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 以前、このブログでは珍しい時事ネタとして、「新国立競技場」の問題について触れました。

 誰が責任者なのかがあやふやなまま、計画自体がどんどん進んでいって規模が膨れ上がり、合理性を失った状態に陥っていくというのは――、かつて日本が「日米開戦」へと突き進んでいった状況に近いのではないか、という内容でした。

 先日に新国立競技場の計画は、全面見直しとなった。
 当然のことといえるけど、後戻りできない状況からいったん足を引き抜くという意思決定は、とても大事だと思う。

 のちの関係者の発言を見ても、本当にどこにも責任者が存在していないんですよね…。

 これほどの一大プロジェクトが、よくもまぁこのような状態で進められてきたものだと驚いてしまう。

 誰がどう考えても、東京スカイツリー4本ぶんもの建設費がかかるスタジアムなんて、今後の日本に必要なはずがないでしょう…。


 しかし、予算をとんでもなくオーバーした巨大プロジェクトでも、「これは作って良かった!」と皆に思われるものもある。

 その代表格が、かつての国鉄が作った「東海道新幹線」だろう。
 計画された予算は1700億円だったが、物価高騰などによって最終的な総工費は、その倍以上の3800億円に上った。

 当時の世論では、「これから自動車や航空機の時代になるのに、どうして鉄道を作る必要があるのか」と散々に批判されたという。
 「世界三大無用の長物は、万里の長城、戦艦大和、新幹線」とまで揶揄された。


 ただし新幹線の場合は、明確な「責任者」がいた。

 その主要な一人が、新幹線の生みの親である国鉄技師長の島秀雄だ。

 かなり著名な人物だけど――、
 父親の島安次郎は、蒸気機関車の名機「D 51(デゴイチ)」の設計者で、また戦前に発案された東京-下関を結ぶ「弾丸列車計画」にも携わった。

 この「弾丸列車計画」は戦局悪化のため消滅してしまったのだが――、父親と同じ鉄道技師の道を歩んだ息子の島秀雄が、戦後の「新幹線計画」の指揮を執ったわけだ。


 当時、旅客列車のスピードは時速160kmが限界というのが世界的な常識だった。
 そんな時代に、「営業速度210km」を計画の前提に掲げ、そのために必要な振動や騒音などの技術的難題を次々に克服。
 そして着工から5年後、東京オリンピック直前の1964年10月1日に見事開業した。

 ところが、東京駅で行われた華々しい新幹線の出発式には、当の生みの親である島秀雄の姿はなかった。
 予算超過の責任をとって、自ら国鉄を退職したのだ。式の様子はテレビで見たという。

 実にいさぎよい身の振り方ですよね…。

 最近は記者会見とかで辞任を問われた経営トップや政治家が、「引き続き責任者としての職務を全うしていきたい」とか発言して、要はポストに居座り続けたがる人はよく見るけれど…、それとは価値意識をまったく異にする生き方だと思う。
(国鉄を退職した島秀雄は、後年に「宇宙開発事業団」に転身した)


 現在の新幹線の便利さは、多くの人が認めることだろう。
 ちなみに、もしも東海道新幹線が存在しなくて、それを航空機でまかなったとしたら――
 世界で最も旅客数の多い航路が実は「東京-札幌」間なのだけど、その9倍の乗客が「東京-大阪」間に集中することになるそうだ。
 羽田空港のキャパシティーからしても、それはどう考えても無理といえる…。


 またイギリスのエコノミスト誌によると、もしも新幹線の輸送をすべて自動車で代替したとしたら――、
 年間に交通事故によって1800人が死亡し、1万人が負傷してしまう計算になるそうだ…。


 そう考えると、倍以上の建設費がかかったとはいえ、「やはり作って良かった」と誰もが思えるはずだ。


 ここでちょっと、スピリチュアル的に思いつくことを付け加えると――

 「人生のあらゆる出来事は、100%自分に責任がある」ということがよく言われる。
 でもたいていの場合は、「私のせいではない」とか、「あの人にこうされたから」「こんな状況が悪い」と考えて、自分の責任であるという認識を持つことを避けてしまう。

