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 暑さ真っ盛りの季節だけど、そんな中でも週1回ほどは、趣味の「河川敷ウォーキング」に行っております。

 昨日は、埼玉の入間川沿いの自転車・歩行者専用道を10kmほど歩いてきた。
 これまでは20~30kmを延々とガシガシ歩いていたので、最近は距離的にちょっと短くなった感じ。

 どうして距離を落としたのかというと、じつは靴に理由がある…。


 僕はニューバランスの「MW880」というウォーキングシューズをずっと愛用している。
 初めて買ったのは5年前で、「この靴は、自分がこれまでの半生で履いてきた何十足というスニーカーとはぜんぜん違う!」と感動してしまうほど足の相性が良くて、「もう他のウォーキングシューズは買うまい」と心に誓ったくらいだ。

 最初に買った「1代目」は、すり減った靴底を何度も補修し、中敷きを替え、あれこれ3年近くも履いた。たぶん累計の歩行距離は何千キロかになるのではないかと思う。
 ここまで徹底的に履いて歩いてもらえれば、「靴冥利に尽きる」に違いない。


 で、次にまた同じものを買ったのだけど、その間にこの靴がモデルチェンジをしていて、サイズが微妙に大きく感じられた。
 なので、その「2代目」を履きつぶす前に、ワンサイズ下の「3代目」を買ったのだけど…、今度はそれが微妙に小さい。

 普段履きにはぴったりなのだが、何キロかウォーキングして足がむくんでくると、きつくなって指先が痛んでしまう。
 なかなかうまくいかないものだ…。


 そんな理由で、最近はウォーキングの距離が落ちるという結果となった。
 距離だけでなく、歩くスピードのほうも、以前のガシガシ歩きからかなりスローダウンしてきている。


 ただ、それでも「怪我の功名」というか――、比較的ゆっくり歩くことで、周りの風景の美しさに魅せられる瞬間がとても増えた。

 もちろん観光地のような絶景なんて河川敷にはないのだけど…、青空にぽっかりと浮かぶ雲や、青々と茂る草木が風になびいて踊ったり、無数の葉が日の光を跳ね返してチラチラ輝いているのが目に入ると、ハッと立ち止まり、我を忘れてしばらくじーっと見入ってしまう。


 これまでも、歩きながらぽーっと眺めることはよくあったけど、今は足を止めずにいられない。
 何かとてつもなく優先度の高い瞬間に立ち会っているみたいな感じで、そこに釘付けになってしまう。

 言うまでもないけど、歩くとの止まるのとでは、ぜんぜん違う。
 大空をゆっくり移動する雲の流れや、生命感ある雲の湧き立ち、そして草木の舞いや輝きも、こちらが完全に止まって見ることによって初めて分かるものだ。
 歩いた状態のままでは、その本当の現れに気づくことができない。

 とは言え、あまりしょっちゅう立ち止まっていたらウォーキングにならないのだけど…、僕のウォーキングの目的は運動そのものよりも、「浄化」のためにしているつもりだから、その浄化の質が変わってきたのかもしれないです。


 世界的に知られるベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハンは、「歩く瞑想」というのを、彼のもとに集まる人々に伝えている。
 それは、穏やかにゆっくり、呼吸を意識しながら歩くものだ。

 ティク・ナット・ハンはこう語っている――
 「走るのをやめて歩くことは、革命である」


 歩くことが「革命」であるならば、止まることはもはや「天変地異」とも言えるのかな――、なんてふうにも思います。

 僕の年代なら多くの場合、会社の管理職になって、仕事に関係ないものごとはほとんど眼中にない状況でも当たり前だろう…。
 でもこうして平日昼間に、誰もいない河川敷に立って、雲や草木や遥か遠い景色に目を奪われているわけだから――、ある意味、まるで天変地異によって覆った生き方ですよね。



 結びのヒーリング・ミュージックは、Bernward Koch「Travel Lightly」。

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コメント
7668
歩き、ときどき止まると『真理』に触れる
毎日のように、10000歩ほどのウォーキングを20年以上、続けています。

有酸素運動の人体への効能は20種類もありますが、何よりも精神や魂が喜びますね。

難解な哲学書を読まなくても、歩けば『今、ここ』を理解できます。

自分が通り過ぎた足跡を『過去』と認識し、
数歩先の、踏むであろう地面を未来と認識すると、
足を踏み出した一瞬、一瞬だけが『今』……。
その『今』が全てで、本当は過去も未来もないと。

