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 スピリチュアルなことがらというのは、たいていは具体的なつかみどころがないものでしょう…。
 でも中には、目に見える形で、その証左といえるものが現れる分野もあります。

 最近、僕が面白いなと思うのが、「不食」のテーマ。

 何年間も食べ物を口にせずに生き続けて、ふつうに健康に、あるいは並み以上に活動的な生活をするなんて、生物学的にも100%ありえないことだ。
 ところが、現にそれを実践している人は、いまや世界中に数万人もいるといわれる…。
(完全な「不食」でなくても、生存可能な摂取カロリーをはるかに下回る「微食」という人もいる)

 そうなると、「食べないと生きていけない」という、生き物として絶対に不可避なはずの現実が覆ってしまう。
 そして、「私たちは無限のエネルギーによって生かされている」という、スピリチュアルな真実に取って代わることになる。


 で、少し前の過去記事の「宇宙の据え膳」で、ものを食べずに生きる3氏による共著『食べない人たち』を紹介しました。

 先日にその本の続編となる『食べない人たち ビヨンド』というのを読んで、これもなかなか面白かったので、内容をちょっと紹介したいと思います――。


 最初の本では、食べずに生きている人が「現に実在する」という事実そのものに焦点が置かれていたと思う。
 今回読んだ続編のほうは、よりスピリチュアルな要素が加わり、「不食」がもたらす精神面の効果や、宇宙観などについても言及されているところが特色といえる。

 確かに1冊目からそういう要素を盛り込むと、どうしても「いかがわしい」と思われるだろうし、僕自身も読みながらそんな目で見てしまうかもしれない…。
 そうした点では、とても上手な構成だなと感じますね。


 今回すごく興味深く思えたのは、食べないことによって「幸せになる」という、実に魅力的で核心的なポイントだ。

 そもそも「不食」の人たちが何をエネルギー源に生きているのかというと――、食べ物の代わりに、空気中や宇宙に満ちているプラーナ(いわゆる「気」)を摂取しているのだという。

 ただし誰でもいきなりプラーナだけで生きられるわけではなくて、食事量を徐々に減らしていき、「1日1食」の少食から「微食」へと進んでいくことによって、プラーナの摂取率が高まっていくそうだ。
 それを3~10年かけて、無理なく気長に進めていく…。


 すると、何とも信じられないことだけど――、私たちの体は「食べないこと」にだんだん慣れていき、やがて空腹が苦しみではなく、とても心地よく感じられるようになるそうだ。
 さらには、「肉体的な飢餓感」だけでなく、「精神的な飢餓感」からも解き放たれるのだという。

 そのへんの過程を、本では次のように述べられている――

 「食べないことに慣れていく過程で、私たちの体は徐々にプラーナで満たされていく。そしてプラーナで満たされるほど、飢えは『プラーナ不足』によって引き起こされていることに気づく。興味深いことに、精神的な飢餓感も、飢餓の一種であることが分かってくる。
 そして食べないことに肉体的にすっかり慣れると、『空腹は気持ちがいい』という状態になっていく。この過程では『悩む』ことが少なくなり、それだけでなく、最終的には悩むという感覚すら忘れてしまう。
 その感覚がもっと進んでいく人は、『分離感』が消えていく。つまり、自分と他人、さらには自分と世界とを分け隔てている感覚すら薄くなるのだ」――


 「悩み」や「分離感」まで消え去るって、驚いてしまいますよね…。
 こうなると、単なる肉体的な変容にとどまらず、まさに精神的な変容、さらには「在り方」そのものの変容といえる。

 ほかにも、本の中ではこのような実感も語られています――

 「人間にとって本当は、たくさん食べるほうが大変なのだ。少なく食べるほうが体にいいし、精神的にも高まって毎日が楽しく暮らせる。
 少食を続けていくうちに、体の声が聞こえてくるようになる。少なく食べることで体がどれだけ喜んでいるかが分かってくる。おそらく少食は、意識と体のチューニングなのだろう。
 その感覚を大切にしていると、今度は魂が何を望んでいるかが分かってくる。いっそうチューニングが進んでいくのだ。すると人目を意識したり、他人と比べたりすることが少なくなっていく。
 実は私たちは、ありがたい無限のエネルギーの中に生きていているということも、何となく感じられてくる。そうすると、うれしくてしょうがなくなる。ただ生きているだけでうれしいのだ。これ以上、何も必要ないことが分かってくる」――


 道元の「座禅は安楽の法門」という言葉があるけど…、まさに食べないことも「安楽の法門」と言えるような感じがしますよね。
 だって、精神が解き放たれ、分離感覚が消え、魂の望みを知り、無限のエネルギーの中にあるという至福に満たされるというのは――、まさに座禅や瞑想によって見いだされることと、ほとんど同じと言えるでしょう。


 ただ、多くの人がけっこう痛感しているように、座禅が「安楽の法門」となるまでは、決して簡単な道のりではない…。

 「不食もまたしかり」というふうに当然思えるのだけど――、この本の共著者たちは、口をそろえるように「不食は驚くほど容易であった」ことを述べている。

 「命懸けになると思っていた不食へのチャレンジは、時間を経るに従って、思わぬ結論へと私を導いていった。『なんだ、こんなに単純なことだったのか!』。 実際にやってみると、コツさえ分かれば、難しいどころか誰にでもできるものだった。それは気持ちがいいし、楽だし、お金もかからないので、実に楽しくてしょうがなかった」――

 「私の場合は不食を目的にしたことは一度もない。摂取エネルギーを減らすと、体調がよくなっていく。減らせば減らすほど体調がよくなったため、結果的に不食になった」――


 で、その不食に至るためのコツというのが――、
 何と「不食を目指さない」こと、「努力や我慢をしない」ということだという…。

 「不食でいちばん肝心なのは、不食を目指さないこと。何も食べないことを目指すと、努力や我慢が始まる。不食ではなく少食(1日1食)を目標にして、結果的に不食に近づいていくのが理想だ
 そもそも不食へのプロセスは、『常識から解き放つ』ことが目的であって、食べないこと自体が目的ではないからだ」――

 「不食は我慢するものではなく、食べないことに『慣れる』行為だ。表面的には同じように見えても、食べることを我慢するのと、食べないことに慣れるのとでは、まったく逆の結果を導くことになる。
 むしろ努力は不食のさまたげになる。食べたくなったら食べてかまわない。努力すればするほど、空腹に慣れるのが困難になる。我慢を強引に続けようとしたら、ひどい飢餓感に悩まされ、健康を害することにもなる」――


 僕自身は、不食はとても興味深いテーマであるものの、実践しようという気持ちまではないです…。

 ただ食事量は以前からだんだんと減ってきていて、きちんと計算していないけど、必要摂取量に満たない1日1,000キロカロリー以下の日がほとんどだと思う。
 そういう点では、ちょっとずつそっち方向に向かっているのかもしれない…。

 でも、家で「主婦業」もしているから、料理をしながらというのも無理があるし、やはり「興味深いテーマ」止まりでしょう。


 今回の本の中で面白く感じたのが――、
 食べ物だけでなく水さえ飲まない生活を6年も続けているという弁護士の秋山佳胤さんが、マラソン大会に飛び入り参加した話。
 しかも、革靴を履いてカメラを持った状態で、汗をかきながら平気で走れたそうだ。どうしてそんなことができるのか、驚異的ですよね…。

 でもそういうのが可能なら、「不食・東海道五十三次踏破」なんてことができたらすごい。江戸時代の飛脚だって仰天だ。
 旅をしながらブログに綴ると面白いだろうけど、食事の話題がないぶん、単純に書くネタが減るのかな。


 あと不食で「聖地巡礼の旅」なんて、ただならぬ霊験とロマンがあるようにも感じる。
 「不食・お遍路 四国八十八カ所」とか、「不食・スペインの聖地 サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路」とか…。

 ま、こういうのは、冗談として空想するのが楽しいのかも。



 結びのヒーリング・ミュージックは、「Music for Mother and Baby」。

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コメント
8064
こんにちは。

『あぁ、私は空腹なのだな。。』と自分の体の感覚を感じられることに心地よさを感じるのでは。。と思ったのですが、、

思考や感情の波を乗り越えて、行き着くところなのでしょうね。

8065
ぼん様

 こんにちは!

