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 電話機で操作するテレフォン・バンキングや、宅配便の再配達サービスなどの音声案内でよく、「最初に『米じるし』のボタンを押してください」というのを聞きますよね。

 でも、手元のボタンをよく見てみると分かるとおり――、電話機にあるのは「*」であって、米じるしの「※」ではない。
 「米じるし」と呼ぶには、明らかに画数からして足りない…。

 もし小学校の漢字テストで、「米」の字を「*」のように書いたとしたら、必ずバツが付けられるはずだ。
 つまり、あのボタンを「米じるし」と呼ぶのは、情報として明らかに間違いと言える。


 電話機のボタンにある「*」の正しい呼称は、「アステリスク」もしくは「スター・マーク」という。

 しかし――、もしも音声案内で、「最初に『アステリスク』のボタンを押してください」といきなり言われても、たいていの日本人は、何を押していいやら分からないだろう。
 これは手に負えそうもないと思い、電話を切ってしまう人もいるはずだ…。

 あるいは、スター・マークだから「星じるし」という呼び方をしたとしても――、「☆」のボタンはどこかと探して、「おやすみモード」の操作ボタンを押すかもしれない。


 この場合、案内の言葉をいくら「正しい」ものにしても、その言葉はあまり役割を果たさないといえる。
 聞く人に、しかるべき「*」のボタンを押してもらうことこそが、音声ガイダンスのそもそもの目的なのだから。


 同じく、電話の音声案内で、「暗証番号の後に『シャープ』を押してください」というもあるけど――、実はそれも間違っているのだ。

 電話機のボタンにある「#」のボタンは、正しくは「パウンド・キー」と呼ぶ。


 パウンドの記号の「#」は、横棒が「水平」だ。
 一方、シャープは「♯」で、こちらのほうは横棒が「斜め」という違いがある。

 そんな細かいこと言うなよと突っ込まれそうだけど――、音楽記号のシャープの場合、楽譜の五線と重なっても分かりにくくならないようにと、横棒が斜めになっているわけだ。
 ちゃんとした理由がある、異なった文字なのである。


 でも、これももし音声案内で正確に、「暗証番号のあとに『パウンド』のボタンを押してください」と言ったとしても…、前述の「アステリスク」と同様に、ほとんど通じないだろう。


 スピリチュアルの分野では、私たちの日常感覚では到底とらえきれない本質的なものごとを、言葉によってあくまでも「便宜的」に表現しながら語られているケースが大部分だ。

 しかもそうした言葉には、人によって定義やイメージが相当にまちまちな、観念的な用語が使われている。
 「真我」とか、「空」とか、「本源」「愛」「意識」「ハート」「魂」……

 そして、嘘も方便というか、「*」を「米じるし」と呼ぶみたいに――、言い方や考え方としていくぶんポイントが違ってしまっても、「日常表現に近い、より伝わりやすい言い方」があえてされている場合もよくある。


 で、そのときに、自分が持っている言葉の定義をもとに、言い方や意味付けの「正しさ」を論じても、あまり意味がないだろう。
 「米じるしというのはまったくの誤りであり、それはアステリスクが真実だ!」「愛とは、空とは、宇宙とは、こういうもののはずである」とか…


 大切なのは、言い方の正しさよりも、ガイダンスが示す「*」のボタンを押すこと――

 すなわち、言葉が指す「それ」そのものに、意識を向けることである。


 言葉や教えというのは、あくまでも「道しるべ」にすぎない。
 道しるべは、「目的地を指す」ものであって、「目的地に立っている」わけではない。

 ところが、その道しるべの前にとどまって、かんじんの指しているものには目を向けないまま――、道しるべそのものの形とか、由緒とか価値とかを、いつまでもあれこれ言っているようなケースって…、案外少なくないですよね…。


 結びのヒーリング・ミュージックは、James Harry & Juliana 「A Trusting Gaze」。
  ☞ コメント:49

 
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コメント
8416
クス、クスクス……♪~( ̄ε ̄;)
的を得た記事で、メッチャ、おもしろ~い、です。

“由緒とか価値とかを、いつまでもあれこれ言って…”
目的地に立ちそうもない人って、確かに多いです。
観念的「道しるべ」用語が多すぎるのか、
だだ論じていたいんでしょうかね。

私は、『今ここ』って、どこ(・_・?)
と、よく思います。
場所? 瞬間? 数時間? 数日? 今生?……。

これって、映画『今を生きる』から、
インパクトの良さを流用したんでしょうか……。

ロビン・ウィリアムズ……大好きでした。


8417
風子様

 こんにちは!

