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 僕がサラリーマン生活を辞めたのは、息子が中学3年のときでした。

 それから息子は高校に進学。
 早期退職してからは僕が家事全般を担当することにしたので、息子の弁当は毎朝僕が作ってきた。

 そして、高校3年の2学期末が近づいた先日、「最後の弁当」を作り終えた。やれやれである。(ラストのメニューは、すき焼き風の「牛肉弁当」)

 「これから先の人生で、もう子供の弁当を作ることはないのだな」と思うと…、戻ることのない家族史の一節が過ぎて行ったような、ちょっとした感慨を覚えるものですね。

 息子も、帰宅して空の弁当箱を洗い場に置くとき、サラッとした口ぶりで「3年間ありがとう」といちおう言ってくれた。


 ちなみに、一緒にPTA役員をやっている人で5児の母親がいて、一番上の子が幼稚園のとき以来、実に20年以上も毎朝弁当を作り続けてきたそうだ。
 そして先日、一番下の娘さんの「最後の弁当」を作り終えて、ほぼ四半世紀にも及ぶ弁当作りが満了した。

 それに比べると、僕の「子供1人分を3年間」なんて、ほとんどものの数に入らないかもしれない。
 でも、「やるべきことを一通りやり終えた」といった実感は、それなりにやはりあるものだ。

 相当に言い過ぎだけど、どことなくの感覚として、「今生のひとつのカルマを片付けた」くらいの気持ちさえするような…。


 「弁当」って、見た目にも味わいにも、素晴らしい良さがありますよね。最近は海外でも「BENTO」と言うみたいだし。

 でも、その本当の「見えない真価」って、実は弁当を「作る」こと(家族とかのために毎日毎日作り続けること)にあるのではないかなと、思ったりもする。


 大がかりではないけれども、一食分なりの手間をかけて調理して、コンパクトな箱の中に配膳するように詰め込んで――、それを家族に手渡して、出発していく姿を見送る。

 戻ってきたら弁当箱を受け取って、洗って乾かして、翌朝に再び作ってというのを、何年間も繰り返していく。


 そこには、毎回言葉にはしない作り手としての思いや、表現や、結び付きなどが、少なからず込められている。
 特別な愛とまでは言えないけれど、とても具体的で確かな行いが、日常生活の課程の中に積み上げられていく…。

 「そうすることによってしか果たせない何か」が、無意識の世界の中で、少しずつ果たされていくような気がする。


 ほかにも例えば、家族の洗濯物を一枚一枚干したり、それぞれの部屋の床掃除しているときなどにも――、「意味をとらえきれない小さくて大切な何か」が、わずかながらも着々とどこかでやり遂げられていくようにも思える。

 こういうのが、ブログの標題にもしている「行為のヨガ」でもあるのかな、というふうに感じますね。


 ときどき「主婦の家事労働を賃金に置き換えてみると」といった試算を目にするけど――、
 そんなこと以上に、「見えない世界に積み上げられていく働き」としては、主婦業って実のところものすごく「価値や収益性の高い仕事」という一側面もあるのではないかと思います。

 もっとも僕自身、そこまでのやり甲斐や実感をもって日々の家事をしているわけでは、もちろんない…。

 でも、「最後の弁当」といった一区切りに、そうした日常に込められた魂のニュアンスのようなものが、ふと心をよぎったりするのは、大切な瞬間だと感じます!



 結びのヒーリング・ミュージックは、Soren Hyldgaard「Children's Playground」。
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  ☞ コメント:36

 
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コメント
8795
愛山盛りのお弁当つくり。お子さんにとって。
きっと。ずっと 身こころの支えになりますね。
一幕お疲れ様でした。

8797
読んでで心が"じーん"ってきました
読んでいて、とても感慨深いです。奥さんの弁当を食べている身としては、作る側の目線で持って振り返ることも必要ですね。

1つのカルマ卒業おめでとうございます!!

8800
kuu様

 こんにちは!