 この本によると、現代人が日ごろ感じる空腹感のほとんどが思考によるもので、肉体的な本物の空腹感とは違うそうです。

 確かに「さぁー、12時だ。お昼にしよう」というとき、実際に空腹なのかと問われれば、必ずしもそうではないような…。


 本当の空腹がどういうふうに快感なのかは、その感覚とじっくり向き合ってみないと分からないのでしょうね。
 僕も分かる前に食べちゃいますけど。

8066
いつも訪問ありがとうございます
 昔 テレビで ジャングルの原住民で
  タロイモが主食で 農耕民族で 狩りを することも
   無いので タンパク質は 補充できないのに
栄養失調にならないのは 腸内細菌を 食べるバクテリアが
 いて それから 今度は そのバクテリアを
  腸で 吸収して タンパク質を 獲れるって
   ことを 見た覚えが あります
  腸が
 

8067
北海道のくま様

 こんにちは!

 牛が草しか食べないのに太るのと、同じようなメカニズムですね…。

 人の体重のうち1~2kgが腸内細菌だそうですから、「体の中に別の世界がある」という感じです。


 ところで、北海道のくまさんのブログの9月6日の記事で、小樽港のウミネコの写真の向こうに、赤い煙突の大型客船が写っていますが――、
 その船は、僕が5月に自分のブログに載せたのと同一の船です!(商船三井の「にっぽん丸」)
 たまたまだけど、面白いつながりですね。
 http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-403.html

 このときは、僕の高校生の息子が乗船して「東京→沖縄」の航路でした。
 今は北海道を航行しているのですね。

8068
テレーゼノイマンかキリバラか忘れてしまいましたがパラマンサヨガナンダが彼女らに不食の方法を聞いたところ教えて貰えませんでした。
理由は不食が簡単に出来ることが分かってしまうと神様が人間に課した「精神生長プログラム」が無になってしまう恐れが有る。と言うようなことが書かれていたように思いました。

8069
feizyoa様

 こんにちは!

 へーっ、それは非常に面白い話ですね。

 でも確かに、その通りの側面もあるはずです。
 「食べなくてはならない」からこそ、働いたり、多くの関係性を持ったり、喜んだり失望したりして、精神の成長につながるさまざまな経験を積んでいけるのでしょう。

 いま「不食」の人が増えているのは、そのプログラムを卒業可能なタイミングに来ている、ということなのかもしれないです…。

8070
光奈さん、こんばんは。

不食の話、興味がある人少ないですよね。
昨日もある方から頭を使う仕事をするには甘いものが必要と力説されました。

食べなくても、むしろ食べない方が頭が冴えるのになと思いつつ、
それは言いませんでした。

3年後60才になったら1日1食へ。70才で不食になれたらいいな。

朝食抜きの生活2年半が過ぎ、少食が心身に良好であると確信しました。
食べ過ぎると体調が悪くなります。食べ過ぎても体重は変わりません。

最近、願ったことが次々と現実になっていて、不思議な感じです。
心配事も発生するんですが、心配が持続せず、速やかに解決するパターンです。
心温まる出来事も色々起きています。もらいものも多いです。

これが朝食抜きや少食の効果だったら、面白いですね。

私は朝食抜き、母も胃がん手術の影響で少食、我が家の食費は減る一方です。、
高価でも食べたいものを食べようと母とよく話しています。

8071
スピ的にはわからないけれど
私的には、食べるという行為は恥ずかしいことです。
人とたべることが苦手。
でも・・・チョコレートは悪魔の誘惑。
それにお寿司が大好きなので日本人でよかったなーって思うわたしです。
 でも、食べることに興味のない人が好きですけどね。

8072
摂食障害を乗り越えて
いつも、素敵な記事、読ませていただいています。。
今回、はじめてコメントです。

私は20年以上、摂食障害でした。 拒食と過食を繰り返し、思い返せば壮絶な毎日でした。

今は何とか治り、1日1食で、すこぶる体調がいいです。

あれだけ内蔵を酷使したのに、よく頑張ってくれたとたまに細胞に(ありがとう)と言ってみたりします(笑)

もの凄く疲れたり無理した日は、(今日は無理させてごめんね)と言う事もあります。

これだけ身体をいとおしく感じるのは、あの壮絶な戦いがあったからかもしれません。
食べるというテーマにも真剣に向き合いました。
ベジタリアン・断糖肉食・マクロビ・フルタリアン等、全て一年くらいやってみたり。
局、今は好きな
物、身体が欲してる物を1日に腹6分目くらいにしています。

目指した訳でなくそれが一番、体調が良く肌も全くトラブルがないので、気付いたらそうなったって感じです。

もしかしたら、不食になるかも・・と思う事がありますが、自然に任せ様と思います。
とても興味深いテーマを記事にしていただき嬉しくてコメントさせていただきました。


8073
あおむし様

 こんにちは!

 僕も、朝食抜きでウォーキングに出かけて、そのまま20km以上歩くというのも文字通り「朝飯前」です。
 なぜか、しっかり食べるよりも調子がいいんですよね…。


 ちなみに本では、「甘いものが最も体への負担が大きい」ということも書かれていました。

 なるほどと思うのは――、
 和食の味付けでよく「さしすせそ」(砂糖・塩・酢・醤油・味噌)の順番と言われます。

 砂糖を先に加えるのは、分子構造が塩分よりも大きいために、素材に吸収されにくいからです(確かに、揚げなどを甘辛く煮るとき、砂糖と醤油を同時に入れると、ぜんぜん甘味が付かずにしょっぱい味になってしまいます)

 それだけ吸収しにくいものだから、腸でも吸収しにくいのかもしれません…。

8074
なのはなS様

 こんにちは!

 チョコはおいしいですよねー。
 にがいカカオの実から、よくもこんなに魅力的な味を作ったものだなと感心してしまいます…。
 
 でも、甘いものをパクパク食べているときに、自分自身をじっくり観察してみると、実はほとんど「味わっていない」ことに気づきます。

 欲しいものを口に入れながら、マインドが喜んでいるだけだったりもするんですよね…。

8075
みほ様

 初めまして。コメントいただき嬉しく思います!

 大変なご経験をなされたのですね。
 ブログにときどき書いてますけど、僕の妻も重い鬱のため約十年間も通院治療したので、その大変さが分かります…。


 スピリチュアルな道と同様、「食」についてもその人の向き不向きがあると思います。

 この本の共著者でも、「水さえ飲まない」人もいれば、「自分は水を抜くのは合わない」という人もいるし、「完全な不食よりも微食が良い案配」という人もいる。
 
 自分にとって自然で心地いいポイントを見つけるのが一番と思います。
 そのポイントのひとつに「不食」があるわけですから、人間の体が取り得る範囲って、本当に驚くほど幅広いと思いますね。

8076
本当の食欲じゃなくて、今食べておかないと後で心配だから食べるとか、ストレスで食べるとか、そういうのは結構ある気がします。

私は「胃を埋めたい」みたいな感覚になる時があって、その時本当は幸福感とかで心を満たしたいのだけど、それができないので次善の策として食べ物で満たす、という感じなのかなと最近思っています。
だとしたら身体に良くなさそうですし、そもそも心が満たされていれば食べなくてよかった分なのでしょう。

不食にはまだまだ遠いですが、本当に必要な量よりも現状かなり多く食べているのでは…という気はします。

8077
感想
 「国連によると、今世界で毎日およそ25,000人の人々が飢餓或いはそれに関連した原因で亡くなっているそうです。そのうち4分の3は5歳未満の子供達だそうで、実に5秒に1人の割合で子供達が飢餓で亡くなっている訳です」(Yahoo! 智慧袋)

