フロントページ   »   スポンサー広告  »  スポンサーサイトスピな散文  »  暗夜の前夜? のつづき
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
web拍手 by FC2
 


 前回からの続きで、僕自身のとても内面的な話です――

 僕はもともと、言語的・論理的な思考活動(いわゆる左脳系)がとても得意なほうだったのだけど、この数年間にその働きが徐々に減衰していった。
 マインドが静まっていくことは、従来の「自分らしさ」が失われていく一方で、内に平穏さが満ちていく、とても心地のいい経験でもあった。

 ところが、数カ月前から思考活動がさらに一段とガクンと低下すると――、どういうわけか、とくに理由のない「胸の苦しみ」が、日に日に強まるようになってきた…。


 僕はいま、ストレスのほとんどない日常を送っているし、悩まなくてはならないような外的状況はまず見当たらない。

 で、そのありありと感じられる「苦しみ」の感覚をじっと眺めてみると――、
 それは最近になって新たにやって来たものではなくて、自分がもの心が付いたころから、大なり小なりずーっと内にあったものであることが分かる…。


 人には、どれほど周りの問題を解決し尽くしても、さらには内的な癒しや浄化を進めても、どうしても消し去ることのできない胸の痛みや苦しみの感覚があるといわれる。

 その感覚は、「私」という存在は「小さな個人である」という認識――、すなわち、周りの世界や、宇宙全体のワンネスや、創造の源泉から切り離されて存在しているのだという、「分離」の認識がもととなって感じられるものだ。

 このことは、スピリチュアル分野の色んな本に繰り返し出ている。
 最近読んだ本の中でもたとえば――、非二元のメッセージで人気の大和田菜穂さんの『すでに愛の中にある』では、こんなふうに語られている。

 「『幻想の私』が、何か足りないという、満たされずに居心地の悪い感覚を生み出す。
 自分が世界に対してとても小さくて無力だと感じてしまうのは、その認識がもたらす感覚が、全体性・一体感とは異なるからだ。この『個人である』という感覚が、収縮したエネルギーとして現れる。それが苦しみの原因だ。
 この収縮したエネは色んな場面で緊張を増幅し、さらなる苦しみを生む。例えば、精神的に嫌な思いをしたときの、このエネルギーが胸を突くような感覚に、心当たりがあるだろう」


 また、これは別分野だけれど、そうした感覚は、死後の魂においても消えずに残っているのだという。
 退行催眠療法のマイケル・ニュートン著『死後の世界を知ると人生は深く癒される』には、次のように述べられている。

 「基本的に、魂が肉体から抜け出たときに、負の感情も消滅する。スピリットの世界の純粋なエネルギー状態に戻ると、もはや憎しみや怒り、嫉妬などは感じなくなる。
 ところが、依然として魂は、悲しみに似た感情を持っている。そのひとつが、『存在の源泉と一体化したい』という強いあこがれの気持ちだ。
 魂の中にあるその負の痕跡は、私たちは永遠性に欠けた要素があることを示している。その欠けているものを探すために、転生して多くを経験していく」


 で、これは自分の内側を観察しながら感じることだけれど――、
 マインドが静まれば静まるほど、私たちの内面は穏やかで何もない「空っぽ」の状態へと近づいていく。
 ところが、「分離」に伴う感覚のほうは、いつまでも消えずに残り続ける。

 その分離に感覚は、ふだんの状態ならば、絶え間ないたくさんの思考活動によって覆われていて、それほど気にはならない。
 でも、思考活動がどんどん空っぽになっていくと――、必然的にやがて、「自分の内には分離の感覚だけしかない」という状況に至っていくのではないだろうか…。

 そして、それしかない分離の感覚が内側でクローズアップされることによって、言いようのない「苦しみ」として実感されることになるのだろう。


 これは、非常にキツいことに違いない。
 すでにマインドが不活性な状態になっているから、思考や行動によってごまかしたり埋め合わせようという意図も出てこない…。

 前回記事で書き表したように、「闇に覆われていく中で、むしろその闇からずっと抜け出したくないような、何とも動きようのない状況」という感じである。

 とても不謹慎で変な例えだけれど――、6年前にペルーの鉱山で、地底630メートルに作業員が閉じ込められるという大事故があったけど、僕はその様子を想像しながら、「それくらい光もいっさい届かない、地上の活動も時間も関係のないような深い闇の中で、もし一人でずっと動かずにいられたら、気持ちが楽だろうな」なんてふうにも思えてしまう…。


