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 「真理は言葉にできない」ということは、よく言われることです。

 ただ、言葉にできないそれを、余計な装飾のないぎりぎりの言葉によって、何とか指し示そうとするものもある。
 たとえば「非二元」の立場はそうだろうけれど――、ただそうした言葉は、多くの人にとってもはや「教えとしての情報性」さえないような場合も少なくない…。


 そこで、私たちが聞いてある程度の「意味」を受け取れる言葉にするためには――、
 どうしても、この物質世界や、分離した個人や、相対的な関係性や、社会生活という枠組みに立脚する必要があるとも言えるだろう。

 さらにその上に、いろいろな理屈とか、仕組みとか、技法とかの話を盛り込んでいかなくてはならないのかもしれない。


 こうした「言葉にできない真理」と、「非二元の教え」と、「二元的な観点」って、それぞれが明らかに矛盾している。
 でも、「どれが正しくて、それ以外は誤り」というものではなくて、いわば表現する「層位」の違いであり、プロセスの違いなのでしょう。


 インドのラマナ・マハルシは、近代・現代の覚者の中でも、とりわけ著名な一人だろう。
 彼の質疑応答を集めた『あるがままに』の本で、弟子である編集者が序文を書いていて、その中でラマナのいわば「教えの変遷」のようなものが、とてもコンパクトに述べられている。

 ラマナ・マハルシは16歳のときに意識が覚醒して真我に目覚め、その状態に没入したまま何年も山の洞窟や付近の寺院で暮らしていた。やがて彼のもとに帰依者が集まるようになり、師としての活動を始めた。

 その当初の教えの様子は、次のようなものだったという――

 ラマナはほとんど話すことはなく、彼の教えは特異な方法で伝えられていた。言葉による教えを与える代わりに、彼は絶え間なく「沈黙の力」を放射し続けたのだ。
 それに同調した者は心を静められ、ときによっては、ラマナ自身が絶えず没入している状態への「直接体験」さえも与えたのだった。


 これはまさに、常人のなせる技ではないです…。
 その沈黙のまなざしや、神聖なエネルギーに打たれて、何人もの意識のあり方が変わっていっただろう。

 ただし「それに同調した者は」と書いてあるように、真価を受け取れたのは、やはりけっこう限定的だったのではないかな。
 おそらく、聖者がいるという噂を聞いてやって来た人の中には、「ふんどし姿のおっさんが、じっと黙って座っているだけで、何だかよく分からないなぁ…」というケースも、多かったに違いないと思う。


 そうしてのちに、彼の教えのやり方は少し変化していく。
 沈黙だけでなく、そこに「言葉」が加わるようになった――

 後年にラマナは、言葉による教えを与えるようになる。
 しかし、生涯を通じて彼は、「沈黙の力」こそが自らの教えの最も直接的に凝縮された形であり、言葉による教えは、沈黙を理解できない者たちに与えられたものであると強調していた。

 言葉による彼の教えの最高度の表現は、「ただ意識だけが存在する」だ。
 分割不能な普遍の意識のほかには、いっさい何も存在しない――。人々があまりにも自己限定の観念に巻き込まれていたため、ラマナはその観念を捨て去るように勧めた。


 その表現を、今ふうに言えば、「個としての『私』はいない」「この世界は、一つの意識が色んな形をして現れているだけ」、という感じでしょうかね。

 ただ、そう完結的にシンプルに言い切られても、聞く人は「???」と、ただ黙ってしまうしかない…。


 前述の「同調」の場合と同じように――、たとえば非二元について人々に説けるくらいに理解を深めていて、でもつい習慣的な個としての観点に舞い戻りがちな人にとっては、理屈も知識も抜きに本能的にスパッとそう言い切る言葉によって、「おお、その通り!」という新鮮な気付きはあるだろう。

 でも、それもまたかなり限定的なものであって、普通は「だから何?」「もっと実践的な導きが必要」というふうになるのでしょうね…。


 実際に、ラマナのところへ訪れる人々は、そうであったようだ。
 そしてラマナ自身も、それに応える形の教えを説くようになった――

 それでも多くの人たちは満足できず、他の方法についての助言を求めたり、理論的・哲学的な討論に彼を引き入れようとした。
 そのような人々に対して、ラマナは一時的に彼の絶対的見地を捨て去り、尋ねられたレベルにふさわしい助言を与えたのだった。