というのも……、
雪が積もって足跡がくっきりと残っていたとしても、
誰かに連写してもらつてフィルムに残したとしても、
肉体の五感で感じられるのは、その瞬間の『今』だけなんですよねぇ。
私はそんなふうに『今ここ』を体感しました。

歩くこと、止まって自然を観ることはまた、
真理に触れることでした。

石清水がせせらぎに、それが小川に、大河に、そして海に至って蒸発して雲に、それが雨になって大地に降り注ぐ。
水の循環(自然界の輪廻転生)をイメージできるのも、
山野を歩いてこその実感でした。

前回のテーマ『誰もが何より幸せになりたい』も、
歩くことで、自然からダイレクトに教わった気がします。

貧困家庭に育ち、ハングリー精神のおかげで裕福になった後も、『切なさに似た孤独感』だけは払拭できませんでした。
男女や親子の情に満たされていても、精神が渇望していた時代の長かったこと。それが払拭されたのは、自らの魂の欲求に気づいた後のことでした。

以来、歩くことで、いつでも多幸感に浸れます。

誰に愛でられることもなく、
ひっそりと咲いて命を輝かせる野の花に。
踏まれても踏まれても、力強く起き上がる雑草のパワーに、
生き方の手本を観るからに他ありません。

広大さんがおっしゃるとおり、
歩くことは浄化であり瞑想ですね。
日常の様々な感情をリセットし、無垢な精神に戻れます。




7669
ニューバランス
初めてコメントさせていただきます。
1年ほど前から楽しみに読ませていただいています。
スピリチュアルの抽象的で深い話も分かりやすい表現で解説してくださって、とても勉強になります。
穏やかで落ち着いた雰囲気の文章も好きです。
ライフスタイルも似ているので、勝手に親近感を持たせていただいています。

今日のお話の中で、私も同じことがあったので、思わずコメントしたくなってしまいました。
私もとっても気に入っていたニューバランスのウオーキングシューズの内側のかかとのところがすり切れてしまったので、同じ品番のものを買い求めたのですが、履き心地が全然違って、ガッカリしました。

よく見比べてみると、最初のはメイド・イン・チャイナで、次のはメイド・イン・ベトナムでした。
賃金が安い国にどんどん製造拠点を移していくと、技術が蓄積されずに、品質が落ちていくのかなと思いました。

一昔前はメイド・イン・チャイナといえば、安かろう悪かろうでしたが、今では一番マシな部類にレベルアップしてきたようです。
日本も来た道ですね。

私も平日の昼間に川沿いを散歩しています。
立ち止まると景色が変わるというのは分かります。
私も立ち止まると運動にならない気がして、できるだけ立ち止まらないように歩いていましたが、今日の記事を読んで、「歩く瞑想」や「止まる瞑想」を意識して、今ここをもっと深く味わっていきたいなと思いました。

あ、歩くことと止まることのニューバランスですね!

7670
風子様

 こんにちは!

 歩くのは本当にいいですよね。
 ある自然治癒力に関する分厚い本の中で、運動についてのアドバイスがたった1項目、「ただ一言、歩け!」とだけ書いてあったのがすごく印象的でした。
 それくらい歩くことは、格別の作用があるのでしょう。

 自然治癒力を高めるというのは、きっとスピリチュアルの側面でも優れた影響があるのだろうと感じます。

 ほとんどお金もかからない方法なのだから、もっともっと広まればと思いますね!

7671
ぴっころ様

 初めまして!
 コメントをいただき嬉しく思います。

 ニューバランスを履いて川沿いを歩かれているって、趣味が合いますね!