 でも、これってまるで、臨死体験者が天国に行く途中にあったと証言する、死後の闇の場所ですよね。(エベン・アレグザンダーの本だと「ミミズの目の世界」と呼んでいる)

 死後世界にはそもそも「時間」というものがなく、そして「変化」が起こらないから、迷った魂はその闇の場所から出ようとせずに、いつまでも延々ととどまり続けるのだという。
 人々が昔から言う「地獄」とは、まさにその場所のことだとうと臨死体験者は語っている。


 でも、この世に生きている状態の場合は、幸いにも時間と変化があるから、そんな内的な闇の中に延々ととどまっているわけにはいかない。
 健康体で、家庭もあり、何らかの役割がある以上は、それなりに思考と体を使いながら、色々と「起こってくること」に現実的に対処しなくてはならない。

 そうしたいわば、「闇にとどまらない選択をする」という点において、この次元の時間や変化は、きっと貴重なのだろうなと思いますね…。


 僕の場合は、そうした核心的プロセスにはもちろんほど遠いだろうけれど――、いわゆる「意識の目覚め」を体験した人の中には、それが起こる前に「魂の暗夜」とも呼ばれる、精神的どん底を経ていくケースが少なくない。


 例えば、キリスト教徒として「神との合一」を体験したアメリカ人女性のバーナデット・ロバーツは、その体験が起こる前に、自己も神も見失う「虚無の深淵」を歩んだことを語っている

 また覚醒者とは違うけれども、マザー・テレサは親しい神父に宛てた手紙で、自らの心の内についてこのような告白をしている。

 「私の心の中に恐ろしい闇があるために、まるですべてが死んでしまったかのようです。私がこの仕事を始めるようになって間もないころから、この状態がずっと続いています。内面はすべて闇で、神から完全に切り離されている感覚です。
 私の信仰は、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。心の底には、虚しさと闇しかありません。主よ、この得体の知れない痛みは、何と苦しいことでしょう。絶えず私の心は痛みます。私には信仰がありません」

 人類愛の現れとも呼べるようなマザー・テレサとは、とても思えないような心の闇ですよね…。


 ほかにも「意識の目覚め」を体験した人には、精神疾患や、病気や事故、身内の不幸、経済的トラブルなど、苦しまざるを得ない具体的な状況に置かれ「魂の暗夜」を経験したという話は本当にとても多い。

 そうした体験談を読んでいて思うのは――、その内なるエネルギーを癒しましょうとか、ポジティブにとらえようとか、こんなテクニックで苦しみを克服しようといったアドバイスは、ほとんどまず述べられていないことだ。
 せいぜい触れられているのは、「祈り」とか、導きや恩寵を「信じる」ことの大切さくらいだろう。


 苦しみのおおもとの理由が「分離」の認識であるならば、その分離している自己がいなくならない限り、苦しみも消えないということになる。

 つまり、その苦しみに対して、自己は何もできない。
 ただ潜り抜けるしかない。過ぎ去るのを待つしかない。ゆだねるしかない。
 ――ということなのでしょう。


 でも、そのような「魂の暗夜」を経ずに意識の目覚めを体験する人は最近増えているようだし、暗夜における「闇の深さ」のようなものも、軽減されてきているのではないかとも思います。

 魂にとって、闇夜の短い「春の季節」の訪れならば、嬉しいものですね。



 結びのヒーリング・ミュージックは、Lifescapes「The Dawning Pt. 2」。
web拍手 by FC2
  ☞ コメント:24

 
次の記事→
無我は無情か
←前の記事
暗夜の前夜?
コメント
9122
光奈さん、こんばんは

一月になってから大和田さんの動画漬けとなり、そのうちその音声を
iPhoneに入れ持ち歩いて聞いていました。
何故かは知りません。
”ただ、それが現れている”のだろうと^^
そして先週、何気なく入った本屋で彼女の本を偶然見つけたので
縁を感じて読んでいました。