 「精神の物質主義」と指摘されるように、エゴ意識というのは、どんな教えや言葉をもも、自らを存続・強化するための栄養源にしてしまうのでしょう…。

 ありきたりの言い方ですが、「Now here(今ここ)」は、「Nowhere(どこでもないところ」)ですね!

8419
こんばんは。

大変面白く読ませて頂きました・・
いや、体験かな?
光奈さんの記事、内容は心に染み入るから、ある種の
感覚が眼覚めていくようです。

思うのですけど・・今の自分より少しだけレベルアップ
させて貰っているようです。
日々、意識していないと忘れてしまう事が多いものですから
こちらに出向いて*印を押したいと思います。

アミ 小さな宇宙人・・今、ゆっくり楽しく読んでいます




8421
daru様

 こんにちは!

 そう言っていただけて、とても嬉しいですね。

 まさに書いてあることそのものよりも、それが指し示すものが大事です!

8422
その逆は ドットですね 
 まだ ウィンドズの前 MS-DOSの時代
  日本での支流のパソコンは NECパソコン
その解説書では ドットは 英語の授業通り
 ピリオドで エンターキーは リタンキーで
  そこ頃から 使ってる人は
   今は ピリオドっては もう 言わないでしょうね
でも リタンキーとは 言ううかもね

8423
そう、案外少なくないですね(笑)
手段を選ばないわけではないけれど
たとえば仕事でも、目的を達するためには
正論だけをふりかざしても上手くいかない場合がありますし、
何だか考えさせられました。

8424
北海道のくま様

 こんにちは!

 なつかしい呼び方ですねー。
 ネット企業名の「ドット・コム」が定着してきたあたりから、「ドット」が一般的になったような気がします。


 「リターン」は、確かに以前は僕も普通にそう呼んでました。
 でも今はキーそのものに「Enter」って書いてありますね。

 若い人に「リターン・キー」なんて言ったら、「えっ、そんなキーありますか?」って返されそう。

8425
eimi様

 コメントを有難うございます!

 本当にそうですよね。組織での仕事や、取引先とのビジネスでは、「どれほど理屈として正しいか」よりも、「お互いに分かり合って通じ合う」ことがやはり肝要です。

 そうした社会経験のしっかりした人は、スピリチュアルなものごとのポイントをとらえるのも、けっこう早いのではないかなとよく思います。

8426
組織宗教などはまさしくそうですね。
何千年前、何百年前に生きていたとされる人物の由緒やら価値やら言葉や本の解釈やらを延々と論じている。それだけでは足りず、大きな建造物をごまんと建て、彫像や絵画も大量に作り、延々と論じる為の学校まで山ほど作り、階級を付けたピラミッド型の組織も作ってきた訳ですが。
もう、いい加減やめればいいんじゃないかなあ・・・というのは昔から思っている事ではあります。
世界三大宗教にしろ、他の宗教にしろ、あまり「言葉が指す”それ”そのものに意識を向ける」役には立たないでしょう。これまでの歴史を考えても、基本的には「目印を際立たせる」役にしか立ってないような気がします。

そりゃイエスも仏陀も素敵な人だったでしょうし、勿論今でも存在しているでしょう。もし出会う事があれば私もその愛や慈悲の深さに感動し打ち震えるだろうと思います。
でもねえ。時間や空間は本当は無いとは言え、彼らが所謂人間としてこの世界に生きたのは(人間の感覚からすれば)大昔です。
もうちょっとこう、「今」に目を向けようぜ、という気持ちになります。