 一方で相手のほうだって、こちらに対する何か責任があるとは思っていなかったりもする…。

 そして、まるで新国立競技場計画のたらい回しみたいに、どこに責任があるのかはっきり見えない状態のまま、誰もストップをかけることなく――、色んなわだかまりや未消化のエネルギーを抱えながら、自らの人生がどんどん先に進んでいってしまう――
 そんなケースって、少なくないように思います。


 もちろん出来事が起こるメカニズムとしての原因は、自分以外のどこかにあるだろう。

 でも、それによって起こった現実を引き受けて、自分の反応パターンや感情エネルギーを癒やしたりするのは――、やはり「自分の責任」以外にあり得ないのだろうと思います。


 とは言え、ふつう「100%責任を取る」というと、何とか問題解決しようとして頭を悩ませたり、努力奮闘しようとするのが通常だ。

 そうしたプロセスにも大事な意味があるけれど――、それを続けることはいわば、前述の「ポストに固執し続ける人」みたいなものだと思う。
 本当に責任を取るということは、まさに責任者としての自分の地位を「辞任」すること――、つまりきっぱり「明け渡してしまう」ことだと思うのです。


 「コントロールを手放す」とか「すべてをゆだねる」ということをよく言われるけど、それを徹底してできるときというのは――、もはや自分ではどうにもできない問題に押しつぶされて、苦悩と「絶望」のどん底に落ちてしまったときだろう…。

 そのような状況下で、本当の内的な解放や、意識の目覚めが起こったという体験談も色々ある。


 でも幸か不幸か、私たちのほとんどは、そこまでは絶望していない。
 そして、自分なりに頑張れた人生、そこそこの人生、人によっては多少誇らしい人生を築いてきただろう。
 もちろん「新幹線」のような立派なものには見えないけれど、どんなものでもそれは、一つの生のプロジェクトの達成である。

 ただしその達成の半面で、自分の中に色んな感情エネルギーやエゴ意識をどんどん増大させてきている。
 そのことに対し、私たちはきちんとけじめを付け、その責任者としての立場を辞任しなくてはならない…。


 それが、これから多くの人が直面していくことではないかな、と思います。
 そして、「絶望」を抜きに、そのような「明け渡し」が可能な時代になっていくように感じます。



 結びのヒーリング・ミュージックは、TINGARA「神々の時間」。

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コメント
7694
広大流 『時事解体と展開』 の在りように脱帽です!
国立競技場や、新幹線の建設に関わる責任問題から、スピリチュア的な自己責任に転じる話、さすが広大さんですねぇ。
いつものことながら、あらゆる分野に対する見識の広さ、深さに敬服です。

個々の感情エネルギーや、エゴ意識の増大に対する責任を『自分を辞任する』形で『明け渡す』って……。
この発想と転換に、意図としての『目からうろこ』を感じました。

社会状況や日常を、意識の進化論的に解体する才能は、
広大さんならではの感受性でしょうね。
ほんと、スゴイと思いました。

7695
風子様

 こんにちは!

 自分でもどういう話の展開になっていくのか、よく分からないまま書きはじめたのですが…
 でもきっと潜在意識的には、話の帰着点がちゃんと最初からあって、そこに行き着くための題材が後付けされるのかもしれないです。

 でも、「無責任」であることと「責任を手放す」ことって、一見似ているようでずいぶん違うものだなと、自分でも書きながら感じました。

7696
こんにちは。

今は本当に「無責任な時代」だと思います。(これは日本だけに限らず、世界的な傾向かと思われます。)


政治の国民への無責任
行政の納税者に対する無責任
学校の生徒に対する無責任
親、大人の子供に対する無責任
人間の他の生命に対する無責任
人類の地球に対する無責任


世代の無責任のつけは次世代に受け継がれ、今や若者や子供たちがそれを背負わされています。(もっとも、無責任な行いの当事者たちの罪ははすべて自分に帰ってくるのでしょうが。)