 ぴっころさんが言われたように、実はニューバランスの社名の由来は「履いた人に新しいバランス感覚をもたらす」という意味だそうで、それもなかなか験がいいです。
 ちなみに僕は昨夜、公式ネットショップで4足目となる「MW880」を注文しました(さすがにきつい靴を履き続けられないので…)


 ベトナム人は手先が器用で働き者も多いので、いい製品を作るようになると思いますよ。
 最近の靴は、パキスタン製とかバングラディッシュ製も見ますね。
 そこで作っている人は、靴を履いていないかも…。

7672
光奈さん、こんにちは。

私も歩くことは浄化&瞑想だと思っています。
ワンちゃんやネコちゃんに話しかけたり、飼い主さんとおしゃべりしたり。
そういうことも楽しんでいます。

歩くコースによって、海や山を眺めたり。風景も楽しんでいます。
マイケル・ジャクソンの曲を聴きながら。マイケルの声は浄化にピッタリ。

心身の健康のために、歩くこと(私の場合は散歩)はオススメです。
基本毎日1時間、5年以上続けています。この先も続けます。
311のアトも原発のことをほとんど気にしないで歩きました。

仕事人間だった私が毎日のんびりお散歩生活。
私は自分の人生に革命を起こせたのですね。

7673
あおむし様

 こんにちは!

 ウォーキングは、お金はほとんどかからないけど、とてもぜいたくな趣味だと思いますね。
 ランニングに比べて時間がかかりますし、余裕がないとなかなかできないでしょう。

 また1日1時間だと、1年間で「15日間」も歩いている計算になります。
 それだけ瞑想や浄化をしていると考えると、とてもいいことだと思います。

7674
15年ほど前
仕事帰りに「満月」を見ると、「満月だよ~」と友人達にメールを送っていました。すると「久しぶりに空を見上げたよ」とか「会社の窓から満月みてます」とかの返信をもらうと、独りで駅に立っているのに独りじゃない感覚がして、心が温かくなる感じがしたのを覚えています。
当時私は主人を亡くし、三人の子を育てながら男性ばかりの職場に居ました。メールの相手はいろいろな年代層の男性たち。
ですから、再婚してその「満月メール」も止めてしまいましたが、今も満月を見ると思い出す温かい思い出です。
今は満月の時間には家の中にいるので目にする機会も数える程になりましたが、犬たちの散歩のおかげで朝日と夕焼けに足を止める毎日です。
朝日が出てくると足を止め「おはようございます」と日拝します。
日常の中のこのささやかな時間に、心の平安を感じています。

自然の中に私は在り
私の内に自然は有る

そんな宇宙との一体感を感じたりすると、私の、人としての存在が消えてしまう感覚になり、ハッとしますが…まだもう少しの間、個としての自分で此処に居たいと思うのです。この美しい自然と共に呼吸していたいと。

思いつくままにレス致しました。読んでくださってありがとうございます。失礼致します。

7676
こんにちは、毎日暑いですね〜。

私は正直に言うと、この炎天下に河川敷ウォーキングなんてシンジラレナイ…と思ってしまう人なのですが(申し訳ありません…)私の常識を大きく裏切り、うちの近所の河原にもウォーキングやジョギングを楽しむ人たちがたくさんいらっしゃいます。

「私の常識」の外側にもとてつもなく広くて豊かな世界が広がっている(らしい)、「私の常識」に支配されて悩むことの小ささよ…
そんなことを河川敷を見るたび思い出せたらいいなと思いました。

7677
かりん様

 こんにちは!

 離れたところにいて会えない人たちも、同じ月を眺めていると思うと――、どこか温かなつながりを感じますよね。

 根源的なワンネスは、もちろん想像もできないほど素晴らしいでしょう。
 でも、今こうして分離した状態で感じるつながりも、なかなか素敵なものだないつもと思います!

7679
ruri様

 こんにちは!

 僕もふだん、暑い日は買い物に出る気にもならないのですが…、なぜかウォーキングの最中はあまり暑くないんですよね。
(それよりも、冷房の効いたスーパーから出たときの、猛烈にモワーッとする熱気のほうが耐えられないです)

 夏のウォーキングのいいところは、日光が強いぶん景色が本当に鮮やかで美しく、そしてほかに人がほとんどいないことです。
 もちろん熱中症対策は徹底しています。

7680
心のゆとり
初めてコメントさせていただきます。

私もランナーの端くれで何年か前まではお友達に誘われるままレースにも出たりしましたが今はのんびり走れる時に近場を走るようになりました。
前は音楽を聴きながら走っていたんですが、それも不要になりました。
どんどんシンプルになっていきますね。
ただ、ひとつだけどんなでもいいからカメラは持っていきたいです。
立ち止まって景色を楽しんだりお花を撮ったり、野鳥を探して河川敷を歩いていたりします。

