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 このブログは「スピリチュアル」というジャンルにいちおう位置づけているけど、同じジャンルのブログを色々と見ると、「スピリチュアル」の中には本当に色んなテーマがあるものだなと、あらためて感心しますよね。

 ちなみの大手書店の「スピリチュアル」の分類項目には、さらに細分化した、「死生観」「癒し・ヒーリング」「気・ヨーガ・瞑想」「占星術・錬金術」「神秘思想」「ニューエイジ」「超常世界」「宇宙人・UFO」――などといった項目がある。
 これらの項目でもまだまだ大雑把といえるほどで、より詳しい分類に絞っていくこともできる。


 こうした種々のテーマの中でも、とりわけ超絶的で孤高な性格といえるのが、「悟り・覚醒」のテーマではないだろうか…。

 何しろ、ヒーリングのように日常社会で役に立つことはないし、UFOの話のみたいに純粋な読み物としての面白さもない。
 あくまでも「悟り」についての本は、「悟り」に関心を持つ人のための、「悟り」の情報なのである。


 さらに「悟り」というテーマの大きな特殊性が、自分自身にうまく適用・再現できる可能性が著しく低いことだろう――。少なくとも現時点においては。

 いま世界中に、悟りを開いた人は、どれくらいの人数がいるのだろうか。
 見当もつかないけど、数十人くらい…? (一時的な覚醒体験をした、いわゆる「一瞥」の経験者も含めて数百人とか、せいぜい千人規模だろうか)

 これでも十分多いという人もいるかもしれないけど、かりに病気の患者数になぞらえれば、数百万人に1人の「希少難病」の水準である。


 例えば、老化が異常に進行するプロジェリア症候群という難病がある。
 もしある人が、自分がプロジェリアの患者になることを真剣に心配して、日々その予防に努めていたとしたら、誰もがその人にこうアドバイスするはずだ。

 「そんな病気にあなたがかかることは絶対にないから、もっと普通のことを頑張りなさい」と。

 ――悟りに関心を持つことって、確率的には、それと同じことだといえる。
 でも、今までは「悟り」が希少難病なみだったかもしれないけど、やがて何らかの変化によって、「がん」みたいにポピュラーなものになるのかもしれない。どうなるかは、もちろん分からない。


 僕は、悟りは生の最終目的だと考えているし、1日の中に瞑想の時間を設けたり、ときどきリトリートに参加もしている。

 でも「悟る」こと以上に、この「悟っていない」状態こそ、実は特別で貴重なものではないかと思っている。
 というのは、「悟ってない」状態であればこそ、「見ないのに信じる」ということが可能だからだ――。


 イエスは、十字架にはりつけられて死んだ後に、復活した。
 弟子の1人は、復活の話を耳にして疑った。
 そして、イエスの手のひらに空いた釘穴や、槍で突かれたわき腹の傷穴に、自分の指を差し込んでみるまでは、絶対に信じないと言った。

 後日にイエスは弟子たちの前に現れた。そして、疑っていた弟子に自らの手と腹を触れさせて語った。
 「あなたは私を見たから信じたのか。見ないのに信じる者が幸いなのに」


 奇跡というものは、起こしたり見たりすること以上に、「見ないのに信じる」ことに、真に重要な意味があるのかもしれない。
 私たちは、「悟り」という奇跡に対し、わざわざ自分の指を差し込んでみなくても構わない。
 イエスが語る「幸いな人」になるためには、聖者や覚者や賢者になる必要は無い。「見ないのに信じる」ことこそが大事なのだ。

 まだ「見てない」「悟ってない」状態の人は、正真正銘の「見ないのに信じる人」になれる条件を、十二分に備えている。何ひとつ問題点とか不足はない。


 とはいえ、何もしないで信じていれば良いわけではないと思う。

 このブログは、タイトルに「カルマ・ヨガ」という言葉を付けているけど、これは、日常のさまざまな活動を行いながら、ワンネスへの進化を遂げていこうという思いを込めている(記事内容は趣旨に即していると言えないかもしれないけど…)。

 ちなみにカルマ・ヨガの「カルマ」とは、「行動」という意味である。
 カルマといえば思い浮かぶ「過去生からの業(ごう)」の意味は、ここでは含んでいない。(考えてみれば漢字の「業」の字にも「行い」の意味がありますよね。営業とか事業とか)
 あと「ヨガ」のもともとの意味は、「結合」とか「合一」である。


 もし人類意識の大きな変革が起こるとして、その到達までにある程度の「過渡期」があるとすれば――、その期間は一人ひとりが普段の社会的活動などに最善を尽くしながら進化の道を歩む時代、すなわち「カルマ・ヨガ」の時代になるんじゃないかと思う。

 だからこれから「カルマ・ヨガ」という言葉が、もっと広まってもいいのではと思うのだけど…。
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  ☞ コメント:2

 
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コメント
11
悟り、目覚め、気付きなど、いろいろ言い回しはいっぱいありますが、ほとんどの人が悟りを開いた
のが当たり前の時代がやってくると思います。
理由を聞かれても
言葉で表現するのは難しいですけど
きっとくると思います。

12
ちび様

いつか「悟り」が当たり前の時代が起こってくると、僕も確信しています。

「神との対話」に出てくるHEB(高度に進化した存在)や、「アミ 小さな宇宙人」の愛を基本法とするオフィル星のような――。

もちろん、そう予想できる根拠なんてありませんが、このこともまさしく、「見ないのに信じる」ことが幸いだと思ってます!
 

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プロフィル

Koudai Mitsuna

Author:Koudai Mitsuna
 
光奈 広大(みつな・こうだい)

 20年のあまりのサラリーマン生活を経て、いわゆる「ザ・マネーゲーム」を何とか卒業。今では束縛されない自由な日々を存分に味わっています!

 そうした中で心がけているのは、普通の日常的な行いを通じて、意識の進化を目指す「カルマ・ヨガ」。

 日々の喜びや学び、インスピレーションから得たスピリチュアルな気付きなどをブログで紹介しています。

 妻子と都内在住――。





http://facebook.com/koudaimitsuna

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