早くそんな時代は過ぎ去ってもらいたいものです。

無責任なつけを払わされている若者や子供たちに幸があるよう祈らずにはいられません。

7697
明け渡し・・・
大分前ですが、「あるヨギの自叔伝」を読みました。面白いエピソードは数あれど、よく覚えているのが「ヒンドゥー教のある女神に帰依するおじいさんの話」です。
本の中では地味なエピソードだったと思うのですが、おじいさんは(名前は忘れましたが)ある女神に深く帰依していて、女神様が自分の面倒はすべて見て下さると心から信頼していたそうです。
その信頼は幼子のようだったと書かれていたような気がします。

「すべてをゆだねる」とか「明け渡し」って難しいというか、どうしても責任が・・とか、単に(悪い意味で)責任を放棄しているだけだとか、色々言われます。
私もこれは間違いなく自分の課題のひとつ(というか、一番大きい課題かも?)だと思っていますが、私もいまいち理解していないし、スピリチュアリティに興味・関心を持つ人の間でも、実の所あまり理解されていない、深い関心を持たれる事も実は少ない事柄だと思います。

でも、このおじいさんの信頼は本当にうらやましい。
私もこんな信頼を持てたらとつくづく思います。
確かにこのおじいさんは「自分の人生に責任を持っていない」とも言えるのですが。

7698
ひまわり様

 こんにちは!

 社会常識としては、無責任は困ったことです。
 自分にかかわりないよそ事であっても、どうにかならないものかと思えてきます…。

 でもきっと、宇宙や魂のシナリオとしては、無責任が存在しないと起こらない出来事や、それを通じてこそ可能な学びというのもあるのでしょう。

7699
Clary Sage様

 こんにちは!

 「女神への帰依」の話は、僕自身もそれができればと本当にあこがれますね。
 真の明け渡しとは、まさにそういうことなのだと思います。

 「信頼」によってそれができれば最も素晴らしいですが、本文にも書いたように、多くの場合は「絶望」によって起こることが多いです…。


 以下もそのひとつですが(現在は閉鎖されたブログからの転載)、本当にすべてを明け渡したら、絶望さえも至福に変わってしまうのですよね。

http://blog.goo.ne.jp/cqe01215/e/ff8a6c2577e93c64fd65b6e16457d20b


7700
自分の目の前にあることは全部自分の責任である。これは本当にそうだと思います。別の言い方をすれば、自分が起こしているんですね。その地位に固執するより、辞めること。別の言い方をすれば、他人の発想に任せること、それを素直に認めることということでしょうか。一人で何でもやろうとすること自体がエゴであるということ。そこからは早く辞任したほうがいいですね。

7701
丹後のきんちゃん様

 こんにちは!

 「このブログの文章で書き手が伝えたかったことを、200字以内にまとめなさい」という問題がもしあったとしたら、まさにおしゃる通りの答えになります。

 そこまでずばり理解していただけて、とても嬉しいです!

7702
光奈さん、こんにちは。
花岡さんのブログ感動しました。涙にじみました。

絶望の先にある至福。
若い頃に絶望にあこがれていたのは、そういうこともあったのでしょうね。

絶望すれば本当の自分が現れるはず。本当の自分が見たかったのです。

今はもう絶望はできそうにありません。
どんな時にも幸せや楽しみを見つけられますから。

本当の自分で生きることが、責任ある生き方なのかな。

7703
そのとおりですね。
人はいろいろな責任を背負って生きているのでしょうが
やっぱり最終的に自分の人生において責任をとるのは自分自身なんですね。だれのせいでもなく。
自分の人生においては、『明け渡し』とか『辞任する』...というのが今はどういうものか、まだよくわかりませんが、いぜん読ませていただいた『ああ、そうであったか』のようにすべてを受け入れるということなのかなあとも思いました。

7704
あおむし様

 こんにちは!