今では速く走る理由が全く見つかりません。
ただ、出来るだけ遠くに行けるだけの走力は身につけたらそれで満足です。

心の浄化というのかわかりませんが、いろんなこと考えていたり、新しい鳥の巣を見つけたり、探検のようにワクワクできる豊かな時間になっています。

一人の時間を心から楽しめるのがこんなに豊かな事だとは今まで知らなかったな。
ただ、走る事で得られる爽快感はいつまでも失くさずにいたいなと思っています。

7681
みぃー様

 初めまして! コメントを有難うございます。

 身近な自然の深みに気づいたり、一人の時間を心から楽しめるというのは、ウォーキングやランニングだからこそ味わえることですよね。
 テニスとかサッカーだと、そうはいかないです…。


 世界各地のマラソン大会に参加している作家の村上春樹は、エッセー集『走ることについて語るときに僕の語ること』の中で、自身が走っている最中の意識についてこんなふうに記しています――。

 「僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。

 走っている時に頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空はあくまで空のままだ。雲はただの過客(ゲスト)に過ぎない。それは通り過ぎて消えていくものだ。

 そして空だけが残る。空とは、存在すると同時に存在しないものだ。実体であると同時に実体でないものだ。僕らはそのような茫漠とした入れ物の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、呑み込んでいくしかない」――


 …さすがの洞察と表現だと思いますし、この「空白を獲得する」というのが浄化でもあるのかなと感じます。

7682
光奈さん、こんにちは。

昨夜のお月様もまんまるでしたね。オレンジ色に輝いていました。
朝日には挨拶したくなります。感謝もしたくなります。

空はずっと昔から私の世界にあったのに
ゆっくり眺めたりするようになったのは21世紀に入ってからです。

散歩中にふと思いつくことがあります。
それは導きやアドバイスなのではと思っています。
気ままに歩けること、それだけで幸せ。
歩いているうちにモヤモヤも消え、頭の中が整理されスッキリします。
まあいいか、という結論にたどりつきます。

2日連続で1時間の散歩をしませんでした。
今夜は歩きます。地元のお祭りを楽しみながら。

7683
こんにちは。

ウォーキング、浄化、カルマヨガ。。
光奈さんのブログで知り、私の仕事はカルマヨガ?とふと思いました。

私は水道検針の仕事をしています。
仕事の期間はひと月に1週間程度で、1日4~5時間だけですが、天候に左右されたり、いろいろな場所があるのでハードな仕事ではあります。でも、楽しく働いています。

ひたすら4~5時間歩き、検針する。という作業はカルマヨガ?と思うときがあります。

私は自分が苦しいときに、仕事をしながら、いろいろ考えて、あぁそうだったんだ。。と気が付き涙を流す。。ということを繰り返してきたので、仕事をしながら浄化していたのかな。。と思うこともあります。

泣いている検針員は変だろうな。。と思いながら。

仕事をしていなかったらこんなにも意識は変わらなかったのかもしれないなと思います。

浄化のためのウォーキングという素敵なものではありませんが、検針しながら歩くことが私にとって助けになっていたのでしょうね。。

時々は立ち止まって、空の青さや草花の匂い、街の景色を改めて感じたいと思いました。

7684
足跡から 遊びに来ました
 山もやるので 山も行かない 休日に 山へ登る 練習で
  結構長く 歩いて 動物園など 撮影に行きますし
重い荷物を背負って 登るので クッションの無い
 サンダルで 日ごろは 歩いてますし
  サンダルの裏を 結構張り替えて お金が かかったりね

7685
素敵ですね!
私にも天変地異が起こらないかな~?
・・・と思いますが、
末っ子が独り立ちするまで、もう少しの辛抱かな~

7686
ちょっと、かなり?話がそれますが
その昔、力を示さねば、と思った誰かがいました。
そいつは長い年月を体を渡り歩いて生きてきた。
そして、敗戦時に重傷を負い次の体に移ることすらできなくなっていた。
敗戦という、それまでの考え(社会?)を一変しかねない事態にあってもそいつに致命傷を与えることはできなかった。
そして、今そいつは体こそ取り戻してはいないものの力を取り戻し、顔の見えないかつての側近の劣化コピー共を引き連れ行進を始めた。
その列の最後尾のほうに政治家たちはついて歩いていく。さらに何もわからぬ者達を引き入れながら行進の列は伸びていく。