 残念ながら子供達に不食は駄目でしょうね。
身体の成長が止った大人が、更に新陳代謝も止めたら、プラーナだけで生きられるかも知れません。
食事は肉体の素材を摂取するだけではなく、生命力であるプラーナも摂り込み、生活の楽しみも提供している訳ですから、無理して不食にする必要はないでしょう。
尤も、私自身は粗食で、鳥獣の肉以外を適当に食べているのが実情です。料理も何もありません。
 
 尚、日月神示には少食、感謝、良く噛む「ひふみの食べ方」というのがあり、病がなくなり、運も良くなると記されています。(四足を食べるのは駄目)
あ、それから、食物は神が人間に与えた(返さなくても良い)唯一のものだそうです。


8078
それは驚きですねぇ!
美味しいものを食べているときの笑顔、至福感などを思えば、
それを手放すことに、少々、疑問と惜しさを感じていたにも関わらず……。

『不食』によって「悩み」や「分離感」まで消え去るって……。
それこそ意識の天変地異です。とても驚きました。


いつも々、斬新なテーマと深い洞察をシェアさせていただき嬉しいです。


余談ですが……。

唯我独尊とも思われるコメントに対しても、
常に寛容で思慮深い対応をされる広大さん。

すごく尊敬しています。

8079
風子さんへ
 私のコメントなら自主的に全部削除しても構いませんよ。
どちらが広大さんのためになると思いますか? 


8080
光奈さん、こんにちは。

甘いものを食べたくなることはよくあるし、果物やスイーツ好きです。
でも甘いものを食べ過ぎると必ず便秘になります。体調も悪くなるかな。
(食物繊維の多いものも便秘になります)

母は術後に、甘いものと脂っこいものを食べると
胃の具合がおかしくなるように。少食ならいいみたいですけど。

また食べたいものを食べると、胃の反応も良く、食べられる量も増えます。
よく噛むことが不可欠ですけど。
我が家では栄養価とか健康にいいとかは二の次となりました。

たいてい甘いものは食後の感じがよくないです。
甘いものを食べても爽快な時は、体調が相当に良いか、
その食べ物の質が良いと思われます。

私は酸っぱいものが好きです。特に甘酢大好きです。
酸っぱいものやしょっぱいものを食べて
体調が悪くなることってないですよね。
体にも、さしすせその順番が参考になりそうです。

話変わりますが、茨城が水害というニュースで
遠方の友人たちから電話やメールをいただきました。
被災者の方々は本当にお気の毒ですが、
私は久しぶりに友人と会話ができてよかったです。

もし不食なら、災害が起きても食では困りませんね。
備蓄品も不要になります。
でも世の中的には困ることたくさん出てきますね。
食品会社とか、外食産業とか、農家の方々の収入がなくなります。

今は食べるということも楽しみたいです。外食もします。

8081
そりゃ666さんは感じ悪いですけど
言われた方にしてみれば、風子さんの書き方も気分が悪いと思います。ちゃんと名指しして、本人に向き合って言った方がいいですよ。



8082
ここは広大さんのページですから……
ここは広大さんのページですから、
名指しなどしない方がいいと思います。

『唯我独尊』と思われるコメントと言っても、
それは私が、個人的に感じていることですから、
実際には誰のことかわからないのじゃないでしょうか。

広大さんの寛容さ、思慮深さを称賛し、
手本にしたいものだと、前々から思っていました。

今回の私のコメントで、
これは自分のこと、これはあの人のことと、
思い込むのではなく……。

昂大さんのテーマのひとつである
『素晴らしさへのスポットライト』を、
表現したのですが……。

お二人が嫌な気分になったとしたら、謝ります。
申し訳ありませんでしたねヾ(_ _。)

8083
多分ですが
「ちょっと嫌な気分」になった読み手はかなりいるのではないでしょうか。コメントには書かないでしょうけど。
(勿論、これは666さんの文章についても言えます。唯我独尊というのは同意です)

大した事でないですが・・・「これは○○のブログだから」と本気で思っているなら、そもそも誰かを誹謗するべきじゃないですよ。
名指しでやろうがそうでなかろうが(私は名指しの方がましだと思いますが)「誰か」の悪口をはっきり言っている。
最近の文脈だと666さんの可能性が一番高そうだと殆どの人が考えたと思います。本人も分かっている。
「実際には誰の事か分からない」なんて事はないですよ。
もし本気でそう考えてらっしゃるとしたら、ある意味人を見くびりすぎです。

私も思慮深さや寛容さは評価していますが、例えば「あんな最低の人間と付き合えるあの人は素晴らしい。尊敬しています」って、決して気分のいい言い方じゃないですよ・・・・。
「素晴らしさにスポットライトを当てる」ってもっと違う事だと思うんですが。

私はこういうあてこすったような言い方が嫌いなので、ついコメントしてしまいましたが・・・記事と関係ない事を書いてしまって申し訳ない。

8084
不食と植物
 横から失礼します。

 「食べる」ことは人間が生きるために必要不可欠な要素だという常識がくつがえされつつあるみたいですね。 
 
 食には工夫次第で人生を彩る大きな楽しみの一つになり得るという側面があると思うのです。僕自身食べることが好きで、毎回の食事を楽しむタイプの人です。それでも世の中に「不食」という在り方を敢えて選ぶ人がいるということは、その人は食べることよりも食べないことに(恐らくそれをずっと上回るほどの)大きな喜びを見出しているという事になるのでしょう。その喜びは余りにも精妙すぎて実感するのは簡単ではないというか、期が満ちた人のところに初めて現れる選択肢だという感じはありますが。

 不食を実践する境地にまで到達した人は、僕から見ればある種植物のような存在にも思えてきます。水や大気、土中に満ちるエネルギーだけでそれぞれ個性のある綺麗な花を咲かせるところが、人間に秘められた可能性や今ただここにあることの幸せを伝えてくれますし、その喜びに溢れた姿はそれを見ているこちらにも元気をわけてくれます。また実という形で僕達にとって実用的なもの(智恵)まで与えてくれます。

 僕の目標は結構前から決まっていまして、それは神樹のような存在になる事です。たくさんの果実で周囲の飢えを満たし、悪天候の時には安心して心身を休められる拠り所のような存在になりたいと思っています。不食は僕の遠い遠い先の目標ともリンクしているように感じられて、好奇心をかきたてられるテーマです。

 僕も家族と同居しているので微食すら難しい状態ですが、我慢ではなく奥深くにあるずっと大きな喜びのためにというスタンスをもっと身近なところに応用してやっていきたいと思います。

8085
繋がりって 面白くも 複雑にも これだけ
 情報社会が 発達した影響か?
昔々 北海道から沖縄まで フェリーの乗継で
 今は 結構複雑だけど 昔は 北海道⇒東京⇒沖縄で
  いけたんですよね もちろん 時間が かかって
    一週間かで 仲間4人集めて 麻雀して
     過ごそうかって 冗談半分で 考えたりしました 

8086
ruri様

 こんにちは!

 本当にそうなんですよね。心が満たされていないのを、食べることで満たしていることは多いと思います。

 「食事が一番の気分転換」ということはよくあるし、もちろんそれはとても自然で健全なことなのですが…
 でもそうした「精神面の埋め合わせ」が、知らず知らずのうちに「食べることの主目的」として、習慣化しているようにも感じます。

 そして、本来なら向き合うべき内的テーマが、ずっと保留されたままになってしまっているとすると――、やはりどこかで何かを見直さなくてはとも思いますね…。

8087
666様

 こんにちは!

 確かに、子供の身体の成長には、やはり物理的な栄養摂取が必要でしょう。
 本ではその点はまったく触れられていなくて、あえて論究することもないという認識なのかもしれません。

 それと、世界の子供たちの飢餓問題については、「不食」よりも、やはり寄付や支援活動のほうが先決で効果的だと考えています。(僕自身も非常に微力ながら、自動振り込みで寄付しています)


 あと――、大局的な宇宙観をふまえていらっしゃるのですから、コメント欄の些細な一部についてはどうかご海容いただき、大らかにやり過ごしていただければと存じます。

8088
風子様

 こんにちは!