 本当に素晴らしい内容のブログですよね。
 でもとても残念なことに、最近閉鎖されてしまいました…。
 
 いま残っているのは、許可なく転載したブログのみです。
 「悟り」や「意識の目覚め」を目指すことについての以下の一文も、なるほどと感じます。

http://blog.goo.ne.jp/cqe01215/e/7181f991a51e9a676ab149c638afc0c1


7705
nagarerukomo様

 こんにちは!

 まさに「ああ、そうであったのか」の姿勢ですね。
 「明け渡す」と「受け入れる」は、物理的には逆向きの行為ですが、在り方としてはまったく同じでしょう。

 宇宙や神、あるいは他力を信頼してすべてをゆだね、起こってくるものごともすべて信頼して受け入れる――
 それこそが、自らの生に対する「最も責任ある姿勢」なのだろうと思います。

7706
自立がこの頃のわたしのテーマのようなのですが、自立=自分で頑張るのとは違うんですね。
責任を取るというのも、一人で背負い込むものではなさそうです。
掴んでいるものを手放すというのも、何かが自分から奪われることでもなさそうです。
不思議な仕組みです。
言葉で理解しているつもりのことが、いかに2元的か、ていうことですよね。

7707
リンク先の文章を読みました。
大変興味深いです。既にブログが閉鎖されているのは残念ですが、光奈さんが紹介してくれなかったら多分知る事もなかったと思います。


神を信頼できないというのは何故なんでしょうね。
「誠実で全幅の信頼を置ける人」というのは存在します。人が信頼できて、神が信頼できないというのはどうしてなのか。
無条件の愛と英知の存在。どう考えても信頼できない訳がないのに。


そもそも神(ハイアーセルフ)といったものは本当に存在するのだろうかという疑い。
それと、神に対するイメージや色々な思い込み。
「神頼みはよくない」「自分で努力して努力して、最後に神に祈るべきだ」「自分の人生は自分で責任を持たなくてはいけない」「他人にも神にも人生の舵を譲ってはいけない」「神は見守っているだけだ。具体的に助けてくれる訳ではない」「神は無関心だ」etc,etc・・・
それと、いわゆる”他者”と、”神”を同じようなイメージで捉えているからというのがあると思います。

「自分の人生を他人任せにしてはいけない」というのは、誰もが賛同する事だと思います。そして、神にすべてをゆだねる・明け渡すというのもこれと同じイメージで考えている部分がある。だから抵抗があるし、ポストから離れるのは間違っているように思える。「自分が船長でなければ。人生の最後まで責任を持たなければ。途中で船長の職を辞するなどとんでもない」と。
でも、この二つは全く違うものなのだろうだと思います。






7708
うり様

 こんにちは!

 うりさんが言われる通り、自分で頑張るというのはまさしく「二元的」なのですよね…。


 自らの本質が「宇宙とひとつのものである」という前提に立てば――、その宇宙の力、すなわち、浄土真宗で言う「他力」に頼ることになるでしょう。

 ちなみに他力を英語で言うと「The Power-Beyond-Self」です。
 つまり「自己(Self)を超えた力」であり、これこそが実は「本当の自分の力」ということになります。

 一方で私たちが考える「自力」ほうは、要は「分離した自己の力」に過ぎないです。ほとんど実体のないものといえます…。

7709
Clary Sage様

 こんにちは!

 たぶん、私たちの存在を、大海原に浮かぶ小さな「船」になぞらえながら、必死に舵とりを頑張っているのは、いわゆるエゴ意識にほかならないです。

 「うっかり判断を誤ると沈んでしまう!」ということで、船長としての存在意義を保ち続けている…。


 でも、スピリチュアルな真実としては――、本当の私とは、果てしない「海」そのものでしょう。

7710
今日も明け渡して来ましたーーー!
最近、仕事がいっぱいいっぱいで、なんか頑張り過ぎてた感があった矢先・・まさかの失敗。やらかしてしまったっっっ。部下2人が黙々と手伝ってくれて、事なきを得たのです。守ってる積もりだったのに、頼もしく感じられた彼女達。明日から、もっと頑張ろう、彼女達の為に。