まさに思考が鈍くなっている感じと、胸のどこかが重苦しい感じ
(そして脈が速くなることも時々突然あります・・これは歳のせいか)

最初は「幸せってデフォルトで備わっていたんだ、ただ在るだけで
私たちは完全なんだ。これこそ福音だ」だけでしたのに。

勿論、今もその内面に「シン・・・」とした部分があるのですが
それが彼女の言う「これ」なのかはわかりません。

そこに時折胸にわき上がってくる暗い感覚は何だろうと思っていました。
見ないようにしてやり過ごそうとしてきたいわゆるインナーチャイルドの
ようなものか
それとも今回の記事に書かれてある様なものなのか
ひとつのヒントをありがとうございました。

9123
究極のドM
これを読んでいて思いました。私も同じような気持ちです。統合性の真実を知ったように見えて、実は分離したままの自分がいる。そんなこんなで3年間、以前よりは楽ではあるものの、何故こんなことをしているのかと言う自分の統合とはかけ離れた一面は決して終わることがありません。

ただし、その一方で それもまた勝手に起きていることで 実はこれこそが本来の自己が体験したい世界なのだという強い確信が私を助けています。

辛い自分がまた好き、と言う究極のドM野郎 と言うことみたいです。


いきなりのコメント、たいへん失礼しました。

9124
そして・・
言葉を持ち歩くことに意味はないけれど
『・・・苦しく感じられるのは、幻想の「私」が、それらが自分に起きていると受け取るから・・』
『このメッセージは、どんな経験を持ったかを気にする人の消滅を言っている・・』
大和田さんの言葉は、とりつくしまもないほどバッサリと言い切っていて
その強い言葉のシャワーが今の私にはとても気持ちいいのです。

「知りたい」「手に入れたい」「苦しい」「悲しい」というエネルギーが
消えた時、全てが残る・・・ 

今の光奈さんが感じていらっしゃる感覚が削ぎ落とされた時、全てが残るのでしょうか? 
最後に残っていた感覚なのでしょうか?

9125
fijiwara様

 こんにちは!

 大和田さんや、じゅんころさんの動画って、本当にとても面白いですよね。

 昨年に出はじめたころは、批判的に言う人もけっこう見られましたけれど…、
 でも内容は原始仏教とかとほとんど一致していますから、あらためて論じ立てるようなものでもないように思いますね。

 それが体現されているのはとても特別なことですが、今後そうしたメッセージが広く当たり前になっていくことでしょう。


 そぎ落とされたあとも「残るもの」は、きっとないだろうと思いますね…。
 残ったもの、残しておきたいものというのは、さらにそぎ落とされていくべきもののはずです。

9126
トクマルイ様

 コメントを有難うございます!

 有名なエックハルト・トールも、精神的にひどく病んで「暗夜」を経験した人です。
 その自らのプロセスを、彼は「十字架の道」と呼んでいます。

 そして、「十字架の道」は旧式の方法であり、つい最近まではそれが唯一の方法だったが、人々の意識レベルが高まっていく今後は、苦しみを要とする「十字架の道」だけが唯一の方法ではない、というふうに語っています。


 そうした辛さも、たぶん「終わりやすく」なっていくのかなとも思いますね。

9127
確かに‥‥。
この状態を超えられるのは『祈り』しかないと思います。
しかも、導きや恩寵を『信じる』しかありません。

それを100%信じながら‥‥。
そんな自分を抱きしめ、
体の全細胞を耳にして(脳ではなく)、
心をオープンにしたまま(ゆだねて)時を待つ。
そんな感じだと思います。

『切なさに似た孤独感』が『分離の認識』だったと知るのは
その理由に気づいた後のこと‥‥。
理由を知るのは、やはり異次元体験(離脱など)しかないかもしれません。
何百冊の霊的な書物、文献を読み漁っても、
やはり体験には及ばないでしょうから‥‥。