 人々の異なった必要性に応じるというこの方針は、必然的に多くの矛盾をもたらすことになった。
 例えば、ある人に向かって「個人としての自己は存在しない」と告げたかと思えば、別の人に向かって、個人としての自己がいかにして機能し、因果応報を重ね、輪廻転生するかを語ったりした。


 初期の「沈黙の力」だけによる伝え方とは、ずいぶん大きな違いを感じますよね。

 一方で、そうしたラマナの教えには、「幸せ」や「進歩」「境地」といった表現が盛り込まれ、とても取っ付きやすく、多くの人に理解しやすいものになったといえる。


 もちろんそれは、意図的に人々に迎合したのでなく、教えのレベルを引き下げたわけでもないはずだ。
 ただ、教えとしてそのように現れ、自然に展開されていったものなのだろう。

 ラマナによる多様で矛盾する説明というのは、その質問者が今いるのと同じ見地に立って、そこから指し示したものであって――、指し示す先にあるものは、まったく変わらないと思う。

 『あるがままに』の編集者は、こう記している――

 ラマナ自身の体験による絶対的見地からすれば、「ただ意識だけが存在する」という観点こそが、矛盾する形で表された真理を評価できる、唯一の基準なのだ。
 この基準から外れた他の表現がいかなる程度であろうとも、それらは「希釈された真理」であるといえる。


 このように、ラマナ・マハルシの教えは、「沈黙」→「非二元」→「二元的な観点」という変化をたどったといえる。

 他方、私たちのスピリチュアルな学びは多くの場合、それとちょうど逆の順に、「二元的な観点」→「非二元」→「沈黙」といったプロセスで進んでいくのだろうと思います。


 ところで、アルコールのことを「スピリッツ」と呼ぶけど――、人がそれを飲み物として楽しむためには、ある程度の薄さに「希釈」する必要があるのかもしれない。

 100%のアルコールがもはや飲用物ではないように、完全に純粋な真理というのは、個としての生身の人間が取り入れられるものではないのかもしれないですね…。



 結びのヒーリング・ミュージックは、John Serrie「Once in Royal Davids City」。
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コメント
8379
もう一つの世界
こんばんは〜’

なんとなく、書きたくなりました。

思考は、探求すればする程、求めれば求めるほどに、自我意識を強め、分離した私を作ります。

ハートに聞く。頭からハートに。
これにある時、涙が湧き上がってきます。
私に起こっている沸いているこれらも、思考も、すべてその時のエネルギーの中で起こっていること。
ふむ。
この体が感じていることをあるがままに、見つめる、を、しているこの頃です。

いろんなことが起きてる、同時に起きてない。
私がいない、あなたも居ない。
想像している私がいます(笑)

あっ、エネルギーで引き合っている。全て、エネルギーの波の中にある。ということは、わかります。その世界で見れば、エネルギーの愛の模様なのでしょうね。
ほほ。

8380
>100%のアルコールがもはや飲用物ではないように、完全に純粋な真理というのは、個としての生身の人間が取り入れられるものではないのかもしれないですね…。

最後の部分が感じ入りました。

どうしても純度100パーセントの答えを欲してしまう。それも直ぐにという。そんな自分が居座っています。

けど、ちっとも変化がない自分がずっとそのままあり、落ち込んだり、イライラしちゃいます。時に腹下ししちゃう様な。

人間様でおる限り、基本は檻に入ってる感覚をどこかで感じながら、
結局、ぼちぼちやるしかないのかな。

8381
今回のブログは理解するのが難しくて、3回読みました。トンチンカンだったら、すみません。沈黙だけでは伝わらないですね。言葉にしないと。意識がいろんな形に変えているだけだという点は、私にはよくわかります。真理は知りたいですが、純度100%のものがこの世に存在するのかどうかを疑っている部分もあります。関係ないですが、モントリオールで体操競技でコマネチが史上初の10.00を連発した時に、人間がする演技で10.00を出した時、ちょっと白けたことを思い出しました。それと同時に同和問題の議論の本を読んだ時、「真実ほど恐いものはない。」と書いてあった言葉が蘇りました。真実とは完璧なものなんでしょうか。

8382
punpkin様

 こんにちは! なんとなく書いてくださるコメントも、とても嬉しく思います。

 「求めれば求めるほど、自我意識を強め、分離した私を作る」というのは、まさにスピリチュアルの大きな落とし穴です。


 知識とプライドに固執して、「他人より上を行っている」といった自負心を自分の価値のより所にしているタイプの人が、一昔前はけっこう多かったように感じます…。

 でも最近は、そういう人があまりいなくなってきました。いい時代の傾向ですね。

 「いろんなことが起きてる、同時に起きてない」「すべてエネルギーの波の中にある」――。素晴らしい感覚だと思います!