7712
光奈さん、こんにちは。
ご紹介のブログ拝読しました。
日常こそ悟りへの道。

最近、絵手紙を教えることに、また色々考えてしまいました。
ありのままの自分を表現することが、絵手紙でも一番大切だと
私は考えているのですが、その思いはなかなか届かないようです。

私の教えが何かのきっかけになればという期待が自分を苦しめたりします。

そして現在辿り着いた思いは、自分のやりたいようにやろう、
自分なりの最善を尽くそう、ということでした。

そうすることで、自分にも周りにも期待がなくなり、進むのがラクになります。

誰かのために頑張るのはやめよう。
それでも誰かのために頑張ってしまう自分をほめてあげよう。
心が憂鬱になることは、変えていけば(時に手放せば)いいのでしょう。
というか、変えるように何かが起きてきますね。

まさに日常こそ悟りの道です。
こうして光奈さんのブログを拝読するのも日常となりました。

7713
こんにちは
国をおかしな方向へ導こうとする、安倍さんという「悪役」に対し、平和を求める国民が一致団結し、覚醒するっていうシナリオの映画を観ているんだといいな。

これをきっかけに、日本から平和を。

医師、看護師、高校生、母親など、デモ活動が始まっていますね。

7714
リンク先の
「リトリートやセミナーに行っても意味が無い」というのも、「まあ、そうだよなあ・・・」と。
勿論これはリトリートやセミナー、悟りやスピリチュアリティに限らずの話で。
「両手に願望を持って」どこかに行く。何かを買う。という事は非常によくある事ですが、大抵望んだ通りのものは得られない。でも「次はもしかしたら」と考え、どこかに行ったり何かを買ったり何かをしたり・・・を続ける。

(やせたいために、ダイエットサプリメントを買ったり、運動器具を買ったり、ジムに入ったり・・・・なんていうのもそうですね。「両手に願望を持って」そうする訳ですが、大抵サプリメントは効果が無いし、運動器具はすぐに使わなくなるし、ジムからも足が遠のく)


こういう諸々はきっちりやめるべきなのかもしれないですね。


「自分の事は自分が一番よく知っているんだ」と思っているけれど、多分そうではない。神(高次の自分)や、ガイドの方がよく知っている。
本当に「自分の事は自分が一番よく知っている。何でも分かる」なら、迷いもないし、いつも幸福なはず。
多くの人が「自分は何を望んでいるのか、何を本当にしたいのか分からない。どうしたら自分が幸福になれるのか分からない」「こうすれば自分は幸せになるだろうと思ってやったけれど、駄目だった。予想と違った」と思っている。
過去生なんかも含めて、決して「自分の事は自分が一番よく知って」はいない。

それを認める事も明け渡しには必要なのだと思います。







7715
りこ・ディーン様

 こんにちは!

 手伝ってくれた部下は、この世界の「優しさ」や「信頼性」の現れですね。

 恐れていたミスが起こってしまったものの、それを通じて信頼を学ぶというのは、とても素敵なことだと思います。

 また手伝うほうの立場からしても、そういうのは自分が頼りにされている実感がして(上司に対する「貸し」にもなって)、そこそこ気分が良かったりもします。

7716
あおむし様

 こんにちは!

 「期待」を手放すのは、なかなかすぐにはできないことですね。

 プロの落語家でも、最初はお客さんの前で緊張して、やがて場に慣れたら今度はお客さんに受けようと期待して、そうして期待を手放してただ自分の芸に純粋に入り込めるのは、ずっと後になってのことだと言います…。

 それと同じような道なのでしょうね。

7717
tao様

 こんにちは!

 多くの人があらためて日本という国の姿勢を考える上では、いいきっかけになっているように思います。

 これもきっと、いま必要だからこそ起こっていることなのでしょう!

7718
Clary Sage様

 こんにちは!