おっしゃるように最近、
「魂の暗夜」を経ずに意識の目覚めを体験する人が急増していますね。
テーブルのコップが落下する瞬間に、
その状態がスローモーションビジョンになって
『解っちゃった!』みたいな人も‥‥(◎ー◎;)

昔、『夜明け前』というタイトルでエッセイを書きました。
自らの内的な暗闇を記録しておくためでした。
人生の出来事も、内的な側面も、
夜明け前がもっとも暗いです。
ですが必ず、日はまた昇る、ですよね。

求めているものが聖なる方向であれば、
その暗闇って、心地悪くはないものですが、
ただ無性に切なく哀しかった記憶があります。

光の源に帰ってひとつになりたい‥‥。
それはたぶん、魂に刻印された郷愁なんでしょうね。 ( ^^)人(^^ )


9128
>神との合一

というよりは「神と同じ場所に立つ」ということなのかなと思います。
別の言い方をするなら、神を貶め人の場へと堕とす、ということなのかなと思います。
仰ぎ見ていた相手と同じ目線に立つ。
それは信仰心を持っていた人間ほど罪深いことのように感じたのかもしれません。
けれど、誰かはこういうのだと思います。
「何を恐れる必要がある。決めたのだろう、我と同じ場所に立つ、と。違うか小娘。その虚しさも闇も苦しみも背負って見せろ、それがこの場所に立つということだ。誰にも守ってもらえず、誰に頼ることもできず、誰にも理解されず、…、お前は理解してくれるというのだろう?」

個人的には、帰るべきは光の中ではなく、光の隣じゃないのかなと思います。
光が見えるということはその周りは闇。
光の中で生き守られるより光の隣で生きたいと願うのは傲慢なのでしょうか。
かつて光に弓引いた誰かは、自分もまた誰かの光でありたいとそう願っただけなのかなと思います。

話がそれてすみません

9129
風子様

 こんにちは!

 自らの内的な暗闇を記録しておくためにエッセーを書かれたって、大切なことですね。

 マザー・テレサの「私の内には闇しかありません」という告白も、むしろ私たちの救いになるように感じます。

9130
野良猫様

 こんにちは!

 独自の物語的な世界観をお持ちですね…。

 おそらく、私たち自身が「光」であるのに、「光の隣で生きたい」と願って、そうなれる状態を探し求めているという図式だろうと僕は思います。

9131
ふさぎ虫
光奈さん、こんにちは。

まず、fujiwaraさんの「突然の速い脈」。最近私も何度か。
すぐにおさまるのですが。やはり年のせいかしら。

さて、前回の記事の時に、ふと思い浮かんできたのが、
五木寛之氏が語っている「ふさぎ虫」のこと。

以下は五木さんの文章からの抜粋です。

人の一生というものは、血沸き肉躍る日々の連続ではありません。得体のしれない味気無さに胸を噛まれることもあります。それを昔の人は暗愁と呼んだ。

辞書には、「暗愁---暗い思い」といった説明がありますが、この「暗」は暗いことを言うのではありません。「いずこより訪れるかわからぬままに」とか「どこからともなくやってくる」といった語感でしょう。

ロシア語に「トスカ」というのがあります。二葉亭四迷は、それを「ふさぎの虫」と訳しました。ポルトガルで「サウダーデ」ブラジルで「サウダージ」といったりするがそうかもしれない。

人生は暗愁に満ちている。そんなことないよ、と元気に笑っている人も、いつかは必ず「ふさぎの虫」にシクシクと噛まれる時が来ると覚悟しておいたほうがいいのです。

私の経験では、そういうときに自分を支えてくれるのは、力強い励ましの言葉ではありません。

失意と暗愁とはは違う。失意にははっきりとした理由があります。しかし、いずこよりともなく訪れる人生の暗愁には、偉大な先達の励ましの言葉も、なかなか届きません。・・・・・


「ふさぎ虫」は遠い昔から誰もが心の中に抱える思い。
光奈さんが感じられているのが「ふさぎ虫」かどうかは?ですが、
今回、光奈さんが「ふさぎ虫」を
別の角度から記事にしてくださったような気がしました。