 弁当作りがないと、朝の家事がずいぶん楽になりました!
 多くの主婦が経験して感じていることなのでしょうね。

8801
先日読んだ本のなかに、こんなくだりがありました。
ある禅寺にはりきって修行にきた新参の雲水さんが、お坊さんに「一日も早く悟りを開くために、私はどうすればいいのでしょうか?」と尋ねたところ
「まずは、いま食べ終わった食器を洗うことです」
と言われたそうなんです。

つまり、悟りを開くためには、そのために特別な「何か」をする必要などなくて、目の前にある いま、自分のすべきことをただ無心ですること。
そうしていくうちに、あるとき「はっ!」と 宇宙の真理に気づく(悟る)のだ、と書いてありました。

すべてのもの(存在)が、大いなる意志のもとに完璧に動いていて 自分もただただ、その流れの一部分(パーツ)であることを認識して その風景に溶け込む(その一部となる)ことで ある日突然、「知る」瞬間が訪れるということです。

そんなお話を光奈さんとシェアしたくなりました^^



8802
みつき様

 こんにちは!

 愛妻弁当ですか。素敵ですね!
 僕はサラリーマン時代はいつも外食(主に立ち食いソバ)でした…

 弁当を作っている立場としては、毎日感謝してもらう必要はぜんぜんないけれど――、
 たとえば1年が終わった仕事納めの日に、帰宅して空の弁当箱を渡すとき、「1年間どうもありがとう」の一言はあると嬉しいですね!

8803
「家事」って
やめてみると、その重要さがよく分かるものかもしれないです。
例えば一週間すべての家事をしなかったら、その価値や意味が目に見えて、体感として分かると思います。
健康と似たようなものかも・・・。

8804
3年間、お疲れさまでした!
わが家の末っ子も高3ですが、
まだ「最後」ではなく・・・
もう少し続きそうです。

作らなくてもよくなると
ちょっと楽になりますが、
同時に、
ちょっと淋しいかもしれないですね・・・

8806
じゅりあーの様

 こんにちは!

 素晴らしい視点だと思いますね。目の前のやるべききことに無心に取り組むことによって、宇宙の流れに気づくって――

 
 聖フランチェスコの祈り「主よ、私を平和の道具としてお使いください」という言葉も好きです。
 大いなる存在のパーツとなることで、小さな自我はもはや存在し得なくなっていくのでしょう。

8807
Clary Sage様

 こんにちは!

 いちばん大きな話が、「死んだ後で、この世の価値や意味が分かる」ということでしょう…。

 そのいわば「プチ版」を、家事とか、健康とか、人生の転機や人との離別とかで、経験しているのかもしれないです。

8808
アルまま様

 こんにちは!

 そうですか。学校によっては、高校3年の3学期も弁当が必要なところも多いでしょうね。
 もうしばらく頑張ってください!


 でも確かに、弁当を長年作り続けてきた主婦の中には、「家事ロス」とも呼べるような欠落感を覚える人もいるでしょうね…。

 それくらい、弁当というものの存在感や意味って、大きいと思います。

8809
参りました!
そうすることによってしか果たせない何か……。
意味をとらえきれない小さくて大切な何か……。
日々の暮らしの中で、これらを、
男性の広大さんがおっしゃるのがすごいと思います。
主婦にとっては千人の味方を得たような……。

無意識の世界の中で、少しずつ果たされていく……。
これも、私なんかは場数と年季を踏んで、
やっと解ったことでした。

距離のある場所で菜園やってる夫と、
自分のための弁当を今も作っていますが、
結局のところ、弁当は安くて美味しい。

仕事に忙殺されていた時代だと、
主婦業は『面倒なことの集合体』なんて思っていたのに、
なんと変わったものです。


8810
行為のヨガ
こんばんは。
まさに "Be mindful," "Be here now" の世界の言葉になりますね。
感謝。

8811
 弁当を題材にしたスピリチュアルな語りは相変らず見事です。
弁当自体も一見するとつつましく、好感が持てます。
しかし、弁当そのものの中身を良く見ると、?? なところもあります。

第一に獣肉がある。目玉焼きとか焼魚の方が良かったのではありませんか。
第二に白米がある。玄米でも電気炊飯器で柔らかく炊く方法があります。(水を入れた状態で一定時間保温して発芽玄米にし、連続して圧力式の玄米メニューで炊く)
第三に、このたくあん、人工甘味料を使っていませんか。私なら蜂蜜を使った梅干にします。
第四に白米を使うなら揉み海苔を乗せた方が風味的に良くなります。(海苔巻き御握りを思い出して下さい)

 何時ものことですが、私が言いたいのは、このコメント欄には広大さんの記事の良いところも悪いところも同じように(在りのままに)見れる人は殆んどいないということです。いても Korva さんのように遠慮してコメントしません。そんなレベルで複雑怪奇な政治・経済や偽情報が氾濫するネットの世界(総じて悪意が渦巻く外の世界)を正しく認識し、判断出来るでしょうか。あなた方にこの神国日本の未来を委ねられますか。

8813
お弁当
私も長いこと家族のためにお弁当を作り続けてきました。
人のために何か自分ができることがあるのは幸せなことですね。


8814
風子様

 こんにちは!