こう思うのは、私がどうしても「歴史」というものに根本的な興味を持てないタイプだからというのはあるでしょうが・・・・。
現在に影響してそうな直近の100年くらいはまだしも、それ以前となると、基本「とっくの昔に終わったどうでもいい事」としか思えないんですよね・・・。
「”今”にフォーカスする事の大切さ」というのは個人レベルではよく言われますが、私はこの世界全体の”今”にフォーカスする事の大切さも結構感じます。









8427
米印と思っていました。なるほどなあ。言葉ってお互い概念で話しているような気がします。だから、単語だけでは通じなくて、いろんな説明の中で、この人と私の考えは似ているなあと思うのだと思います。そうでないと、国際理解なんてありえませんから。この人はこういうことがいいたいんだなあと、その思いに近づくように努力する中で、この人なら米印と言った方が理解できるからアスタリスクを米印として説明しようという、理解にはまず思いやりや性善説なんかが必要なんだと思いました。的がはずれていたらごめんなさい。

8428
正解は一つではないのかもしれません
光奈さん、こんばんは。
久しぶりにコメントさせていただきます。

米印を*と書いたら、不正解なのでしょうか。
以前、本で読んだことのある話を一つ。

算数の宿題で〇〇を買うためにいくら払いますか?
という問いに「つけといてもらう」と回答。
担任の先生は丸をくれたそうです。
回答した生徒の家では
物を購入する時は
お金を持たずに出かけ
掛けで買うシステムになっていたそうです。
その親御さんはその解答を見て
そのまま出すようにと言って
先生を試してみたそうです。
粋な計らいを見せた先生を絶賛したというお話。 

確かに世の中に出れば、
それも選択肢の一つです。
とても面白い話です。
確かにそういったことが通じない場合もありますが
時にはそういう柔軟な考え方も必要なのかなと思います。

面白いですね!

私も※を押してくださいという言葉に
迷わず*を押す人です。


8429
光奈さん、こんばんは。大変面白く拝読しました。

たとえば、パソコン用語のほとんどを理解していません。
それで特に困ることなく(トラブルの時は困りますが)
パソコンをずっと使用してきました。パソコンは本当に便利です。
この先も用語の意味を覚えようとはしないでしょう。

謎の多いのは、スピもパソコンも同じです、私の場合。
そして、スピもパソコンも複雑でありながら、実はシンプル、
そんなふうにも思えます。

8430
今日も納得、よく思い当たることにあたります。

よく「真我」という言葉がスピ系の本やサイトにでてきますが、結局これって何?と思って色々とサイト等を探ってみますが、どうも納得いかない。
よくよく読み比べてみると、サイト著者によって「真我」の解釈が千差万別な事に気づかされました。どうりでわからんわけだ。

頭で「ああだこうだ」とやっているうちは、確信的な納得まではいけないのかもしれない。なんかの時、直感的に気づかされるのかなと。
そんなものかもしれない。スピ系って
そのためにも、自分の内面へ「問いかけ」を投げかけておく事が良いのかなと。


8431
すごくおもしろかったです。
すとんと落ちてくるという感じです。
自分を振り返ると『目的地に立てない』ことが多すぎるなあと実感してしまいます。
もっと本質をずばっと見抜ける目が持てたらいいのに...
そうしたらもっともっとスマートに生きていけると思うのですが。
いつも心が洗われます。ありがとうございます。

8432
Clary Sage様

 こんにちは!

 「歴史」というのは、今この瞬間に作り上げている空想であり、実在しているわけではないという考え方がありますけど――、それも真実もひとつの表現だと思います。

 同様に、大きな「世界全体」というのも、今この瞬間に作り上げているものなのかもしれません。


 結局のところ、私自身にとっての「今」にフォーカスすることが、やはり大事なのだろうと感じます。

8433
丹後のきんちゃん様

 こんにちは!