 不食というのは、生物学的な不思議さだけでなく、スピリチュアルな作用という点でもなかなか奥深いです…。

 でも、食べることはごく自然な行為であり、利点もたくさんあるわけですから――、
 「普通の食生活」から「小食」「微食」「不食」というバリエーションの幅がある中で、自分としてどのあたりを最適とするか、ということなのでしょうね。


 あと、評価いただくのは本当にとても嬉しいことなのですが…、ただ横やり的なニュアンスを含む一言は、ブログ管理者にとって厄介な方向に展開してしまうケースも多々あるので、その点はくれぐれもご配慮をいただければと思います。

8089
あおむし様

 こんにちは!

 水害についてですけど――
 よく河川敷をウォーキングしながら、こんな立派な水門や堤防はいるなのだろうかと思っていたのですが、本当に必要なときには必要なのですね…。

 「鬼怒川」という名前もそれを表していますが、「荒川」も何かあったら大変なことになるのでしょう…。

8090
Clary Sage様

 こんにちは!

 色々と言いたくなるお気持ちがあるのは分かります…。
 僕自身に対する批判コメントはもちろん答えられますが、コメント者同士が3人以上でやり取りすると――、ブログ管理者として収拾が付けられなくなってしまいます。

 「別にあなたが収拾を付けなくてもいい」という考えもあるかもしれませんが…、でも、コメント欄でとげとげしい言葉のやり取りが続いていると、せっかくブログ記事の本題についてのコメント書こうと思っている人が、どうしても書きにくくなってしまいます。

 このブログ記事に対するコメント欄は、ここの1つだけしかないですし、僕自身は本題についての色んな人のコメントを寄せてもらいたいです。
 「申し訳ありませんでした」とおっしゃってますし、ブログを書いている僕の望みも理解していただき、煮え切らないところがあっても、これはこれでもう終わりにしていただきますようお願いいたします。

8091
それも磁力の表れ
 魅力溢れる存在は周囲を強烈に引きつける磁力を持っているように思います。だからこそそのネットワークの中にはたくさんの人が集まりますし、そこに集う一人一人の思想や信念も十人十色でしょう。youtubeとか見てても、文句のつけようがないような動画にも一定の割合で低評価を選ぶ人が必ず出てきます。そしてそういう現象は人間の多様性を考えればある意味極自然なものだと感じるのです。色んな人が思い思いのコメントをつけるという表現の自由がある場所なので、話にならないレベルの荒しでもない限りは苛烈な内容のコメントが一部にあっても、それはそれで意見の一つとしてアリなのではないでしょうか。

 どんな感想にも誠実に向き合ってくれる光奈さんが素敵だという意見に強く共感しました。光奈さんは人格的に成熟していて包容力がありますよね。

8092
masahiroGN様

 こんにちは!

 ぜんぜん「横から失礼します」ではないです…。こうしたコメントのほうが本題です。

 「期が満ちた人のところに初めて現れる選択肢」というのはまさにその通りで、僕自身もこんなブログ記事を書きながら、まだ具体的な選択肢には全然なっていないです。

 でも、「そもそもこのような選択肢の可能性が世の中に実在する」ということを知るだけで実に面白いし、人生観や世界観がかなり広がるように感じます。


 一方で、「家族で同じ食卓を囲む」というのもまた、人生でとても意味のある時間でしょう。
 それをそっちのけに、自分だけはかたくなに微食となると、僕の場合はちょと方向が違うのかなとも思います…。
 

 「神樹のような存在」って素晴らしいですね!

8093
北海道のくま様

 こんにちは!

 北海道から沖縄までフェリーって、面白そうを通り越して、大変そうですね…。

 実は僕は、かつて青函連絡船の4時間でも、船酔いで完全ノックアウトでした。

 学生時代に大阪から沖縄までフェリーで旅したのですが(親がたまたま船会社の株を買って、半額の株主優待があったので)――、あのときは「人生で最も苦しい時間」を過ごしました。
 もし麻雀なんか誘われたら、完全にカモです。

8094
やらかしてしまいました
 僕が文章を考えてるうちにコメ返しされてたんですね。でしゃばった事をしてしまったようですいません。二つ目の記事の編集を押してるんですが、画面が切り替わるだけで削除できないようです。やり方が違うのでしょうか・・・。

8095
不食ではありませんが、今までが食べ過ぎていたことに気付かされているこの頃です。多分、多いときの半分の量でも十分満足しているのです。ちょっとダイエットに成功したのをきっかけに少食でも全然大丈夫。時間がきたからと無理に食べなくても全然大丈夫です。不思議な事にそれでも体重は65キロが目標なのに、70キロを割らない。もっと減らせということなのでしょうか。とにかく、食べすぎなんですよ、現代人は。そこに今さらながらに気付いた次第です。不食とはしようとはおもいませんが、前より疲れにくくなったように思います。

8096
masahiroGN様

 コメント返信のタイミングのずれは、よくあることですよね…。

 「編集を押しても削除できない」とのことですが、たぶんコメントを投稿されたときに「修正用パスワード」を設定されていなかったのではないでしょうか。
 「修正用パスワード」のないものは、編集できない仕組みになっているようです…。

 でも、削除せずにそのままでも、とくに差支えないと思いますよ。


 ちなみにですけど、ブログのコメント欄には、もちろん色んな考えや自由なやり取りがあってもいいのですが――、
 ただ、とても極端な話、誰かのコメントが裁判で名誉棄損とかになった場合…、「その責任はブログ管理者にもある」ということになってしまうのですよね。

 「コメントとして投稿されたものであって、自分の意見ではない」という主張は通用しないようです。

 それはちょっと理不尽ではないかと思って、実際の判例などを調べても、やはりブログや掲示板などの管理者というのは、それなりの責任を背負っているようです…。

8097
丹後のきんちゃん様

 こんにちは!

 「食」には大切な役割が色々ありますが、でも「現代人は食べ過ぎである」という問題は棚上げできないものです。
 それはまさに「精神的な飢餓感」によるものでしょう…。


 僕も日々の摂取カロリーはかなり少ないはずなのですが、でも体重は減ることなくずっと横ばいです。
 体はどういう仕組みなのでしょうね。

 食べる量が少ないと、やはり体調が良かったり、疲れにくいというのも確かです!

8098
勿論、これ以上書くつもりはありませんが・・・
私も初めは何も言わないつもりでした。
しかしまあ、何というか、スピリチュアル的に言えば「黙っているのと言うのとどちらが良い結果になるか。どちらが愛だろうか(一見どう見えるとしても)」と考えた時、直感的には書いた方がいいと感じたので。
本当に正しいのかは分かりませんけども、私はこういう時、一応いつも天秤にかけてはいます^^;
光奈さんは嫌がるだろうなあというのはよく分かってましたが。

(他者が書いたコメントにも責任があると見なされるのは、ブログの管理人はコメントを自由に削除できる立場だからでしょうね。ただ現実、法的に責任を問われるとしたら「削除依頼があったのにやらなかった」という経緯がある場合だけなんじゃ・・と思っていましたが、違うのかな。どの文言が名誉毀損に当たるのかなど管理人には分からないでしょうし)


不食ですが、確かに我慢して食べないようにしても、どう考えても無理っぽいですもんね。これって色々な事に言えるなあとは思います。
しかし、「一日一食を目標にする」のも難しそうな気が。不食に比べたらハードルは滅茶苦茶低いですけど・・・・。

食べない方が気分が良いならそりゃ食べないですよね。
私は食べ過ぎた・或いは食べない方がいいものを食べた時の気持ち悪さ(例えばインスタントラーメンやインスタントそば・うどんの類など代表的ですが)は知っていますが、空腹感の気分のよさというのは分からんわー・・・。