 菜園や家の庭仕事にも、「行為のヨガ」的な要素がありますよね。
 夫婦でとても素敵な時間を過ごされているのですね!

8815
yokoblueplanet様

 コメントを有難うございます!

 まさしくマインドフルです。
 とはいえ、忙しく料理をしながらそう在り続けるのは、まだまだ難しいですね…。

 禅寺では、修行が進んだ僧だけが厨房に入れるそうです。

8816
666様

 こんにちは!

 僕の作る弁当は見た目にほとんんど「高齢者食」っぽいので、ちょっとは記事内容の「高校生の弁当」らしく見えるように、絵はアレンジして色付けしました。

 うちは玄米です。肉食については徹底したこだわりはしていないですけど、普通の家庭より野菜や魚料理がかなり多いと思いますよ。

8818
みぃー様

 コメントを有難うございます!

 人のために何かできることは、大きな喜びですよね。
 同時に、多くのものを喜んで受け取ることも、本当に大切に思います!

8822
今晩は。

私はいわゆる主婦業はこの世で一番やりがいがあり、素晴らしい仕事だと思っています。

なぜなら、(子供があるなら)子供の成長を支えることであり、また応援することでもあるからです。そして、夫(妻)、または家族の支えになり、応援することでもあります。

真の心から人を支え、応援できる仕事はこれ以外にありません。これはお金の価値観では到底表わすことのできない重要かつ素晴らしい仕事であると思うのです。

それなのに今の日本はなんてつまらない価値観に汚染されてしまったのでしょう。真の主婦業はお金に換算なんかできません。(すべきでもありません。)

家を守るものがあるから家族は安心して成長できるのです。

今の日本の家族崩壊はこの真の大黒柱の不在が原因だと私は思っているくらいです。

お弁当作り、お疲れさまでした。作り続けることの意味と重要性はいただくものの心に残るものです。そしてそれが生きる力になっていると私は思います。

8827
なにげなく
はじめまして。
つまらないコメントです。読み流してください。

仕事をしながら、2人の娘がいました。
やはり、高校のとき、お弁当だけは…と思い、毎日作っていました。
ある日、娘が、『一回でいいから、学食で食べたい。』と言ったとき、ちょっとショックだったのですが、
半面、がんばらなくていいんだ・・とも思いました。
それ以来、時々、どうしてもしんどい時は、学食にしてもらったのですが
今独立した娘が、時々、『お母さんのお弁当が食べたいな~、』ということがあります。
それなりに、思い出があるんですよね。
私にも、お弁当がちょっと母親らしい、思い出になっています。
このブログを読ませていただき、懐かしく思い出しました。
ありがとうございました。

8829
弁当の思いで
中学の同級生が、話した弁当の思いで

母親が、遠足のお弁当を作り忘れたことで大喧嘩
急いで学校に行き、しばらくすると母親が、タクシーを飛ばしてお弁当を届けてくれた
バスの中で、有り難さに涙が出る想いだったらしい
弁当の時間になり、ワクワクしながらふたを開けると
真っ白いご飯に、梅ぼしが、一個だけ
すぐにふたを閉め、誰にも見られないように食べたらしい
爆笑
話を聞いた友人らで、梅干しの気持ちと母親の気持ちを語って笑ったものです 
懐かしく思い出しました

幼稚園の主任の先生の話
火曜と木曜が、お弁当の日
mちゃんのお弁当のおかずが気になる
毎回同じ 弁当のおかずに口出し無用だが・・・
思い切ってお母さんに話した
主任  「おかずが、ゆで卵1個じゃ少なくないですか?」
mちゃんの母「そうですか~?考えてみます」
すると 次のお弁当日
mちゃんの弁当のおかずが(ゆで卵が2個になっていた)
笑えるけど笑えない本当にあった話