 「この人と私の考えは似ているなあ」という「共通部分」に着眼すれば、ほとんどの問題は起こらないことでしょうね。

 でもたいていは、共通部分でなく、概念の中の「差異の部分」だけをクローズアップしてとらえることが、世の中には多いと思います。


 そして皮肉なことに、スピリチュアル分野でそういうのを本当によく目にします。

 考え方としては大部分がだいたい共通しているセミナー講師やブロガー同士が、部分的な違いを指して「あの人の考え方は(やり方や生き方も)おかしい!」と指摘するようなケースが…。

8434
月光の響き様

 こんにちは。お久しぶりです!

 世の中の現実として、「あなたならどうしますか?」という質問はあっても――、「どうするのが正しいですか?」という質問自体が、そもそも成立し得ないのでしょうね。

 自分自身に対しても、「自分としてはどう在りたいのか」と、ことあるごとに問いかけるのが大切に思います。

8435
あおむし様

 こんにちは!

 パソコンの用語なんか知らなくても、特に問題なく普通に使えますよね。
 トラブルになったときは、「他力」にお願いすればいいでしょう。

 スマホは、その傾向がさらに顕著になってます…。

8436
富士山はきれいだ様

 こんにちは!

 「真我」は、そのものは完璧に不変なもののはずですが、色んな意味付けになってしっていますよね…。

 「真」とは言っても、偽物のほうは実在しない幻想だし――、また「我」と言っても、それはもはや自分という範疇をはるかに超えたものでもあるから――、
 「真我」という言葉さえも、本当はふさわしくないのかもしれません。

8437
nagarerukomo様

 こんにちは!

 色んなところでよく言われるように、「目的地」というは、実は「ここ」にほかならないわけですから――

 マインドは常に「ここ」以外に行きたがり、そして教えや言葉によっても、どうしてもどこか違うところに向いてしまったりするのでしょうね…。

8438
人間には「他者に貢献したい、奉仕したい」という欲求もあるようです。

そこで「これは良い物だから、あなたも使った方が良いと思いますよ」というようなことを言うのですが、そこには「あなたが今使ってるソレは劣っている、私が今紹介しているコレの方が優れている」というニュアンスが含まれてしまったりする。そう感じたら、相手が論争体勢に入ってしまっても不思議ではないと思います。

「他者に貢献したい、奉仕したい」という出発点はたぶん悪くないし自然なことだと思うのですが、いつのまにか無益な正しさ論争に発展してしまったりもする‥難しいですね。

8439
ruri様

 こんにちは!

 本当におっしゃる通り、相手を助けるつもりで、そうなってしまっているケースって少なくないですよね。

 難しいことなのですが…、
 ただそうした「自分の考えや方針が、必ずしも優れていたり正解なわけではない」といった観点の基本は、スピリチュアルな教えを通じて以上に、むしろ仕事などの実社会経験を深める中で身に付いていく部分が大きいようにも感じます。

 自分が信じていた優位性や正しさが通用しなかったり、状況によって一変してしまったり、結果的に相手のためにならなかったり、それによって手痛い失敗を負ったりするのは、会社の仕事などではかなり日常的といえます。
 そうした体験的な理解をしながら、「観点のバランス」が肌身に染みていくのかもしれないです。

 このあたりも、スピリチュアルと日常の両方が大事といえるところなのでしょう。

8440
光奈さん、こんにちは。

現在は携帯電話なしの生活ですが、
将来はスマホかタブレットを使用したいと思っています。

本当にやりたいことをやる。その思いから行動を開始しました。
自分でもびっくりなのですが、絵てがみ教室講師をやめたくなりました。
とはいえ、絵てがみはライフワークだし、大好きです。続けます。

頼まれたことは引き受けるというスタンス。
誰かのお役に立ちたいという思い。
これまではとても重視してきました。

でも、今大切にしたいのは、自分はどうしたいのか、という思いです。
今に限らず、私の人生は、やめることの連続でした。
やめることは得意です(笑)。笑顔でやめていくのが私流です。

8441
あおむし様

 こんにちは!

