、幸せを感じることができると思いますよ。
 僕自身もその途上ですが…、幸せに意識を向けていると、本当に周りの状況のほうが、それにふさわしいものになっていくことを実感します。


 「これから楽しみだね♪」は、素敵な言葉ですね!

 有名な「神との対話」の本の中でも、失業生活のどん底で不平をぶちまける著者のウォルシュ氏に対し、「神」がこう語りかける場面があります――。

 「あなたは『今のざまを見てください』と言い、自分は救貧院行きの一歩手前だと言う。だが、私はぜんぜん別の見方をする。私の目に映るのは、豊かな家の一歩手前にいる人間だ!」

7660
yama様

 こんにちは!

 「食べていく」と「お金を稼ぐ」は、同義語ですよね。

 最近興味を持ちはじめたテーマなのですが――、食事をまったく口にせずに普通に生きて生活している人が、世界で10万人もいると推定されるそうです…。

 実は食べることも必ずしも必要ないとなれば――、幸せを阻害するものって、ほとんど何も存在しないということになってしまいます…。

7662
響きあう言の葉たち
メッセージ、嬉しく拝読しました。

自分がコメントしたことで、初めてコメント欄をじっくり通して読ませていただいたのですが・・・
素晴らしいですね!
光奈さんをコンダクターに、立場や世代の違う皆さんが、それぞれの思いを言葉にして奏でてらっしゃる。
そのひとつひとつに「そう、そう、そうなのよね~」「はぁー、そういう見方もあったのか」と、うなづいたり感心したりして共鳴している自分がいます。

「クラウドアトラス」・・・また見直したくなりました。
「バーソロミュー」・・・母の残した蔵書にあったのを見つけ、初版の発行日を確認したら母の命日でした(!)

すべてを「信頼してゆだね」、感情と行動を選択していこうと思います。ありがとうございました。

7664
月子様

 こんにちは!

 ブログ本文はけっこう文章を練りながら書いてるのですが、コメント欄のほうはその場でパッと思い浮かんだことを書いています。
 なので、見当はずれな返信や、相手の性別を間違うなんてこともときどきありますが…。

 響き合うものがあれば、ブログの書き手として何よりに思います!

7665
光奈さん、こんにちは。
かつて男性に間違われていた者でございます(笑)。

ボーとしていることがほとんどなのですが、
急にこうしたい!というプランが思い浮かびました。

目の前のことに最善を尽くすことが、そのプランを実現するためにも大事。
ということで現状維持で進みます。

ちょっと憂鬱だった出来事が遠くに行ってしまいました。
過去の自分も周りも、いまや幻想。嫌な自分は修正すればよし。

今やりたいことをトコトン楽しむ。
今やらなければならないことを精一杯やってみる。
何があっても、どんな状況でも、楽しみも幸せも見つけられますもんね。

7667
あおむし様

 こんにちは!

 目的をもって考えているときよりも、ボーっとしているときにいい考えが浮かぶことって、よくありますよね。

 楽しみはまさに「今」にしかないです。

7675
こんにちは。
カリメン2号です。

確かに、人は幸福を求めるものだと思います。
しかし、外側の条件に依存しなければ、人は幸福でも不幸でも無いと思います。
つまるところ、人間とは他者の存在によってのみ価値観というものを、身に着けるものなのだと思います。

7678
カリメン2号様

 こんにちは!

 社会生活で感じる「喜び」というのは、カリメン2号さんが言われる通り、たいてい何らかの価値観に基づいたものでしょう。

 でも、そうした外側の条件によらない、「自分の純粋な本質に触れる喜び」というのも存在します。


 それは、過去に植え付けられたすべての条件付けから解放される喜びであり、自分という枠組みさえも消えてしまう喜びと言えます。

 でも、そうした条件付けとか枠組みは架空のものでしかないわけですから、もともとそこには「喜び」だけが実在しているといえるでしょう。

7821
(ブログの記事の感想と言うよりは、光奈さんに対する気持ちです。)

見る機会があるときに、まとめて読ませて頂いております。

とても文章がお上手でして、心にすぅーと染み通るような言葉でつむぎ、
読み終えたときに気持ちが良いです。

ステキな文章をいつもありがとうございます。
まるで自分の浄化が行われているようで、気持ちが良いです。感謝いたします。

記事の中でも、光奈さんと同じように思う心はあれど、表層として言葉として表す事ができない自分がもどかしいです。

その分、光奈さんが代表として書いてくださっていると思っております。

7827
みつき様

 素敵なコメントを有難うございます!

 文章を評価いただくと、とてもうれしいですね。
 ブログのテーマとなるインスピレーションはパッと湧くほうなのですが、それを文章化す

る作業のほうは、けっこう時間がかかったりもします…。

 なので、そのように言っていただくと、とても励まされる気持ちです!

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。





http://facebook.com/koudaimitsuna

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