それとは別にもう一つの一族(血の繋がりという意味でなく)がいた。
その一族はバカが多かった。そこに義が見つけられたならばどんな負け戦にも馳せ参じてしまった。コピーと呼べる自分と同じ魂を持つ者を残した者達もいたけれど、大半は劣化コピーすら残さず散ってしまった。
今や祖が一人でその子も孫もすでに全てこの世界にはいなくなってしまった。
そして、その祖と呼べる何かも次の体を得ることすらできない状態。
それでもそいつはうわごとのようにつぶやく。
もはや誰に届くこともない言葉を。
その言葉は音にも文字にもならない形で世界へ響き、まだ生き残っていたバカどもに戦えと、あいつを止めてくれと告げる。

それが見る場所少しずらしてみた今のこの国なのかなと思います。
そう考えると、多分天変地異であったとしても止まることはできないと思います。
人の意識を180度変えるようなそれは意識レベルでは天変地異であると思います。それをもってしても意志達の世界では重傷程度で済む。
多分、人が足を止めるのはもっと酷い何か。ではないでしょうか。
人が人でなくなる、そんなときなきがします

7687
あおむし様

 こんにちは!

 「空はずっと昔から私の世界にあったのに、ゆっくり眺めたりするようになったのは21世紀に入ってから」って、いい言い方ですね。

 「空(そら)」を「空(くう)」と読み替えるだけで、とてもスピリチュアルな意味になります。

7688
ぼん様

 こんにちは!

 検針員のお仕事は、確かに「歩く仕事」ですね。
 しかも、組織で群れたり人相手に何かをするのではなく、「独りで黙々と」という感じでしょう。

 冷房の効いた売り場などに立ちっぱなしとか、パソコンに向かいっぱなしよりも、そういう仕事ほほうが今の僕には好感が持てます。

 
 途中でちょっと立ち止まって、空や木々の美しさを感じられたら、素敵なことだと思います。
 ただ僕自身のことを振り返ると――、サラリーマン時代はかなり「いっぱいいっぱい」の状態だったため、仕事中というのはなかなか容易ではないかも…。

7689
北海道のくま様

 初めまして! コメントを有難うございます。

 サンダルは、足が自由に動き、けがをしにくくて良いそうですね。
 プロの登山家も、ヒマラヤのベースキャンプに行く途中までは「サンダル履き」という話を聞いたことがあります。

7690
アルまま様

 こんにちは!

 子育ては「静止」とか「マインドの沈黙」とはまるで正反対だけど…、それだけでは学びきれない色んなことを教えてくれますね。

 うちの息子も今年大学受験のため、ストレスもたまっているようで、色々あります…。

7691
野良猫様

 こんにちは!

 意識をシフトする最大の転機は、まさに「絶望」したときです。
 「倒産・闘病・投獄」ともよく言われます。

 でもいまは、そうした絶望なしに、意識の転換が可能な時代になってきているように思います。

7692
光奈さん、こんにちは。

近所に住む姪が息子さんと同じ高校3年生です。
今日、カナダから帰国します。2週間の短期留学でした。
ラグビー部のマネージャーを終え、受験勉強モードへ。
やる気スイッチ、既に入っているようです。

姪が小さい頃からずっとその成長を見てきました。
「地球に感謝して」と言った時、それを素直に受け入れてくれた姪。

今の子供たちは絶望なしで意識転換ができる世代だと思っています。

姪たちは実に恵まれた環境にいます。それでも色々あるでしょうけど。
先日プチいじめにあった中2の姪はとても甘えっ子ですが、
話してみると結構しっかりしています。

何があっても姪たちは大丈夫。何かあった方が人生は面白くなります。
姪たちの今後が楽しみです。

7693
あおむし様

 こんにちは!

 自分の息子の世代を見ると、ガツガツした気負いもなく、余計な競争心もなく、社会のものごとに対する問題意識や対処能力も低いようだけれど――、それはそれでとてもいいことだなと感じます。

 きっとそうしたところが、インディゴ・チルドレンの世代の性質なのでしょう!

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。





http://facebook.com/koudaimitsuna

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