8099
精神的枯渇感を埋めるためのお菓子
こんばんは。
わたしは小さい頃から不規則な食生活をしてきました。
中でもポテトチップス系のスナック菓子が毎夜のお供で、平気で2~3袋開けていました。
「お菓子を食べるために夕食はあまり食べない」生活をずっと送ってきました。
運がいいのか、身体の機能が普通の人とは少々違うのか、それはわかりませんが、幸いにも病気らしい病気には一度もかかったことがありません。
お恥ずかしながら、いい大人になった今でも、本当に最近まで続いていたのですが、ようやくこの何週間かで‘夜お菓子’がなくても何とも思わない状態になってきました。
たまに食べてしまうと少し調子が悪くなってしまう程度に変化しました。

わたしは幼い頃から、「家族の中に在ってもわたしだけは家族の一員ではない」という感覚を持っています。
何というか、孤独感・分離感のようなものです。
家族や仲間の中にいても、常に独り‥みたいな。
結婚している今でもその感覚はあります。

もしかしたら「お菓子を食べる」という行為は、奥底から吹いてくる孤独感や分離感、そしてそれに伴う精神的枯渇感を埋めるためのものだったのかな‥と読みながら思いました。
最近は、ブログを更新することがこれまで抑えていた自己表現するリハビリのような役割を担っていて、そういう‘自分だけの時間・自分の世界’を大切にしていくことが「自分を満たす」ための道のひとつなのかな、わたしにとっては…そんなふうに感じています。

ちょっと記事の内容からはずれてしまったかもしれませんが、読んで感じたことをコメントさせていただきました。
ありがとうございます。

8100
前言撤回
 コメントから裁判騒動に発展する事態については全く考えていませんでした。ちょっとした事が大事になる可能性を秘めている以上、光奈さんのご迷惑にならない事を最優先にしていこうと思います。これからはもう一歩慎重な発言を心がけます。

 コメント編集はそういうルールになっていたんですね。早速活用させて頂きます。
 

8101
ありがとうございました!
ブログ管理者のルールって、厳しい側面があるのですね。
余計な気遣いをさせてしまって……。
それこそ思慮不足で、申し訳ありませんでした。

テーマ毎の過去記事などを熟読するのはもちろんですが、
コメント毎の広大さんの対応に、いつも学ばせていただいてました。

テーマ記事は、熟慮、構成して仕上げると思いますが、
コメントは『予想不可』の問答ですよね。
『Q&A』として一冊の本ができそうなくらい、
素晴らしい内容だと感心しつつ、
つい、その流れで書いてしまいました。

ごめんなさい。反省しましたぁ。─(o≧д≦o)─
以後、気をつけます。(●⌒∇⌒●)

8102
光奈さん、こんにちは。
今日は晴天です。太陽さんありがとう!

私が読んだ本に、朝食抜きは子供にも悪い影響はないと書いてありました。
その本を描いた方はお医者さんで、学校関係者に説明をして、
お子さんの朝食抜きを実行されていたようです。

でも不食についてはどうなのでしょうね。
食べるということは、この世に生まれて経験する大切なことにも思えるし。

不食になる前に、旅行も楽しみたいと思っています。
旅行先の名物料理、味わいたいです。蕎麦とか、皿うどんとか。

昔ホームページを持っていた頃、最後までコメント欄を作りませんでした。
コメント欄を作ってという声もありましたが、
あの頃はかなり心配性だったので、私の場合は作らず正解でした。

でも光奈さんのブログにコメント欄があって、とても良いです。感謝です。
ネット上での書き込みは、今やここだけですから。

8104
引っ張ってしまってすみません
ただ正直、「コメントで訴訟を心配する」ってちょっと心配性すぎるんじゃないかな・・・。
可能性はゼロじゃないですが、このブログのコメントにおいて名誉毀損で訴えられる可能性は多分すごーーーく低いと思います。

私は何でもかんでも「警戒するな」とは思いません。きちんとしておくべき事は沢山あるでしょう。
でもこれはちょっと、所謂「恐れ」が強すぎるような気が。それこそ「車に轢かれるかもしれないから、なるべく外を出歩かない」というのとそんなに変わらないレベルというか・・・。(可能性としてはそれくらい低いと思います。そりゃ車に轢かれる人はいますけど)

「そんな事を言っても何かあった時に責任を取るのは自分だ。他人事だからそう言えるんだ」、或いは「可能性はそんなに低くない。かなりあり得る」と思われているのかもしれませんが・・・。


光奈さんは「記事内容以外の、本題から逸れたこうしたコメントは無意味だ」と考えていると思いますが、私は意味があると思いますよ。
しょっちゅうならともかく、たまにあるこうした”諍い”は、表面下にあるものを浮かび上がらせ、気付くべきものを気付かせる良い機会です。


とは言え、「やはり自分には無意味としか思えない」なら、管理人の権限で「これはまずいな」と思うコメントは削除するのが一番良いとは思います。そう判断するものはごく僅かでしょうから、コメント欄そのものを閉じる必要もないですし。




8105
私には連れあいがいるんですが(高校時代の同級生です)、7年前に結婚した時、彼には亡くなった先妻さんとの間に中学校二年生の息子がいました。その子がやはり、朝食を食べてくれませんでしたね。聞けば、無理して食べると調子が悪くなるんだとか…

実は私も、物書き時代からの習慣で一日二食。でも子育てには世間の常識的な物差しをあてはめ、何とか食べさせようとしていたわけです。

そしたらある時“食事は一日二回が良い”みたいなことが書いてあるお医者さんの本を読み、考え方がコロッと変わりました。その本によると、体の機能的には午前中の間は“排出”に重点が置かれるそうで、その時に新たに食事をすると体に負担がかかるんだそうです(もちろん個人差はあるのでしょうが)。

日本人は、一日二食だった時代が長かったとも聞きますよね。それぞれの体質に応じて本人がそれで心地いいなら、一日三食でも、二食でも、一食でもイイんじゃないかと思えるようになりました。(息子は朝食抜きでも立派に育ち、帰省すると手料理を食べさせてくれる今どきの“料理男子”になって
ます 笑)

とはいえ、不食となると私も今は自身がありません。
他の方のコメントで思い出したのは、宇宙には「植物の姿をした異次元の存在(いわゆるET?)」がいるらしい…という話です。
そういう世界からこの地球に生まれ変わっている魂がいるとしたら、その方たちには「不食」は慣れ親しんだ在り方なはずでで・・・
彼らは今という時代に必要な新しいパラダイムを、先行して私たちに見せてくれているのかもしれませんね。

このブログという「場」での全てが“必然”の学びになっています。光奈さんと皆さんに感謝です。

8106
Clary Sage様

 こんにちは!

 食べ過ぎやインスタント麺などで気分が悪く感じられるのは、体の本当の素直な声が聞こえているからでしょうね。

 他方、周りからどう見ても「この人はあまり食べない方がいいのでは」と思えるような人が、そういったものを過食しているケースはけっこうあります…。


 訴訟などは、具体的に懸念しているわけではないです。

8107
翠桜-Miou-様

 こんにちは!

 スナック菓子には、そういう魔力のようなものがありますよね…。

 でも分離感って、本当はまったく実体や根拠のない、誤った認識でしかないです。
 食べるという行為が、その感覚を解消してくれるように一見思えて、実は強める働きをしていたりもします…。

 一方でブログなどで、じっくりと自分の内を見つめて「書く」ことは、過去からのあり方を転換していく、けっこう有効な方法だと思います。

8108
masahiroGN様

 こんにちは!
 ご丁寧な返信を有難うございます。

 masahiroGNさんのコメント内容は、現実的にはまったく問題ないですよ。

8109
風子様

 こんにちは!
 すぐに謝っていただいて有難うございます。

 過去にも本当に色んな方からの投稿があったのですが――、スピリチュアル系のブログって、実にさまざまな信念体系の持ち主や、反応パターン、自我の枠組み、心の傷、さらには精神疾患をお持ちの方が読まれていることもあるんですよね…。
 だから、コメント者について触れるコメントって、ほかのブログ以上に気遣うことが大事という一面もあります。

8110
あおむし様

 こんにちは!