8383
富士山はきれいだ様

 こんにちは!

 物理的世界を肉体を伴って生きる上で、「檻に入っている感覚」はふつう取り払えないのでしょうね…。

 でも、その檻の感覚は単なる錯覚で、この世界の背景には、人が想像できないほど素晴らしすぎる真実の次元が広がっている――、
 そう信じて生きることは、私たちに可能なことでしょう。

 「見ずに信じる」ことが、この世界での私たちの大きなチャレンジのひとつだと思っています。

8384
丹後のきんちゃん様

 こんにちは!

 いつもは、何か具体的な題材を話に盛り込むようにしているのですが…、今回は目に見えない、いわば「観念的な話」が100%です。

 競技の採点も、社会問題の事実も、人が基準を作ったり評価・判断しているものですから、純粋で完璧な真実とはまた違うでしょうね…。

 その世界において、ただ「在る」ということだけが真実だ、とも言われます。

8385
「分離」がはたす役割
おはようございます。

昨日からバイロン・ケイティさんという方が老子の「道(タオ)」について語っている本を読みはじめています。
私もまさに『「二元的な観点」→「非二元」→「沈黙」』をあくまで「知識」として理解してきました。

「そうだった!生まれてすらいない!」なんていう体験をしたわけではありませんが、この先にそういうことも起こりうるのかもしれないな・・・という程度です。

それでも!
マインドに振り回されていた頃からは想像もできないほどの静寂な心を時々は感じる、その瞬間は確かに言葉にできずあえて言うなら「幸せ」とか「感謝」とか「安心」でしょうか・・・
やっぱり言葉にするとどこか的を外した感は残ります。

今は「分離した私という個」をもアトラクションとして楽しんでいますが、時には苦しんでいた頃を思い出して
「何故、分離した感覚をわざわざ獲得して苦しむ必要があったのか」
「何故、全ては全体のあらわれという感覚を完全に忘れる必要があったのか」と考えます。

光奈さんはどうお考えになりますか?

8386
同じく“感じ入り”ました
今回のテーマは、自分の思考とシンクロしているように感じました。
読んでいて……ふむふむ、うんうん、さすがぁ…みたいに。
とくに、結びの、
『100%のアルコールがもはや飲用物ではないように、完全に純粋な真理というのは、個としての生身の人間が取り入れられるものではないのかもしれないですね…。』
この比喩に、目からうろこでした。

広大さんのブログ、リンクさせていただきました。
ありがとうございました。(((o(^。^")o)))


8387
こんにちは
日常を営みながらもやはりこころのどこかで最大の関心事ではありますね。なんかトータル感が圧倒的というか。プンジャジやルートスパイラを繰り返しゆっくり併読しながらのんびり過ごしてます。ラマナマハルシも近いうちにと思ってます。

8388
fujiwara様

 こんにちは!

 分離の世界がなぜ創造されたかというのは、永遠の問いですよね…。
 きっと、どんな知識を得ようとも、どれだけ考えようとも、分からないと思います。

 人間の知覚や頭脳そのものが「被造物」なわけですから、その根源的な問いの答えが分からないように、最初から作られているのだと考えています。


 「生まれてすらいない」という体験はないものの…、でも、そもそも自分というものが「生まれてきた」という記憶も感覚も実は誰も持っていないですよね。
 自分が「生まれてきた」というのは、「後付けの知識」に過ぎないともいえます。

 同様に、私たちは自分自身の「死」についても、具体的な実感をあまり持っていません。
 でも、こうした直感が、実は真理をとらえていたりもします。


 ラマナ・マハリシも、こんなふうに語ってます――

 「人は、数々の死にゆく人を見ながらも、自分だけは不死であると信じ込んでいる。なぜなら、それが真理だからだ。真理は自然にそれ自身を主張するのである。誰もが永遠の真理に気づいている」

8389
風子様

 こんにちは!

 今回のは、ある意味で観念的で、最も小難しいテーマのひとつかもしれません。
 でも、誰もがきっと、いつか必ず行き当たるものでしょうね…。

 共感いただいて、とても嬉しく思います!