 やめたくなっても、続けたほうがいいものも人生や社会にはありますし、このへんはまさに「中道」かもしれませんね。


 また、これまで「滅私」の姿勢で他者優先に生きてきた人は、「やりたいことをやる」という意識が今こそ大事でしょう。

 一方、人によっては、「相手のためにする」という認識でいながら、実は単に自らのエゴ意識を満たすための衝動というケースも少なくないですから(周りの目からはそれがバレバレだったりもします…)、そういう場合は逆の姿勢が必要です。

 どちらなのかは本当にバランスですね。

8442
私はあまり多くのブログを読んでないからでしょうが
「セミナー講師やブロガー同士が差異にフォーカスして争う」「スピリチュアル分野でそういうのを本当に多く目にします」とありますが、私は多分見た事がないです。

見る世界はそれぞれ違うというのは当たり前ですが、ちょっと面白いなと思いました。

8443
Clary Sageさん

>私は多分見た事がないです。

。。。

8444
Clary Sage様

 こんにちは。

 違う世界ということで、放っておくのがいいです…。

 でもスピリチュアルというより、大きな宗教・宗派においても、互いの「共通部分」でなく「差異の部分」ばかりに注目して、相手を問題視するケースは多いですよね。

8445
光奈さんも最近は批判ニュアンスの記事が増えてるような。

8446
私もたぶんししさんと同じようなことを感じています。
光奈さんが書く「光奈さんが好きなもの」の記事が私は好きです。
それ以外はもうちょっと放っておけないものかと思います。

8447
しし様

 こんにちは!

 毎回、ブログ記事の深い意図とかは特に持たずに、ふと思い浮かんだことを書いてますけど、今回はこういうテーマの落とし込みになりましたね。

 もちろん、何か対象があって批判しているわけでは全然なくて、「こういうのとは違った観点が大事だよね」と思って書いています。

8448
そうですね。
私自身かなり批判的ですが、スピリチュアリティの「ブロガー同士」とか「講師同士」が争っているのはちょっと見た事がないので、”数多く見る”というのが面白いなと思ってコメントしてしまいました。

組織宗教同士、同じ宗教でも宗派同士では「差異に注目して争う」というのはよくあったし、今でもありますね。

誰一人として(人間のみならずあらゆるものも)同じ経験をしていないというのは、当たり前なんですが不思議な気がする時があります。
同じ屋根の下に暮らしていても・・・ですけど、それこそ、ほぼ24時間365日行動を共にしている二人の人間がいたとしても、経験する事は異なります。
本当に「独自」なんですよね。


8449
ruri様

 こんにちは。いつも丁寧に読んでくださって、有難うございます!

 「正しさのモノサシを手放す」とか「パラドックスにこだわらない」というのも僕自身が好きなテーマで、ときどき書いている内容でもあります。
 その都度、あれこれと色んな比喩などを持ち出すところを、このブログらしさとして見てもらえればと思います。


 今回のコメント欄の中で「スピリチュアル分野で、差異の部分をクロースアップするケースが多い」というのを追記的な考えとしてちょっと書きましたが、ブログ記事の本体のほうには、そのような指摘の意図は特に含んでいないです…。

 何か放っておけない状況があるとか、どこかに問題提起したいというつもりは全然ないですから、そのあたりはあまり深読みしていただかないほうが嬉しいです!

8450
Clary Sage様

 過去のブログ記事でも書いたことですが――、
 信仰している神が同じ、主な聖典も同じ、聖地も同じでありながら、世界で最も激しく対立し合っているのはその宗教同士なんですよね…

8451
光奈さんの頭の中には、「いわゆるスピリチュアル集団」というものがあって、それを光奈さんは叩いている。

具体的な集団をイメージしてないと言うけど、
これまで見聞きしたものを複合したイメージがある。それを批判してたのしんでいる。

8452
光奈さん、こんにちは。

私はスピブログをそんなには知りませんが、
穏やかでなない雰囲気を感じたことはありましたね。
でも、もめているブログはランキングが上がるような(笑)。

自分への言動を批判的だと受けとめそうになる時は、
私の中の愛が欠乏している時かなと思います。

やめない方がいいことは、やめたくてもやめられません。
そしてアトで、やめなくてよかったと思うことになる。

自分の中に愛を満たしながら、やめるかどうか決断していきます。
かつての世のため人のためになりたいという私の思いは半分は無意識で、
残りは自己満足、都合のいい言い訳、現実逃避、生きやすさ、
人からよく思われたい、などがからんでいたと思います。