 顕在意識の面では、自分ことはほとんど分かっていないです…。

 でも、さまざまなマスターが説くように、自分のことを完璧に知ってくれているガイドや神だって、本当は「自らの現れ」にほかならないのだと思います。


 実は自分ですべて分かっているのだけど、その分かっていることが分からなくなってしまってる――
 その何とも不可解な矛盾が、この世界だからこその特質であり、やがて誰もが乗り越えなくてはならないテーマなのでしょう。

7719
ちょっと皆さんにお聞きしたいです
今回のテーマとは離れてしまうのですが、今、私はある文章に出会って、いくら考えてもわかりそうでわからない・・・う〜ん(もう、お手上げ)という感じになっています。(かれこれ一ヶ月半はたっています)
この場をお借りしてその文章を読んでいただき、光奈さんや皆様のお知恵を分けていただけたらと・・・
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが

『例えば、天体望遠鏡で、百億光年向こうの星の姿を君は見る。光の到達時間差から計算して、百億年前の星の姿を、今見ていると、科学は説明するわけだ。しかし、ここでおかしなことに気がつかないか。百億年前には君は存在していなかったはずだ。それなら、自分が存在していない世界を、なぜ今見ることができるのだろう。これはすごくおかしなことじゃないか。だって、言ってみればそれは両親が結婚して君が生まれる前の世界を、生まれていないはずの君が今見ているということなんだから。これはどう考えても変じゃないか。(中略)だって、百億年前の宇宙を今見ている自分は百億年前にも存在していなければおかしいよね。そう考えれば「ある時突然」ビッグバンから宇宙の時間は始まったとする、科学的な時間の観念も、実はおかしなものだと気がつくだろう・・・』

というものです。

勿論、前後の文章も読まなければ判断しにくいとは思いますがこの著者は他の著書でもこのような主旨を度々語っています。

この話に出会うたび、今までがっつりと信じ込んでいたものがまた一つ剥がれて新しい感覚を”思い出せそうな”気がするのですが、
その度に「いやいや、光が百億年前にそこを出発して今地球に到達したまさにその光を自分は見ているんだ」という考えが浮かんできてどうもその先へ進めないのです。
よっぽど著者に聞きたいけれど、もう亡くなられているし・・・

このようなテーマに鋭い指摘をいただけるのはここしかないと、思い切ってお尋ねする次第です。

光奈さんはじめみなさん どうかこの文章に”ピンときたら”そのお考えをお聞かせください
(光奈さん、私物化みたいですみません)

7720
こんにちは、いつも来ていただきありがとうございます。

さてさて~仕事場でついに!(熱中症)になり、点滴を打つことにまでなりました。
暑い!暑い!たまりませんよ!
みなさんも気をつけてくださいませ!

ぽち!して帰ります^^

7721
お久しぶりです。でも記事はこの頃いつも携帯で見せてもらっています、
光奈さんありがとうございます。

歴史的な権力者がロマンスを感じて、気の向くようにすきなように創るというわけでもなくて、
「新国立競技場」にはいろんな人が意見を言えるからまたいろいろと出てくるんでしょうね。
できたからには愛される競技場にしてほしいです!

コメントのところを見ていたら記載されていたので、
萌永もおしゃべりしますね。
教科書で光りの性質なんてありますけれど、ちっぽけな参考程度のことです。(覚えなくていいとは言ってないです)
おかしいなとひっかかりをもつことは、とってもたいせつですよね。
まだ現世での天体観測では、人体が移動行動をしているのではなくて、天体望遠鏡を光りを利用して覗いた、というだけですね。(この光りの性質が違っていたら、結果も違っているのでしょうね)皆がよく知っている地球上の一部の一定の規則性と、人体の普通な一部の性質などで考えてみると、とても生きて移動できる距離ではないですが、光りを観測に利用できれば、その時に見る人がいれば、人の寿命自体は関係ないと思いますよね。
光りの(ここでは望遠鏡を通す光りだけについてですが)瞬間に進む速度はすごいんですよね。
こういった機器の発明は素晴らしいですよね、地球が在るってすごいですね!人類が生きているってすごいですね!
もっと発明できるものがいっぱいあるはずです。

7722
fujiwara様

 こんにちは!