8390
タカヒロ様

 こんにちは! いい本をお読みですね。

 この関心事は「不可逆的」なもので、いちど興味を持って歩みだすと、後戻りが決してできないのだと思っています…。

 同時に、日常の社会生活、周りの人たちとの関係性を通じた経験、学び、浄化などは、やはり非常に重要なのでしょう。

8391
思わず眼が点のビックリです!
「ラマナ・マハルシ」思わず写真にくぎ付け・・・
実は我が家にいらっしゃいますよ
ここ7年位裏を向いてもらってました(話せば長いので)
2002年に呼ばれるように四国剣山のツアーに参加 その2日後出会うためのように 遇った方がこの写真を持ち帰るようにと準備して下さいました 
[本人は世界に500人しかいない目覚めた人」と言われましたが・・・
私には???の世界でした 今なら理解できるのですが 
それから7年お肉・香辛料・コーヒーなど嗜好品・音楽(ライアを奏でてたので)をすべて封印 電話で問答を繰り返しました 
マハリシの写真は我が家で いつも私を見降ろしていて 
その眼が優しいのですがいつも見透かされてるみたいで 
怖かった記憶があります 
当時はサラッと聞いた名前を書きとめることもせず
誰の写真かも忘れて・・・
でもブッタとマハリシの写真から マハリシの方を私に持ち帰るように準備して下さったのです 今なら何故なのか分かるような気がします
その時は「ブッタの遺骨」もありましたが私は何も感じませんでした 鈍感です

広大さんのこのブログ 写真を裏返したその時からちょうど7年目です
一時は他の人に 焼いてしまったらと言われた事もあったのですが
昨日 検索してマハリシ功績を読みました
何故 マハリシの眼があんなに怖かったのか理解できました
でもマハリシでも子どもが部屋に入ってくるとお菓子を引き出しにそ~っとしまうんだって写真をくれた方が話したました 
マハリシは1950年没私が生まれる前の年ですよね

今日から写真表にします いまならマハリシノ眼の暖かさと厳しさが理解できるような気がしますから・・・
それと写真を頂いた方にも連絡を取って見たいと思ってます
7年ぶりです 楽しみです
剣山にもいつかお礼に登りたいと思いました
思い出させて頂いて マハリシのことを伝えて頂いて本当に有り難うございます これからもたくさんの気づきのきっかけをお願いします 

8392
訂正
ルートスパイラ×→ルパートスパイラ〇

8393
光奈さん、こんにちは。

>100%のアルコールがもはや飲用物ではないように、
完全に純粋な真理というのは、個としての生身の人間が取り入れられるものではないのかもしれないですね…。

私も上記にとても感じ入りました。
マハルシさんの風貌が好きです。本はきちんとは読んでいません。
矛盾する内容、確かに多いですが、それは真実を語っているからでしょうね。

テレビを見る時間が減りました。母に、
話すとエネルギーを消耗して疲れるので、これからは少なめにする。
おしゃべりな私が何も話さなくても、そこに意味はないから、
と先日話しました。気にしないでね、と。

最近は、これからやりたいことをよく母に話しています。
今思っていることも正直に。

そして今やりたいことをやっています。予定したことがなかなか進みません。
かたづけを進行していて、収納場所に空間が増えています。

十分寝ているのに、眠いです。昨日は耳鳴りと耳圧。でも元気です。

8394
光子様

 こんにちは!

 その方、マハルシとかかわりのある方なのでしょうかね?…。詳しくは分からないですけど、何だか少々怪しげな。

 でも7年間も菜食をはじめ生活スタイルを変えられたのは、すごいですね。これもご縁だったのでしょう。
 今回のブログのテーマのタイミングも、何かの巡り合わせなのかもしれません…。


 何年か前にあるワークに参加したとき、会場として借りていた施設に妙な「瞑想室」がありました(見るからに怪しげな、波動発生装置みたいなのが置いてあって…)
 そこにマハルシの写真が掲げられてあったのですが、たぶんマハルシも「これは違うよ」と言っているような感じでした。

8395
あおむし様

 こんにちは!

 多面性の中での「矛盾」はあまり問題にならなくて、むしろ特定のものに固執した「断定」のほうが危うく感じます。


 モノの片付けが進むのはいいですね。
 多くの人は予定重視で、片付けは後回しになりがちなのですが。

8396
こんにちわ^^
頭に浮かんだイメージを言語に訳すと、必ず減衰します。
人間が作った言語は完全では無く、故に誤解も招きます。
これは、物書きの永遠のジレンマですよ(笑)

8397
sado jo様

 こんにちは!