9132
潜在意識というヒーロー
6年前のペルーの鉱山事故の時、「深い闇の中で、もし一人でずっと動かずにいられたら、気持ちが楽だろうな」と思ってしまった・・ 
  病んでいます(ごめんなさい 🙇)
 その後に、会社を辞められて(正解)現在に至っている

最近もまた、「その闇からずっと抜け出したくないような、何とも動きようのない状況」という感じである
 
 死後の闇の場所と似ていると 判断したのなら
自分が持っている鍵で、自分で開けるしか方法はありません(女子大生いわく)

 困難の中にあり、自分の力の限界に達すると「もうダメだ・これ以上進めない!」と思えるような時
そんな時に、ヒーローのごとく潜在意識なるものの助けがやってくるそうです。

 手を合わせて祈る先に、人間を超えた存在が
見守ってくれている 応援団長ごとく・・フレ~フレ~
(明日の、私大の受験頑張れますよう!)とかね・・

 小6で、人生諦めた末娘は、道を歩いている(野良猫)を見て
(偉いな~ 私よりもこんなに小さい猫でさえ、一人で頑張って生きている )と思い 前向きに歩き出したそうです
 
今日一日、仕事しながら なんてコメントしようか?
なんてことばかり 考えていました。
 皆さんのコメントが、本当にうれしく感じます

9133
こんにちは
おそらく同じであろう苦しみが自分にもずっとありますよ。うまく文章に表現されているので、ありがとうございますという感じです。 
月並みですがいわゆる”覚醒”とよばれるものが唯一の根源的解決なんじゃないかなあと自分的にはおもいますが本当のところはわかりません。
それと、ちょっとまえからyoutubeでラマナマハルシの朗読を聞いています。覚醒の感覚が実際どういったものか全くつかみどころがないと思っていたところだったので、自分的に少しなるほどと思えたこと。 
人間には眠り、夢見、目覚め の三つの状態があり、そのなかの眠りの状態が極めて覚醒に近い。心が機能停止しているため、自と他、光と闇、天国地獄、といった区別の概念そのものがない。
たぶん現代的に言うと、眠りの状態がノンレム睡眠で夢見の状態がレム睡眠ということだと思います。三つの状態のうち夢見と目覚め(普段我々が現実と称している世界)の二つの状態が想念というか、心によってつくりだされる幻影の世界(分離、幸と不幸のシーソーゲーム)いうことのようです。
それと少し前から思っていることですが、夢をみているときって明晰夢の場合を除いてですが、夢そのものを完全に現実と考えているんですよね。もし私たちが現実と呼ぶ次元において起こったら突っ込みどころ満載なキテレツな事象さえもすんなりと受け入れている場合が多く、そのままわけのわからない物語が進行していくというパターンが多いです。夢の次元の真っただ中ではそれが夢にすぎないということに気づくのが難しい。現実とよばれる次元でもそれが夢に過ぎないということに気づくのが困難なのであろうと思いました。 
夢の中で突っ込みどころで突っ込まないでそのまま受け入れて進行していくのはまさに確固とした自己など存在しない証拠かなとも思いました。そして真の自己とはその移り変わる”肉体プラスそれに宿る心”の側ではなく、それが映し出されるのを可能にしている色も形もない土台のスクリーンということなのでしょうね。不変で何が映し出されようが全く影響をうけない。自分が肉体プラス心のほうではなくそのスクリーンの側なのだという視点移動がこれまた困難というか。まあ、確かに水中の映像が映ってもスクリーンは濡れない。炎の映像が映ってもスクリーンは燃えないっていう例えはわかりやすいですが。。。 
それと熟睡時の体験を描写するってできないですよね。ただそのときは確かに自他の概念もへったくれもないのは感覚的にわかるような気もします。世界そのものが消失していますよね。記憶にすら刻めません。自分的にはおそらく瞑想がうまくいって深くまでイケてるときと同じような感覚なのではと思いますが。 
毎日眠りにつくたびに真の自己に帰っているではないかとも思いますがそれではだめで、我々が現実と呼んでいる次元の目覚めているときに、常時その状態にロックオンできることに意義があるようですね。これに関してはもう運命にまかせるしかないとおもってます。自分はまあほど遠いようにも思いますし。そして僕も光奈さんと同様の苦しみを感じながらやっていくしかないとおもいます。心なしにこの次元を生きることは可能だそうですが、ん~って感じですね。まあ思考、感情でいっぱいの状態でも自分がそれらではないと完全にわかっていればそれでいいともいわれてますけどね。 
覚醒に関してはある程度の年齢になってそれをはっきり目指して気づけたパターンとラマナマハルシやプンジャジのように何の知識もこころざしも無い、ずいぶんと幼い頃に強制的におとづれてしまうパターンがあるのもおもしろいですね。
自宅で宿題をやっているときとか旅行先でマンゴージュースを手渡されたときとか。