 不食は、「私たちは無限のエネルギーによって生かされている」という事実を裏付けるという点で興味深いのですが、実践については僕自身は遠巻きな見方です。

 本でも「不食のススメ」といったトーンはほとんどないです。

 前のコメントにもあるように、「普通の食生活」から「少食」「微食」「不食」というバリエーションの幅がある中で、自分としてどれを最適とするか、ということでしょう。

8111
月子様

 こんにちは!
 「朝食抜き」の学生生活から「料理男子」になるって、意外な転身というか…、でも本当は、何の違和感もない展開なのでしょう。面白いですね!

 ちなみにこの不食の本に載っている共著者の写真を見ると、不真面目な見ですけど、何だかまるで宇宙人みたいな雰囲気ですよ…。

8112
こんにちは。カルシウムは摂取しないと、毎日排泄されて、骨粗しょう症になるんじゃないのでしょうか?内臓のメカニズムが、普通の人間と違う人間もいるということでしょうか?食べなかったら最後にはミイラになるんじゃないかしら?ミイラになりたい人が、食べないというならわかります。(実際過去にいますからね。即身仏とか)

8113
ぱある様

 こんにちは!

 ふつうの知識や常識で考えたらそのようにしか考えられないのですが、その知識や常識が必ずしも正確ではないようなのです…。
 その点が、このテーマの面白いところです。

 6年間も水すら飲まないなんて、とっくの昔にミイラになっているはずなのに、でもマラソン大会で走ったりしているんですよ…。

8114
はじめまして
いつもご訪問ありがとうございます。
光奈さんは興味深いテーマを何時も発信されていますね
思っていることを描き表すことはとても僕には難しくて
それだけでも尊敬してしまいます・・。

僕は今年の2月から炭水化物を少な目にするをやってみまして
現在3~4キロ痩せました。この頃は朝食を抜いていますが
あまり問題はないようです。

食べなくて済む人類になったら、争い事の少ない地球に
なるのでしょうね。
またお邪魔いたします。

8115
daru様

 初めまして。コメントいただき、とてもうれしく思います!

 ダイエットで炭水化物を減らすのは、てきめんの効果がありますよね。
 僕も以前にそれで体重を落としたのですが、でも管理栄養士の人から「炭水化物だけに焦点を当てるのは危険なダイエット」と注意されました…。

 でもこの本ではまるで逆に、「甘いものとご飯や麺は、体への負担が特に大きい」とも述べられています。
 僕自身も実感としては、炭水化物が少ないほうが体調がいいです。


 人々が食べなくて済むようになると、たくさん働いたり社会システムに帰属する必要性も少なくなるわけですから――、これまでとは比較にならないほど穏和で、対立の少ない世界になるに違いないと思いますね。

8116
久しぶりにKoudaiさんのブログにおじゃましてみましたら、なんと、「不食」の話題!
実はですね~、なんと私も 榎木さんの不食の話題に触発されて興味を持ち、「食べない人たち」の書籍を読んでますます「不食生活」にあこがれ、主人と一緒に7月の初めから「一日一食」を目指して少食生活を始めたところだったのです!
(現在2か月以上経ちますが なおゆるやかに継続中です^^)
記事でも言及されているとおり、不食のコツは「不食を目指さないこと」「努力や我慢をしないこと」をポイントに、「食べないことに慣れる」あるいは「楽しい人体実験をしている」感覚で楽しみながらトライしているので、「ダイエット」や「断食」などの いわゆる「修行」のようなつらさや義務感などは一切なく、わりと順調に一日ほぼ一食の生活が実現できています。
(ちなみに、玄米3合を一度炊くと夫婦で4日間かけてたべるような感じです。自営業なので昼も家で主人と一緒にヨーグルトとか 時には食パン1枚を半分こみたいな感じ)
あの本に書いてあったとおり、実際やってみると、全然つらくなく、体も快調で 体重は最初の1ヶ月でみるみる5㎏減となりましたが、不思議にそのあとはほとんど変わらず、お肌はつるつる♪ そして体形も特に下半身がやせてきて、「若い人の体形」となりましたし、精神的にも元気いっぱい。空腹はあまり感じません。
何より、お料理をする時間が激減するとともに、食材を買うための買い物の時間も減るので、あの本にも書いてあったように、本当にヒマなんです!(主人などは、本ばかり読んでます)
それと、食べないと言うと 大丈夫かと心配する人が多いので 親にも友達にも誰にも言っていません。たいていの場合、「やめたほうがいい」と説得にかかるので、そこで議論をするのに無駄なエネルギーを費やしたくないと思ってしまいます。この生活をするには、特に、一緒に暮らしている家族の理解が必要なので、我が家の場合は主人と意見が合ってよかったと思っています。
この実験を通して強く感じたことは 自分の肉体は「意識」がかなり重要だということです。不食でずっと生きている人もいれば、「餓死」する人もいる。この違いは 身体の持ち主、およびそれを取り巻く人の意識が大きなカギを持っています。つまり、餓死すると思うから餓死するのです(赤ちゃんの場合は 世話する人が、食べさせなければ死ぬだろうと信じてそのように振る舞うことで現実化されてしまうことが、はっきりとわかります。体重さえも、このへんで減少が止まって、あとはプラーナでまかなえるといいな、と思うと、本当に希望体重でSTOPし、そのとおりにプラーナ摂取率が高まっていくのです。主人は「このままどこまで減り続けていくのだろう?」と最低値を意識にインプットしていないので 今もなお減り続けてとうとう50㎏を割ってしまいました(笑)
(身長172センチなので、50㎏以下だとかなり痩せて見えますが いたって健康、元気いっぱいです。)
不食を通して肉体の不思議さ、意識の大切さを実感することができました。
旅行や人との会食のとき、食べる量を調節するのはとても大変なのですが、厳格な取り組みではないので、一日二日なら「例外」を作っても全然OKと思っていればそのとおりOKとなっています^^
「想いが現実を創造する」そのまんまの世界が体験できて 実におもしろいと思いました。
おっと・・・久しぶりの訪問の上に不食の話題だったので、ついついコメントが長文となってしまい、大変失礼いたしました。

8117
光奈さん、こんばんは^^

不食というテーマとはちょっと離れるかもですが、心が満たされないことで、『食』で満たそうとする感覚はとてもよく分かります^^

私は、誰にも言わずに墓場までもっていくと思っていた、『性的マイノリティ』であるということを初めてカミングアウトした時、普通に仕事や生活をしているのにも関わらず、食べたいと思わなくなり、食事量が自然と減りました。結局その時は、1か月で7kg痩せたことがあり、『満たされない思い』を『食』で満たそうとしていたことに気づかされました(笑)
そのあとは、少しずつ痩せる前の体重に戻っちゃいましたけれどね(苦笑)

ただ、食べる量のコントロールが利かなくなってきたときは、何か自分の中で『満たされない思い』があるという『サイン』ととらえて、注意深く観るようにしています。

また、一時、週1日で断食をし、一年ぐらい続けましたが、無理に食べないようにしていると『食べたい!!』って気持ちに支配されやすいし、また断食明けに食べてしまうので、無理することはあまり効果がないのだなぁとも思いました。

相変わらず甘いものは好きですし、不食を期間をかけて実行するのはあまり考えていませんが、微食はやってみようかなぁと思います(笑) 食べ過ぎの身体への負担もさんざん経験していますので(笑)


8118
不食になると、どんな心境になるのか、興味が出て来ました。
しかし、その前に 
色んな美味しい物を作れる様にしたいし、食べておきたいわ。

子どもが無事に成人して、作ってあげなくても良くなれば、
自然に食は減ると思うのです。

ああ・・・ただ、主人は食べるのが好きな人だから、
結局 作り続けるかもしれないです。

だって、ずっと 一緒に居たいから。

8119
取り上げてくださってありがとうございます。
この共著のうち一人が知り合いです。
おそらく僕もよく知ってる人が不食の人でなければ、すんなりとは信じられなかったと思います。