そして、我が家
高3の息子の弁当は、特別な日だけ
弁当代250円(校内販売)と手作りおにぎり2個です

親戚の集まりで、腕を振るって重箱料理を作りました
「手作りなの~すごい-」と褒められ気分をよくしている時
「蒲鉾は、どうやって作ったの~」義兄の声
私「それは、買ってきて切っただけ」
義兄「それじゃー自分で作ったことにならないでしょう」
私「蒲鉾作る人もいるの?」
義兄「祖母は作っていたよ 魚からすり身にして」
叔母「母は、豆腐も味噌も梅干しも自分で作っていた」
明治生まれの女性と比較されてもな~

蒲鉾を、ネット調べて暇なときに作ろうかと思っていましたが、今年もあと数日
来年、暇なときに挑戦します

主人から、料理作ってもらった記憶ありません
きっと、息子さんも、奥様も感謝の気持ちでいっぱいですょ

8830
光奈さん、こんにちは。
今日はとても天気のいい日、洗濯をして干しました。
何だか幸せな気持ちになりました。

先週の日曜は翌日の絵手紙教室準備でバタバタしていました。
無理をしたのか、久しぶりに喉がおかしくなり、声がガラガラに。
無事教室が終わり、翌日はまずはゆっくりして、
パズル作成、年賀状作成に頑張るぞーと思っていたら、
その日の夜に、妹のお義母さんが亡くなりました。

2年位施設にお世話になっていたお義母さん。81歳で旅立ちました。
家族葬を行うことになり、安置場所から始まり、打ち合わせなど
私も家族の一員として立ち合いました。初の家族葬、勉強になりました。

参列者13名のお葬式。ホンワカムードのいいお葬式でした。
認知症のお義父さん、ダウン症の弟さん(妹のだんなさんの)も参列。
ふたりともお元気そうで、お義母さんも安心して旅立ったことでしょう。

姪っ子(光奈さんの息子さんと同年)たちも当然参列。
姪っ子と、自分の顔は自分が見ることができない
という話などで盛り上がりました。

話変わります。今月の初め頃にマラソン大会があり、
妹が出張中だったので、中学生の姪っ子の弁当を母と作りました。

今年はマラソン大会の応援に、声援以外に貼り紙とプラカードを用意。
姪っ子の同級生から、後日良い反応があったようで、
姪っ子に、来年もやったらと言われました。ちょっと嬉しかったです。

今年は本当に色々なことがありました。
母入院で、のんびり散歩ができること(日常あれこれ)の幸せを実感。
ここでもご報告した貴重品紛失騒動から始まった2015年でした(笑)。

この15年間ほど父母とともに姪っ子たちの世話をたくさんしてきました。
素晴らしい経験でした。楽しかったです。思い出いっぱいです。

光奈さん、3年間のお弁当作り、お疲れ様でした。

8834
沢山の思い出
光奈様

優しい色使いのステキな絵も楽しませて頂いています。

お弁当の思い出・・となると、話題が尽きませんね。
私の中学生の頃は、まだ、御米を作っている農家が
沢山ありました。
稲刈り時期には、農家の子供達は休暇が貰え、何日かして学校にでてきます。
その時のお弁当が餡のたっぷり絡まったお餅なのです。
お餅大好きな私は、自分のおかずと物々交換してもらい
喜び一杯で頂きます。

光奈さんから出されたテーマと、色々な方のコメントからも、とても良い刺激を頂き、ありがたいです。

これからも、よろしくお願いいたします。

お弁当作り、ほんとにほんとに、ご苦労様でした。

8835
お疲れ様でした!!
こんばんは
毎朝のお弁当作り 大変でしたね。
残念ながら 息子の最後のお弁当の日が記憶にないですね。
ダンナと高校に進学したら娘もお弁当になるので
記憶に残るようにしてみようかな と思ってみました。

8838
こんばんわ☆
息子さんの「最後のお弁当作り」お疲れサマでした☆彡

私も幼稚園生の息子と高1の娘のお弁当作りをほぼ毎日やっていて。。忙しい日などは「早くお弁当作りから解放されたいっ!」と日々義務的にこなしている感が強いのですが。。

広大さんのこのエピソードを読んで~
私もいつかやって来る「最後のお弁当」を作り終えた時のことをふと考えたら。。とても感慨深い気持ちになりましたっ☆

食事の準備などは、作り手のその時の想念などによって、出来上がりのお料理の栄養価なども大きく変わってくると聞いた事があります。

だから☆なるべくポジテイヴな気持ちでお弁当や食事の準備をしようとは思っているのですが、毎日の事だとなかなかそう思えないことも多くて。。
なので広大さんのエピソードを読んでしばし反省_(._.)_

きっとお弁当作りは、実は親として愛情を子供に伝えられる
ステキなセレモニーなのかもしれませんねっ♥

8843
ひまわり様

 こんにちは!