9134
それと
光奈さんはその感覚をイコール地獄としていますが、はたしてほんとうにそうかなあ?とおもいます。だからなんだとも断言できませんが。

9135
あおむし様

 こんにちは!

 さすが五木寛之氏は、うまい表現を使われますね。

 遠い昔から人間が抱えるそうした感覚って、一種の「原罪」のようなものかもしれないです…。

9136
T様

 こんにちは!

 ふと、「闇」と「病み」は、もともとは大和言葉として同じ語源なのかな、という気がしました。

 そうした内的な闇によって、実生活まで暗転させてしまったらかなり大変ですけれど、僕の場合はその状態までにはなっていないです…。
 笑いながら楽しく、やることをやって過ごしています。

 そして、見守っている存在、導いている存在のことを信じています!


 ちなみに「6年前」というのは、その鉱山事故そのものが起きた時のことであって、当時の自分はそのような「暗闇の中に入りたい」なんて思いはなかったです…(分かりずらい書き方でしたら済みません)
 今、その事故をふと想像しながら、そんな考えがよぎる、という意味です。

9137
タカヒロ様

 こんにちは!

 おっしゃる通り、夢の中で「これは夢だ」と気付かないのと同じように、この現実世界の幻想性なかなか見抜けないという話は、よく言われますよね。

 「苦しみ」の感覚も、本当はスクリーンに投影された「現れ」にすぎないでしょう。

 でも、そうした現実のものごとや感覚を「スクリーンに投影された幻、ということにしておこう」だけでは片付かないのが、この次元のよくできたところでもあります。


 世の中には色んな「地獄観」がありますが、その多様なイメージの中のひとつ、くらいに考えていただければと思います。
 「どんな地獄が本当か」というのも、答えに至らない問いでしょうから…

9138
闇と光と題する記事より
「闇と病」は、
大和言葉で同音ですが、これも言霊の一つだと思います

 大病を通じて、大悟された方も少なくないと伺っています
病気になったこと(やみの体験)を悔やむ(受け入れない)よりも病気から何かを学ぶ
(受け入れて、さらに進化・向上する)には、どうしたら善いか 真剣に自らに問う こちらの姿勢でいる方が