身内が話すと騙す理由やメリットがないので理解しやすかったのかもしれないですが、昔はリサーチX的な番組で検証実験もやっていました。それでもウソと思う人は思うものです。
僕も他の分野では同じようにトリックがあるとか思うほうなので、人のことは言えないです(笑)。

取り上げてくださってありがとうございます。
ただ、不食でお遍路はやめてください、単純に危険ですから(笑)行くのなら体調管理をちゃんとしてからお遍路にいってください^^;

8120
寂しいと、食べたくなります。

8122
こんにちは

榎木さんがTVで「不食は大変危険です、私は入院して実行しました」という主旨の発言をしていらっしゃるのを見ました。
コストさんも『不食でお遍路は危険」とコメントしておられます。

どのように危険なのか興味があります。

私自身、自然な流れで既に一日一食(その一食も量が減りつつあります)となってから半年以上経ちますので今後どのような変化を見込んでおくべきか知りたいです。


8123
不食の考察    
 不食の現象をあくまで科学的に理解しようとすれば、根瘤菌のような細菌が腸内に繁殖していて、大気と水から必要な養分を合成し、自らもそれを餌とし、人体にも供給していると考えられます。
 しかし、赤ん坊の骨格形成に必要なカルシウムは水からだけでは無理(7歳位迄)で、母乳から供給されるのでしょうが、お母さんが水も飲まない不食の場合、そのカルシウムは何処から? となります。
 不食の問題は、ある段階から超常現象(想念の物質化)が係わって来るかも知れません。「この世が四次元化している」とも言えます。
神智学には青年の「肉体?」のままで1600万年も生きているシャンバラの超人「金星の主方」の話も出て来ます。


8124
偏食でもよかったのかも
光奈さん、皆さん、こんにちは。

私は子供の頃からすごい偏食で、高校生まではうどんを中心とする炭水化物と
野菜(主にキャベツ)ばかり食べていました。
当時は豆腐も好きでなく、好んでは食べませんでした。
タンパク質やカルシウム、不足していたはずです。

朝礼で倒れたり、熱中症になりやすかったり、
体調がいいわと思ったことのない人生でしたが、
大病なし、怪我もなし、当然入院もなく57年生きてきました。

美味しいと思って食べないと栄養にならないとか、
私のように偏食の人は、別のものが補ってくれるという情報もあります。
たぶん、私の体の中でそういうことが起きていたと思います。

高卒後に就職し、偏食は良くないという常識に縛られ、
偏食の人は柔軟性に欠けると書いていた本の一文にも納得もして、
自分の食生活を改めなくてはと思って、好き嫌いを減らしていきました。

30代半ば顔にブツブツができた(その後10年以上続く)一因に、
偏食を直そうとしたこともあるかも、と今は思っています。

今はうどんもキャベツも昔ほど好きではありません。
肉魚も好んでは食べません。豆腐やシラスは好きになりました。
緑茶がぶ飲みは子供の頃から続いていますが。

今日は朝を緑茶だけにしてみましたが、現在11時空腹感なし。
これから食べるおやつ、昼食が美味しく感じられること間違いなしです。

朝食抜きが簡単に実現したように、1日1食や不食も
私に合っていれば、スムーズに実現できることでしょう。

でも母には勧めません。もし不食にしたら、母はやることがなくなり
元気を失っていくような気がするからです。
食べること、料理を作ること、畑で野菜を育てること、買い物に行くこと。
食にまつわるあれこれが、母を元気にしてくれています。

8125
じゅりあーの様

 お久しぶりです!

 驚きました。ブログを読まれている中に、実際に微食・不食に取り組まれる方がいらっしゃったとは。
 しかも、しばらくぶりにこのブログを見たら、たまたまこのテーマだったとは…。

 
 まるほど、本当にあの本で語られている通りなのですね。
 そして、じゅりあーのさんが言われる、肉体の状態と「意識」の大切さについては、あの本では特に書かれていないことですが、僕も読みながら「きっとそういうことなのだろうな…」と推察していたのと同じです!
 希望体重での停止についても、面白いものですね。

 我慢や努力とは無縁に、いい姿勢で取り組まれているように思います。
 ぜひまたお聞かせください!

8126
真知子様

 こんにちは!

 色々と大変なご経験をなされてこられたのですね…。
 でも、心の状況や変化をご自身で気付かれて、注意深く見ることができるというのは、本当に大事なことだと思います。

 ちなみに本では、肉体的にはお腹がすいていないのに「食べたい」と思う感覚を、以下のように説明しています。
 健康な食生活の人にもよくあることなので、やや長いですけど、引用しますね――
 

 「『お腹がすいていないのに食べたい』という感覚は、東洋医学では『偽腹(ぎふく)』という。小食を試みる前に、まず偽腹を治すことから始めると、異常な食欲が抑えられて、小食が楽にできるようになる」

 「『お腹がすく』という感覚は一つしかないと思っている人がいるかもしれない。しかし空腹感には、体で解釈する本物と、頭で解釈する偽物とがある。頭が作り出す偽物の空腹感によって、お腹がすいてなくても食べたくなるのだ。
 大事なのは、ほとんどの人が『偽物の空腹感』しか知らないので、すぐにだまされてしまうこと。そのペテンの仕組みすら気が付いてない。偽物の空腹感にだまされて、本当は体がいやがっているのに、どんどん食事をさせられてしまう。その行き過ぎによってもたらされるのが、いわゆる生活習慣病ではないか。間違いなく飽食も、偽物の空腹感によって引き起こされる誤解の産物である」

8127
cael様

 こんにちは!

 本当に興味が尽きないテーマですよね。
 でも、日々の食生活を楽しまれて、親として子供の成長を支え、そしてご主人とも素敵な関係性がある方ならば、わざわざ試みてみる必要はないと思いますよ…。

 不食がもたらす「内的な変化」のほうは、瞑想などのでも達することができるものでしょうから。

8128
コスト様

 こんにちは!

 へーっ! 著者の方がお知り合いとは、すごいですね。
 関心があって本に巡り合って読むだけでも、非常に驚きなのに――、いきなり身内の方からこのような話を聞くと、何倍も衝撃的だったと思います…。

 トリックを疑うタイプの方が、事実を目の当たりにして信じるしかないということも、本の読者としてはとても参考になります。


 お遍路の旅は、きっと食べながらでも精一杯でしょね…。

8129
fujiwara様

 こんにちは!

 不食の危険性とは、ストレートに「栄養失調」でしょう。
 ヨーロッパで数年前、本に影響されてプラーナだけで生きようとした女性が、餓死してしまったという出来事もありました…。

 無理をしながら取り組むと、本当に危いことになってしまうということです。
 時間をかけた自然な流れこそが大事なのでしょう。

8130
666様

 こんにちは!

 体内の細菌のことは、よく言われますよね。
 そうならば、不食に至るには時間がかかることも納得できます。

 ヒマラヤの聖者とか、宇宙人にかかわる話もありますけど…、
 でも「ふつうの生活者の中に不食者がいる」ということが、いちばん面白いですね。

8131
あおむし様

 こんにちは!