どんな時も自分を批判しない私でありたいです。

8453
こんにちは。
いつも楽しく読ませていただいております。
ありがとうございます。

小学生の娘がその日は家族で出掛けるのを嫌がり
『ひとりでも待つ』と言ったのですが、私が『ひとりにはしないよ。』と言ったら『ひとりで待ってもいいぐらいの気持ちだよ』と言うのです。

『死んでも嫌だ』というのと同じだと。

とても嫌だ。という気持ちの表現だったのですね。

わかってほしい気持ちや理解してほしい事柄を伝えることって難しいときがありますよね。。

『死ぬなんていわないで』と言ってしまったら、そんなつもりで言ったわけでは。。となりますしね。

8454
>その道しるべの前にとどまって、かんじんの指しているものには目を向けないまま――、道しるべそのものの形とか、由緒とか価値とかを、いつまでもあれこれ言っているようなケース

すみません、これは具体的に例えばどのケースのことですか?

8455
前半は完璧だが     
 スピで米印とアステリスクのような慣用的誤用の具体例が書いてありません。

 それで以っていきなり「米印というのはまったくの誤りであり、それはアステリスクが真実だ!」、「愛とは、空とは、宇宙とは、こういうもののはずである」とか…言うのはおかしい。と話を持って行くのは自分はそれらを正しく理解しているが、他の人は全部間違っていると思っているからではありませんか。


8456
しし様

 こんにちは!

「スピリチュアル集団」というのは、具体的に想定したことがないです…。

 スピリチュアルに関心があって、セミナーに行ったり、仲間と情報交流しているという点でいえば、僕自身もそのような集団の一人ともいえますし。


 でも関心が強くあるがゆえに、突き当ったり陥ったりしがちなパターンもあると思って――、ブログでは自分自身への留意となるポイントも含めて、指摘になるようなテーマも書いています。

 でも、そうして書いたブログが、ししさんの目から、相手を想定しながら「叩いている」ようにしか読み取れない文章であったならば、それは書き方にうまくないところがあったかもしれないです。済みません。


 「道しるべの前にとどまって、指しているものを見ない」というのは――

 たとえば、イエスが「神の国はあなたがたの中にある」と、私たち一人ひとりの神性を指す言葉を語っているのに対して――、「キリスト教の神とは」とか「ユダヤ社会における神の国」について論じたり、またイエスの存在の神聖さや偉大さについて説かれる一方で、私たちの中にあるそれそのものに目を向けようとあまりしない、といったことです。
 そのようなケースは、色々とあると思います。

8457
あおむし様

 こんにちは!

 ブログのランキングを見ていると、色々ありますよね。

 何かを「やめる、やめない」は、自らの決断もあるし、全体の流れの中で適切に進んでいくこともあるでしょう。

 素直なあり方で将来をイメージしているうちに、何らかの形で方向性が示されると思いますよ。

8458
ぼん様

 コメントを有難うございます!

 小学生の娘さん、何とも率直で面白い表現ですね。
 でも、とても適切な言い方と思います。


 うちの息子が幼稚園のころに、何かの話の流れで「どうして人は生きているの?」と尋ねてみたら、ピョンピョン跳ねながらきっぱり「たのしいから!!」という答えでした。

 高校生の今は、考え方も色々と複雑になってきましたが…。

8459
666様

 こんにちは!