 これはまた、難しいお題ですね…。
 と言うのは、説明展開のややこしさではなく、この筆者が「どのような視点や宇宙観から、そのように感じ取れたのか」が、なかなか微妙そうからです。


 物理的な現実では、fujiwaraさんが言われる通り、「光が百億年前にそこを出発して、いま地球に到達したその光を自分は見ている」と考えるのが普通でしょう。

 またこの筆者は「百億年前の宇宙を今見ている自分は、百億年前にも存在していなければおかしい」と述べていますが――、これは「見る」という行為が「今の瞬間」をとらえているということになります。
 ところが、スピリチュアル分野でもよく言われるように、私たちが見ているものは「今の瞬間」ではなくて、常に「ちょっと遅れた過去」です。

 私たちの目には「過去しか見えない」わけだから、完璧な今の瞬間をとらえるよりも、百億年前の宇宙を見るほうが無理がないようにさえ思えます…。


 で、おそらくこの文章を書いた人は――、私たちの本質とは、全宇宙をその内に現す広大な「意識」とか、宇宙の誕生よりも先だって存在する「空性」であるという観点を、どこかで感じたり語っておられるのではないかな、と思います。

 空性は「時間軸」を超越して存在するものですから――
 そうなると、私たちの本質である空性も、ビッグバンも、百億年前に放たれた光も、それを見ている私自身の存在も、見ることそのものも、「すべてこの一瞬に同時に起こっている」ことになる…。

 物理的にはどれほど遥かな過去でも、実は「今」以外に存在しているものは何もない。そのすべてと、自分はともに在る。
 それは、私たちの誰もが、心の奥底の無意識で知っている感覚である――。

 そういう観点での直感から、このような文章を書かれたのではないでしょうか。


 僕も過去のブログ記事で、以下のようなことを書いたことがあります。

 http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-181.html
 

7723
フェレパパ様

 こんにちは!
 いつも応援を有難うございます。

 熱中症は怖いですから気を付けてくださいね。

 うちも暑すぎて、連日24時間冷房を付けっぱなしです。
 電気代がどれくらいにかるか、恐ろしいです…。

7724
萌永様

 お久しぶりです。コメントを嬉しく思います!

 安保法案と同様に――、新国立競技場の問題も、「そもそも何のためのオリンピックなりスポーツ振興なのか?」を事前に見つめ直すには、いいきっかけだろうと思います。

 とにかく安ければいいわけでもないし、「愛される」というのは大事ですね。

7725
fujiwaraさんのお話とはあまり関係ないような気もしますが
バシャールは「光の速度は無限だ」と言っています。
秒速30万キロメートルというのは、この物理次元で知覚できる限界の速度にすぎないと。
そして、この「光の速度は無限」という事が分かったときに、この宇宙の根本的な波動や真のエネルギーが分かるとか。

100億光年先の星の光が届くのには100億年かかるというのは「光は秒速30万キロメートル」という前提で考えた場合の事で、もし無限なら一瞬ですよね。距離とか空間とか全然関係が無い。

遠隔ヒーリングって距離や時間、空間は関係が無いですよね。何千キロ離れていようが一瞬で(というか同時に)届く。きっと100億光年離れた星にも同時に届くと思います。(ヒーリングエネルギーが届くのに100億年かかるなんて事はないでしょう)
光と意識というのは同じもの?似たようなもの?なのかも。

7726
皆さん、猛暑お見舞い申し上げます。

私はプラネタリウムが好きなんですが、
星の名前や天文学的なことはほとんど興味なしです。

はてしない宇宙を身近に感じることができる、
地球を眺めることや銀河の渦巻きが好きという理由で
プラネタリウムを楽しんでいます。

時間はない。今しかない。
とてつもなく離れた星の光が届いていることで思うことです。
宇宙の無限も感じますね。

私たちは宇宙の一部。私たちも無限なんでしょうね。
100億光年前の光に限らず、宇宙のことを考え出すと謎だらけです。

答えの出ないことであれこれ悩むより、今を大切に生きよう。
悩んだり心がモヤモヤしたら散歩もいいですが、
宇宙のことを考えるといいですよね。

7727
Clary Sage様

 こんにちは!