 育ち盛りのときの食生活は本当に重要でしょうけれど――、
 一方、戦争で子供時代にろくなものを食べられなかった親の世代を見てみると、自分や若い人よりも強靭で健康的なようにも思えてしまいます…。


 微食や不食にならなくても――、朝だから、お昼だから食べるのではなくて、本当にお腹が減ったときに食べるのが、自然でいいのでしょうね。

8132
すごい人も居るものですね
こんにちはmitsunaさん
いつもありがとうございます。

食べないことって子どもの頃にありました。
気にならないのですよね、実は今も自分で忘れることがおおいですよ。

だから母が仕事が多すぎて食べることを忘れて、朝御飯以降の食事を午後3時すぎていってもその時平気でした。(これは連続するとネグレクトですから、子どもには食事は必ず用意するべきです)で、これには真剣に父が怒りましたね、父に知れたのはこの一度ですけれど。

大人になってその後は当たり前に3度食べるものと思っているので、習慣になりましたが、でもスターターに卵かけ御飯でもバナナトーストでも何か少し食べれば、自転車などで走り続けるときには昼食いらないで日暮れ時まで走っていられます。

こういうどこまでも出来るようなパワーは精神的なものとプラーナというものも食べていたのですね、食べたほうが暫しのほほんとしていたいと感じていますね。(これは血液成分の変化でしょうか?でも水も飲まないというと他の内蔵機能はどうなるのでしょうか?エコノミーとかになる気がかりはないのか?高次元に属するほどの次元が違う人とは、同じことができることとできないことがあるでしょうね)

ちょくちょくと朝のバナナ食べただけでずっと何も食べないで夜の11時なんてことがありますが、いままで食べないですごく気になりました。これは私は体調が良いときで、そうではないときにはふらふらしてきて危ないですね。食べる食べないはここのところがありますね、食べたほうが良いときと、少なくて良いときには食べなくても気にしないでいいとこの記事を読んで、少しくらいのことなら気にすることがなくなりました。

すごく気にしていたのです。このことは随分個人差がありそうなことですね。


8133
萌永様

 こんにちは!

 僕もサラリーマン時代に、朝食を抜いて出勤したら、忙しくてお昼を食べそびれ、そのまま夜まで仕事、なんてこともよくありました。
 「まるでラマダンだ」なんて言ってましたね…。

 でも僕自身の場合は、基本的には「規則正しい食生活」のほうが向いているような気がします。


 あと睡眠も、僕はだいたい決まった時間帯に寝起きしていますが、そのためか、海外に行ったときの時差ボケがひどいです…。

 一方で、いつも不規則な生活に慣れている同僚が、「時差ボケなんか一度も感じたことない」なんて言っていました。
 
 食生活も睡眠時間も、規則正しいほうが向いている人もいれば、必ずしも必要ない人もいるのでしょうね。

8134
光奈さん、こんにちは。

不食の記事をきっかけに、朝食は水分だけに戻してみました。
その時の気分や状況で変わると思いますが。

食べたい時に食べるのが、私もいいと思いますが、
以前読んだ五木寛之さんの本に、
実は規則正しい生活を送っている方が強いと書いてありました。
極限の状況での話しですが、妙に納得しました。
私は起床、就寝、食事の時間、規則正しい方です。散歩はその日次第。

2年前の話しですが、自分の絵手紙展開催中に
飲食は通常通りでしたが、10時間くらいトイレに行かない日が。
食欲と同様、意識と状況で、尿意もどうにかなる(自然にそうなった)。

重要な用事がある時は、目覚まし時計が鳴る前に必ず目が覚めますよね。

人間の体はホント面白いですね。素晴らしい!

8135
こんにちは
 ふむふむ、昔、仙人は霞を食べていると聞きましたが本当かもね。と、思いました。

8137
不食と直接関係ないですが
面白いと思った記事があったので貼ってみます。

http://logmi.jp/83043

食べ物や飲み物の中毒も同じでしょうね。

8138
Clary Sageさん、素敵な記事ありがとうございました。

動物実験で世話をしている学生に可愛がられていたネズミは
病気にならなかったという話しを思い出しました。

我が母が、胃がん手術をきっかけにタバコをやめられたのは、
病気の苦しみのおかげかと思っていましたが、
もしかすると入院前や入院中に家族とのつながりを実感できたからかも
とふと思ったりもしました。

他者とのつながりや愛は、既に存在している。
自分を助けてくれる人がいなくても、認めてくれる人がいなくても
自分が自分を認めてあげればOK。
本当の自分とのつながり。それが究極のつながりなのかもしれません。

8139
あおむし様

 こんにちは!

 サラリーマン時代に10人ほどのグループで海外出張したときのこと、ほぼ全員がお腹をこわしました。
 でも仕事をすべて終えた帰りの飛行機で、何人かが高熱を出し、成田空港から病院へ直行…。

 僕はしばらく大丈夫で、会社に出勤して残務をぜんぶ片付けたとたん、とうとう調子が悪くなって入院することに…。

 こういうのも、意志や気持ちに左右されるのでしょうね。

8140
にゃん吉です様

 こんにちは!

 そうですよね。その「霞」が、インドで言う「プラーナ」なのでしょう。
 古くからの言い伝えも、まったく荒唐無稽な話ではない、ということですね。

8141
Clary Sage様

 こんにちは!

 薬物などへの依存症は、肉体的なものではなく、間違いなく精神的なものでしょう。
 現に、アルコール病棟は精神科にありますしね。

 人間の場合、ちゃんとつながりがある中でも、自ら「分離した孤独な精神状況」を作り出せてしまうのが、大変なところです…。

8142
躰を観察
日本人で1夜にしてミャンマーの僧侶になられた ガユーナ・アセロ(陽月院)さんが1週間の断食瞑想の後 村の人々から祝福され捧げられる山盛りの食事を残さず食べると言われていました 残すとその家が功徳を頂けないので残せないのだそうです 普通なら断食の後は重湯からとか考えるのでしょうが…初めての時 全部食べられる自分にびっくりしたと話しておられました 聞いたのは2000年頃

本当に思い込みは自分の身体を縛るのですね
多くの人は食べた物が消化されて数日で変化が現われるのでしょうが 
アトピー皮膚炎母乳育児中 除去食を行っていた時 食べた2時間後の母乳を子どもが飲むと通常の皮膚からじわじわと透明な液がしたたり落ち 皮膚がじくじくしてくるのをみて 自分の胃はどうなってるんだろうと興味がでていろいろ実験しました

小さい頃から疑問は調べる 納得して解決 を繰り返して成長しました
どうも 取り込みが早く治りも早い躰みたいです
コーヒーを飲むと30分もたたないうちにトイレ
尿は透明だけど不思議な事にコーヒーの香りがするのです
どんな胃で 膀胱なのか見て見たいですが それはムリ^^

とにかく反応が早くて 除去食の医師は驚いていました
という事は とても解りやすい体で治験には結果が早いので
よいような気がしますが 万人向けではないですね

10歳から朝食無し 中学 高校は自転車で10数キロを通学
高校の時 早弁している人がいて 1度真似したら
お昼ご飯が美味しい~って思えなかったので以後無し

人と触れ合いが多いとまったくお腹が空くことは無いですね
1日食べることは 忘れてます
集中して作業をしていると寝ることも忘れています

時間で食べるのではなく 回数ではなく
エネルギー的に欲しい時に食事することが
私には楽かな~って 思っています


8143
あおむしさん、有難うございます。
私もとても良い記事だなと思います。
何より、私も「強いドラッグをそれこそ一度でも投与したら自動的に中毒者になり、やめるのは困難を極める」と思っていたので(ドラマでもドキュメンタリーでも何でもそう言ってますよね)その意味でも目から鱗でした。

「食べないと絶対に死ぬ」というのも、ある意味これと似たような思い込みなのかもしれないですね・・・。

8145
毎度おおきに、オラも混ぜてください
毎度おおきに
みんなの間違い
1 ガソリンと軽油の違いをしらない
2 食事は老廃物を出すためのものだということを知らない
3 固体の差異を見ていない
4 動脈の終点と静脈の出発はどこ?
5 心って心臓?脳?
6 ヘビースモーカーの肺は何色?
聊か酔いました


何が言いたかったのか忘れました
書き出してから
・・・ごめんなさい。 

8147
光子様

 こんにちは!

 不食の弁護士さんも、どうしても出なくてはならない仕事上の会食などで、普通に食べることもあるそうです。
 ずーっと全く使ってない胃腸に、いきなりレストランの食事を入れても大丈夫なんて、信じられないことですよね…。


 あと考えてみたら僕自身、中学から大学まで、起床時間や食事時間が決まった寮生活をずっとしていたことから、「時間通りの生活」が体に染み付いているのかもしれないです。

8149
ハシビロコウ・ウナ様

 こんにちは!

 飲酒投稿でしょうか?… でも何か有意なメタファーっぽいです。

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Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。





http://facebook.com/koudaimitsuna

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