(闇上がり)即ち「光の自由」を啓し 扉の前に立てるかもしれません

「闇の本質が何であるか」知らない間は
自分自身が、光の存在であることなど
知り得るものではない

闇は、「自らを知る」ために宇宙が発明した素晴らしい仕組みであるようなものです。

「日本の大和言葉を美しく話す」すぐにでも読みたい本です
言葉に宿る霊力によって幸せを得ている国

私の理解力が足りない事を
(分かりづらい書き方でしたら済みません)
と思いやりが込められた言葉での説明・・大変恐れ入ります

猫を一人と表現してますし・・一匹猫と訂正します。

9139
お久しぶりです。
人の中に闇が存在するとすれば、その正体は、‘死’でしょうか。
他の動物・植物と違い、人は死に対する恐怖が強いのだと考えれば、死や暴力、没収からの脱却(近代以降)して、社会契約や革命権に基づく法治国家を創造しても、
その社会システムの中で、正常でない状態に遭遇すると、死への回帰をしてしまうのでしょうか。
ダーウィンの進化論を信じれば、人も他の動植物と変わらない世紀が存在する限り、遺伝的に当時の感覚が人の中に引き継がれて(例えばエドマンド・バークの‘本源的契約’に基づいて)、一定の恒常的緊張状態を保ちつつ、生と死をもっと冷静に見つめていたあの頃を、曖昧に想い出すのかもしれません。
そして案外このことが、「分離の認識」の出処かもしれません。
そうすると、人が死を恐れる限り、内なる癒しにも限界があるのではと思えてしまうのです。
だから、私は生死をあえて意識し、人間社会で生ずる矛盾(正義や公共の福祉等に反する行為主体等)に対し、《死を恐れる友として》いけない事にはいけないと主張して、その矛盾を無理に解決するのではなく、矛盾を発掘する、
そして、互いに衝突しつつも(スルーされることもあると思いますが)、それを生き甲斐として感じれるのであれば、これほど幸いなことはないと考えています。

大変一方的で本当にすみません。笑。
ですが、ミツナ様にどうしても意見をぶつけてみたかったのです。
「そろそろ、スピリチャル以外の分野のブログを読んでみたいです!」

9140
ふがいないぼくはつぶやく様

 お久しぶりです。丁寧なコメントを有難うございます。

 闇の存在理由が「死に対する恐怖」であるというケースは、もちろんあるでしょうね。


 ただ、死よりもさらに根深いものでもあるとも思います…

 例えばマザー・テレサは、自身の死の恐怖をそれほどかえりみない人だったでしょうし、またマイケル・ニュートンの本にもあるように、死んだ後の魂にもなお心の闇があるようです。

 魂もまた「個」に分かれて存在していることを考えると――、「生物レベルの死」以上に「魂レベルの分離」こそが、闇の感覚の真因なのかなと思います。


 また僕がときどき思うのは、スピリチュアル関連のブログや本は、いわば寿司の「ガリ」のようなものでしょう。
 メインメニューである自らの「生」の合間の、ちょっとした足しとして味わうのがいいのかも…

9141
はじめて知りました
光奈さん、こんにちは

「じゅんころさん」視てみました、初めて知りました。
面白いですね、たしかに!
こういう方が増えているんですね。
ますます、気が楽になりましたー!

9142
fijiwara様

 こんにちは!

 知る機会になれて良かったです。じゅんころさんは、大阪弁の面白味のある語り口調が、とても素敵ですよね。

 非二元からすれば、そのようなメッセージも「ただ起こっているだけ」「特別の意味はない」ということになるのでしょうけれど…
 でも、この時代にこうした人が色々と出てきて、ネットを使ってメッセージを伝えていること自体、何とも大切な出来事のように思います。

9143
T様

 こんにちは!

 「闇は、光の存在が自らを知るためのもの」というのは、本当に大切な見方だと思います。

 本質の光に至るための「扉」みたいなものなのかもしれませんね。

9233
二つ前の記事ですが
光奈さんは「ハートを開く」前段階なのかな・・・と何となく思いました。

上丹田・中丹田・下丹田という表現をしていた方がいましたが、非常にざっくり「第1・2・3チャクラ」と「第4チャクラ」「第5・6・7チャクラ」と分けるとすると、この3つの中で光奈さんが一番弱いのは第4チャクラ(中丹田)かな?という印象はあります。

光奈さんがハートを閉じているとか優しくないとか共感力が無いという事ではないのですが。
私も人の事は言えませんけど^^;光奈さんも「凄くハートが開いている」という訳ではないような気がします。
勿論、様々な経験をされてきて(ブログもその一つでしょう)徐々に、色々なものを受け入れたり、理解したりという段階は経ていると思いますが、「胸の痛み」が浮上しているというのはそういう事かなと。

あまり気が進まないと思いますが、それが以前からあるものならば、過去世を探ってみるというのも一つの有効な手段かもしれません。





9237
Clary Sage様

 こんにちは!

 もちろんのことながら、僕のどのチャクラにも色々と問題があでしょう…。

 過去生についても、それが必要と思える展開があれば、探ってみたいと思いますね。

コメントの記入
 管理者にだけ表示を許可する


プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。





http://facebook.com/koudaimitsuna

最近の記事
ツイッター
アクセス

CALENDaR 12345678910111213141516171819202122232425262728293031
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。