 村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』では、思いを言葉にしていく難しさについて、「正直に語ることはひどく難しい。僕が正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈みこんでいく」というふうに述べています。

 すごく売れた作家だから、つい後付け的な評価をしてしまうのですけど…、でも、とてもうまく言い当てているなと思いますね。

8398
「悟りを開こう」としても開けるもんじゃないですしね・・・
まあ、ぼちぼちやっていくしかないのでしょう。

随分前ですが「この宇宙には、神を含めて私より”上”の存在はいないのだ」と思った事があります。勿論”下”の存在もいない。
この宇宙・・・とんでもない広さでとんでもない数の文明や生命がいるし、天使やアセンテッドマスターといった素晴らしい存在も星の数ほどいるでしょうけど、神を含めて私よりも「上位」に位置する存在も、「下位」に位置する存在もいない。
人格としての私はめちゃくちゃ上下をつけてますけど(マスターや天使は私よりも偉いとか)本来は違う。

・・・といった個人的な「気付き」とか「感覚」というのを積み上げていくしかないのでしょうね。その一方で恐れも沢山あり・・・「悟りを開くと恐れがゼロになるんだろうな~うわー出来れば今すぐ悟りたい!」と思ったりもしますが^^;



ちょっと話は違いますが、「人格の望みと魂の望みは違う」というのは葛藤の原因になりますね。
例えば人格が「大金が欲しい」という望みを持っていたとしても、魂は全然望んでいなかったりすると、本気で願えなかったり、実現できなかったり、実現できたとしても空しかったり・・・という事に。
本来は人格の望みを捨てるべきだと思いますが、これがなかなか・・・。
勿論無理に捨てなくていいし、本当に実現したかったら実現すればいいのですが、問題は「自分がどこか本気で望んではいない事は感じているのだが、望みを捨てがたい(社会的に良しとされているとか、実現した方が有利だろうとか、それが実現したら幸せなのではないかとか、色々な理由で)」という状態ですね。



8400
ありがとうございます。

マハルシさんの言葉、光奈さんの解釈、私が聞きたかった答え。
実は誰もが気付いているというのも嬉しいメッセージでした。

8401
光奈さん、こんにちは。

ツイートの、本当にしたいことをどんどんしなさい。
ほかのことをしてはいけない。

心にグサリ。本当はしたくないこと、やってます。少しですけど。
片づけは、やりたくてやっています。

正直に語る。私は昔から正直すぎて理解されず、誤解されていました。
今もかな。でも、誤解されてもいいと思えるようになってラクになりました。
正直すぎる私に、やっと母が慣れてきたような気がする今日この頃です。

8403
Clary Sage様

 こんにちは!

 本当は上位も下位もないし、そもそも分離した「自分以外のもの」も存在しない、ということでしょうね。


 また「望み」も、「その望みを抱いている個人」も、その時々の一部分的な現れにすぎないといえます。
 そんなふうに思ったところで、何になるわけでもないのですが…。

 望みがなかなか捨てられなくても――、やがてはその望みを抱えた個人ごとあっけなく消え去るものであり、そうなっても実は何も問題ないことを、どこかで分かっているのかもしれないです。

8404
fujiwara様

 こんにちは!

 実は誰もが気付いていて、師はそれを指し示すだけでいいわけだから――、
 「沈黙」の教えというのが、力を発揮するのでしょうね。

8405
あおむし様

 こんにちは!

 実に単純な言葉なのですが、あそこまで留保なく言い切っているところが、心に迫りますよね。

 死人も同然に生きてしまっているから、輪廻しなくてはならないのかもしれません…。

8407
意識の進化    
 人がもし意識とはそもそも何であるか、即ち意識の真相を理解することが出来るならば、彼は進化のあらゆる問題の解決の鍵を見出すことが出来よう。
何故ならば、意識は力であると同時に、質料、形態であり、また同時に生命である唯一者の最高の表現であるからである。

オーム、アミタヤ 言葉もて測る勿れ 測り得ざるものを
思惟の糸を沈むる勿れ 底ひなきものの中へ 
問う者は誤り 答うる者も誤る 一語をも語る勿れ
                  (エドウィン・アーノルド)

 だが、そう警められても尋ねずにはおれないのが人間の性である。(神智学より)


8408
夢、特に悪夢を見た後
毎回思うのは、「どうして夢だと気付けなかったのだろう。気付いてさえいればどうにでも出来たのに」という事です。

夢を見ている時というのは”圧”みたいのがかかっていて、それが夢だと気付くのが難しくなっている。
あり得ない事、おかしいだろうという事も疑問に思わず、そのまま受け入れるようになっている。