 「自分の正しさの尺度にこだわらない」といったことが記事のテーマでもあるのですが――、

 そこから逆に「自分が正しくて、他人が全部間違っていると思っている」というとらえ方になるというのは、何かちょっと残念ですね…。

8460
例えば一本だけとび出ている毛のことを
「アホ毛」って言います。ただの毛なんですけれども。
そうやって、違うものとして扱い記号化(言語化)する
ことができるのは言葉を扱う
人間だけのものなのでしょうね。
取り扱うものが似ているがために、揚げ足取りしたくなったり、意図するところを間違えてしまったりしますね。

さて、今回発言者が、「*」を「※」と言えばそうなのだ。
如くマルセル・デュシャンの
「泉」を思い浮かべました。
ちょっとアート視点でした。

8461
光奈さん

コメント欄で、主にClary Sageさんが取り上げて、それに光奈さんが合わせる形で、よく叩いてませんか。三大宗教を始めとして、組織化した信仰集団に向けた、過激な発言を、特に今回のコメント欄でさんざん見た気がしますけど。Clary Sageさんがやっかいだから、「共通の敵」として、曰く言うところの「愚鈍な組織宗教リーダーとその愚鈍な信者」を、光奈さんも調子を合わせて叩いておけば、大人しくしててくれると思っていませんか。
宗教は人が自分の心のエネルギーを全て託しているものですから、あまり脇から大声で軽々しくヤジってばかりいると、しっぺ返しは来ますよ。
真剣で冷静な問題提起ではなく、問題解決への具体的働きかけでもない。
「叩き」「悪口」とか、「批判」というものでしょう。

8462
yuki様

 こんにちは!

 「アホ毛」というのは知りませんでした。

 一方で、体のどこかに1本だけ長い毛が生えているのは、「福毛」とか「宝毛」と呼んで、縁起が良いものとされてますよね。

 ただの毛なのに、意味づけも呼称もずいぶん違うものです…。

8464
しし様

 こんにちは。

 ししさんが言われる「調子を合わせている」とか「愚鈍な組織宗教リーダー」というのは、まったく思いもよらない意見です…。

 キリスト教については、祖父も母親もクリスチャンですし、僕自身はキリスト教系の学校に10年間通って毎朝礼拝をしていましたから、自分の考えとしては述べても、「叩く」「悪口」という意向はないです。

 ししさんのお気に障る無礼があったのでしたら、申し訳なかったことをお詫びします。

8466
光奈さんが私に合わせて叩いているという気はしないですね。
私の祖母もクリスチャンでしたし、個人個人に対しては批判的な気持ちはあまり無いんですけどね。一般的に、クリスチャンは良い人が多そうなイメージもありますし。
ただ、総体的に言うと「組織宗教はないに越した事はない」というのは昔から思っています。
そもそもスピリチュアリティに深い関心を持つ人で、組織宗教を積極的に賞賛する人はまずいないと思います。(受容している人は多いでしょうが)
例えばシルバー・バーチなども、キリスト教に対して相当辛らつな事を言っていますね。

私は、組織宗教に入信したり信仰を持つというのは個人の自由だとは思っています。だから、ブログの書き手が例えば敬虔なクリスチャンだったら「組織宗教は無くなった方がいい」といったコメントは書かないですよ。
それに、「誰かが心を傾けているものを批判するとしっぺ返しを食らう」なら、スピリチュアリティを批判したり野次ったりしている人達なんかも皆しっぺ返しを食らいますね。
それに、対立している宗教や宗派の人達もそうですね。何と言っても相手が心を傾けて信じているものを批判したりぼろくそに言ってるんですから。

ところで、私がやっかいかどうかはともかく、ししさんも相当「やっかい」と思われる事を何度も書いてますよ。自分で気付きませんか?

8486
おみくじを引いたら
「水至って清ければ則ち魚なし。人至ってあきらかなれば則ち徒なし。」
とのお言葉でした。

8489
しーや様

 こんにちは!

 僕がよく参加する座禅セミナーをの会場(公共施設の和室)に、なぜかその言葉の額が掲げられています。

 本来の意味は、「清廉潔白さににこだわりすぎる人は、親しんでくれる仲間が寄ってこない」といったことですが――、
 座禅セミナーのときは「空の意識には、余計なマインドはとどまることができない」という意味が思い浮かんで来たりします。

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。

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