 第一線の「ビジネスマン」と「主婦業」との2つをじっくりと経験できたことは、僕にとって「今生の大きな収穫」だと感じています。

 ただ、僕も大手企業でバリバリ働いていたときは、主婦の立場を理解していたわけではぜんぜんなくて…
 そのへんの反省や気付きについて、過去記事に書いたこともあります。

http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-232.html

8844
anne123様

 コメントを有難うございます!

 いいですね。娘さんが独立してもなお「お母さんのお弁当」味を大切に覚えていらっしゃるなんて。
 人生のかけがえのない思い出でしょうね!

 ちなみに僕の場合、中学からずっと学校の寮生活をしていたので、弁当の経験は一度もないんです。
 「あの寮のメシをもう一度食べたいなぁ」なんて思うことも、残念ながらないです…。

8845
T様

 こんにちは!

 僕の京都の実家も、明治生まれの祖父母がいたころは、味噌も梅干しもぬか漬けも自家製でした。
 「手前味噌」という言葉があるように、もともと味噌は自分の家で作るのが当たり前だったのでしょうね。

8846
ちゃんみいい様

 こんにちは!

 僕の母親は北海道の農家の育ちで、弁当は大きな「おはぎ」が1個だけゴロンと入っていたことも多かったそうです。

 ただ当時は戦時中だったので、お金持ちの子でもお弁当の中身はほとんどなかった…。

 そこで、お金持ちの子が持っている「バイオリンを1回弾かせてもらう」ことと、「おはぎ1個」を交換する、なんてこともしたそうです。

 母親は生まれて初めてバイオリンに触れられてとても嬉しったと、今もよく思い出を話していますね。

8847
Bigサオリン様

 コメントを有難うございます!

 僕の場合は3年間で弁当作りはきっぱり終了ですけれど…、旦那さんや下のお子さんがこれから高校進学という方も、いくらでもいらっしゃいますよね。
 本当に頭の下がる思いです(僕が敬服しても何の意味もないですけれど…)

 引き続き、ぜひ頑張ってください!

8848
ASAKO HOSHI様

 こんにちは。コメントを嬉しく思います!

 べつに気負いながら作る必要もなくて――、日々バタバタとあれこれ思いながら作っていても、ひと通り終わって振り返ってみると、しかるべき何かが積み重なっている、ということでしょうね。

 人生全般に、そういうことってけっこうあると思います!

8849
あおむし様

 こんにちは!

 家族と身近な親族だけの、温もりあるお葬式という感じが伝わってきますね。

 認知症のご主人と障害者の息子さんを残して亡くなられたとのお話し――、
 色々と本当に大変だと思いますが、でもあおむしさんが言われる通り、ご本人は安心して「すべては大丈夫、何も問題ない」と分かりながら旅立たれたと思います。

8850
こんにちは
お弁当、お疲れさまでした!

日々、義務感で家事をするのと
家族のことを思いながら家事をするのでは
やっぱり、違うんでしょうね
どうせ、家事をしなきゃいけないなら
自分のためにも気持ちよくやろうかなぁ~って
この記事を読んで改めて思いました。


8852
3年間のお弁当作りお疲れ様でした。
主婦業をその様に考えてくださる方がおられると
思うだけで心強くなれます。

以前、専業主婦だった時は
仕事をしないのか、と 
色んな人達から言われ、
いやな気持ちになった事もありましたが、
その時、もし始めていたとしたら、
大切な物を失う気がしていました。

それが、
見えないものに通じていたのですね。

これからも
お互い
しゅふ業 頑張りましょうね^^




8855
honey*caramel様


 コメントいただき嬉しく思います!

 家事をしているときって、自分がいま何を考えたりどう感じているかを「内観」するのに適した時間ですよね。

 そこに心地よさや喜びを見いだせたら、人生そのものの感じ方が変わっていく、大きなきっかけになると思います!

8857
cael様

 コメントを有難うございます!

 主婦業の値打ちって、本質的な大部分は、目に見えないものだと思いますね。

 そのためか、目に見えるもの、換算できるものの価値だけを求める人には、なかなか値打ちが分からないのかもしれないなと思います…。

 僕自身も数年前までは、その「分からない人」の典型的な一人でしたけれど…

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。





http://facebook.com/koudaimitsuna

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