 「物質は光の速度を超えられない」というのは「この物理的世界に限った法則」なのですが、変な話、科学の側面からも同じようなことが言えます。

 ビッグバンによって誕生した宇宙空間は今も膨張を続けていて、その中にある星は宇宙の中心からどんどん遠ざかっているわけですが――、その遠ざかるスピードは、光速を超えています。


 「どうして? 物質は光の速度を超えられないのでは?」と思えますけれど…、
 何と「空間は物質でないから、光速を超えて膨張できる」のだそうです。
 だから、その中にある星も、光速を超えるスピードで中心から離れていっている。

 「そんな話あり!?」とも思えるけど、そうなんですね。
 まさに私たちの世界は、「無限性」の中に含まれた「有限性」なのだなと感じます。

7728
あおむし様

 こんにちは!

 かのアインシュタインも、こんな「非科学的」なことを語っています。

 「科学の探求に真剣に取り組む者はみな、宇宙の法則において精霊が現れていると確信する。人間をはるかに超越した精霊だ」――

7729
fujiwara さんへ
 「光が百億年前にそこを出発して今地球に到達したまさにその光を自分は見ているんだ」で正解です。
百億年前の現象ではなく、そこから出た光を、今見ているのですから何もおかしなことはありません。その本の著者が詭弁を弄しているだけです。

 ただ、本当に百億年前に起った現象かどうかは大いに怪しい。
何故なら、月の軌道の外側は四次元の世界で、そこに於ける光は三次元の光とはプランク常数が違います。勿論、光速も違います。(四次元が速い)
四次元の光が地球圏に入る時にプランク常数も振動数も変るのです。
プランク常数というのは、光のエネルギーの最小単位で、これより小さなエネルルギーは物理的に測定不可能です。霊的なエネルギーは全部そうです。
(E=hν h:プランク常数、ν:光の振動数)
プランク常数を用いたビッグバンのような宇宙論は宇宙全体が三次元だという前提で組立てられているので全部嘘だと思って下さい。

7756
こうやって教えていただくと、確かに今、目の前に現れている現象は実に狭い法則に縛られていることがわかります。
学校で学んできた数学も地球上というかその机上でしか通用しないもののようですし。
そういう今まで持っていた常識や勉強してきた知識を疑い、考えて本当の事つまりどんな立場の人から見ても誰が考えても答えはそれしかないという事実を突き詰めて行くと・・・広い場所へぽっかりと出られるのでしょうか。

光奈様 Clary Sage様 あおむし様 666様
示唆に富むコメントを有り難く拝読しました。
やっぱり、このクラス(というか研究室?私の勝手なイメージです)面白くて勉強になって大好きです。
ありがとうございました。

7768
愛と力
 ジャーナリスト大森 実氏の著書により、現憲法成立の逸話を紹介し、
「自衛隊は世界一精強な軍隊にしたら良い。そうすれば、武道の達人にちょっかいを出す無法者はいなくなる。国際社会でも発言権を増すだろう。
平和は愛だけでも、力だけでも達成出来ない。
今、愛と力を統合出来るのは、アメリカ人でも中国人でもなく、日本人だけだ」と結語した記事を、今朝アップしました。皆様のご参考までに。

7770
666様

 こんにちは!

 「無法者から国を守る」という目的では、そのようなあり方が必要かもしれません…。

 でも、近い将来ではないのかもしれませんが――、やがて国という区分も、防衛という必要性さえもない地上世界に、きっと向かっていくだろうと考えています。

9114
光奈さん

http://www.amazon.co.jp/dp/4062196131

驚きの皮膚 傅田光洋 講談社

光奈さんの今回のテーマを考えるにピッタリの本だと思います。

9119
オサムライ様

 こんにちは!

 面白い本を紹介して下さりますね。
 まさに僕が好きな種類の本です。ぜひ読みたいと思います!

 老子のほうは、まだ読めてないです…

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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