この”夢”も同じだろうな・・・とも毎回思います。現実だと信じ込んでいるけれど、夢だと気付きさえすればな~。
「いや、夢だなんてあり得ない。間違いなく現実に決まっている」という考えもすごく強いです。
周りの人たちもほぼ100%に近い確率で「この世界は完全に現実で、夢ではない」という考えを支持してますしね・・・。
死ぬ時(目が覚める時)にははっきり気付くでしょうが、夢を見ている時点で分かりたいなあ。
まあ、「この世界は夢なんじゃないか?」と思っているのだから、薄々は気付いているという事なんですけど・・・・。


悪夢を見ている時というのは、他に選択肢が無いと思っている。というか、他の選択肢が思い浮かばない。恐れるしかない、こうするしかないと思っている。
この世界の”夢”も、「悪夢」を見ている時の対応や感情は似ているような気がします。

「恐怖しか選択肢が無い瞬間や状況は存在しない」という言葉があります。「そうは言っても、ああいう状況やこういう状況なら恐怖以外ないのでは・・・」と考えてしまいますが、実際には違うのでしょうね。


8409
宗教というか思想というか信条というか
すべてを「無」に帰す禅宗に近いものがありますね。こういう物言いは好きです。

8410
パソコン不具合発生
光奈さん、こんにちは。

パソコンが苦手な私は不具合が出ると大変です。
おととい、厄介な不具合が発生。自分なりに調査し対応しましたが、失敗。
昨日、知り合いのパソコンに強い方にメールでご相談。
本日返事はいただきましたが、解決策はわからず。

そして私は頭の中を空っぽにして、本日解決に再チャレンジ。
エラーの対処法を見つけて実行。直後はいい結果が得られませんでしたが、
なんとまあ、パソコンを再起動するとスッキリと解決していました。

あれはいったい何だったのか。夢だったのか。
不具合だった証拠は残っています。しかし原因はわかりません。

不具合を発生させたのは私に何か問題(操作とか波動とか意識とか)
があるからではないかと、少し自分を責めたりもしました(笑)。
私のパソコンへの怖れが不具合を引き寄せたのかもしれませんね。
とにかく、解決してよかったです。

不具合が出ると勉強をするので、ちょっとですが、パソコンに強くなれます。
私を強くするために、不具合が発生してくれたのかもしれません。

8411
解決していませんでした(笑)
でも、こうしてコメントはできるし、
困ったことは何も起きていません。
ちょっとした対策はしておきました。

のん気に様子を見ます。
助っ人現るで、直していただけるかもしれませんし。
自力でも時々がんばってみます。

8412
666様

 こんにちは!

 「意識」については、多くのマスターが同じように語っていますよね。

 「尋ねずにはおれない」のは、まさに分離した個人でしょう。

8413
Clary Sage様

 こんにちは!

 睡眠中に夢を見ているときに「これは夢だと気づく」ことを、悟りへのトレーニングとして取り組んでいる人もいますよね。詳しい効果は知らないですけど…。


 僕自身は、「この現実は夢である」という前提でいます。

 もちろん、色んな現実的な対応はしますけど、「夢である」ことを前提に――
 本来なら困るべきところで困らない、怒るようなところで怒らない、落ち込むはずのところで落ち込まない、固執していたものに固執しない、というふうにしていると――、それだけでもけっこう夢として楽しめる感じです。

8414
ごんのすけ 様

 コメントを有難うございます!

 まさに禅ですね。
 ただ黙って座って、そこに常にある空性にとどまる…。
 「只管打座」でしょう。

8415
あおむし様

 こんにちは!

 パソコンって、急に理由もなく調子悪くなって、色々と手を尽くしてもダメだったのに――、
 いつの間にか直って、何も問題がなかったように動いたりします…。

 本当に、不思議な機械です。

8418
原因判明しました
光奈さん、こんばんは。

不具合の原因は、マイクロソフトでした。
私のパソコン先生が、ネットからその情報を見つけてくださり
本日連絡をくださいました。
私のせいでもパソコンのせいでもなかったのです。

わからないなりに冷静に対処できたこと。
このまま解決できなくても大きな問題ではないと思えたこと。
ネット検索で偶然実に簡単な対処法を見つけられたこと。
が、とてもよかったです。パソコン先生にも感謝。

これからも安心してパソコンが使えます。

8420
あおむし様

 こんにちは!
 
 たいていのパソコントラブルは、知っている人が見たら、何てことない。

 たぶん人生のあらゆる事態でも、自分の中には「知っている自分」というのがいて、そこから見れば何てことないのでしょうね。

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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